第1332話 蠢く帝国の影
ハルたちがそうして次に繋げるための準備をしている間にも、世界は待ってくれない。
いや、ある意味で『次』などを見据えているハルたちよりも、今を生きるプレイヤーの方が活動はよっぽど活発だった。
一人用のRPGとは違い、こちらが進めなくてもイベントは決して待ってくれない。彼らはハルたちのようにカフェで優雅にお茶などしていないのだ。
「……レベル上げしている間にどんどんイベントが進行するRPGって嫌じゃない?」
「勇者がレベルを上げていたら、いつの間にか魔王が世界征服していたのです!」
さすがに世界の覇権は誰も握ってはいないが、どの国どの地域も動きが活発化してきたことが龍脈通信の内容で分かる。
エリクシルの存在を知らぬ彼らには、その龍脈通信の存在と各地に出現したボスモンスターこそが、この世界で起こっている出来事の全てなのだから。
「しかも僕自身が『この世界を攻略する』って焚きつけてしまったものだから、ここで『今は少し慎重になりましょう』なんて冷や水をあびせる訳にはいかないし……」
「あはは。そんなこと言ったら、何がしたい奴なのかいよいよ分からんよねー」
「そもそも現状でも、ハルの行動を理解している人なんて誰も居ないでしょうに」
「果物の強奪と、巨大化した世界樹のことは龍脈通信内でも話題になってましたねー」
「世界樹は、大人気なのです!」
むしろそれがあったからこそ、ハルが口だけで何も成していない人間だと思われずに済んでいる。ある意味で怪我の功名といえよう。
誰が見ても相当な隠し要素でしかない世界樹の存在があるために、『この人なら本当に攻略の道を見つけてくれるのでは?』と期待されているのだ。
なお、大樹系資源の所有者を中心に、突如天より飛来し防ぐ間もなく資源を奪っていく極悪人の存在とその恐怖も流布されたが、そちらは努めて無視させていただくことにした。
魔王軍がキーアイテムを奪取していくイベントなどは、定番なのである。これはイベントなので、主人公側がどれだけ防備を固めても守り切れないものなのである。
「まあ、『正義の味方じゃなかったのか』というお叱りの声も中にはあるけど。別に攻略するとは言ったけど正義だとは一言も言ってないからね」
「むしろ、魔王なのでその程度当然なのです! やはり、魔王宣言は正解でした!」
「……正確には魔王を名乗った訳でもないんだけどね?」
「諦めろハル君。もうほぼ魔王で内定だ」
「いいじゃないですかー。その方が動きやすくてー」
カナリーの言う通りでもある。これで、平和的な統治を行いつつ攻略もきちんと進める、などという離れ業はハルにとっても非常に荷が重い。
ここは、効率プレイという名の悪逆非道の数々を、この世界の記憶と共に夢と忘れてもらうとしよう。
「そういえば、イシスさんの他には記憶を引き継ぐ人は出ていないのですか?」
「あ、それ私も気になります。どうなんです?」
「おお? どしたどーした?」
人々の記憶に関してのハルの思考を読み取ったアイリがその疑問を口にし、近くの席にいたイシスが会話に加わってくる。ついでに一緒にいたアイリスも付いて来た。
その当人も加えて、ハルは現状はその兆候はないという事実だけを端的に述べた。
「といっても、証明することは現状不可能なんだけどね。イシスさんのようにあちらからアクションを起こさないと、僕らはその事実を知る術がない」
「まるで私がリテラシーの希薄なうっかりさんみたいじゃないですかぁ……」
「気にするなイシすん。そんなん誰だって、不安になるさ」
「つい誰かに聞いてしまいたくなるのも、無理はないことだわ? しかし、もしそこで冷静になれるのならば、注意が必要よ?」
「その自分だけの情報を、有利に活用しようとするのですね!」
「ええ。本人が優秀か、もしくはこのゲーム中に優秀なアドバイザーが居るわ。お母さまも、その手の動きを探っているようだけど……」
「つまり金か! 金だな!」
「そうだよアイリス。そうだから落ち着け」
もし狡猾にその不安を押し殺せる者であるならば、次は冷静に自分の利益になるよう行動するはずだ。
大人が多い傾向にあるこの世界の住人から見て、考えられるのはやはりお金か。
「自分だけが知りえた秘密があるなら、やっぱ金儲けに使うよなぁー」
「それを考えもしないイシスさんは、純粋で素敵な女性よ?」
「いやいやいや……、活用する頭がないだけですって……」
「まあ、難しいよな? 株とか買うにしても、未経験じゃどうしたらいいか分からねーんじゃね?」
「月乃お母さんは、あからさまな動きがあれば絶対に分かる、と自信たっぷりでした!」
「まあ、あんな人でも金融の世界では大物ですからねぇ……」
例えゲーム内で誰かが油断して漏らした機密情報を持ち帰って、運よくそれを儲けに繋げられたとしても、唐突すぎる動きは非常に目立つ。
大儲けすることに成功したとしても、そこからが大変だ。異常な動きを、プロの目によって察知される。
未だそのような大きな波はお金の世界に起こっていない、と月乃やジェード、このアイリスも口を揃えて語っているが、それでも油断の出来ない部分があるのがこのゲームの厄介なところだ。
「じゃあ安心なんじゃないですか? その人は可哀そうですけど、記憶が戻ったとしても、誰にも言えない悩みを抱えて静かに暮らすだけなんじゃ」
「十分に不幸だけどね。まあ僕らとしてはありがたい。でも、この例にも引っかからない方法があるんだ」
「それはどんな?」
「ゲーム内の優秀なアドバイザー、その本人に接触すること」
「えっ? でもその人は、記憶が無いんじゃ……?」
確かに、アドバイザー本人は記憶を持ち越せないとしても、自分しか知らない秘密のようなものを伝えることは出来る。
極端な例でいえば自分しか知らないパスワードだったりだ。さすがにそれは危険すぎるが。
ただそうして、自分が伝えたとしか思えない情報を知る第三者が現れれば、荒唐無稽な夢の世界のゲームについても信じる気になるかも知れない。
ハルはそのことを、イシスに説明していった。
「そうやって仲介役を介して、“自分から自分へ”情報を受け渡せば、他の誰にも察知されることなく暗躍できる。その状況が最悪だ」
「その優秀な人自身が記憶を引き継いじゃったらお手上げですけどー、確率的に低そうなのでそこまで気にしすぎないことにはしてますー」
「まあ確かに。帝国でもあの皇帝じゃなくて、私なんかが龍脈の巫女に収まってましたからねぇ」
「イシスさんは十分に優秀だよ。しかし、皇帝か。確かにそれこそ、やり手の人物みたいだね」
「はい。私にとってはいけ好かないブラック上司でしかないですけどぉ……、実績は認めざるを得ないとゆーか……」
「リコリスの奴がスパイしてたよな。なんか、またけったいな手で窮地を乗り切ったらしーじゃん?」
そう、イシスという<龍脈接続>のキーマンをハルに強奪された帝国は、一気に全土の龍脈を機能不全に陥らせることとなった。
彼女の一括して支配していた龍脈は一転、誰も手出しできない鍵のかかった金庫と化した。
責めるにも守るにも、管理者不在ではどうしようもない。帝国は一気にピンチになる、そのはずだった。
だが、現地に溶け込んで情報を流していたリコリスの話によると、皇帝はそこで驚くべき手に出たそうである。
「どうやら慌てず騒がず、帝国を包囲していた周辺諸国に降伏して無血開城したらしいね」
「意味が分かりませんよねぇ……」
「守るのにコストがかかりすぎるから、いっそ守るのをやめる、ということでしょうね……!」
王族であるアイリにとっても、その度胸は驚嘆に値するようだ。確かに並みの心臓では、出来る気がしない。
そうして無抵抗で国をあけ渡したかつての国主は、国を追われることになったのか? 否である。もしそうならこうして話題にはしていない。
彼は複雑なシステムで統治された国の纏め方を知るアドバイザーとして、ちゃっかり重要な役職に収まったのだ。
「……まあそこまでなら、よくある売国大臣にもありがちな話だ」
「でも、皇帝さんは何故かそっから謎にまた国のトップに返り咲いちゃったんだよね。訳わからん」
「元上司ですがちょっと不気味です……」
しかも、各国の<龍脈接続>者もちゃっかり新たな手足として手に入れてしまったという話だ。イシスに代わる新たな重役として、周知されたとかなんとか。
状況を傍で観察していたリコリスによれば、これこそが彼の狙いだったのではないかという話だ。国をまるごと囮にして、大々的に他国の優秀な人材を引き抜いたのである。
「その方は、自分が再び返り咲けると確信していたのでしょうか? それほどの自信が?」
「あったのかもね。リアルでそうした役職をばりばりにこなしている人だったら、ゲーム内の小競り合いなんて素人のお遊びにしか見えないのかも」
「自分の組んだ帝国のシステムをー、動かせるのは自分だけだとよく理解していたのかもですねー?」
「でもそのお遊びでは、ハルさんにしてやられちゃいましたけどね!」
「舐めないでもらいたい。こちとらお遊びのプロさ」
「年季が違うよねー、年季がさー」
「プロ二人の遊びに巻き込むのはもう勘弁してほしいところね……?」
「まったくです……」
空飛ぶ棺桶は、どうやら帝国だけでなく味方にも恐怖を刻み込んでしまったらしい。実に申し訳ない。
しかし、そんな逆境からの立て直しに真価を発揮してこその実力者。彼は、ハルが今最も警戒している男だ。
龍脈使い、記憶の引継ぎの可能性を持つ者の重要性を理解し、任意で集めることの出来る者であるからだ。
そんな彼こそ、例に挙げた記憶保持者のアドバイザーの可能性が最も感じられる。杞憂であればいいのだが。
「ただ、そんな帝国もノーダメージとはいかなかった。立て直しは成功したが、今回の龍脈通信の騒動には大きく出遅れた」
「ハルさんの一人勝ちでしたからね。ざまぁないです」
「そんな目下最大の強敵が手をこまねいているうちに、僕らも準備を終わらせたいところだね」
「いよいよね?」
そう、飛空艇が完成すれば、ハルたちもいよいよ行動に移る。その日は近い。
現在、龍脈通信内では兵舎や軍備にあたるシステムにリソースを投入することで、ボスモンスターが龍脈から吸い上げる力を阻害する作業が行われている。
プレイヤーがリソースを注ぎ込むことで施設は強化され、そのぶんボスは弱体化する。
現状誰も勝てないほど強くとも、その作業を繰り返すことでいずれ勝利に至ることが出来るという訳だ。
ただ今はまだ、挑んだ軍隊はどれも返り討ちにあっている。
「その間に“正式な”討伐第一号を僕らがいただく。そして、撃破した際の状況によっては、可能な限り総取りをする」
「実はもう第一号なのですが、あれは、“のーかん”ですものね……!」
さすがに今度は、倒してもバグの海に沈むようなことはないはずだ。
さて、吉と出るか凶と出るか。そろそろ、行動開始の時期のようである。




