第1315話 動き出すもの動き出していたもの
なんだか予想外の、というよりも拍子抜けな展開になった感は否めないが、ともかく無事に、アメジストからは協力を取り付けられることとなった。
なんとなく、条件は建前で、最初から協力するつもりであったようにもハルは感じる。
そしてその理由というのは、資金提供を隠れ蓑として、ハルに隠しておきたい本当のメリットなのではないだろうか?
「考えすぎても仕方ないわ? あなたは、あなたに出来ることをしなさいな」
「そうだね。資金が動くということは、僕の監視の範囲内だ。そこで何かを企めば、それは僕の知る所となる」
「ええ。その為の先行投資というわけよ。お母さまも喜んで払ってくれるでしょう」
「奥様にとっては寝耳に水だよねえ……」
まあ、ルナを溺愛している月乃のことだ。いくらになるのか知らないが、その程度の額は難なく払ってくれるだろう。
表面上は厳しいことを言うのであろうが、彼女はそういう人である。
「しかしこれで、更に仕事が増えることになったわね」
「そうだね。エリクシルのゲーム攻略に集中したい時に、難儀なものだ。けど状況を進めるためには、仕方がない」
ハルとルナは、人気のない学内の廊下を歩きながら、今回の件で進んだ全体の状況についてを改めて確認する。
もともとエリクシルのゲームを攻略するかたわら、アメジストのことも引き続き追ってはいたのだが、今回のことでそちらも更に忙しくなる。
確実に、彼女の方も何かしら動きを見せるとみて間違いないだろう。
「……お金の件がブラフだとしたら、何を狙ってくるとあなたは思う?」
「まず、お金も実際に必要だろうからブラフではないとして」
「細かいことはいいの」
「ごめん。そうだね、考えられるとすれば、僕がアメジストを逆探知しようとしているように、彼女も自分のシステムを用いて、エリクシルを逆探知しようとしている。これが最も可能性の高い推察になるかな」
「あの子は、元より私たちよりも一歩エリクシルに近い位置にいるものね?」
「ああ」
共に、ハルたちにとってもまだ謎に満ちた力を操る存在。そんな当人同士にしか、見えぬ世界にて何か感じるものがあるのだろう。
ハルも早いところ、そこに至る糸口、とっかかりくらいは見つけ出したいものだ。
そんな、表面上は三者間の協力という形で始まった三つ巴のレース。その鍵を握るのは、やはりあの黒い石。
ハルとルナは今日この地に来たついでに、あのモノリスの顔を拝んでいくことにした。
見たからといって何がある訳ではない。が、何も見落としが無いとも限らない。現場百回。
モノリスとの直接の接触に関しては、アメジストもエリクシルにも叶わぬハルだけの特権だ。生かさぬ手はない。
二人はまるで幽霊にでもなったかのように的確に人目を避け、地下への入り口のある研究棟へと忍び込んで行くのであった。
*
隠しエレベータの扉を開けて、その狭い筐体に入るとハルは御兜から貰った小さな鍵を回す。
エーテル技術お断りの、完全機械駆動の昇降機が、静かに地下へと降りて行った。
たどり着いたのは、ほのかに赤みがかった照明に照らされた地下空洞。
大空洞、というほどの規模はないが、広めのホールくらいはあり地下にある施設としては十分に大きい。
何もないように感じられるが、一段高くなった祭壇のような台座の中に、あのモノリスが横たわるように安置されている。
足元に仕込まれた装置を動かせば、お立ち台のようにあの黒い一枚板が立ち上がるはずだった。
「見たい?」
「子供みたいなことを言ってるんじゃないの。大人しくしていなさいな……」
「申し訳ない。でもルナも見たいでしょ、実物」
「それは、まあそうね。でも、そもそも普通の方法では起動出来ないのでしょう?」
「そこは甘く見ないで欲しい。起動する手段なんて僕にはいくらでもある。アメジストの手も割れた今、ここなら魔力も使えるしね」
「だからといって、いたずらに痕跡を残すものではないわ?」
「おっしゃるとおりで……」
彼女に秘密基地を見せびらかしたい男子のおふざけは、現実的な視点で脆くも打ち砕かれてしまった。無念である。
まあ、別にここはハルの秘密基地でもなんでもないのだが。
「しかし痕跡といえば、あれからここに誰かが入った痕跡があるね」
「……そうなの?」
「うん。エレベータに乗った時から、多少の違和感があったから少し詳しく調べてみたよ。天智さん以外の誰かが、確実に一人はここを使っている」
「違和感って……、痕跡を残すなとは言ったけれど、一目で気付く方もどうかしてるわ……」
「ここは出入りがないからね」
ハルと御兜翁が使ってから今まで、一切の変化がないのが普通な場所だ。
そんな地にて前回との明らかな“差分”を察知すれば、気になるというもの。
ハルはほとんど無意識に、その者の残した痕跡を管理者としての力を用いて調査してしまっていたのであった。
「とはいえ、それ自体は特に問題じゃない。ここは元々、限られた人とはいえ自由に入れるように作られた場所だからね。だけど……」
「入った人物に何か問題があると。誰なのかしら?」
「それはまだ分からない。ただ、御兜家とその他二家、この地とモノリスを管理するという有力者三家は、あれからずっと僕が行動を監視している」
「ご愁傷様ね? 好みの若い子は居たかしら?」
「ああ、さすがにみんな美少女のお嬢様だよ。名家だけあるね。まあ、そうじゃなくてね? 覗きじゃなくてね?」
「ここに近づく者が居ないか、監視していたのよね?」
「分かってるならからかわないで?」
まあ、ハルも即座に乗っておきながら何を言っているのかという話である。
「話を戻そう。そんな僕の監視網を抜けて、ここに誰かが入った。もしくは、僕がノーマークでいる誰かが、ここに入る権利を持っていた」
「前者ならともかく、後者であれば別に構わないのでなくて? そういうこともあるでしょう」
「まあ、そうなんだけどね。タイミングが問題だ」
「今は基本的に、誰もここに近づこうとしない?」
「うん。まあ、主に僕のせいなんだけど。ただ主犯はアメジストさ」
「言い訳は見苦しいわ?」
「いやそもそも彼ら自身の問題だから……」
ハルが雷都征十郎を通じ、三家にコンタクトを取った事実は当然それぞれが把握している。
中でも、実際に御兜天智と接触をもったことは彼らの中でなかなか重大なニュースとなったようだ。
ハルが天智と共にこの地を訪れたことを知っているかは定かではないが、警戒心を抱かせてしまったことは間違いない。
彼らの中では、『しばらくは様子見で大人しくしていよう』というのが暗黙の了解となったらしい。
「まあ、それ自体とは別に、直後にメッセンジャーの雷都が失脚して、文字通り全てを失った事の方が効いたのかもだけど」
「どう考えてもそれでしょうに……」
自分達も全てを奪われるとでも思ったのだろうか? 別に、彼の処遇を決めたのはハル自身ではないのだが。
というよりも、彼らこそが積極的に彼を蹴落としその資産を吸収していたようにも見える。
「三すくみ、かどうかは知らないけれど、下手に動いて他の二家に食い物にされてはたまらない、ということでしょうどうせ。あなたが気に病む必要はないわ?」
「まあ、気に病んでるって程ではないけどね。僕としても、今はここに近づかれないに越したことはないし」
ハルとルナは、今は隠されたままのモノリスの台座を見上げながら、彼らが大人しくしてくれている事に感謝する。
ただでさえ神様の相手で大変なのに、ここに人間までも参戦してきてはたまらない。
神に比べ技術も知識も持ってはいないが、彼らは肉体を持ちモノリスに直に接触できるという大きな違いがある。
いや、むしろ技術がない事が余計に問題だ。百年以上前の、大災害を齎したのは無知なままモノリスの力を半端に活用した異世界の人々だったのだから。
「……うん。だいたいデータは取れた。ここに来た何者かは、結局どの装置も起動できずにうろうろと辺りを調べて帰ったようだね」
「保守点検ってこと? ただの業者かしら?」
《いいえルナ様。どちらかといえば、『興味本位』であると推測されます。行動ルートに一貫性がございません》
「なるほど? 仕事で来たなら、決まったルーチンで効率的に動くはずだものね?」
《その通りでございます》
ハルが周囲の痕跡をかき集めたデータを、黒曜が解析し行動ルートとして浮かび上がらせる。
ハルたちの脳裏に投影された、輪郭のぼんやりとした人物像は、この空間をうろうろと行ったり来たり、落ち着きなく色々と歩き回っていた。
まるでゲームリプレイの再現体のように過去を映し出すその姿をハルたちは目で追った。本当に目的が不明瞭だ。
おかげで、十分なデータが取れた側面もある。落ち着きのない何者かに感謝だ。
「……この歩幅、この落ち着きの無さ、多少は若い人間か?」
「大人は落ち着きがあるなどという希望に満ちた考えは捨てなさいハル」
「そんな手厳しすぎること言わないでルナ……」
まあ、事実ではある。背の低い大人だって居るだろう。
ただ、大まかに人物像は絞り込めた。あとは回収した“物証”を元に、外に出て詳細な解析を進めていくことにしよう。
*
「なるほど。それを今から調べるのね!」
「……お母さま、騒がしいわ? そもそも何で居るのよ」
「ひどいっ! ここ、一応お母さんの家なのに!」
「そうだけど、今日は仕事が忙しいんじゃなかったの?」
「そんなことどうでもいいわ! それよりも、さっき美月ちゃんがお母さんのカードで豪快に無駄遣いしたってアラートが来て、お祝いに飛んで帰ってきたの!」
「何で祝うのよ! 叱りなさいな!」
「なんでルナが叱ってるのさ……」
意味の分からない親子であった。まあ、ハルはその事情については知っている。
月乃としては、美月に『好きに使え』と渡したカードが一向に使われる気配がなく、ほとんど自力でなんとかしてしまっていた事に、若干の寂しさを感じていたとかなんとか。
そんな親心の前には、警告が来るほどの高額決済であっても、何のダメージも入っていない月乃であった。
半ば、彼女へのあてつけも含めて行われた今回の支払いの押し付けだが、ルナの思ったような結末にはならなかったようである。
「しかしあいつ、さっそくふんだくって来たのか。行動が早すぎるだろ……」
「いいわよ別に。神様のみんなには、最近は稼がせてもらってるしね。このくらい、ほんのお礼のようなものよ」
「……どれだけ荒稼ぎしてるんですか。あまりジェード先生とかの言う通りにやりすぎると、そのうちインサイダー疑惑とかかけられますよ?」
「そんなのいつものことよ?」
「この人は……」
ルナすらため息をつく月乃の普段の行いの悪さ。なかなかのものである。大物、なのである。
「そんなことより、何を採取してきたの? 髪の毛?」
「『そんなこと』で済ますの親子って感じですよね。板金の角から採取してきた皮膚片ですよ。指でも引っかけたようで。髪よりこっちがやりやすいですから」
「へ~~っ」
採取してきた痕跡の調査を、覗き込むように興味深げに見守る月乃。ルナの言っていたことが早くも思い返されるハルだ。
確かに、大人であれば落ち着いているとは限らない。まあ、外に出れば、月乃は掛け値なしにこの世の誰よりも落ち着いた振る舞いを見せるのだが。
「時間がかかるの?」
「いえ。すぐ終わります。というかもう終わりました」
「それで、誰か分かったのかしらハル?」
「とりあえず、三家の登録データとは一致しない。まあ、彼らはDNA登録を改竄している可能性もあるけど」
「それはないわね。医療機関に一切かかれなくなるもの。不便よそんなの? それを問題ないと思えるのなんてハルくんだけ」
「はあ」
「じゃあ彼らは、遺伝子操作している者もそのまま登録しているってこと?」
「そうなんじゃない? だって、仮に誰か見たってそんなの分からないもの」
「まあ確かにそうだけれど……」
とはいえ大胆なことである。まあ、基本的に勝手に他人が見られるものでもない。こうして勝手に見ているハルが例外なのだ。
「ならとりあえず、彼らが僕の知らないルートで学園に入ったという線は消えた訳だ」
「となると、家の者ではないということね?」
「それはそれで問題ねぇ。門外不出の秘密が、外部に漏れたってことなのだから。セキュリティ意識はどうなっているのかしら?」
月乃の言う通りだ。とはいえ、彼女のセキュリティと比べるのは酷というもの。
さて、そうなると、いったい誰が秘密を握り、抜け駆けをしてあの地へと至ったのであろうか。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




