第1326話 薬も過ぎれば
「ささ、ハル様。ぐぐいーっと」
「いやこんな高級そうなもの、そんなぐぐっといく物ではなくない?」
「そうは言っても、こんなにありますからなぁ」
「おっしゃる通りで……」
ハルはカゲツから手渡されたグラスと、その中で七色に輝く液体をまじまじと見つめる。
非常に美しく、漂ってくる香りからも既に美味しそうだということはよく分かるが、問題なのはその量だ。
「せめてみんなで分け合うとか……」
「だ、め、で、すぅ。これはぁハル様がお一人で飲み干すことで、初めて最大の効果を発揮しますぅ。分散させては、中途半端にしかなりませんなぁー」
「ですよねー。僕もそう思う」
ステータスを少しだけ上昇させるという幻のアイテム。ただし、エンドコンテンツと推測されるようにその上昇量は本当に僅かだ。
皆で分け合っても、ハル軍の戦力の多少の底上げになる程度。もちろん有用だが効率的とはいえない。
それよりも、もとより単騎での制圧力に特化したハルを強化することで、最大の成果を得ようという訳だ。神王ローズの時と似ているといえよう。
「仕方ない。覚悟を決めるか……」
「頑張ってくださいハルさん! その、とっても美味しそうですよ!」
「ありがとうアイリ。それが唯一の救いだね」
「頑張れハル君。なに、私とハル君はこの程度の試練、何度も乗り切ってきたじゃん。ジャンクフードをひたすら詰め込むだけだったゲームよりは、マシと考えよう」
「グラトニーオンラインは酷かったねぇ……」
通称『暴食オンライン』。これと同様に、食事に恒久的なステアップ効果が付与されたアイテムが登場したゲームだ。
そのゲーム、何をとち狂ったのか期間限定イベントの景品に、無制限に回収可能な設定でステアップ食材を置いてしまった。
あとは、想像の通り。目をギラつかせたプレイヤーたちによって、イベント期間を目いっぱいに使って無限にそのアイテムが収集され続ける。
無事ゲームバランスは崩壊し、そして無事に、調子に乗ったプレイヤーたちはひたすら集めたアイテムを消費し続ける終身刑に処せられた。
「酷かったねぇ。イベント終了後が真のイベント開始だった。私らも無限に食べたよね、無限に」
「あの味気ないゲーム食をね」
「聞くだけで胃が重くなってくる気分だわ……」
「私もハンバーガーは要りませんー」
そのゲーム、ステータスアップには必ず経口で食品を接種しなくてはならないという制限があり、ただでさえ手間のかかる量のアイテム消費を、更なる苦行と化していた。
その後のゲーム体験は、ひたすらハンバーガーを食べるだけの作業に変わり、当時のゲーム食特有の味気なさも相まって、かなりの残念度の高さを不名誉に記録している。
「これはきっと美味しいので、そんな悲劇はおこりません~」
「どうかな? カゲツ、味見した?」
「はいな。もちろん、してませんー。一個たりとも、無駄には出来ませんからなぁ」
「だろうと思ったよ。まあ、美味しいのは保証されてるんだろうけどさ……」
だがしかし、美味しければ良いとは限らない。ハルは未来予知にも似たその予感に苦しみながらも、覚悟を決めてグラスへと口をつける。
「ではではではでは? いざ実食~~」
「じゃあ、いただきます……」
ハルが口をつけると、その瞬間に口いっぱいに果物の芳醇な香りが広がり鼻へと抜ける。
まさに世界樹が育んだ、天上の吐息。数々の冒険と苦難の果てに、この一杯を作り上げたプレイヤーにとって、この味わいはステータス以上の達成感を齎すだろう。
甘さもしっかりと甘くありながらも、またすっきりとした極上の甘味が舌の上で奏でられる。
七色の美しい見た目と同様に、溶けあいつつも個別に主張を残した果物たちのシンフォニー。多少の発酵もはらんでいるのか、お酒になりかけのジュース特有の味わい深さが強烈な甘みに変化を加える。
「……うん。美味しい。かなりのものだねこれは」
「少々複雑ですなぁ。ウチがあれだけ苦労した味覚の再現が、こない簡単にエリクシルちゃんとやらに達成されてしまうとはー」
「その線からも調べてみるかい? ならカゲツもこれを、」
「それはまた別のお話ですなぁ。遠慮しますのでハル様が全部飲んでくらはい」
「くらはい言われてもね……」
一杯目を飲み干し、これだけで十二分の満足感を味わっているハルは、その状態のままちらりとテーブルの上を流し見る。
今のと同じものが、まだまだそこには大量に。あふれんばかりに用意されていた。
「ささっ、どーぞどーぞ」
「飲まないと減らないものなあ、仕方ない……」
一杯であれば感動して終わっただろうものの、後にこれだけ控えているとなればその味わい深さも仇となる。
ハルは既に『無駄に濃い』と感じるようになったその液体を、強引に喉の奥に流し込んでいくのであった。
*
「それハル様、いっき、いっき。おぉ~、やりますなぁ~。では次のグラスですぅ」
「わんこそばじゃないんだから。そんなリズムよく持ってこないで……」
「しかし次々処理していきませんと、終わりませんー」
「続けて飲むには無駄に濃いんだよこの砂糖水! ええい! この世界の味覚はどうやって遮断するんだ……!」
「そんな悲しいこと言わんでくらはいー」
「くらはいではない! お前そこそこ分かっててやってるだろこの悪魔が!」
「神ですぅ」
美味なる物であっても、いや美食として濃い味付けが設定されているからこそ、連続で食すには向いていない。
これが本来のプレイの果てにたどり着いた結果なら、その達成感と共に至上の一杯を噛みしめるように飲むのだろうが。
「……いや、まだ飲み物で良かったと言える。これがドラゴンステーキやらなにやらだったら、こってりとした味わいがことさらに強調されていたことだろう」
「濃厚なソースが、喉に絡みつくのです!」
「飲み物は流し込めるだけマシかもねー」
「ヤケ酒ですよー?」
「酒ではないが……」
「常に輝く美酒をその手に揺らしている魔王様ね? いい絵になるわ?」
「いや間抜けさが増さないか……?」
ただの飲んだくれ魔王である。常に優雅に手にしているのと、常にかぱかぱとグラスを空けて部下に代わる代わるおかわりを差し出されているのとでは、天と地の差があった。
……この場合、差し出してくる部下の方に主導権があるというのが問題なのだが。
「はいなはいな。その調子その調子。よい飲みっぷりですぅ~~。あっ、在庫が切れてきましたなぁ? ウチも頑張ってお仕事しませんとー」
「そこのが捌けたら終わりにしない?」
「あきらめなさいハル? マシというなら、糖尿病にならないだけマシと思いなさいな」
「いや、リアルならその程度の糖分一瞬で分解してみせる! そっちの方がマシだ! 普段からカナリーちゃんにやってるように!」
「そんなあなただけの理屈で激昂されてもね……」
「唐突に刺されましたー」
体内のことならエーテル技術でなんとでもなるハルだった。その点こちらの世界は不自由だ。
システムで定められた範囲の行動しか出来ず、自分の体内を弄る自由もない。
その代わり、今のようにただ飲み物を飲むだけで、強くなる事も可能になっているのであるのだが。
そんなシステム的な不自由が、追撃をかけるようにハルへと襲い掛かってきた。これは、予期していない新たな問題だ。
「カゲツ。ストップだ。今回はコントじゃない、マジな話だ」
「もともとコントではありませんが、どうなさいましたー?」
「ステータスがおかしくなってる。上昇とは別の話だ」
「どれどれどれどれぇ?」
カゲツも含め、女の子たちがハルのメニューを覗き込んで来る。そんな身動きを封じられた中で、なんとかハルは見やすいようにウィンドウを拡大し位置を調整した。
「ここ。HPMPが伸びてるのはいいとして、妙な状態異常が出てる」
「本当ですね! ステータス異常、『属性中毒』、です!」
「聞きなれない異常ね?」
「ポーション酔いとか、そーゆーのの一種かな?」
「ヤクのキメすぎですねー」
「ドーピングしすぎましたなぁ~」
「薬言うな。特にカゲツ、他人事のように言ってるんじゃあない……」
ポーション中毒、回復薬による副作用。無限回復を封じるためにシビアなゲームでは稀に設定されていることのあるバットステータス。
それと同様のものが、このゲームにもあったということか。
「……つまりこのステアップアイテム大量生成は、エリクシルの想定内だったということか? ……なら生産そのものを封じて欲しかったんだが」
「どうでしょー? オート生成のシステムで、彼女もよく把握してないなんてこともあり得ますしー」
「そうなのですか!? 全知な神々でも、そのようなことがあるのでしょうか!」
「むしろ神だから、ですかねー。既存の物の組み合わせで、楽して作ろうとするとそういうこともありますよー」
「エリクシルちゃんは特に時間なかったでしょうからなぁー」
神様ふたりで、訳知り顔で『うんうん』と頷いている。このフィールドマップ同様に、ゲームシステムもまたエリクシルが手作業で一から作っているとは限らない。
ある程度おおまかな方向性を設定したら、あとはオートで構築も可能なのが彼女ら神様だ。
もしそうならば、それが付け入る隙になっている可能性もあるが、そう上手く事が運ぶとも限らない。状況の把握能力も、神様であるが故にまた広いだろう。
「どーしましょ。残念ですがここで様子見というのも、一つの手ですなぁ」
「いいや、続行しよう。せっかくの新要素だ。この属性中毒が行くところまで行ったら何が起こるのか、それを見てみたい」
「だよね、そーこなっくっちゃハル君! 毒を食らわば皿までよ」
「毒ではないですぅ~」
「いやここまで来るとほぼ毒だろ……」
毒と薬は表裏一体だ。薬もいきすぎれば必ず体にとって毒となるのである。
「用法用量を守って正しく使いたいところだけど、今回は興味が勝るね」
「調子が出てきたねハル君。やっぱゲーマーとしてはそうでなくっちゃ。がんばがんば。私は今回は、安全圏から応援してよう!」
「ユキと潜り抜けてきた苦行を思い出せばこのくらいはね。ああ、そんなユキには、リアルに戻ったらこいつを再現してひたすら流し込んであげるから期待しててよ」
「食べ物を粗末にするのは関心しないなハル君!!」
「安心して。完全魔力製品だから気兼ねなく食べられるよ」
さて、鬼が出るか蛇が出るか。ハルたちはこの苦行めいた一気飲み大会を、騒がしく楽しみながらも『属性中毒』の進行を慎重に見守っていくのであった。




