第1462話 鳥籠の中に見る夢
「出来たのかい?」
「はい、できたっす! いやわたしにも正直本当にこれでいいのか良く分かってないんすけど、たぶん、きっと、おそらくはこれで、ミントちゃんの作ったであろう夢世界接続機のエミュレートは出来たはずっす。しかしこれ、なんなんすかね本当?」
「僕に聞かれても分からん……」
ハルたちは今まで、ミントの魔法であろうと思われる『夢の泡』に相乗りする形で、あの夢の中で行われていたゲームへと参加していた。
その架け橋となる泡も、夢世界の崩壊、ゲームクリアと共に消失。
崩壊したゲーム内は当然、あのエリクシルの居る泡の浮かぶ世界にもハルたちはアクセスする手段を失ったのだ。
「まずあの空間が何なのか、それすら謎のままだ。ガザニア。同じ空間使いとして、何か知らない?」
「いいえ。私には、何も。そもそも『同じ』と言っていいものか。私の力はあくまで、私の空間を生み出すだけの力ですからね」
「そもそも根本から違う力ってことか」
「もしあのような広大な世界を、自在に作り出せるとするならば、私の方が教えを乞いたいくらいですよ」
「ふーむ……」
長い茶色の髪をたたえた、和服美人のガザニア。かつては『フラワリングドリーム』にて、ミントの同僚としてゲーム運営をしていた神様だ。
今は『アメジストに技術供与した罪』にて、ハルたちによって厳重監視中。
お正月気分の中で彼女の姿はよく映えているが、そろそろハルたちも仕事始めの時期であり、彼女にも可能ならマスコットとして以外にも働いてもらいたい。
「とはいえあの場は、実際の空間というよりも、電脳空間のようなものと考えるべきでしょうね」
こちらは緑の髪に合わせた派手な着物が目にうるさい、ジェードによる意見。着替えはファンサービスとのこと。割と律儀である。
確かに、現実にあのような空間が存在するというよりも、どこかのフィールド未定義のゲームにでもアクセスしていると考える方が自然か。
見た目もまた、フラワリングドリームであった裏世界と似たような物ということも出来るだろう。
「ジェード先生はどう思う? あの空間のこと」
「さて。私は直接、あの世界を訪れたことはありませんからね。今のところ訪問経験があるのは、ハル様とアイリ様のみ。その上で勝手なことを言うのであれば、あれが『集合的無意識の海』ってやつじゃないんですかね。はっはっは」
「うん。本当に適当だね。現状じゃあ分からないってことか」
「ええ。確実なことは何も言えません。仮想空間であるにせよ、その世界を成立させるための基盤、古い言い方をすれば『サーバー』が、何処かにあるはずですから」
「今のところ、その存在も見受けられません。我々がフラワリングドリームの展開のため用意した、『魔力サーバー』のような反応も、何処にも確認できません」
「あれば絶対に目立つんですけどねぇ……」
ジェードが(半ば勝手に)ハル陣営の魔力をガザニアたちに貸し出し、両者が共同で構築したサーバーの役目を兼ねる魔力の塊。
それは今もこの異世界の星の上に目立つ形で鎮座しており、あの規模のゲームを維持するには相応の体積が必要だと分かる。
通常のゲームでも同じだ。現在、人々はそれを全く認識することなどなくなったが、仮想空間だって無限にそのフィールドを拡張して行ける訳ではない。
大気に満ちるエーテル内に必ず物理的に場所を取り、そこをフィールドデータの処理用として割り当てなければならないのだ。
その視点でも、あの謎空間は何処にもその起点が見当たらない。
ミントがゲームのノウハウを用いて作った世界ならば、異世界に魔力サーバーとして魔力の反応が検出される。
エーテルネット上に作られた仮想空間ならば、ハルがこれだけ調べて出てこないはずもない。
「次元の狭間っていう可能性は?」
「それなら空木がぜったい気付くです! 間違いねーです!」
「おねーちゃん。ハードル上げないで。でも、はい。そうだったら私が、分かると思います」
「あれが一番近そうな気がするんだけどねえ」
まだまだお正月は終わらぬとばかりに、小さな着物に身を包み走り回っていた小さな二人が、得意分野に反応して会話に入って来る。
その神生のほとんどを次元の狭間の内部で管理業務をこなしていた空木なら、確かに類似性には敏感なはずだ。
エメも同様である。あの世界はエメの庭のようなもの。まあこちらは多少、空白期間があるので信頼度に欠けるか。
「なんすか?」
「いやなにも? エメはブランクが長すぎて次元の狭間のことは分からなそうだなー、って」
「ひっどー! ひどいっす! 普通そこは、優しさで濁すとこじゃないすか! ……まあ確かに、わたしより空木ちゃんの方が頼りになるのは間違いないっすね! 分からないことがあったら、なんでも空木ちゃんに聞くといいと思うっすよ!」
「なんでもは聞かないでください。開発者も、ハードルを上げないで……」
着物の袖に顔を隠すようにして照れる小さな姿が可愛らしい。
とはいえエメも、別世界については専門家だ。過剰労働の成果という意味でも勿論だが、エメの才能がなければ何年計算を続けたとて、今回の機能解析と構造再現魔法の作成には至らなかっただろう。
「エメというなら、それこそあそこは別の宇宙にでも繋がっている、とかないかねー」
「そこまで含めると可能性は無限大っすからねえ……。しかしまあ、彼女の目的にも一致するので、無いとは言い切れないっすね。色々な宇宙からエネルギーを引っ張って来るんでしょう? わたしの力とそっくりっす!」
「いや君のは物理的に超新星爆発の余波を引っ張って来るんで少々違うかな……」
「えーっ! 似たようなもんすよ! まあ、確かに同じ力なら、わたしが気付くっすもんね!」
そうポンポンと別宇宙と接続されてもたまらない。便利に使っているので忘れがちだが、このエメも問題児中の問題児であった。
「まっ、行ってみれば分かるっすよ! さあさ、ハル様! 覚悟はいいすか! 夢世界ぶっとびマシーンver4.1、いざいざレディーゴーっす!」
「それちゃんと安定版だよね?」
バージョン数の多さすなわち試作機の多さを、『検証を繰り返したが故の信頼感』ととるべきか、それとも『それだけ失敗した事の証明』ととるべきか、悩ましいところだ。
しかし確かに、覚悟を決め、行ってみないことには何も分からない。ハルは医療台のような謎の装置の上に寝転がり、意を決して目を閉じたのだった。
*
《聞こえるっすかー。聞こえるっすかー? 今、あなたの心の中に直接話しかけてるっす!》
「嘘つけ。ただの音声入力だろそれ。環境音乗ってるぞエメ」
《ううううう嘘じゃないっすよ!? わたしたち嘘つけません! いやつまりですね? こうして喋った音声データを魔力信号として変換して、ハル様の心に直接ぶち込んで聞こえる形にしているっていいますかあー》
「うん。なんか体に悪そうだから『直接話しかけてる』でいいや」
《だから最初からそう言ったんじゃないですかーっ!》
エメをからかうのはそこまでにして、ハルは周囲の状況を確認する。
こうしてエメと会話できている以上、自分の身体が存在し声が出て、あちらとの通信も繋がっている状態らしい。
とりあえず孤立無援で帰還方法も確立されていない状態の単独任務、といった極限状況は避けられたようだ。エメの技術力に感謝である。
「しかし、どうなってるんだこれは? 僕はまた、誰かの夢に相乗りしているのか?」
《いや、それはないっす。別にどなたも指定してないっすからね。今そっちに行ってるのは、ハル様お一人に間違いないっすよ》
「じゃあここは、僕の夢ってこと? おかしいな。僕が夢を見るはずないのに」
《さて? わたしは以前の物を解析と再現したまでっすからね。詳しい原理は、ブラックボックスのままっすよ》
「ちょっとおっかないね」
ただ、その使われている技術の原理までもを明らかにするまで待ってはいられない。危険を承知で、エリクシルのフィールドへとハルたちは踏み込まねばならなかった。
《そこってどこなんすか? 周囲一面真っ白で、せまっ苦しい部屋みたいすけど》
「ああ、ここは見覚えがある。きっと『ケージ』の中だ。研究所だね、つまりは」
《鳥籠っすか。悪趣味な呼び名っすねー。研究所の連中らしいっす! あれ? てことはつまり、ハル様も当時のお姿っすか? その割にはお声は大して変わらないようっすけど》
「元から子供っぽい声で悪かったな……」
しかし実際にエメの言う通り、ハルの姿もまた当時の姿、つまり子供の状態へと戻っているようである。
確かに夢らしいといえば夢らしい状態なのだろうが、通常の人間とは違い実際の夢を知らぬハルとしては判断のしかねる問題だった。
《しかし、ケージってことは閉じ込められた状態からのスタートってことすか? いきなり前途多難すねえ。どうします? 一回戻ってやり直します? リセマラっすよリセマラ! 今は夢も、リセマラできる良い時代になったんす!》
「それって良い時代なのか……? それに、特にその必要はないよ。ひとまず今のとこね。檻とはいっても、別に施錠されている訳じゃないんだ」
《そうなんすね》
「うん。出入りは自由だよ。ここは人権に配慮された、素晴らしい研究所だからね。子供を狭い箱に閉じ込めて管理するなんて、まさかそんな……」
《人権に配慮した団体は『管理ユニット』なんて作り出さないんすよねえ》
その通り。この研究所は成り立ちから研究内容まで真っ黒で、決してその内情を明るみに出すことは出来ないだろう。
よく解体後、なんの情報漏洩もなく機密を守り通せたものだ。“魔法”でも使ったかのように完璧な仕事には恐れ入る。
「まあ僕らが誰一人として、自発的に檻から出ることをしなかったから、結果的に閉じ込めているのと何ら変わりはなかったけどね」
《そう設定したのも連中っすよね。ロックするのが扉か心かの違いなだけっすよ!》
「なるほど。そうとも言えるか。詩人だねエメ」
だが今のハルは、この扉を開けることに何の抵抗もない。
当時はそもそも『出たい』『出たくない』とすら考えることもなかった鍵のない開かずの扉を、ハルはすんなりと内側から押し開ける。
密閉空間特有の気圧の重みと、明けた瞬間の風圧を感じつつハルはケージの外へ出る。
その部屋の先には、同様の扉が何枚も、何枚も何枚も同じように連なり、その全てが静かに閉じていたのであった。
「うん。当時のまま、なんだろうね?」
《なぜに疑問形で? これって、ハル様の記憶から出来てるフィールドじゃないんすか?》
「いや、僕に当時の記憶はない。別に削除した訳じゃないけど、逆にいうとわざわざ保持もしていなかった。僕としてはその後の百年以上、解体後の病院に居た期間の方がずっと長いわけで……」
その後ルナに見出されて月乃の家へと引き取られるまで、記憶のメンテナンスなど特に行っていない。
特殊な脳を持ちエーテルネットに記録のアップロードも当然可能とするハルだが、それは無限に自動的に、記憶を保存している訳ではない。
むしろ明確な意思をもって行わねば、保持されるのは最小限の身体情報のみ。
お爺ちゃんに百年以上前の話を明確に詳細に行ってくれと、そう言っていると思えば分かりやすいかも知れない。
「体に染みついてた、とかかも知れないが、ここはむしろ、僕の記憶以外のデータを参照していることを疑った方がいいかもね」
《ネット上の何処かに、残留思念がまだ残っていたと?》
「あるいはそれ以外の何処かにだ」
エーテルネットの特性上、記録の保持能力は人間の記憶以上に信用ならない。複製されない、つまり必要とされなくなったデータの劣化速度は思う以上に早い。
そんな中でこうしてくっきりとフィールドとしての再現が行われているというのは、エーテルネットを参照している訳ではないという事を証明しているようにも思うハルだ。
「……まあ単に、人間の脳が持つ優秀な補間機能が働いた結果なだけ、という可能性もあるけれど」
どのみち、これが当時と同じ研究所の通路であると証明することなど出来はしない。
唯一の生きた証人である当のハルからも、もうすっかり記憶は薄れて消えてしまっているのだから。
ハルは、そんな懐かしいのかそうでもないのか分からない真っ白な通路を、とりあえず出口へ向かってぶらぶらと歩いて行くことにしたのであった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




