第136話 神からの巣立ち
屋敷へと帰ってきたハル達は、まずメイドさんの淹れてくれたお茶でくつろぐ。
先ほどヴァーミリオンの王城で散々飲んだことは気にしない。ここに居るのは、多少の飲みすぎは問題としない人間ばかりだ。
余計な水分は、体内のナノマシンが分解してくれる。
「もし本当に宴になど出る事になったら、おうちに居る時の感覚で、飲みすぎないようにしないといけませんね! はしたなく見られてしまいます!」
「私の場合は、『使徒だから』と言って、いくらでも飲んで平気ね?」
「ルナさん、それはズルだと思います!」
「ルナはこうは言ってるけど、そういう場になったらきっと淑女らしくするから平気だよ」
お嬢様が骨身に染み付いているルナだ。宴の席など慣れたものだろう。
「それよりもハルは平気かな? 紳士らしくなど出来ないだろう」
「お屋敷の物より美味しいのなんて出ないだろうから平気だよ」
いくらでも飲める人代表のセレステがそう煽ってくる。胃腸も神レベル。比喩ではなく胃の中が異次元に通じている。
とは言え、実際に無限に飲み食いするのはカナリーの方で、セレステは味や香り、場の雰囲気を楽しむタイプだ。その振る舞いの優雅さは、この場のお姫様やお嬢様に引けをとらない。
ぴしりと芯の通った優美な所作が、お茶を飲んでいるだけで絵になる彼女だ。
「それよりもハル。皇帝についての話、よくぞ聞いてくれたね。おかげで色々と分かったよ」
「君らもあの国については疎いんだ?」
「あの国、だけではないよ? 基本的に自分の担当の国以外には、私達は疎い」
「覗き見禁止か」
プレイヤーのゲームとは別に、彼女ら神々もまた別にゲームをしている。恐らくは魔力の取り分を争って。
そのルールの一部だろう、他国の情勢を覗き見ることの禁止。
確か、他の神の行動について知れるのは、神が信徒に降ろした神託の内容だけだったはずだ。ゲーム的に言えば、実行した戦略コマンドの内容だけを見れる。
そこから作戦を推測するゲームだ。
「マゼンタが何を考えているか、私にも分からない所が多かった。だが皇帝の話を聞いて、分かった気がするよ」
「あの国が神から距離を置こうとしているのは、マゼンタ本人の差し金か」
「十中八九」
クライス皇帝の話によれば、皇帝を自称し始めたのは彼の祖父、かの国の初代皇帝らしい。恐らくは馴染みの無かったであろうその言葉を、どこからともなく。
そして、この世界における言語は日本語、それを伝えたのは、他でもない神々だ。
「クライス本人は、皇帝という言葉に疑問を抱いていなかった。まあ当然か。この世界に皇帝なんて居なかったもんね」
「つまり、皇帝という名称を使うように促したのが、マゼンタ神だという事なのですね? 初代皇帝と神は、繋がりがあったと」
「賢いね、お姫様は。皇帝という概念はハルから習ったのかな?」
「いえその、セレステ様。ハルさんから流れて、きました……」
ハルと接続された精神により、時たま意識せずとも、ハルの知識がアイリへ流れて行ってしまう事がある。
あまり、えっちな事は考えられないだろう。……伝わっても、アイリは笑顔で受け入れてくれるだろうけれど。
さて、それは置いておいて、どういう事かといえば簡単な話だ。神々はこの世界に『皇帝』という言葉は伝えなかった。必要無いからだ。
この世界の最高権力者は<王>である。それを超える者があってはならない。故に、皇帝という言葉は不要だ。
それを、マゼンタが初代皇帝に伝えた。今からお前は皇帝を名乗れと。
突然、ハル達にも意味の通る日本語が湧いて出るのは、神が新しく伝える以外には考えられない。
そこには、どんな意味が込められていたのだろうか? 初代皇帝が他界している今、それを知る者は居なかった。
手記などが残っていれば良いのだが、孫のクライスも知らなそうである以上は、期待薄だ。一応、後でスパイ行為に手を染めてみようと思うハルである。
「セレステは疑ってたんだね。……でもそれなら、皇帝なんてものが出てきた時点で確定じゃなかったの?」
「あの国では、普通に使われている言葉かも知れないからね。別に私達は誰が、いつ、どんな相手に、何の言葉を伝えたかを、データベースにして記録してはいないんだ」
「記録しときなよ」
「戦略として必要な事だってあるからね。今回のように」
他国の情勢は、その国を守護する神に一任されているらしい。直接の内政干渉はしないとか。
では間接的ならどうなのかといえば、それも難しいようだ。ヴァーミリオンの国が国交を断っているからだ。
セレステがハルに、いやカナリー相手にしたように信徒を潜り込ませようにも、人間側に許可が下りない。
思えば、それもマゼンタの企みなのかも知れなかった。鎖国したのは遺産を外に出さない為ではなく、神による干渉を防ぐため。
もしくはそれも含めての、一石二鳥の手か。
「セレステがその体で飛んで行けば良かったのに」
「か弱い乙女を、一人で敵地に送り込む気かいハル?」
「ああそっか、僕に移す前は、オーラがか弱くなかったのか。威圧感でバレちゃう」
「乗ってくれても良いじゃあないか。それに、今でこそこうしているが、神はおいそれと人前に姿を現さないものだ」
なんとなく分かっていたが、どうやら神は現界にも制約があるらしい。
どうやら、地上にその姿を現している時は、それも他の神には丸分かりのようだ。座標まで知れてしまうようで、他国に行こうものなら宣戦布告と同義である。
それなので、ハルという言い訳を手に入れるまでは、表立って干渉出来なかったようだ。
それにしても、もっと良い手段があったのではないか、とハルは思わないでもないが、きっと今まではどの神も自分の領地で精一杯だったのだろう。
他国にかまけていては、残る神に対して隙を作る事にもなる。
その辺りの調整も含めて、マゼンタが上手くやっていたのだと思う。実際に、今代の皇帝はかなり神寄りの人物だ。『改革が期待できる』とか言って有耶無耶にしてきたに違いない。
「ですがセレステ様? 何故マゼンタ神はそのような、わざわざ自身に敵対させるような事を?」
「さてね。それこそ奴に直接聞かないことには分からないだろうね?」
「答えそうも無いわね、あの神様は……」
「話をはぐらかすの得意そうだもんねえ」
「そこはハル、キミが何とかしたまえよ。私と違って直接配下に置いたのだろう? 私と違って」
「いや君の時は知らなかったし、そんなコト。……相変わらずめんどくさい女の子だね君」
セレステが恨みがましく、『私と違って』を強調しながら肩を組んでくる。よっぽど決着をカナリー任せにした事を根に持っているらしい。
「もう手っ取り早くマゼンタに命じて、あの国に君臨させて神権政治でもやってもらおうかな……」
「やめておきたまえ……、確実に面倒なことになる。面倒は嫌いだろう、君も」
「そうだね、僕も言っててどうかと思った……」
「神権政治の意味が違って来るわね?」
もし本当にマゼンタが初代皇帝を唆して自らを否定させたとするなら、やっている事は支離滅裂だ。一見意味が分からない。
だが、なんとなくハルには彼の思いが分かるような気がした。
きっと、子に独り立ちして欲しいと願う親の気持ちなのだろう。何時までも、神の庇護の元で安寧を享受していてはならない。時に未知の世界へ踏み出す勇気も必要になる。そう願って。
時期尚早、だとは思う。この世界は、まだそこまで成熟していない。
まだ、この世界には、この地の人々には神が必要だ。神の愛無くしては生きられないだろう。
だが、間違いだと断じる気も起こらない。きっとそれは、いずれ必要になる事なのだから。その時になって、自らが采配を振るえるとは限らないのだ。
「まあ、マゼンタの思惑が何にせよ、今は遺産とやらを調べる事の方が先か」
「そうですね。とは言っても、ハルさん頼りになってしまうのですが」
「私達では見ても分からないものね?」
もしハルの推測が正しかったとしても、それは大局的な話。現実的に対処しなければならない問題は別にある。
魔力で動く、古代文明のやっかいな忘れ形見だった。
◇
「ところでセレステは自分の所は良いの?」
「なにかな、ハル。私が邪魔なのかな? 私を追い出して、そこの二人といやらしい事をしたいのかな?」
「本当に面倒な子だね君は……」
単に、ハルの手伝いで彼女の仕事に支障が出ていないのか聞いただけなのだが。まあ、問題なさそうで何よりだ。
「ハルさんハルさん! そういう時は、あれです!」
「あれか! ……あれって? え、これやるの?」
「はい!」
アイリから、繋がった精神を通して直接イメージが送られてくる。器用な事が出来るようになったものだ。
だがその内容は、彼女の好きなラブロマンスのいちシーンようで、ハルとしては身構えてしまう。これをセレステにやれというのか……。
「セレステ」
「ははっ、何をしてくれるのかな? 期待してしまうじゃあないか」
「『君といつまで共に居られるのか、それが気掛かりなんだ!』……」
「『何を言う! 君の為なら、使命など放り捨てて、何時までも一緒に居よう!』」
「ふおおぉぉぉ!」
「……お姫様はそれでいいのかい? 君が相手役をやればいいじゃないか?」
「それ以前に何でキミは即興で合わせられるのかな……」
他国の文化には詳しくないと言いつつ、なかなか造詣が深いようだった。
これでは先ほどの話もどこまで信用していいやら、と思いかけたが、これは単にセレステもこの手の話が好きなだけなのだろうか。
「わたくしが相手では、ハルさんの素敵な所がじっくり見られませんし」
「正妻の余裕ね?」
「そういうものなのかね? まあ、今日は暇だよ。神域で私を捜し歩くユーザーからも逃げたいしね」
「人気者は大変だね」
「その通りだとも」
大変そうには見えない余裕の表情でお茶を傾けるセレステ。
七色の神全てが明らかとなったが、その中でも最初にプレイヤーの前に姿を現した彼女の人気は未だ高い。
だが、偶像として祭り上げられるのは、過去の経験からあまり望んでいないようで、プレイヤーとの接触率は低めだ。
「じゃあプールでも行く?」
「それだ。ハル、この間はよくも私をのけ者にしてくれたね。私だって水辺で遊びたかったというのに!」
「げ、薮蛇だったか」
「急に留守を任されたと思ったら、まったく……」
その辺りの文句はカナリーに言っていただきたい。黙認したハルも同罪であろうけれど。
全員が神域を空ける、何か一大事かと思ったら、プールで遊んでるだけだと言う。一言、物申したくもなるだろう。
「そもそもセレステって水着持ってるの?」
「ああ、持っているね。マリンブルーの奴に強引に渡された物がいくつか。カナリーはそれを着たのかな?」
「いいや? 特にそんな話はしてなかった」
「ルナさんが、作って下さったのですよ!」
「ふーん。そうか。なら私もそれが欲しいな」
用意した水着をまるで着てもらえない同僚の神が少し可哀そうになるが、ルナの物が欲しいと言ってくれるのはハルとしても嬉しい。
「少しお待ちなさいな」
ルナも乗り気のようだ。<防具作成>を開いて、この場で作ってくれるらしい。
いつものようにサイズを計らなくて平気なのかと思ったが、<防具作成>で作った衣服は、ある程度体に合わせてサイズを変更してくれる。
最近は実物での服飾が多かったので、意識から抜けていた。ハルのやるオーダーメイドも、依頼人と直接顔を合わせる訳ではない。
「そういえば、『魔道具開発局』では武器防具も作れるみたいだね。もう<防具作成>というか、僕の出番も終わりかな?」
「どうせハルの作った魔道具が売れるようになるのでしょう? 知ってるわ?」
「うむっ。アレを理解できるのなんて、キミくらいのものだろうからね」
「んなもん作るな運営……、ちゃんとユーザー層に合わせろ……」
「私は担当ではないからね」
神はすぐそうやって責任逃れする。
神界の施設も、全体のゲームバランスを考えつつも、個々の内容は担当の神に一任されているようだ。
恐らくは、長時間その施設に居座ってもらえるような設計にしているのだろう。
カナリーのカジノ、セレステの闘技場は言わずもがな。デートスポットや憩いの場としての、公園、プール。そして難解な研究施設。
いずれも滞在時間がかかる設計だ。きっと、それによって生まれる魔力を回収しているのだろう。
「でもあまりに難解でも、長時間そこに留まるとは限らないよ。プレイヤーって、出来ないと思った物はすぐ投げて次に行っちゃう」
「時間は有限だものね? 他に楽しそうな物があればそちらに流れるわ」
仮にもゲーム運営であり、ハルと共に多数のゲームをプレイしてきたルナも同意する。
「だが、そういった物がたまらなく好きなユーザーも一定数居る。そうした者を狙い打ちにした仕様なのだろうさ」
「狭く深く、というやつですね!」
「ニッチ商法だね」
「スキマ産業ね?」
おのおの言い方は違えど、普遍的に確立された手段だということだ。
「まあ、半分以上は奴の趣味だろうさ。オーキッドは、相手に合わせてダウンサイズするという事をしない」
「魔法担当だったね。……ユーザー魔法の緻密さ見てれば分かるよ」
どんな環境下であれ、外からの干渉を受けず、必ず一定の効果を発揮する。そのように、病的なまでに繊細に組まれた魔法式がプレイヤーに用意された<魔法>スキルだ。
作った人間の神経質さが、プログラムから伝わってくる。
一つの最高傑作だけならまだしも、全ての魔法にその調整を施すなど気が遠くなる。
ハルも、早々に介入を投げ捨ててオリジナル魔法の開発に移った。
「そんな神の作った施設か。ちょっと興味出てきたかも」
「待ちたまえハル。まずは私の水着だ。水辺へ行こう」
「わたくしも! 着替えてきます!」
ちょうどルナによる水着の作成が完了し、話の続きはプールへ場を移して行うことになった。
※誤字修正を行いました。句点の位置がおかしかった部分を修正しました。




