第1348話 諜報員の透明な通信
「《で、私たちも堂々と学園に入ると》」
「僕は卒業生で、ヨイヤミちゃんは病棟の患者さんだからね」
「《えーっ。あんなとこ行きたくなーい》」
「まあまあ、スタッフの皆さんに顔を見せてあげにいこう?」
「《しょうがないなぁ……》」
口ではそうは言いつつも、ヨイヤミは久しぶりに病棟の人たちに会うのを楽しみにしているようだ。
今、かつてヨイヤミのいた学園併設の病棟は、患者数が大幅に減りがらんとしている。
言ってしまえば暇なので、可愛いヨイヤミが顔を見せてやればみな喜ぶに違いない。
エーテル過敏症の患者たちはその多くが月乃の出資している病院へと移ったので、現在ここの病棟はその役目を失おうとしていた。
スタッフもいずれは、そちらの病院へと移籍する流れになるだろうというのが、既にほぼ決定事項といってもいい。
またそれを『学園の力を削ぐための女帝の陰謀だ』と言うものも当然おるが、患者にとってみれば良いことなのは間違いない。
「《失礼しちゃうよねー。『エーテル科学の発展が遅れるー』とか。それって私たちにずっと体よくモルモットで居ろってことじゃん!》」
「そうだね。そんな人たちの言うことを気にする必要はないよ。そもそも、科学が発展したから、君たちが外に出られたんだし、何の価値もない言葉だ」
「《それもそっか!》」
「現場のスタッフの人たちは、ヨイヤミちゃんの退院を喜んでくれたよ。それでいいじゃないか」
「《そうだね! ん? でもここは病院じゃないから、この場合『退院』じゃなくて『退学』になるのかな?》」
「それはなんか嫌だな……」
いわば、病棟と言う名の研究棟だ。だからこそ、その場が機能不全に陥ることになるのを懸念する意見が出るのも分からなくもない。
エーテル社会に馴染めない人の駆け込み寺のような立ち位置で、あの施設は機能していた面もある。そこからスタッフがごっそり抜けるのはまあ、大事件ではあるだろう。
もし病棟が存続しなくなったら、そうしたセーフティーネットが失われるのも事実だが、まあその時はその時だ。また作ればいい。
それよりも、ヨイヤミやユウキたち少年組が、あの鳥籠から出て自由に外で遊べるようになることの方が何倍も重要だとハルは思っていた。
「《ほーんとお兄さんはツンデレさんなんだからぁ。『自分はヒーローじゃない』なんて言っちゃってー、結局全員救っちゃうんだから》」
「救ってないよ。救える人に丸投げしただけだ。それに、全員を救う気はさらさらないけれど、片手間で助けられるならそうするさ」
「《そこがツンデレだと……》」
「おっと。そろそろ静かにヨイヤミちゃん。対象がそろそろ近いよ」
「《ほーいっ。あっ、そこを右に曲がって行ったよー》」
今も『情報屋』の視界をハッキングして追跡してくれているヨイヤミが、彼の行き先を教えてくれる。
エーテルネットの使えぬこの学園内では、ハルの力もまた封じられているので非常に頼もしい。
彼はどうやら、病棟とは別方向にある研究棟を目指し、その奥まった位置にある一室へと入って行ったようだった。
「《ここの学生って訳でもないんでしょ? よく入れたよね。お兄さんじゃあるまいし》」
「僕も別に不法侵入している訳じゃないってば。それに、どうやら彼も正規の手続きを経て入校している。つまり調べれば分かった相手だけど、ノーマークだったね」
「《さすがに夢で見ただけの相手をチェックなんかしないって。毎日いろんな人が出たり入ったりしてるんだからこの学園》」
「まるで見てきたように言う」
「《見てきたもんねー。暇人なめんな!》」
その能力によって、学内に入る人間は自動的にヨイヤミの射程内だ。
その割にハルは在学中彼女のターゲットになったことはないが、まあさすがにヨイヤミも全ての生徒への脳侵入をコンプリートしていた訳ではないだろう。
もし早いうちからハルに彼女が接触していたら、もしかしたらハルは魔法ではなく超能力をメインで追っていたのかも知れない。
「《なーんか怪しげな実験機材を弄ってる。なんだろ?》」
「どれどれ? 僕にもちょっと見せて?」
「《わっ、わーっ! 勝手に私の中入って来ないでってば! ノックして!》」
「……ノックってなんだ。自分は断りもなく人の主観を乗っ取ってるのに、わがままな奴め」
「《言い返せねぇ……。でも! こっちは年頃の女の子なの!》」
「確かにデリカシーに欠けていたかもね」
ハルもまた、ハッキングすることが日常になりすぎていた。それに普段他の女の子たちにするように、急に回線を繋げてしまったのでびっくりしたようだ。反省しなければならない。
慎重に、情報屋の視界を共有するヨイヤミの視界を、更に共有させてもらう。
そこで彼は、何かこの学園で研究しているであろう複雑そうな機械装置を、慣れない手つきで操作していた。
「《なんか喋ってる》」
「マイクのような機材が付いているね。音声入力の装置なのかな?」
「《お兄さんも知らないの? これが何か》」
「この学園では色々な研究をしているからね。僕も、それぞれ何をしているかは詳細には知らないさ。あとでリコにでも聞いてみよう」
「《だねー。リコちゃんなら知ってるかも》」
あくまで、ハルの関わった事件に関係する設備は調べはしたが、それ以外にもここには様々な研究機関が在籍している。
エーテルネットの通っていないこの学園で、無関係の物まで全て調べあげる気はさすがのハルにも起こらないのであった。最近は特にやることが多いという事情もある。
「……この学園、掘れば掘るだけ厄ネタだらけか? まさか、研究室全てが爆弾抱え込んでるとかないだろうな」
「《あはっ。あーりそ。おっと、ハルお兄さん、静かに。またなんか喋るよ!》」
廊下の端でこそこそと、ハルとヨイヤミが縮こまって壁に耳を当てるようにして聞き耳に集中する。
……まあ、声は脳内にダイレクトに届いて来るので、そんなポーズにはなんの意味もないし、声を落とす必要もないのだが。あくまで気分である。
《あーっと……、今回はそんな目新しいリークはないすかねぇ……。あっ、K薬研の奴は今日も簡単にポロってました。発表は今月二十日で、S製薬の新型にかぶせてやるんだとか。相変わらず口が軽い軽い。Kに乗るか、Sの機密を不当に抜いたとしてKを落とすか、それは皇帝さんの自由ですね》
「《スパイ情報喋ってる!》」
「皇帝……?」
「《あっ、そう言ってたね。んじゃ、織結の人はあっちでは皇帝さんなんだ。うわぁ、リアルで皇帝呼びされるのどんな気分なんだろ~。はっずかしぃ! しかも、当人は記憶ない訳なんでしょ! うっはぁ!》」
「落ち着けヨイヤミちゃん。興奮するな」
「《だってイヤッホゥが皇帝だよ!!》」
「こーら。廊下ではお静かに」
「むー! むがーっ!」
ハルはヨイヤミのスピーカーを強制遮断して、彼女のやわらかなほっぺたを引っ張って黙らせてやる。
まあ、どれだけ大声を出しても、別に聞こえたりはしないのだが、あまり他人を煽ることに夢中になられても困る。良い趣味とはいえないので教育しなくては。
《……そんな感じですかねぇ。あっ、そうそう、ここに来る道中、『ハル』を見ましたよ。全く同じ姿でした。あっちは、こっちに気付いてないですけど当然。心臓止まりそうにはなりましたね。まあ、これは夢で報告するっすよ》
ハルたちがそんな教育的指導に取り組んでいる間に、情報屋の報告は終了したようだ。
どうやら今回は、あまり報告すべき内容は多くなかったらしい。まあ、そう毎日毎日、表では誰も知らぬ情報を仕入れて来られても困る。
ついでに、道すがらハルと鉢合わせしたことも報告されてしまった。
《……えーと。どうすんだっけ。これで、送信、されたのかぁ本当に? こっちじゃ何も手ごたえねーからわかんねー。毎回夢でおっさんに届いたの確認してっから、大丈夫なんだろうけどさ》
「……ふむ?」
「《ふむ?》」
どうやら、喋るだけで全ての用事は完了したらしい。その状況の不自然さに、ハルは首をかしげる。
隣で、良く分かっていないだろうがハルの真似をして、同じように首をかしげているヨイヤミが可愛らしい。
「……とりあえず、彼が出てくる前に隠れようか」
「《はーい》」
ハルとヨイヤミは、情報屋の視界を逃れ、室内から去る彼をやり過ごす。
その直後に当然のように、入れ替わるように部屋の中へと堂々と二人は入って行くのであった。
*
「ふむ」
「《ふむ! ……ナニコレ?》」
「うーん。わからん」
「《だめじゃん! しっかりしてお兄さん!》」
「まあ落ち着けヨイヤミちゃん。恐らくは、非常に隠密性の高い通信システムだということは分かる」
「《分かってるじゃん》」
「分からん界隈の中では、推測しやすい方ではある。ただ原理が分からない」
「《ほー?》」
どうやらヨイヤミは興味がないようだ。まあ、ハルとしても機能だけ特定できればそれでいいといえるが。
「さっきの状況から見ても、恐らく情報屋はこの装置を通して、織結の当主と情報交換している。といっても、彼が直接顔を合わせるのは夢の中。現世では、あくまで機械ごしにしか接触しないことでその痕跡を隠していた」
「《ハルお兄さんや、月乃お母さんの目すら潜り抜けたってことだね》」
「そう。本人がこの学園を訪れれば必ず網に引っかかったが、実際来てたのはノーマークの情報屋だけ」
だからこそ、ハルたちもここまで気が付かなかった。まったく、神様も人間も、手を変え品を変え色々とやるものだ。
「《これって電波で通信するってやつ?》」
「いいや。学園は電波も完全遮断だよ。それに、電波通信ならば僕が傍受できる。恐らくは研究段階の、新開発の何かだろう」
「《そんな曖昧じゃわからーん》」
「僕だって分からん。ただ、織結の家であることを考えれば、モノリス由来の新技術であると推測できる」
「《わーお》」
ただ、実用化するには現在のエーテルネットがあまりに便利すぎて、お蔵入りになったといった辺りだろうか?
それを転用し、エーテルネットでも探知できない秘密の通信機器として活用している。
「さて、どうするかね? ここまで来たんだ、ちょっといたずらしてみようかな?」
「《おー、やっちゃえやっちゃえ! ここで宣戦布告だお兄さん!》」
ハルとヨイヤミは緊張感皆無のいたずらっ子でしかない表情で、装置のスイッチを再びオンにするのであった。




