第1449話 彼の人質
「……来たか」
帝城の地下に作られた、様々な形状の操作盤が取り付けられた指令室のような部屋。そこに、皇帝はただ一人ハルたちを待ち構えていた。
国の命運を、全て彼一人の手に委ね、左右するための構成。それを傲慢と非難することはすまい。
ハルもまた、そうした思想の下に生み出された管理ユニットであるのだから。
そんなことより、そんな究極の中央集権管理ルームの存在よりも、どうしても指摘しなければならない部分がハルにはあった。
目の前まで近づいて初めて分かる、彼のAR表示にハルは嘆息する。
「……知ってはいたけど、本当にまったくレベル上げていないんだね。一国の長が、レベル18って君ねえ」
「国の長だからこそ、ゲーム的なレベルなど必要にはならない。私の仕事は、ただひたすら、舵取りを判断し続けることのみ」
実に潔い。それ以外の行動はまさに『一切不要』と切り捨てた結果がこれだ。
比較的レベルの上がりやすいこのゲーム。18レベルというのは序盤の数日ですぐに達成できる数値となっている。
この期間プレイしてそこ止まりということは、本当にゲーム的な全てを切り捨ててひたすら国主に徹したのだろう。
「どうやって最初の信頼を勝ち得たやら。そのリーダーシップには、素直に敬意を感じるよ」
「不要。政敵からの敬意というものは、もっと形を伴って表されなければ意味がない」
「徹底しているねえ。君は、もう少し『ゲーム』をやった方がいいよ。色々な意味で」
「……ヴァンにもよく言われたな」
権威を示す皇帝の衣装とマントに身を包みながらも、彼からはその装備の絢爛度合から感じるはずの威圧感がまるでない。
普通ならば、こうしてたどり着いた敵の本拠地、その最深部で待ち受ける敵国の王なんて立場のキャラクターは、主人公パーティが束になってかかっても苦戦する実力を兼ね備えているものだ。
だがこの織結という男はそんなゲーム的お約束などどこ吹く風。圧巻の18レベル。
常識的に考えて、国主が戦闘で強い訳ないだろ、とでも全身で物語っているようである。
「確かに私は、あくまで『ゲーム』を突き詰めた貴様にこうして追い詰められている。そこは認めねばならないだろう。だが、そんな話をしに来たのか? ゲーム的な優劣を気にするならば、この瞬間にでも私を殺せば終わりだろう。貴様なら一呼吸もかかるまい」
「まあ、それはそうだ。確かにそこは今、あまり関係ないか」
実際、本当に彼の語る通りでしかないのだが、それでもなお問わずにはいられないレベルの衝撃だった。
ここまでゲームに背を向けたまま、ゲーム内で成功出来るものなのか。
やはり、ハルはどこまでいっても、『ゲーマー』であることは捨てられないということだ。
「ハル? 『そんな話』でいいのでなくって? 今さら、話すことなど何もないわ?」
「はい! お話は時間稼ぎにしかなりません! 王として身を守る力を持たない愚かさを、ここに証明してやりましょう!」
「……勇ましいお嬢さんがただ。それも真実だな。だが、貴様は私と話さずにはいられない」
「いやそこまででもないけど……、まあ癪だが、今のうちに聞きたいことはいくつもあるね……」
「確かに……! リアルで聞こうとしても、この人は忘れてしまうのです!」
だからこそ『皇帝』としての真意は、今この場で聞き出すしかない。現実の彼に、織結家の当主に訊ねたところで答えが返ってくることはないのだから。
「完全に術中よハル? 結局同一人物だわ? あなたのお得意の洞察力で、心理を読み取ればいいじゃないの」
「いいや違う。私は『奴』とは違うぞ藤宮の娘。奴の心を読んだところで、私に繋がることはない。そのように決めて、私は行動してきた」
「……今ここに居る君は、別人格に等しいと?」
「臆病者の奴には、これだけの事は出来ない。貴様も見ただろう?」
まあ確かに、臆病といえば臆病か。秘密の通信経路で情報屋とやり取りしていた所に、ハルが割り込んでからというもの、織結はすぐにその経路を遮断し封鎖してしまった。
情報屋との接触を封じられたのでハルとしては構わないのだが、続けてハル自身も織結に接触する機会を断たれたことも事実である。
もしあのまま接触を続けていけていれば、こうして顔を合わせる前に現実での会合を行えていたのかも知れなかった。
「あれは君が夢から指示したのかと思ったよ」
「奴が勝手にやったことだ。『私』は何も指示していない。……実に不快だったよ。毎日“目を覚ます”度に、惰弱な奴の記憶が私に流れ込んでくることは」
皇帝の言っている『目を覚ます』は、織結が眠りにつくことに他ならない。
どうやら本気で、起きている方の現実の自分とは別物と思い込んでいる。いや彼にとっては、こちらの世界こそがリアルに他ならないということか。
ハルの目にも、その言葉は嘘や演技とは読み取れなかった。
「だからこそ君は、自らが『生きる』この世界を永続させようと?」
「そうだ。私だけではない。このリアルを生きる全ての『人間』の為の国を作る」
「あのスキル封印アイテムでかい? あれの力には、限度があるみたいだけど?」
「法に限界がきたら、また改めて対処すればいい。その繰り返しこそが、政治というものだろう」
「まあ確かに、抜け穴とそれを塞ぐいたちごっこよねぇ……」
「終わりも完璧もありませんね!」
「こら君たち。納得するな」
言っていることは分かるが綱渡りもいいところだ。以前にも語った通り、この世界には運営という名の神が存在する以上、全てはその神の思うがまま。気分一つで環境が変わる。
これはゲーム内の流行りという意味の環境だけではなく、本当に世界環境そのものが一瞬でガラリと変容しかねない。
そんな世界で終わりの見えぬ統治者としての道を歩むなど、罰ゲーム以外の何ものでもないとハルとしては思うしかなかった。
「……まあ、言いたいことは分かったわ? そのうえで、貴方のそれは単なる誇大妄想としか言いようがないわね?」
「確かに! 主義主張は様々でしょうが、今さらわたくしたちが賛同することはないのです!」
「そうかな?」
「それはそうでしょう? 今の話に、なにか賛同するポイントがあって?」
何もない。ハルたちには、彼の主張に共感することも、その理想に付き合う義理もない。皇帝もそんなことはよく理解しているはずだ。
だがそれでも、彼は敗北を認めることなく、その鋭い目はただハルをしっかりと射貫いている。
「賛同はせずとも、否定もまた出来まい。貴様だけはな、エーテルネット管理者、ハル。この地に芽吹いた新たな意識を、このまま消し去っていいものか、今一度よくよく考慮しろ」
◇
ハルの事を、『管理者』と語った皇帝。どうやら、色々と裏側の事情にまで調べがついているようだ。
別に驚くことはない。彼と同様にモノリスの管理を行っている始まりの三家の一つ、御兜家の当主である老人も、ハルの正体にあたりを付けていた。
その彼と交流のある織結もまた、同様の情報を持っていてもおかしくない。
まあ、御兜翁の推測は一部は正しかったが、肝心な部分がズレているものだが。
彼もまさか、ハルが百年以上前の、最初の管理ユニットの生き残りであるとは夢にも思わなかったようだ。
「少々情報を見せすぎたな。どうせ、夢と消えると侮ったか」
「アイリや神様たちのことか。いいや、ミスではないよ。むしろ少しずつでも、僕らの情報を広めていきたいとは思っていたんだ」
「そのために利用されたということよ? 貴方も」
「適度な情報拡散、ご苦労様なのです!」
「負け惜しみを……」
ヴァンがこの情報を使って、脅しをかけようとしてきたことから、これも分かっている。
ただ、それならその際に、皇帝もまたこれらの情報はハルたちに対する決定打にならぬことを察したはずではないか。ルナたちは、そう訝しんでいた。
……ただ、ハルにだけは彼が何を思い、何を言わんとしているのかがよく分かる。
だからこそ彼も、最初からただハルだけを見据えてこれらの言葉を積み上げてきたのだろう。
「……まあいい。そのことは今、問題ではないからな」
「貴方こそ負け惜しみかしら? ハルや私たちの秘密が脅しにならない以上、交渉の余地なんてなくてよ?」
「いいや、脅しにはなる。重要なのはそこの男が、管理者としての力を所持している事。それだけだ」
「……だから、それが何の?」
「うん。まあ普通に考えても分からないよ。とはいえ実に単純なことだ。彼は、自分自身を人質にして、僕にクリアを思いとどまるようにと脅迫している」
「自分自身を、人質に? ……はっ! 分かりました! ハルさんは、人殺しが出来ないのです!」
「そういうことだねアイリ」
正確には、出来ない訳ではない。可能な限りしたくないだけである。
エーテルネットワークを存続させる為、“必要不可欠な資源”である人間の脳を失わないように、かなりきつめの心理的ロックが生まれつきかけられている。
研究所のはじまりである織結の当主である彼も、その『仕様』を知っていてもおかしくない。
だからこそ、その仕様の穴を突き、ハルの行動にエラーを生じさせ停止させようとしているのだ。
「私の話を聞いて、自己矛盾が生じただろう? 人類の為と献身的に行ってきた行動が、守るべき人類を殺すことになる」
「君だけじゃないかい?」
「いいや、貴様も薄々気付いていたはず。だからこそ、現実での関係の再構築などと、気休めで自分を騙し続けてきた。そうでなければどうせ消える世界の人間関係、貴様が気にするはずもない」
「心外だなあ。そんなに冷たい人間じゃないよ僕は」
とはいえ、痛い所を突かれた、という感覚を拭いきれないハルである。
確かに、心のどこかでは思う所もないではなかった。この夢世界におけるプレイヤーの意識というものは、現実のそれと同一と語っていいものかと。
ハルが人間関係と抱いた感情を継承させようとしているのも、その罪悪感から逃げる代償行為だと言われれば否定できないかも知れない。
もちろん、純粋な親切心や、クリアへ向かう協力を得るための打算という部分も嘘などではない。
だが、あえて見ないようにしていた部分を直視させられたという意味では、割とここ一番のダメージを負っている。
「……いやまいったね。過去からの刺客という意味では、ソウシ君以上だね君は」
「何の話だ? まあいい。ともかくこの話を聞いてしまった以上、貴様には、」
「ああ、いや、そこは問題ない。問題なく君を殺せるし、問題なく全プレイヤーを見捨てられるよ。そこを見誤ったね皇帝」
「なに……?」
「別に僕はさ、全ての人間を見捨てない博愛主義者でも、死にゆく人間を誰一人取りこぼさない救世主でもないんだ。それどころか、世界で最も多くの助けられるはずの人間を見捨ててきた」
ハルの見えすぎる目は、それだけ多くの人間の不幸を置き去りにしてきた。そこに、今さら彼が一人加わったところで、どうとも思わない。
ただ少しだけ、頭の片隅が痛む気がする程度である。
「……命乞いは終わったかしら? なら、ここでさよならね?」
そんなハルが皇帝に手を下す前に、彼に手を下したのは、隣にいたルナだった。




