第1428話 知らない記憶、知らない感情
季節の関係ない夢世界と異なり、ここ現実世界ではもうすっかりと外は冬の気配が色濃くなっている。
ここ天空城のお屋敷でもそれは同じで、庭の草木もすっかりと勢いを失い冬支度を整えていた。
家の花壇や、窓から見えるマリーゴールドの花畑もすっかりと寂しくなっており、今では冬に咲く小さな菊のような花の色合いがちらほら見えるくらいである。
そんなお屋敷の中で小さなヨイヤミが、外が寒いと車椅子で暴れまわりながら、ハルの周囲をぐるぐると回り元気に抗議をしてくるのだった。
「《お兄さん~~。寒い寒いーっ! これじゃお外に出られないよー! 私が引きこもりになっちゃってもいいのー?》」
「えっ。もうなってるじゃん」
「《むう! そうだけど! でもそれにしても、この寒さはお外で遊ぶ気をなくさせるの! たまにはお外に出たいもん!》」
「贅沢な子だ」
とはいえ、なるべくなら彼女の希望は叶えてやりたいハルである。
ヨイヤミはこれまで、学園に併設された病棟から一歩も出ることなく、ただ窓の外から見える四季の移ろいを眺めて過ごすだけだった。
そんな彼女だ。いかにインドア派とはいえ、今まで出られなかった外へと思い切りくり出したい時もあるだろう。
「《魔法でなんとかならないの!?》」
「まあ、ならないこともない。というかもうしている。この天空城は既に、周囲のバリアがなければ地表と比べても数段寒い」
「《うわっ!》」
「なので環境を地上のそれと同程度に保つために、常に魔法で気候設定が行われている」
「《じゃあもっと春みたいにぽかぽかにしようよ!》」
「それだと風情がないでしょー」
「《いいもんなくたって!》」
残念ながらこの少女には、四季折々の美しさを味わう風情よりも、単純な快適さの方が重要なようだった。
「《ならいっそ雪でも降らそうよ! 雪合戦するんだ!》」
「ふむ。雪か。それも面白そうだね。ただ少し問題が」
「《なんだろ?》」
「この浮島に雪を降らせると、自動的に真下にある梔子の王都にも被害が出ちゃう」
「《いいじゃん。ホワイトクリスマスだよ!》」
「そうもいかないっての」
現代日本とは違い、ここ異世界の生活環境は天候変化に弱い。魔法があるとはいえ、日本のように純粋に雪を楽しむというようにはいかないだろう。
そんな迷惑を、ただハルたちが楽しみたいためにかけてしまっては、それは神への不信感すら煽りかねない。
まさに、気まぐれな神に振り回される人間といった、神話の一コマなのだった。
「今クリスマスって言いました?」
「《あっ、なんか別の人が釣れた》」
そんなハルたちの会話を横で聞いていたイシスが、『クリスマス』に反応して暖炉のそばから立ち上がり会話に加わってくる。
こちらの方は、特に外にも雪にも興味がなさそうであったが、クリスマスとなるとまた別のようだ。
「《イシスお姉さんはクリスマス好きなの?》」
「いやぁ、どうでしょう。むしろ嫌いかも?」
「《どうして? なんかパーティーして楽しいじゃん》」
「お子ちゃまは気楽でいいですねぇ。それがね、社会人になるとね、ただのクソ忙しい日に早変わりするんだよー」
「《カレシ居る人が休むから?》」
「繁忙期だから! 休ませてたまるか! 『用事あるので先に帰りますぅ』とかいう奴は敵だ!」
「《イシスお姉さんは用事なかったんだねぇ》」
「……でもいいの! 今年からは、そんなこと言ってくる人は居ないから!」
「《ハルお兄さんとえっちなことするんだ!》」
「ぶはっ!! し、しませんー。ただ職場が変わってイジワルな同僚が居なくなったってだけですぅー」
「《なんだしないのか》」
……本人を前に、そういうことを言うのはやめていただきたい。反応に困るハルだった。
「《私の前の職場はねー》」
「職場じゃないでしょー……」
「《前の監獄はねー》」
「重い重い重い」
「《ネットも通じてなかったから、そりゃー職員のグチが凄かったんだから。『こんな日もガキのお守りで出られない』とかなんとか》」
「あー、確かにネットすら無いのは大変そう」
「《だから私は、そんなこと言いやがった職員のアカウントに忍び込んで、脈ありそうな男からの連絡を全て非表示にしてやったのだ!》」
「悪魔かこの子!」
「……君は当時から少ないリソースで何をやってるんだか」
学園内の完全オフライン環境では、そもそもエーテルネットへのアクセスだけでも大変、というよりほぼ不可能なのに、その上で他者のアカウントにまでハッキングをかけている。
つくづく、ヨイヤミが変な形で野に放たれていなくてよかったと思う。
……いや、今でも十分に、妙な状態ではあるのだが。
「《だってキラキラした外の景色を見てることしか出来ないんだよー。ストレスたまるって!》」
「まあ、それは確かにね」
「《あとは夜の校舎に忍び込んでヤることヤってるお兄さんお姉さんを覗き見してるとー》」
「いやそれは100%君のせいだよね?」
「ちょっと同情、する必要は、ないか。そんな子たちは死刑だ、死刑」
まあ、後半はともかく、日々そうして籠の鳥として過ごしてきたヨイヤミだ。色々と、やってみたいことは山積みだろう。
ハルもそれを分かっていながら、最近は忙しさにかまけて彼女に構ってやれていなかった。
ハルの勝手な都合で救い出して来たのだから、そこはきちんと面倒を見るべきなのだろう。
「よし、分かった。じゃあどこか、遊びに行こうか。どうしたい? さすがにここに雪を降らすのはダメだけど、雪のある所に行くことなら出来るよ」
「《別に雪はどうでもいい! 寒くないとこがいい!》」
「左様ですか……」
元気いっぱいに宣言された素直すぎる要望に応えて、それならばと目指した先は、世界をまたいで日本の街となるのであった。
*
次元を一つ越えようと、こちらも同じ冬である。寒いものは寒い。
しかしながら、街中の、しかも商業区域となれば話は別だ。エーテル技術により環境コントロールされた一帯は、冬空の中でも過ごしやすい温度に調整されている。
とはいっても、夏のような格好で過ごせるという程ではない。あくまで、多少の厚着をすれば快適に過ごせるといった程度である。
そんな中を、ヨイヤミはもこもこの可愛い防寒着を装着して、今は車椅子を降りて自らの足によって、おぼつかないながらもしっかりと歩き、ハルたちの数歩先を陣取っていた。
「き、気を付けてねヨイヤミちゃん。あっ、ほら、転びそう! 手を繋ごっか、ねっ?」
「《イシスお姉さんビビりすぎー。だいじょーぶだよー。私のバランス感覚は無敵なのだっ! 特に、この日本では!》」
「……場所がなんの関係があるんだろう。ち、地磁気の問題、とか?」
「こっちではエーテルネットにより繋ぎやすいからね。自動制御プログラムで、強引に体のバランスとってるだけだよ」
「だ、だからそんな妙な動きを……」
転びそうで、何故か転ばない。正確にいえば、ヨイヤミがコケそうになると体内のエーテルを使った肉体の自動制御にて、無理矢理に安定した姿勢へと揺り戻しているのだった。
そのため何だかロボットじみた奇妙な動きになっているのだが、まだこうした『ズル』でもしないかぎり、彼女がその二本の足で歩むことはかなわない。
なのでハルも、特にそこを指摘する気はないのであった。
「ほらー、やっぱり危なっかしいって! 転ばないのかも知れないけど、ここじゃ他の人に迷惑でしょ。み、みんな見てるって!」
「《むぅ。不躾な視線。失礼な連中めー》」
「またそんな子供らしくない言葉使ってぇ。ほら、手ぇつなご?」
意外と面倒見がいい、というかハル以上に過保護だったイシスによって、ヨイヤミは片手をがっちりと捕獲される。
姿勢制御プログラムの代わりに、ふらふらとイシスの手に支えられる形となった。
「おっ、重っ。これは意外と……、大変……」
「《レディーに向かって失敬なー!》」
「だって予期せぬタイミングで思い切り体重かけてくるし……! ハルさん、そっちの手持ってください~~」
「《あっ! それ知ってる! 三人で手を繋いで、仲の良い家族ごっこ!》」
「やっぱいいです! そんな歳じゃありません! レディーに向かって失敬な!」
「楽しそうだね君たち」
そうして往来ではしゃいでいるからか、先ほどからずいぶんと衆目を集めてしまっているハルたちだ。
……それは仕方ないのだが、その視線の温度感のようなものがどうにも気になるハル。
といっても、何か確証がある訳ではなく、普段とほんの少し毛色が違う感覚を覚えたというだけなのだが。
単に普段と違うメンバーで歩いていて、その彼女らが目立っているというだけか。それとも、年末の少し浮かれた空気感ゆえの錯覚か。
「……うーん。ホラーだ」
「?? どうしたんですハルさん? あっ、ヨイヤミちゃんの動きですね! 確かに、クリーチャーじみた不自然さを感じますよねぇ」
「《誰がパペット系モンスターのガクガクっした動きかーっ》」
「あっ、自覚あるんだ……」
「いやそうじゃなくてね。僕らを見る周囲の目が少し気になる。とはいえ君らが原因という風でもないし、別の理由も思い浮かばない。ちょっとホラーだなって」
「なるほど。ってあれ? 私も同類にされてる!?」
申し訳ないが二人そろってのコントになっている。が、そこはあまり関係ないのは言った通り。何かしら、別の条件が影響していると洞察された。
「それだけハルさんが有名になったってことじゃないですかね? 良いことじゃないですか」
「……ああ、なるほど。違和感はそこか。君ら二人じゃなくて、何故か視線が僕に向かいがちなんだ」
「《美人の母と美少女すぎる娘をもった、羨ましすぎる男への嫉妬!》」
「だから母って歳じゃないです!」
申し訳ないが、残念な美人と残念な美少女である。通行人の視線も生暖かい。
とはいえ何故かその目立つ二人ではなく、無意識に視線はハルの方へと流れてくる。
これは本人らも意図しての行動ではないようで、『何故か分からないが何となくハルを見てしまった』、といった感じだ。
「……妙なのが、全員ではないということだ。僕の認知度というにしても、僕を知らなそうな人たちなのが違和感が残る」
「知らないんですか?」
「うん。知ってる視線じゃない」
「《潜って調べてみよう!》」
「……歩きながらはやめなさい」
ヨイヤミが対象者の意識にハッキングをかけようとするのを阻止しつつ、当のハル自身は意識の大半をネットに潜らせて違和感の正体を探る。
そんな中唐突に、代わりに答えを出してくれたのは、この場に居ないエメなのだった。
《簡単な共通点があるっすよハル様。その答えは単純明快っす。とはいっても、答えが分かったところで『何で?』の部分は解消しないんで、ホラーなのは継続するんすけどね。意外と分かりやすい共通点っす》
「ほう?」
「《エメちゃんだ! 教えて教えて! あっ、待ってねー? まず自分で考える。うーん、全員ゲーム仲間! ……だったらお兄さんが気付かない訳ないしぃ、そもそも中にはゲームしない人も混じってたしぃ》」
「止めろと言ったのにこの子は……」
歩きながらもほぼ無意識で、しかもハルに気取られることもなく、ヨイヤミもまた道行く人らのプロファイリングを実行していたらしい。
もはやほぼ無意識だ。彼女にとっては、呼吸をするように個人情報にアクセスできる。
《惜しいっすよヨイヤミちゃん! ゲームなのはあってます! ただしネット上をどれだけ調べてもそのゲームのログは出ないんですけどね。という訳で正解は、『全員夢世界のプレイヤー』が答えっす!》
「……なるほど。確かに、言われてみれば簡単だ」
「いや何も簡単じゃないですが……」
「《どこで分かったのエメちゃん!》」
《彼らの『紐づけ』作業やってるのはわたしっすからね。見覚えのあるお顔だったってだけっすよー》
むしろハルが気付くべきだった。彼らを新作のゲームに招き、夢で得た人間関係をこちらで改めて構築してやる仕事をこれから行うのはハルである。
そのリストアップ作業を、エメたちに任せきりにしていたのがバレてしまったようで恥ずかしい。
「《んー、んんんっ? でも、その人たちは私たちみたいに記憶なんて無いんでしょ? どーしてハルお兄さんのお顔に視線が行くのかな?》」
「確かに、分かってもなおホラーですねぇ……」
《実は本人も気付かぬレベルでほんの少しだけ記憶が漏れ出ている、なんて、思いたくはないっすねえ……》
そんな事態はハルもご勘弁願いたいところだ。
とはいえ、そんな兆候はないというのが現在のハルたちの総意だが、とはいえ否定する材料もない。記憶継承の条件も、詳しい仕組みも不明なままなのだから。
「それはない、とひとまず仮定すると、別に気がかりな点が出てくる。僕らのやってる感情パラメータのダウンロードだ」
「《なるほど! 夢の中の恋人に対する感情と一緒に、お兄さんに対しての感情も一緒に乗ってきちゃうんだ》」
「あっ、その『夢の中の恋人』って響き、少し悲しい……」
何かに反応してしまったらしいイシスは放置して、その可能性は十分にあるとハルたちは結論付ける。
しかしながら、そう分かったところでどうしようもない。ハルへの感情だけ、分けて夢に置いてくるという器用な調整は今のところ出来ないのだから。
とりあえずは、夢の中だろうとあまり憎まれるようなことは避ける、程度しか対策はあるまい。
幸いなことに、道行く人々に向けられるハルに対する視線は、特に悪い感情は乗っていないのが今のところ救いではあった。




