第1325話 天上の地獄が開宴す
働きバチのような下級のガーディアンにリンゴを渡すと、彼らはせっせとそれを消費し加工をし始めた。
女王蜂の餌となる栄養が生み出され始め、それがロイヤルゼリーとなるのだろう。
ボールのようなカプセルへと生まれ変わったリンゴは、ボスガーディアンである女王の元に運ばれてゆく。
「これを横取りすりゃいいのかね?」
「かわいそうですが、仕方がないのです……!」
「ああ、いや。彼らの食事だ、取らないでおいてやろう。たぶん余ったらくれる気がする」
「慈悲深いのね?」
「いや。彼らが消費してくれる分が増えるのなら、そのぶんリンゴの在庫が減る……」
「……だと思ったわ。賛成よ?」
今回他の果物も確保することに成功はしたが、それでも本拠地近くに樹があるリンゴは、在庫が増えるペースがそれだけ多い。
この際ハチ自身に消費してもらえるならば、それに越したことはないように思うハルたちだ。
なんとなく、ただの無駄ではなく何らかの効果があるような予感もしている。
「おー。確かに余ったボールをこっちにくれましたねー。……あんまり食べませんねー?」
「ほら。もっとお食べなさいな。大きくなれないわよ?」
「ルナおかーさんや。そいつら十分大きいて」
「……いいえユキ? 彼らの真の力は、こんなものではないはずよ。そうだ、他の樹のハチもいることですし、そっちにも与えておきましょう」
「ルナさんは、意外と甘いものが苦手だったのです……!」
「別にそんなことはないと思うけど、まあ、なんでもかんでもあの味はね」
黄金の林檎は糖度もまた最高に高く仕上がっているのか、突き刺すような甘さを感じる程にスイート。
一個目をかじるだけならまさに天上の至福なのであろうけど、それが毎日、毎食、毎回復と続くならば話は別だ。
このまま舌が甘味しか感じなくなっていくのではないかという恐怖すら感じる程の甘さの連続攻撃。カナリーでなくては耐えられまい。
「まあ、生成スピードが上がるから、今はこっちのハチたちにも手伝ってもらうのは“アリ”だね」
「“ハチ”なのです!」
「そういえば、そっちのハチたちはどうするんですー? いずれ、他の大樹は取り返されちゃうんですよねー?」
「まあ、そうだね。そうなったら拠点内で急に敵対することになるから、まあこのまま現地に置いておけばいいか」
「ずいぶん強化しちゃったので、いい嫌がらせになってますねー」
「そんなつもりじゃなかったんだけどね……」
ハルとしては単に、ロイヤルゼリーの生産方法を探るための実験でしかなかったのだが。結果的には、ハルたちの有り余るリソースで極悪に強化された女王蜂が現地に解き放たれることとなった。
ご愁傷様である。とはいえわざわざ弱体化する理由もないので手心は加えたりしない。
「ここまで強そうになったのだから、このまま守ってくれないかしら?」
「難しいかもねー。今の状態でも、私やハル君ならたぶん勝てるし。それはプレイヤー達も強化を重ねていけば、いずれ勝てるってことだ」
「ですねー。どうしても取らせたくないなら、私たちが定期的に様子を見てあげないといけませんがー。遠すぎて難しいですねー」
「人類では回避不能の弾幕を、全周囲にバラ撒く最強の強化を施して、挑戦者を封殺しましょう!」
「正に恐悦至極だねアイリ」
そんな兵器化はともかくとして、まあしばらくはやられないだろう。その間に、ロイヤルゼリーの量産を終えられればそれでいい。
「……さて、と。懸念事項の解決も成ったことだし、今後のことを考えていかないとかな」
「それって、さっき言っていた龍脈アイテム買占めの話ですか? つまり金策ですよね。先生やアイリスちゃんに任せておけば大丈夫なんじゃないでしょうか?」
「甘いぜイシスちゃん。確かにジェーどんたちは優秀だが、元手がなければ奴らも万能にはなれぬ……」
「結局経済は規模の世界ですものね? 種銭が大きいほど、結果もまた大きくなるわ」
まるでわらしべ長者のように、ゼロから成り上がって取引だけで金持ち達を圧倒できれば盛り上がるのだろうが、現実は金持ちほどその資金力で順当に勝つというもの。
持たざる者はまず、取引だけで成り上がろうとせずにその資金を蓄えなければならない。
「普段なら、ハルが何か変わったアイテムを作って、それを売りさばいてというのが鉄板よね?」
「今回はユキだね。僕は今回は魔法使いとして、攻撃力に振り切ってしまっているから」
「私も今はだめだよー。飛空艇の建造のために、全リソース突っ込んでるから。それがなけりゃ、ルーン武器でも量産して売りさばいてもいいんだけどさ」
ルーン武器というのは、属性石を使って魔法効果をエンチャントした魔法武器のあだ名だ。
恐らく今は、ハルたち以外に生産方法を持たぬこの装備、市場に出せばかなりの儲けになるのは間違いない。
しかし、カナリーたち戦士職へと必要装備が行きわたった今、ユキはその生産を一時停止していた。
今は全ての生産力を飛空艇の建造のためにつぎ込んでおり、金策の為にその力を割くほどそちらの完成が遅れてしまう。
なので、ユキに頼らぬ特産品を何か考えねばならないのであった。
「……この果物とロイヤルゼリーを、市場に流す」
「……いい案ね。と言いたいところだけど、カゲツが許すかしら?」
「確実にゴネるね。まあ、彼女の機嫌を抜きにしても、独占素材をわざわざ流通させてしまう意味は薄い」
「でも世界樹で量産した食材を、売ってお金にするのはいいと思います! 次々採れますし!」
「アイリの<採取>が追いつかないほどだもんね」
別にそれならば問題ない。カゲツも別に、何でもかんでも食料を抱え込もうとしている訳ではないのだ。
とはいえ、いかに量があろうとも基本素材。世界を買い取るほどの儲けは出ない。やはり、何か画期的な閃きが必要なようであった。
「私たちも<鍛冶>とかを覚えて、ユキさんのようにアイテムを作るのは?」
「それはあまり意味がないんだイシスさん。僕らは、個々が尖りすぎる程に特化していることで、なんとか他国と渡り合ってる」
「ですねー。多少の足しにはなるでしょうけど、そのやり方では数で勝る大国相手には絶ーっ対に勝てませんー」
「た、確かに……、帝国ではまるで工場のようにプレイヤーを詰め込んだ生産ラインがありましたからね……」
「なにそれこわい」
「怖いのです!」
「ずいぶんな統制っぷりね?」
そこまでいかずとも、国主の鶴の一声で国民が少しずつアイテムを作って持ち寄れば、それだけで一大産業の出来上がりだ。その規模には絶対に勝てない。
ハルたちは、大量生産では作れぬ付加価値を武器に、ある種のブランドで対抗していかねばならないのだった。
「ふむ? まあ、すぐに結論が出るものでもない。みんなそれぞれ、何か考えておいてよ」
「はい。了解です。無駄かもですけどなんとか頑張ってきますぅ」
「イシすんファイトー」
「ユキも考えるのよ?」
さて、そろそろ夜明けの時間となる。今日の所は、果物回収でずいぶんと時間を使ってしまったのでここまでだ。
まあこれに関しては他国も、さすがに一朝一夕でなんとかなる内容でもない。彼らは龍脈モンスターの攻略だってある。
ハルたちは後日の宿題にこれを残して、今日のところはログアウトすることにしたのであった。
*
「ハル様、お待ちしとりましたぁ」
「げっ、カゲツ。貴様、何故ここに」
「いやですなぁ。みんなの拠点なんですから、ウチが居ても当然でしょうー?」
「そうじゃなくて、お前のシフトは今は昼間だったはずだろう……」
「ウチはお仕事とかありませんからー、入りっぱなしでお待ちしてましたぁ」
次の日のログイン、ハルが夢世界へと帰還すると、そこにはニコニコ笑顔のカゲツがハルを待ち構えていた。
彼女の担当時間は今、ハルとは被らない昼間の時間帯。なので、少々油断していたところがあったハルである。
「……可能なら『エーテルの夢』の運営のみんなを手伝ってくれると嬉しい」
「はいなはいな。それは勿論よろこんで。ですけどもぉ、今はこちらの攻略を多少無理してでも進めることが急務では?」
「ぐうの音も出ない正論をありがとう……」
「おう! ハル、どんまい!」
「……ケイオス、お前がこいつを連れてくるから」
「いや知らねぇよぉ! おめーらがどんな理屈でオレの夢に相乗りしてるかなんてさぁ!」
まあ、それはそうだろう。カゲツの依代となったケイオスに恨み言を言っても、何が変わる訳でもなし。
「……で、どうしたんだい今日はカゲツ。正直不安しかないが、聞こうじゃないか」
「不安だなんてまあハル様。そんなそんな。ハル様方がせっかく全ての素材を集めてきてくださったんじゃないですかぁ? なのでウチも張り切って、おりょーりにはげませていただきました!」
「うん……、まあ、そうだよね……」
当然の流れである。むしろ、こうならない訳がない。現実側でカゲツが喜び勇んで報告に来なかった時点で、警戒しておくべきだったのかも知れなかった。
「そんなハル様ー、そのよーに警戒なさらないでくらはいな。コレが出来上がったことで、ハル様の悩みの種であったリンゴ過剰問題は解決したのですからぁ」
「悩みの種だったこと理解してたならもっとなんとかして?」
「それはそれ、これはこれですぅ」
「……まあいいや。それで、結果はどうなったの?」
「それが大、大大大成功ですぅ! レシピ以上の、とーっても素晴らしい品に仕上がりましたぁ~」
「それはよかったよ」
ハルは言い知れぬ不安をぬぐいきれぬまま、努めて冷静にカゲツの仕事の成果を見守る。
彼女が取り出したのは、透明なグラスの中に七色に輝く宝石のような液体。伝説の料理であるという、ステータスを上げるという幻のジュースだろう。
「『世界樹の吐息』という名になったらしいですなぁ。このお飲み物に、ぴったりなんじゃないでしょーか」
「確かにね。虹化した果物が、そのまま液体になったみたいで綺麗だよ」
世界樹の葉から落ちる木漏れ日に照らされ、グラスの液体は乱反射し美しく輝きを放っている。
まあ現実でこれを飲むと考えれば真剣に内容物を心配するところだが、ここはゲーム。神秘的で、ファンタジーの飲み物らしくていいのではないだろうか。
そう、ハルが心配しているのは別にそこではない。別に、その味でもない。きっと伝説の名に恥じぬ、とても美味しいものであろう
その心配の答えが、そろそろ明かされるはずだ。ハルたちはカゲツに連れられ、世界樹の麓のカフェへとたどり着いた。
「……それで、カゲツ。そのジュース、量の方はどれだけ出来たの?」
「もちろん! 御心配には及びませんよぉハル様ぁ! ウチ、ハル様のために全力で頑張らせていただきました!」
「いや、むしろそれを心配していた。全力で」
「なななんと! こーんなにたくさん出来ちゃいましたぁ! もちろん、今後も張り切ってお作りします!」
「うわぁ……」
カフェのテーブルの上に、所せましと並んだグラスの数々。むしろグラスの上にグラスが積み重なっている。
その中身はもちろん、全てが全て『世界樹の吐息』。
そして、その効果は飲んだプレイヤーのステータスアップ。となればこれは、単なる成金趣味の飾りではない。
この全てを、残さず飲み干さねばならないものだった。
「……ねえカゲツ? ちなみそれは、誰がどのくらい飲むのかしら?」
「もちろんすべて、ハル様ですぅ! あっ、みなさまには、大変申し訳ないのですが、それが最も効率がよく……」
「いえ。いいえ。いいのよ? じゃあハル? 頑張って」
ここで、今まで後ろで息をひそめていたルナがトドメをさしてきた。
……どうやら、ハルはついに怖れていた事態に覚悟を決めねばならないらしいのである。




