第1379話 命がけで作った隙を
背後から伸ばされた手が、ハルの周囲を回る竜宝玉の一つを掴む。
そのまま浮遊に使っている魔法の力を振り切って、ハルの影響下から宝珠を強奪。再び姿を隠してそのまま逃走に転じようとする。
「お見事。と言いたいが、まだ甘い。僕から逃げ切れると思うかい?」
その場から一瞬で姿を消したように見えるユリアだが、その存在が無くなった訳ではない。
ハルは気配を頼りに、彼女が居るであろう位置へと次々に魔法を放つ。
するとすぐに、<隠密>が解除されてあぶり出されたユリアの姿が再度出現するのであった。
「何故分かった、で、ございますか」
「いや必死に逃げれば足音も立つし足跡も残る。それに空気も動く。ついでに言えば、君が逃げそうな方向にも予想がつく」
「くっ! あえて軍との合流は避けたのでございますが……」
だからこそだ。今、隊列に合流するのは危険だと考えてしまうのは自然なこと。
ただでさえ集中砲火を受けて壊滅させられている最中のその中へと飛び込めば、範囲攻撃に巻き込まれる事故でせっかくの成果を失いかねない。
「あまりに彼らの諦めがよすぎるのも気になっていたしね。意識を自分達に引き付けることで、君の仕事を完遂させ、逃げ道を確保するという算段だったか」
「…………」
ユリアは答えない。応じる余裕がないのかも知れない。
何度も姿を消しこの場を離れようとするも、その度にハルに発見されてゆく手を封じられる。
非常に素早い<隠密>に相応しい機動力を持つユリアだが、それでも一瞬でハルの射程から逃れるだけの脚力はない。
逃げ惑ううちに、逆にぐるりと大回りさせられ、軍の布陣とは逆側に追い込まれて行ってしまっていた。
「……今だっ!」
そんな彼女を狙って、ハルもまた体の向きを変えたその瞬間、チャンスとばかりにゼクスも再び突進してくる。
だが、最大時よりも兵力を欠いたその突撃の勢いは落ち、片手間でハルに対処されてしまう。残った宝玉の一つが、空中で彼の剣を完全に受け止めていた。
「まだまだぁー!! オレが隙を作る! その間に隠れろユリア!」
しかし、ここ一番の気迫を込めた空中機動の連続攻撃は、ハルを一瞬だけゼクスの対処へと集中させることに成功した。
鬱陶しい羽虫を追い払うかのように、至近距離での大爆発を起こし彼を吹き飛ばした時には、ユリアは何処かへと身を潜め、移動の際に生じるわずかな気配すら完全に消した後だった。
「……おや。見失ってしまったか」
「これで、オレたちの勝利だな。アンタからまず一つ、宝玉を奪った」
「犠牲を払った甲斐があったってもんだ」
「死んだ仲間もあの世で満足してる」
「死んでねー」
「ログインしてきたら喜ぶだろうな」
「すぐには教えないのはどうだ?」
「ははっ。確かにいいかも」
「知る方法ねーもんなー」
「……龍脈通信見れば一発じゃね?」
「意地が悪い仲間だねえ」
「……ホントにな」
被害規模では完敗だが、戦略的にはこれで勝利。そんな安堵に沸く帝国兵たちに、ハルもまた意地の悪い笑みを向けてニヤリと笑ってやる。
「まあ、僕も十分に性格が悪いから、なんにも彼らのことは言えないんだけど」
ハルはそんな彼らからあからさまに背を向けると、レーザーのような魔法をピンポイントで照射する。
その位置から、命からがらその魔法を回避し飛び出てきたのは、その場で姿を隠したメイド服のユリアであった。
「そんなっ!」
「馬鹿な!」
「今度は音も立ててなかったはず!」
「どうして位置が!」
「良い反応をありがとう帝国兵の諸君」
背後から上がるどよめきに、気分を良くするハルもまた意地が悪いのだろう。後ろ側につき顔が見えないのが残念だ。
いや、見る方法はある。完璧に気配を消したユリアを見つけたのも、その方法だった。
「種明かしをしよう。その竜宝玉を持っているかぎり、君はいかに姿を消そうと僕から逃げ切れることはない」
「……!!」
自分の手の中にある宝珠にユリアは目を向け、初めて気付いたように彼女は驚きに目を見張る。
見ればメイド服の一部であろう彼女の白い手袋が、ほとんど破けて溶けるように朽ちかけていた。
袖にまで影響が出ないようにか、慌ててユリアは腕まくりをするように袖の生地をまくり上げる。
「おや? 魔法で作った服とかなのかな? 悪いことをした。って、僕のせいでもないけどね」
「これは、竜宝玉の影響……?」
「うん。その通り。そいつは周囲のエネルギーを何でも吸い取ってしまってね。<隠密>していようとも、その影響は避けられない」
そしてその影響が及ぼす歪みを、ハルは龍脈を通じてサーチ出来る。
要するに、足音だとか空気の流れだとかは最初から関係なく、最初からユリアに逃げ場などなかったのだ。
……自分でも性格の悪いやり方だとハルも思っているが、こうして叩き落とし絶望を与えることで、彼らの継戦の意思は少しでも殺がれるかも知れない。
「さて、それじゃあそろそろ、鬼ごっこは終わりにしよう」
万策尽きたとへたり込むユリアに、ハルは情け容赦なく、トドメの魔法の一撃を撃ち込んでいった。
*
ユリアを撃破し、彼女の居た位置から魔法で器用に竜宝玉を回収し終えたハル。
自身の周りを周回する宝珠の群れにそれを追加すると、戦況はまた振り出しに戻ってしまう。
いや、振り出しに戻ったのはハルだけだ。帝国軍は切り札だったユリアを失い、また戦力そのものも大きく疲弊させている。
「でも、まだやる気みたいだね? ここから勝機があるのかな?」
「さて、どーだかな?」
「ないかも……」
「勝てねぇよなぁ」
「もしかしたら奇跡的に勝てるかも?」
「勝負は最後まで分からんでしょ!」
「まあ実際。今日は様子見だからな」
「ふむ?」
初戦は勝てなくて当然、今日は自分達の命を使って、可能な限りハルの情報を得ようという訳か。
「けど、悪いがぼくも、君たちにだけ付き合ってもいられない。貴重なログイン時間、有効に使わないとね」
ハルはそう宣言すると、これまでにない規模で魔法を練り上げはじめる。ここで、一気に決着とする構えだ。
吸収を繰り返し巨大化するその魔法の威力は、明らかにもうゼクスの剣や宝珠のシールドで防ぎきれるレベルを超えている。それでもどうにか被害を抑えようと、兵士達は必死でバリアを強化しているようだ。
「まだ抗う気のところ悪いが、これでチェックメイトだ。ではさようなら諸君」
掲げたハルの右手と共に、混ざり合いもはや何属性かも分からぬ魔法が振り下ろされる。
属性中毒により複合された混沌の魔法は、内部で吸収と反発を繰り返し既に暴走寸前。その勢いが封を解かれ解き放たれれば、被害の程は計り知れないだろう。
ハルもまた、その暴発を抑えるために全力で意識を集中していた。
「いえ。チェックメイトはこちらの方です。……です、ございます」
そんな、完全にハルが意識の全てを帝国軍と自分の魔法へと向けていた一瞬の隙に、背後から居るはずのないユリアの声がハルへと届く。
今度は、本当に何の気配もしなかった。足音も、空気の流れでさえも。いやそもそも、彼女は先ほど確かに死んだはずだ。
そんな、絶対にありえないはずのユリアの再登場にハルは硬直し、反応できない。
いやそれ以前に、ハルは今まさに全力の魔法を放つその瞬間であり、物理的にも対応する余裕など存在しない。まさにここしかない千載一遇の好機。
「……ってことはないんだよね、別に」
「えっ? ええっ!?」
ユリアが掴み、奪い取ったはずの宝珠。同じそれを、ハルもまたいつの間にかその手で掴んでいた。
大げさに大魔法をチャージし、隙を見せていたのはあくまで演技だ。実際は、この程度でハルが対応不可になることなどない。特に意識的な面では。
「隙を見せれば来るとは思っていた」
「うぎゅっ!」
ハルはそんなユリアを宝珠ごと柔術の要領で投げ飛ばすように、地面へと叩き伏せる。それでも珠を手から離さないは大したものだ。
すぐに起き上がった彼女は、意地でも奪い取るとばかりに、竜宝玉をハルと引き合う格好になった。
「私は、完全に意識から消えていたはず、でございますが」
「ございませんのだよねえ。残念ながら。むしろずっと来ると思っていた。もう一人のユリアちゃんの手袋の件もあったしね。あれで確定した」
「……誤算で、ございました!」
ユリアは今、竜宝玉を手にして力を吸われているが、手袋が溶け落ちることはない。ということはつまり、こちらが“オリジナル”だ。
「君の<変身>は、他のプレイヤーの体それ自体にも作用するスキルだった、ってことだね」




