第1461話 廃棄され秘匿されなおも受け継がれる
「そういえば光輝さん」
「はい奥様」
奥の間を出て『余所行き』の調子に戻った月乃が、思い出したように問いかけてくる。
こういう時は要注意だと、ハルは経験上良く分かっていた。思い出したように振る舞ってはいるが、確実にあらかじめ用意していた話題だろう。つまりは、重要度が高い。
ハルはこちらも表情には出さぬように覚悟を決めて、月乃の次の言葉を待つのであった。
「昨年末、なにやら“体調を崩して”いたようですね? その時は、大丈夫だったのですか?」
「ええ、ご心配をおかけしました。今はもう、なんともありません」
「まったくです。心配をかけさせるものではありません。いえ、あなたの心配ではありませんよ? あなたは、外敵に対する防波堤のようなものなのですから。機能不全を起こされてはたまりません」
「……あの際には、奥様が?」
「その通りです。手間をかけさせてくれましたね」
「それは大変、失礼を……」
これは、本当に少々予想外の報告だった。というか重要な事すぎる。もっと早く教えてくれればいいものを、というのは、恩義に欠けるだろう。
ハルは本気で申し訳なく思うと同時に、彼女の機転に感謝した。
月乃が言っている事というのは、つまりは夢世界での最終決戦時のことだ。
票の改竄のため出力を上げすぎたハルは、現実側の体もいわばオーバーヒート状態で機能不全を起こしていた。
そうなると平時に行っている様々な通常処理、ハル自身の生命維持以外に、ネット上での活動にも悪影響が出てくるのは防げない。
前時代のコンピュータで例えると、メモリを限界まで埋めるような高負荷処理を行ったために、普段は裏で実行しているような意識しないタスクが実行不能に陥った、という感じだろうか?
その常時展開しておかねばならぬ警戒網というのは、エーテルネットワーク基幹システムに対するハッキング対策のことだ。
アメジストは今は大人しくしているはずだが、もしやまた彼女が、ハルの“体調を崩した”隙を突いて攻撃を仕掛けてきたのであろうか?
「……それはつまり、誰かが攻撃を?」
「そうではありません。あくまで警戒のためです。安心なさい。今のところ、ネットの『仕様』に変更が加えられた形跡はありませんから」
「それは一安心ですね」
「安心している場合ですか」
たった今『安心なさい』と言ったばかりではないか、という口答えをハルは飲み込む。今は、対外的に月乃が絶対強者でなければならないのだから。
「もし本気で改竄を試みる者が現れたら、私では対処しきれません。あなたにしか出来ないことなのですから、気軽に体調を崩したりしないように。いいですね?」
「心得ておきます……」
聞いている者からすれば、『また女帝はなんて無茶な』と言いたくなるところだろうが、これは実際はハルに無理をしてほしくないというだけなのだろう。
とはいえ確かに、神々からのハッキングに対しては月乃だけでは対処できるとは限らない。ハルも今後は気軽に、防壁を手薄には出来ないか。
……いや、ハルもやりたくて無茶した訳ではないのだが。
まあ、もし何かあれば、その時は味方の神々が対処にあたってくれるはずだ。今回も、恐らく彼らから交友のある月乃に緊急連絡が飛んだのだろうし。なので言うほど問題にはならないはずである。
そんな感じでまたそうやって言い訳をしつつ、無意識に無茶をする算段を立てているハルなのだった。
「特に最近は、例の三家もこの情報を掴んでいます。まあ、私が流したのですが」
「確かに。政界にも顔が利く有力者でしょうから、知る所になるでしょうね」
ハルによってロックを外されたエーテルネットの基幹システム。それを今後、この時代を生きる人々の手に委ねようと、ハルは思い行動している。
その第一歩として、ネットの『仕様変更』が可能になったことを、月乃を通じてごく一部の者にだけ通達していた。
高名な旧家であり、裏の顔はエーテルネットの生みの親ともいっていい研究所の母体である三家だ。当然、彼らもその事実を察知するだろう。
とはいえハルとしては、彼らに関しても余程変なことをしない限り手出しはしたくないのが本音であった。
彼らだってまた、この時代を構成する人々の一部に違いないのだから。
まあ、とはいえ、最近のあれこれを見ているとその『余程変なこと』をしないようには、到底思えないのが困った所なのだが。
「では、そういう訳です。雑事については一任します。繰り返しになりますが、くれぐれも“体調には気を付ける”ように」
「はい、奥様」
ここだけ見れば、義母と子の心温まる一幕なのだが、残念ながらこの家にそんな捉え方をする者は居ない。
だが実のところ、この言葉に関しては嘘偽りなく月乃の本心からの、ハルを気遣っての言葉であるとハルにだけは伝わっていた。
「あなたからは、何かありますか? 懸念があれば今のうちに伝えておくように」
「いえ特には。強いて言えば、さっきの一発ネタのカードですかね」
「一発ネタではありません。妙なことを言わないように……」
女帝は一発ネタなど披露しないのだ。築き上げたカリスマ性と、沽券に関わるのだ。
いやどう見てもあれは一発ネタを披露したかっただけのお茶目な月乃であったが。
「持っておきなさい。使い方は、分かりますね?」
「ええまあ……」
そういえば『教える』という体で奥に引っ張っていかれたが、その後カードに関する言及はなかった。
なのであの場限りの一発ネタだと思っていたが、どうやらハルにカードを持たせること事態にも、何かしらの意味があるのかも知れない。
使い方は、元より理解している。エーテル技術では決して解析できないこのカードの中身を、<透視>することにより完全に機密の通信が可能。
試しにハルは、渡されたカードを取り出し<透視>してみることにした。
「ぶっ……」
「……ふっ。では励みなさい。期待していますよ光輝さん」
「はい……」
そのカードの内部に仕込まれた小型ディスプレイには、手描きだろうポップな字体と可愛いイラスト付きで、『ハルくんだいすき☆らぶらぶ☆どっきゅん! つきのお母さんより愛をこめてプレゼント!』と表示されていた。
カラフルで目が痛い。そう、目が痛い気がするのはきっと色使いのせいに違いない。
「……やっぱり一発ネタじゃないか」
月乃が去り、周囲に誰も居なくなったのを確認しつつ、ハルはそう一人ため息をつくのであった。
*
「馬鹿ね」
「あははっ! ルナちーママらしーや」
「月乃お母さんはお茶目さんなのです!」
「どうやらそれこそが、急にシリアスな話をしてきた真の狙いのよーですねー。そちらに警戒を向けさせておいてからのー? 不意の急襲ですよー?」
「そういう才覚はもっと別の場所で生かしてほしい……」
いや、常日頃から存分に発揮しているのだろうが、それでもこんな所で無駄使いしないでほしい。
最後に一瞬、『してやったり』と鉄面皮が緩むレアな様子を垣間見せたのは、よほどイタズラ成功が嬉しかったのだろう。
「まあ、それにしてもただのイタズラだけでそんな事をする奥様じゃない」
「買いかぶりすぎよ。と言いたいけれど、確かに少し気にはなるわね? 何か心当たりはあって? ハル?」
「まあ何となく。周囲の使用人に、何かを見せたかった、聞かせたかったのかなと。なにやら新顔も居たようだしね」
「ルナちーの旦那さんとして認めてますよアピール?」
「いや。それより恐らくは、例の三家への牽制とかメッセージか何かだろう。話の内容的に」
「スパイ! でしょうか!?」
そういうことだろう。月乃の雇う使用人は、完全に彼女に忠誠を誓った者でガチガチに固められている、訳ではない。
もちろん採用基準は厳しいが、ときおり入れ替わり、そこそこの頻度で新顔が入って来ている。
その中には、かつてここアイリのお屋敷にも居たように、スパイ目的で紛れ込む存在もいる。無論、あえて月乃により泳がされている。
「なんか懐かしいねー。あの子ちゃん元気してるだろーか」
「きっと元気なんじゃないかな。あとで顔でも見に行ってあげようか。向こうは、会いたくもないだろうけど」
「では行くべきですかね!」
「意地悪しちゃいますよー?」
ハルたちはそんな色々な思い出の詰まったアイリの屋敷で新年休みの最後を過ごしながらも、来るべき今後の計画についてもそろそろ考えてゆく。
織結たち日本の者も気になるが、やはりまずは、この屋敷の一室で寝ずの作業に明け暮れているエメたちの報告を待ち、そちらから攻めるべきだろう。まあ、神様は元々寝ないのだが。
「それよりハル? そのカードって、中にお母さまの物と同じ仕込みがしてあるのね」
「ああ、うん。ルナのには無いんだっけ?」
「そうよ? だからただの決済用。『子供のおもちゃ』ってことねぇ。少々癪だわ?」
「まあー、周囲の人間からしてみれば、まるで遜色のないステイタスにはなるでしょうけどー」
ハルとルナは、互いに真っ黒なカード、いわゆるブラックカードを取り出して眺める。
以前は、<称号>としてハルの代名詞にもなっていた、これまた懐かしさを感じる存在だ。
ついでなので、ハルはそちらの<ブラックカード>も、小型のウィンドウを重ね合わせて久々に再現してみることにした。
「懐かしいのです! そのカードも、<透視>することで自分だけ中身を確認できる仕掛けでしたね!」
「そうだねアイリ。本物も同じ仕様だったっていうのは、びっくりしたよ」
「しかしそのカードって今でも、謎が多いよね。ルナちーのママ以外には使えないっしょ」
「専用の読み取り装置を使うみたいだよ」
「……んー。それって、その装置だけありゃよくないん?」
「確かに……」
「たしかに! 言われてみればそうなのです!」
「……んー。たぶんですけどー、奥様ちゃんみたいな超能力者が居ること前提でー、作られていますねーこれはー」
で、あるはずだ。今は形骸化しているが、元々はそのようにデザインされた物で間違いないはず。
それは、この黒い券面を演出するために使われている塗料、アンチエーテルコーティングからも推測できる。
要するに、これもまた元を辿れば、研究所発。
御兜家のような超能力者たちによる新技術開発の副産物として、または世界の裏で暗躍するための小洒落たアイテムとして、開発されたのだと思われた。
「そもそもどうやって通信するのかイマイチ謎ですしねー」
「確かに。ネット繋がんないもんね。よし、バラして確かめようぜハル君!」
「まて待てっ。確かにユキの言う通りなんだけど、一応それは奥様が僕にこれを渡した意図が明らかになってからにしよう」
「ぶう。相変わらずハル君はルナママに甘い」
「本当よ? 一発ネタに決まっているわ?」
「流石はネタのスケールも、一味違うのです!」
まあ、その可能性も十分にあるのが嫌なのだが。
とはいえその仕組みも、なんとなく目星はついているハルだ。カナリーもまた同様のようで、その視線の先を追っていくと、地球の方で回収してこの屋敷に隔離してある、謎の装置に行き当たる。
「……カードも謎だけど、アレも謎だねカナリーちゃん」
「ですよー? 電波でもエーテルでもない、未知の通信規格ですー。あの装置を街の各所にバラ撒いて、皇帝はいったい何がしたかったんでしょうねー?」
「その答えは、もはや本人からすら帰って来ないのよね?」
「ああ。皇帝の記憶を引き継いでいない織結悟は、この暗躍をまるで知らない。一応、本人も謎のヘッドホンで、情報屋と連絡をとっていたから、技術自体の知識はあるはずだけど」
「どうせならイヤフォン型にすればよかったのにさー。そしたら情報屋が耳元に爆音で『イヤッホゥ!』って!」
「皇帝の耳を、破壊してやるのです!」
「あはは、イヤッホゥだけにね……、契約破棄まったなしだ……」
未知のエネルギーに、未知の通信規格。そしてエリクシルの待つ未知の空間。これらと、そして過去の研究所は、一本の線で繋がっている。そんな気がしてならないハルなのだった。




