第1312話 消えた大地と現れた謎
一瞬のうちに、周囲一帯の景色は完全に様変わりしていた。
大地は大穴を空け、地の底まで削り取られている。だというのに、覗き込んでも不思議と下までが見通せない。
空間そのものにノイズが走るように、謎のエフェクトが穴の中をいっぱいに満たしていた。なんだか水でも溜まっているようにも感じられる。
「……まいったね、どうもこれは」
「うわぁ、やっばぁ。私たちのとこは無事でよかったねハル君」
「ああ。恐らくは、龍脈の支配権を奪い返したからだと思うけど……」
そんな、一切合切が消滅したような土地のなかにあって、ハルたちの立つ地面の上だけが、正確には穴の中心へと繋がる一本道だけが、唯一消滅の危機から逃れていた。
これはもちろん、龍脈の走るラインの上にある道である。辿っていけば、ハルの拠点である霊峰と世界樹へと至る道。
ドラゴンとの戦いのために、ここまで支配権を伸ばしていて助かった。
……いや、それを言うなら因果が逆か。こうして龍脈の道を敷いて、ドラゴンと“勝負になってしまったから”こそ、この事態を招くことになったのだろう。
「なんにせよチャンスだ。とりあえずエメを呼んで、詳しい調査に移ろう」
ハルは拠点に残してきたエメと連絡を取り、彼女もこの地へと呼び出した。この状況、調べ尽くさない手などない。
ゲームとしては明らかにおかしく、一目で分かるバグの発生。本来なら、即座に運営にお問い合わせ、早期の修正とサポートを頼む状況だ。
だが今は、その運営たるエリクシルは半ば敵。いやそもそもの話、お問い合わせの方法すら存在しない。
これが本当に『バグ』、つまり開発者の想定外の現象であったなら、それは、彼女の裏をかく絶好のチャンスであるともいえた。
「原着したっす!」
「よく来たエメ。早速だが、状況を見ていこう」
「らじゃっす!」
全速力で走って来たエメも交え、ハルたちは揃って大穴を覗き込む。
一応、安全のために断崖の一本道となり突き出た穴の内部の足場からは離脱し、安定した外側の大地へと戻って来たハルたち。その大穴のふちから、恐る恐ると中を伺う。
幸い、中心へ続く龍脈の道は崩壊することはなく、バグのノイズは周囲を浸食したりはしない。
一方、放置してもノイズは消え去ることもなく、静かに現状をキープしていた。
……いや、少々不快な音としてのノイズも出しているので、別に静かでもなかったか。
「どう見るっすかハル様?」
「そうだね。まあほぼ確実なのは、倒されるはずのない者を倒した結果であるのは間違いない」
「でしょうね」
「実装直後、本来撃破不可能な相手を、撃破不可能なタイミングで倒したからこそ、僕らはこの成果を得られた。お手柄だよユキ」
「いえぃ! まあ、フツーのゲームならバグ利用だなんだと問題になりかねんけど」
「普通のゲームなら、未完成で実装する方がそもそも悪い」
エリクシルはといえば、ハルとの取引を真面目にこなした結果、突貫工事でこの新要素を実装せざるを得なかった。
きっと、ハルたちがこの難敵に苦戦している間に、攻略の為のギミックも完成させる気だったのだろう。
「……恐らくそのギミックは龍脈関係であり、敵味方共に何らかの作用を龍脈に及ぼし合って、そして勝利するはずだったはずだ」
「ハルさんが支配を奪った途端、ドラゴンは目に見えて弱体化しましたものね!」
「うん。それは本来、新システムを使って少しずつ支配を奪い返していく類のものなんだろう」
「その一連の作業を新イベント、ハルが要求したプレイヤーに対する目的の設定とするはずだったのね?」
「しかしー、そのシステム自体はまだ未完成でしたー」
「未完成なら、そのまま倒せちゃうんじゃないの?」
「いや、そこは実装中というか、一部だけが中途半端に実装されていた、ということかな?」
「あのドラゴンの方には、既に何かが搭載されていたんでしょうねー」
「そっすね。状況から見るに、そのギミックを駆使してボスを追い詰めても、途中で何らかの抵抗があって一度押し返される。そんな展開を組み込んでいたんでしょう。ですが肝心の龍脈側にそのシステムが未実装……」
「結果、こうなってしまったという訳ね」
その『結果』をまじまじと、一行はしばらく無言で眺める。
本来は、ボスとプレイヤーの間で龍脈を綱引きするように、支配権の奪い合いが攻略要素に組み込まれていたはずだ。
そうしてボスを弱体化させたり、追い詰められたボスが支配を奪い返して力を取り戻したりするはずだった。
しかし、この瞬間だけはその支配権をめぐるシステムが未実装。
そんな中で、ハルは裏技的にボスの攻略手順を踏んでしまったという訳だ。
「……本来生まれるはずのない、この瞬間だからこそ生まれた運営の致命的な隙か。あの子には悪いけど、これを活用しない手はない」
これも、ハルを導く幸運の思し召し、なのだろうか。
……いや、今この世界でその幸運のデータベースを握っているのはエリクシル本人。ならば彼女の、不運なのだろう。
その不幸に追い打ちをかけるようで悪いが、これを攻略の足掛かりにしないという選択肢は、ハルには存在しなかった。
*
「……しかし、どうするか。これが仕様外の現象だとしたら、エリクシルにも分からないことが僕に分かる訳ないし」
「いきなり弱気にならないでちょうだいな……」
「このバリバリは、あれに似ていますが! アイリス様たちの、認知外空間、世界の裏への入り口に!」
「残念ですがアイリちゃんー、あれは『仕様』の範囲内ですからー」
「まあ、あの入り口の開き方だけは、バグじみてはいたけどね」
ハルたちは少し前の思い出を、アイリスたちの『フラワリングドリーム』でのことを思い出す。
そこでもこうしたノイズに彩られた入り口を経て、神々の領域である世界の裏側へと至ったことがあった。
だがあの空間は、最初から用意されたシステムの一部。まあ、一般プレイヤーに至らせる気がないという意味では仕様の外と言えるかも知れない。
規模も至る場所もまるで違うが、この大穴もまた同じように『扉』となり得るのだろうか?
「……とりあえず、何も知らぬ一般プレイヤーが飛び込んだりしないように、穴の封鎖作業は必須か」
「交代の連中に伝えておきましょー」
見るからに怪しいこの穴だが、何も知らぬ勇気ある者が飛び込んでみないとも限らない。その対策もしなくては。
ハルとしてもその結果どうなるのか実験台になって欲しい気持ちはあるが、『対象が夢から永遠に目覚めなくなりました』ではハルの方の寝覚めが悪い。まあ、ハルはそもそも眠れないのだが。
「んでハル君はどーすん? 初手ダイブはやりすぎなのは理解したけど」
「止めなきゃやってたみたいに言うのはやめて?」
「いや、そりゃ、やるっしょ?」
「まあ、普通のゲームなら僕もやる」
「当然だよね!」
「楽しそうなのです!」
「……頼むからそういう時は触らずに運営に報告なさいな」
それは出来ない。定められたレールを外れ、真の冒険に漕ぎ出すチャンスなのだから。
……などと言いだせば、頭痛に悩むようなルナの呆れのポーズをさらに悪化させてしまうことはハルもユキも理解していたので、迂闊なことを口に出さぬ理性はかろうじて残っていた。
それはともかく、このゲームにおいていきなりそんな危険は冒せぬまでも、危険だからと手出しせぬままでもいられない。
多少の危険をとってでも、この千載一遇のチャンスはものにせねばならなかった。
「最悪の場合僕が飛び込むが、まずはやっぱり<龍脈接続>からだろう」
「新しいデータ待ってるっすよハル様!」
「どうしてお前はブラックブラックと騒ぐ割にはそう働きたがるのか。だがまあ任せろ」
「わたくしも、<鑑定>してみるのです!」
「気を付けてねアイリちゃん? いえ、何を気を付けるのかという話だけれども……」
「はい! ハルさんとのリンクを、強く意識します!」
「あはは。本当に対策できちゃうよこの子」
「器用ねぇ……」
最も早くハルとの接続を強固にしたアイリ。それゆえ皆の中でも、最も自在にそれを意識してコントロール出来るようになっている。
何か精神干渉のようなものがあっても、ハルが彼女の心を守ることが可能だ。逆もしかり。互いが互いの、命綱である。
「むむむ……、とは言ってみたものの、<鑑定>では何も見えませんね……」
「まあそりゃ、システムの範囲外だもんね。スキルが反応しないのも当然ってゆーか」
「いえ、そうではないのですユキさん。<鑑定>はきちんと、対象を取れています」
「およ?」
「つまり、『何かがそこにある』という扱いなのかしら?」
「はい。しかし、<鑑定>結果が芳しくありません。いわば、『文字化け』なのです!」
「よもやこの時代でその言葉を聞くことになろうとはー」
「ユキもこの時代の人間でしょうに……」
「懐かしいですねー」
二人はレトロゲーマーなのだ。アイリもユキも、古いゲームも好んでプレイしているので、何度か遭遇があるのだろう。
そうした昔のシステムのバグによる文字化けとは少々違うが、雰囲気としてはまさにそのような出力が、<鑑定>結果のウィンドウを埋め尽くしているのであった。
「おお! なんと! 経験値も入るのです! 稼ぎ放題なのです!」
「あーあ。アイリちゃん、バグ利用でBANだね。BAN」
「無限稼ぎなんて許さないわよ?」
「残念ですが今のわたくしは、止められないのです! 最強に強まって、ハルさんの助けになるのです!」
「……なら私も、<遺留回収>で穴に投げ入れたアイテムを回収してみようかしら?」
「女社長ルナちー、突然のバグ利用。BAN」
「明日の“とぴっく”に載ったのです!」
「いいのよ。この世界に法の目は届かないもの」
「あなたが落としたのはこの金のリンゴですかー? 銀のリンゴですかー?」
「リンゴはもう結構よ」
なんだか、きゃいきゃい、と楽しそうな女の子たちを微笑ましく見守りつつ、ハルも精神を<龍脈接続>に集中させている。
まるで飛び込み台のように残った道に走る龍脈を頼りに、その周囲のノイズに触れようと探るハル。だが今のところ、うまく成果は出ていない。
「どっすか? 何か変わったデータはあるっすか?」
「いや、今のところ。何となくデータの乱れがあるようにも思えるが、っと、おや?」
「なんか見えたっすか!?」
「いいから静かにしなさいエメ……」
より詳細にデータを取ろうと、<龍脈構築>によりラインの拡張を図ろうとしたハル。その結果、まるで予期せぬ事態が起こった。
なんと、消滅したはずの空間の中へと、問題なく龍脈が新たに入り込んで行ったのである。
あの場所には、見えないだけで今も土地が存在している。そういう判定なのであろうか?




