第137話 幽霊が目に見える理屈
「ハル、かき氷はあるのかい?」
「無いよ。……かき氷好きなの?」
「いいや? 食べた事が無いからね、せっかくだからと思って」
「まあ、かき氷くらいなら、すぐにでも」
氷はただの水。シロップは化学調味料の塊。器は、器くらいは、雰囲気を出して凝った物に。
いずれもハルの得意とするところだ。すぐに合成してシロップを作成する。氷の品質にまでこだわるとなれば、また奥が深いのだろうが、そこまでは分からない。残念ながらただの純水だ。
ギルドホームのプールまでやって来ると、水着のセレステが早速かき氷を要求してきた。
季節は夏真っ盛りといった時期に突入してきたが、この神界は温度が一定だ。それに彼女は暑さ寒さを感じない。雰囲気作りのためだろう。
しかし、カナリーはアイスクリーム、セレステはかき氷か。分かれたものだ。恋愛ゲームなら二択で選択肢でも出て、選んだ方でルート分岐でもしそうである。
第三の選択肢として、氷アイスでも欲しいところだ。
「どうしたね、ハル。いや、みなまで言うな。私の水着に見とれているのだろう。分かるとも」
「氷アイスなら二人の好感度が同時に上がるかな、って」
「なんの話だいそれは……」
セレステの水着は、引き締まってすらりとした彼女の体のラインを強調するような、ワンピースタイプのものだった。
エッジの利いた、彼女のイメージカラーの空色を基調としたデザイン。
ハイネックに首元までを覆う露出の低さを見せたかと思えば、腋から背中にかけては大胆に、ぽっかりと布を取り払っている。完全に背中が見えている形だ。
水着の固定は首とお尻だけ。なかなかマニアックなデザインだ。
「かっこいい水着だね。似合ってるよ」
「そうかい? やはりスポーツでもするようなイメージなのかな私は……」
「見かけによらず、木陰で詩集でも読むタイプ?」
「素敵な提案だ。ともかく、似合っているならば良かったよ」
どうやら、ユキのように遊びに飛び出して行くタイプではないらしい。戦闘時以外は、案外お淑やかな武神様のようだった。
「ならもっと、落ち着いたデザインの方が良かったかしら?」
「いいや? 私に合わせて作ってくれた物だ。そこに意味があるさ。気に入っているよ?」
「そう? 良かったわ」
「イメージというのは、大切だからね」
何か余人には与り知れぬ価値基準があるらしい。活発な自分をイメージして、色々と動きのあるポーズを取っている。
カナリーと同じく、完璧に整えられた体。だがそれはハルと同じように、小さいながらも女性らしさを損ねない程度に筋肉が付いており、健康的な肉体美がそこにはある。
「セレステ様は、なんだかハルさんを女性にしたみたいですね!」
「えー、そうかなアイリ。同じなのは身長くらいじゃない?」
「ハルの髪の毛、水色にしたら似合うかも知れないわね」
「うむっ! やってみたまえよハル」
ハル以外に否定意見は出ないようだ。セレステも似てると言われて気をよくしている。
どの辺りが似ていると言うのか。……戦闘好きな所だろうか。そうだとすると、なかなかに否定し難い。
「まあ、やってみようか」
かき氷のついでに、変装用の擬態液を<物質化>し、髪色をセレステの物と同じに染める。
セレステの隣に並び、<神眼>でハル自身を俯瞰してみると、確かに全体的な印象は似通っていた。
「ご兄弟みたいです!」
「ははっ。ハルお兄ちゃんだね」
「今の、君のファンのユーザーには聞かせられないね。……セレステが姉じゃないの?」
「うむ。甘えられないではないか」
「どう見てもセレステが姉ね? ハルは表情に覇気が足りないわ」
放っておいて欲しい。だがルナの言う事も分かる。セレステの常に自信に満ちた顔は、しっかり者のお姉ちゃんといった感じだった。
そんな、まるでそうは見えないが甘えたがりらしい彼女にかき氷を手渡し、適当な場所まで移動する。
望みの施設はあるかと聞けば、湖以外なら何でも良いそうだ。仲間はずれにされたプールに来て、水着を着られた事でもう満足したらしく、水遊びそのものが目的だった訳では無いらしい。
……相変わらず、少々めんどくさい神様だ。
「セレステ様、湖はお嫌いですか?」
「うん? そうじゃあないよお姫様。だがあの湖は、私の神域の物がモデルだろう? わざわざ行く必要が無い」
「そうだったのですね! セレステ様の神域にも、いつかお邪魔したいです!」
「歓迎しよう。……今は、プレイヤー達が跋扈しているから、機会を見ていずれ、ね」
「跋扈してるて……」
まるで魔物扱いだ。跳梁跋扈するプレイヤーの群れ。
まあ、ゲームプレイヤーほど欲望に忠実で、気性が荒い生き物も居るまい。自身を省みて、ハルはそう納得した。
*
ハル達が足を向けたのは、この地下の空間の中に更に作られた閉じた施設。壁に覆われた閉鎖空間。つまりは室内プールだった。
中央を循環する川に始まり、自然の広がりをイメージして作られたこのプール施設の中では異色の、一から十まで現代風の競技用プールだった。
「一応プールらしいプールも必要だって用意してたんだけど。ここが良いんだ?」
「うむっ。どうにも我々は自然には見飽きているからね。こういった所の方が新鮮だ。キミの世界の物だろう? この作りは」
「確かにそうか。僕らはこっちが見飽きてる」
「前回も、メイド達には人気が高かったのですよ! ここは!」
「なるほど。結構そういうものなんだ」
面白みの無い作りだと思ったが、ある意味彼女たちには異世界を感じられるのだろう。ならば作った甲斐もあるというもの。
それに、見ようによってはセレステの水着は競泳水着のようにも見える。……少々、ラインが際どすぎるが。
このまま競技に挑む彼女を幻視するハル。非常に似合ってはいるが、彼女が本気を出したら泳ぐその水が破裂して吹き飛ぶイメージが浮かび、その想像を中止した。
幸い、彼女はタイムアタックをするつもりは無いようだ。プールの縁に腰を掛け、足を水中に泳がせるのみに留めていた。
後ろから見るハルには、大きく開けられた彼女の綺麗な背中が映える。
「まあ、ここなら僕もあまり世界観壊さないで作業が出来そうだし、丁度良かったかも」
「何をする気なのかしら?」
尋ねてきたルナの分も合わせ、ビーチ用の椅子をメニューから作成してハルはそこへ座る。
何も言わずともアイリは、ぴょこり、とハルの上に乗って来た。少々狭い。
「これを調べようと思って」
「ああ、例の遺産ね。……確かに、自然の水辺の中でそれを出すのは違和感が凄そうね?」
先のゲーム外探索の際に、ハル達を襲って来た兵器の残骸だ。
クライス皇帝との会談もあった事だし、いい機会だ。ハルは遺産について、その存在のあり方がどういった物なのか明らかにしたいと思っていた。
「セレステは、これについて何か知ってる?」
「知っているとも、もちろん。話せる事は少ないがね。とりあえず、君達の認識に間違いは無い。それは都市の防衛を目的として作られた兵器だよ」
「まあ、やっぱりそうだよね。マゼンタが手を加えたのかとも少し思ったけど」
「それは無いだろう。当時の機能をそのまま使っている。それは正しく機能し、正しく君らを襲った。……罠として置いてあったのは、否定できないね」
「罠だよねえ……」
魔力は現行人類の活動領域だ。それを広げると反応して襲って来る。罠以外の何物でもない。
「これは物質で合ってる?」
「合っている。少々、組成がややこしいがね。君ならば、調べる事も適うだろう」
「今日は色々教えてくれて嬉しいよ」
「あまりいじめてくれるなよ。私達も、教えてあげたいのを我慢しているんだ」
「マゼンタも?」
「ははっ。奴はただの秘密主義だろう」
プールサイドから振り向く、見返り美人のセレステと言葉を交わす。
彼女にしては珍しく、少し恥じらった様子で水の中に入ってしまった。背中をずっと見られているのが気になったのか。
そのままちゃぷりと水の中に身を投げ出すと、美しいフォームで泳ぎ始める。
『これ以上聞いて困らせてくれるな』、という意思を感じた。仕方が無いので、横着はせずにここからは自分で調べてみよう。
「起きろ黒曜。データ取りをする」
「《御意に、ハル様。そして私はずっと起きています》」
「分かってる。気分だ」
「黒曜さんは、ハルさんと同じで眠らないのですね!」
「《はい、アイリ様。私は生物ではありませんので、そもそも睡眠を必要とはしません》」
厳密に言えば、プログラムの入れ物となる情報装置に稼動制限はあるのだが。
機械であったり、エーテルであったり、黒曜の場合はハルの体であったり。
その彼女と共に、古代兵器の残骸にハルの体から出力されたナノマシンを這わせ、データを取って行く。
<神眼>による観察も便利だが、物体の組成を調べる事においてはやはり現代のエーテル技術に勝る物は無い。いや、<神眼>もセレステたち神が使えば、ハルよりも詳細にデータ採取が出来るのかも知れないが。
「《エラー。ハル様。構造が確定されません》」
「セレステ。助けて」
「……諦めるのが早すぎるわよハル?」
「弱いハルさんも素敵です! なでなでしちゃいます!」
ルナに呆れられるが、仕方ない。最強の剣を装備してレベルも上げて、自信満々でボスに挑んだら物理攻撃が無効だった気分だ。
確かにここに遺産の破片が存在しているのに、その情報が全く読み取れない。現代科学の敗北だった。
「仕方ないじゃんか……、幽霊でも相手にしてる気分だ」
「これは、幽霊なのですか!?」
「物の例えだよアイリ。よしよし」
「そんなに変わった物なのかしら?」
「うん」
例えばこれが、このプールを形作っている神界の構造物ならまだ話は分かる。これは物質ではない。
最近分かるようになったこれは、力場を発生させて表現した見せ掛けの物質。触れて、感触もあるが、そこには存在しない。
だが手の中の遺産は、確かに物質であると<神眼>が伝えて来る。
「《光波、電波、重力波など、全ての観測に対して反応がありません》」
「何でここに有るんだコレ。バグだろ」
「思考停止は良くないわ? バグも良くないけれど」
本当に幽霊のようだ。何で見えているのか分からない。カメラに写る分、幽霊の方がマシだろうか?
存在がしっかりと定義されていない物は苦手なハルだ。不明なままでは落ち着かない。そういう意味では、ハルもアイリと同じく幽霊が苦手だとも言える。
この世界に来た当初、抱いていた感覚に近い。
現実としか思えないこの世界だが、どのようにして存在しているのかが確定しないと先に進めない、あの感覚だ。
アイリと結婚し、その事を気にするのは止めたが、この遺産は無視して通れないだろう。
「しかし幽霊か、何かひっかかる」
「あ、あまり幽霊を例えに出すのは……」
「よしよし」
「……あなた達、水着だと余計にバカップル度が際立つわね」
競技用のプールサイドでいちゃつくカップル。他のお客様のご迷惑になるだろう。居ないので自重はしないハルとアイリだが。
「ああ、思い出した。お風呂の時だね。あの時もプールみたいにぱしゃぱしゃしたっけ」
「幽霊のお話ですか?」
「幽霊というよりも、<物質化>と<魔力化>の話だね。本題は」
「そんな話も、したような気がするわ?」
「《ハル様は幽霊に対して、明確な攻撃手段を備えた事になる、という内容ですね》」
相手が魔力の体を持った幽霊ならば、<物質化>で固定してしまえば撃破可能になるから怖くない、のような内容だったはずだ。
今回は相手は物質だが、論理の構成は近い。
相手が物質である事は<神眼>が確定してくれているのだから、<魔力化>をかけて、その<神眼>で魔力情報を読み取ってやればいい。魔力に関してはこの世界のスキルが一枚上手だ。
「という訳で<魔力化>をかけてみよう」
「これでコピーも出来ますね!」
「要らないけどねえ、あんな物」
早速、遺産の破片に対して<魔力化>をかけるハル。
すぐさま構成材質の全てが魔力へと変換される。その情報をハルが読み取ろうとすると、それを待たずに元破片であった魔力の塊は、周囲の魔力と溶けて混ざり合うように霧散してしまった。
もはや、元の破片にも戻せない。
「…………なんでなん?」
「これは! もしや本当に幽霊!?」
アイリを抱き寄せて撫でながら、本当に幽霊なのかもな、と思考停止したくなるハルであった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。「同じのは」→「同じなのは」。
今回は作者も違和感を感じたので修正しましたが、セリフについてはあえて崩している場面も多いので、報告にお応えできない場合もあります。ご了承ください。




