第1313話 まるで加工前の原石のような
消え去ったはずの地面に向けて、龍脈を伸ばしていくハル。そのような事が可能になるのは、この地面がおかしいのか、それとも龍脈という存在がそもそも特殊なのか。
見かけ上なにも無いはずの空間に、龍脈の枝が入り込んで行く。そこから流れて来るデータを、ハルは慎重に探っていった。
「……やはり、少しおかしい気がする」
「なんか分かったっすか?」
「いや。もともと解析不能なデータだ。それが壊れていたとして、解析不能なことには変わりない。けど、何となく『妙だな』と思う」
「直感ってやつっすね。ハル様の直感なら、きっと当たるっす」
「あまり持ち上げられてもね……」
結果につながるとは限らない。ただの勘違いの可能性だって十分にあった。
とはいえ、新たな手がかりには違いない。これから移るアメジストとの交渉にも、このデータが何らかの手札になるかも知れない。
ハルは可能な限り、このバグにより生じた大穴のデータを持って帰ることに集中する。
「アメジストに頼めば、このデータからも何か分かるかも知れないが」
「わたしは反対っすねー。今も裏で何してるか分からない奴です。余計な情報は、与えないに越したことないっすよ」
「もっともな意見だ。ただ、最もこのデータに関して精通しているのが彼女なのも事実。見せることで、何か進展があるかも……」
「わたしが頑張るっすから! 寝ずに食べずに、解析を続けますから! だからあいつに頼るのはやめましょうよー! 事態は進展するかも知れないですけど、最終的にエリクシルちゃんよりヤバいラスボスを生むことになりかねないすよ!」
「確かに。あと君ね、さらっと僕を鬼畜な雇い主にするんじゃない」
そもそも元々寝ないし食べなくても問題ない存在だ。そこに指摘を入れると、また話がややこしくなりそうなので口には出さないハルなのだが。
しかし、そんなエメの言うことも確かなのは事実。エリクシル同様に、まだまだアメジストも油断ならない。
いや、今のところ人間社会に与えた直接的な影響でいえば、圧倒的にアメジストの方が上と言っていいだろう。
そのような存在に、役に立つからとポンポンとデータを流してしまっては、彼女の優位をいたずらに増してしまうだけにもなりかねない。
「……分かった。今回は、既存の手札だけで勝負することにしよう」
「ほっ」
「僕のダメージが回復するだけの時間が過ぎたら、ログアウトしてアメジストの元へ向かう。それまでは、やれるだけここのデータを取ってみるさ」
「ファイトっす!」
次のログインでは、このバグは修正されている可能性だってある。その前に、可能な限りこの場のデータを持ち帰らねばならないだろう。
この世界に来て初めて、運営であるエリクシルの手から外れた、彼女の想定外の事態。
彼女へと要求した『ゲームクリア』の設定と合わせて、その計画を阻止するための突破口となるかもしれない希望が、この大穴には詰まっているようにハルには見えた。
*
「……よし。きちんと回復しているね」
《お帰りなさいませハル様。メンテナンス状況は万全です。ただし、十二領域のうち二つは、まだ80%ほどの出力が上限になるとみていいでしょう。残りもまた、92%を上限とするのが、安全策かと思われます》
「ご苦労。いい仕事だ黒曜」
《お褒めにあずかり光栄です。完全な休眠状態に近いバイタルでしたので、それだけ高効率にタスクを回すことが出来ました》
「……皮肉なものだねそれも」
ハルの脳がダメージを受けたのはエリクシルが原因だが、この予期せぬ高効率な回復環境を提供してくれたのもまた彼女だ。
これを、本人の討伐、いや説得のため以外に使えれば更に理想であるのだが。
「おはようハル。調子はいいみたいね?」
「うん。おはようルナ。これで、改めてアメジストの所へ向かえるというものだね」
「忙しいわねぇ……」
「付け焼き刃とはいえ、エリクシルは約束を守る意思を見せてくれた。ならば僕も、約束を果たさないと」
「その頑張りをいきなり台無しにしちゃったけどねー」
「あれは事故だから……」
「それはそれ! これはこれなのです!」
「その通りだねアイリ」
ある種、ハルたちの『依り代』となっている女の子たちも目を覚ます。朝寝であるため、既に外はもう日が高い。
ハルは彼女たちと共に、メイドさんの作る『寝過ごした休日風、優雅なランチ』を頂き、エメたち解析班へとデータを渡す。
いつものパジャマ姿のコスモスも、いい匂いに釣られて、のそのそ、とベッドから這い出して来た。
「おはよ~。どだったー? 邪道な夢の国はー」
「うん。新しい収穫があったよ。はいこれ、おみやげ」
「おーおーおぅ~。寝起きの頭に、大量のデータがまぶしい……」
「あなた寝てないでしょうにコスモスちゃん。どうせサボってるなら、一緒に来ればどうだったんすか?」
「んー、サボってないよ。あとコスモスは、あれを眠りとみとめません!」
「妙な拘りっすねえ」
「それで、ふむ。これがそのデータ」
「……あなたたち? 食事の席で妙なデータを広げるのはおやめなさいな」
「ルナお母さんに怒られちゃったね。閉じようか」
「あいー」
「……脳内で続行するのも遠慮してほしいのだけれどね? ……まあいいわ。あとお母さんではないわ?」
まるで前時代のそのまた古い記録にある、『朝食の席で新聞を広げる父親』のように、謎のデータが満載されたウィンドウを表示する無作法を怒られてしまった。
とはいえルナも、今が有事であることは理解している。視覚的な情報を閉じて以降も、心なしか三人の目の焦点が合っていないのは大目に見てくれたようだ。
「ん。わかんないねー」
「そっすね。元々わからんデータが、更に壊れたものっすから」
「でもなんとなく、破損とは違う感じがするかもぉ。具体的には、『加工前』みたいって言うかぁ……」
「圧縮前、龍脈に流す為の最適化前の生データってこと?」
「そこまではわかんなーい。でもコスモスには、どうもそんな気がするのです」
もすもす、と気だるげに昼食を頬張りながら、コスモスはそのように所感を述べる。
確かに、理屈としては納得のいく話だ。あの龍脈に流れるデータには、何らかの生データがあり、エリクシルはそれを目的のため使いやすいように加工している。
つまり今回ハルが持ち帰ったデータは壊れている訳ではなく、むしろエリクシルが手を加え壊す前。純粋な、あの世界に元から存在した情報。なのだろうか?
「なので私は、このデータと今までハル様が持ってきてたデータを比較照合することで、その差分を見極めるお仕事でもしよーかと」
「そっか。よろしくねコスモス」
「んっ」
「……コスモスちゃんほら、上の空で食べるから、口の周りに付き放題よ?」
「んあー……、ルナが過保護……」
「嫌ならちゃんとお食べなさい」
「やっぱりお母さんっす……」
これ以上、食事の席でこの話を続ける無作法はやめておくことにしよう。
ハルは、行儀の悪いコスモスに呆れつつも可愛がるルナの姿を愛でつつ、自分も食事に集中する。
これを食べ終わったら、この件はエメとコスモス、そして他の神々に任せ、自分はアメジストの元へと向かうとしよう。
アメジストに、スキルシステムの正式使用を認める許可を得られれば、晴れてあのゲーム上で改めて、ハルとエリクシルの競い合いが始まることとなるのであった。
*
夕暮れ時となってもなお熱気の残る夏の道を、学園に向かいハルは進む。卒業したというのに、本当にいつまでも縁があるものだ。
これでは、在校生の間でも変に噂になっていてもおかしくない。
もっとも、あの学園は在り方が元より特殊な施設であるので、卒業後も用のある生徒自体は別段珍しい存在ではないのであるが。
「堂々としていなさいな。あなた今は、エーテル過敏症の治療に関する第一人者でもあるんだから、『病棟に用があって来ました』みたいな顔をしれっとして居ればいいのよ」
「うん。実は一切用がないから問題なんだよね」
「誰も気づかないわそんなこと」
そんな道中の共を、今日は珍しくルナが務めてくれている。
彼女もまた同じ卒業生として、学園に入って不自然ではない存在として一緒に来てくれることとなった。
そんなハルのカモフラージュとは別に、ルナも純粋に学園の様子が気になる部分があるようでもある。
あの学園はエーテルネットワークから完全に切り離されたいわば『異界』。こうして直接出向かねば、卒業した今は分からないことも多かった。
「そもそも今回は、私がお母さまに言われて来ているわ。あなたが逆にそのお供ですって顔をしていても構わないの。しゃんとなさい」
「努力するよ。しかしまた、奥様が?」
「ええ。あの人もまた、学園の中で起こっていること、神様じゃなくて、人間が起こしていることを警戒しているわ? 特にあんな、モノリスとやらが出て来てしまってはね」
「……そっちも放置は出来ないのは確かだね。例のアレを管理する三つの家とやらの接触も、御兜の家以外は面談が流れちゃったし」
エリクシルのことで手が回らないが、そちらもそちらで無視できない。
今回は、そうした人間の方の陰謀も裏でひっそりと進行していないか探ることも目的の一つであった。本当に、やることが多い時期である。
願わくば、そちらは何も出ることなく平和に終わればいいのだが、それもあまり期待は出来ないかも知れない。
得てして物事は、動くときは一斉に歩調を揃えて動くものだ。
そんな、全ての中心に居るであろう黒い石板。あの謎のモノリスの安置されているかつての学び舎の中へと、再びハルたちは飲み込まれて行ったのだった。




