第1306話 世界の終わりに向かう希望
「ルール、とは?」
「ルールはルールさ。目的と言ってもいい。あのゲームには、明確な目的が不足しているからね」
ハルがプレイヤーたちを戻す代わりに、エリクシルに求める新たなルール制定。それはあのゲームへの『プレイ動機』の追加であった。
現在、あのゲームはプレイにあたって運営側からの明確な方針の提示はなく、ある意味でユーザーの自由に任されている。
縛りが少なく、自由度の高いゲームと言えば聞こえはいいだろうが、言い換えれば目的のない、何をしていいか分からないゲームなのだ。
現在、指導者の立場に収まっているプレイヤーはいいだろう。自らが国主となり、国を導き領土を拡大する。
その野心的プレイ方針でやる気に満ちているが、これも逆に言えばその他のプレイヤーは彼らに従うしか道がない。
「どうせなら、プレイヤー全員が活気をもって取り組めるゲームの方が楽しいと思わない?」
「今のままでも、彼らは十分に楽しんでいると我は認識しておりますが」
「言いなおそう。僕が嫌なんだ。今はなんだか、アリの観察でもされている気分なんだよ」
「まあ、そういった側面もございます。我も否定しない」
「だろうね」
あの世界は箱庭の実験場だ。これは疑いようがない。
それが良いとか悪いとか、非道義的だとか言い出すほどの道徳心は残念ながらハルには薄いが、それでもこの状況が続くのは不健全だ。
自由に、ある種投げっぱなしに、目的のないゲームを強制的に続けさせられれば一部の人間は病む。『ああ今日も、またこんな世界に来てしまった』と、眠りにつくたび絶望するのだ。
そして、絶望していたことすら目が覚めれば忘れてしまう。
それは、記憶がないだけで電脳世界に幽閉されているのと同じこと。
ログアウトボタンの存在しない、デスゲームに強制参加させられているのに等しいのだ。
彼らは夢に囚われているというよりも、夢をエリクシルに囚われてしまっている。
「しかし、我がルールを制定したところで、それはアリの巣の形を我が勝手に決めるに等しいのでは?」
「ふむ? じゃあ、僕がルールを決めていいのかい?」
「だめです」
「だろう?」
理想を言えば、ハルの望むルールの押し付けが最も有効なのだろうが、さすがにそれを通すほどエリクシルも甘くはないだろう。
……それに、こんなことを言っている場合ではないことは分かっているが、ハル自身も一プレイヤーであるので、己のプレイが有利になるルールの追加を運営に要求するのは、『何か違う』と思ってしまうのだ。
結局、どこまで行ってもハルもゲーマーだ。どうせなら楽しみたいと思ってしまう。
「……ん? どうしたのアイリ?」
ここまでの話を聞いて、アイリが、ちょいちょい、とハルの服の裾を引っ張って見上げてくる。
目の前のエリクシルを子供にしたような、いやエリクシルの“デザイン元”となったような姿の彼女は何も語らぬが、その魂の繋がりを通じて何が言いたいのかは伝わって来た。
アイリは、『ならばログアウトボタンの設置を提案すればいいのではないか?』と疑問に思っているようだ。
その疑問はもっともだ。ある意味正しい解決策でもある。現実のゲーム同様に任意ログアウトを義務付ければ、確かに牢獄問題は解決するだろう。
しかし、それでは根本的な解決には繋がらないため、ハルはそれを口に出さない。牢獄それ自体は、依然として残ったまま。
今回の交渉カードは一枚きりだ。対症療法の実施だけで、交渉を終わらせることは出来ないのだった。
「話しても構わないぞ」
「いや、大丈夫だよ。伝わったから」
「そうですか。便利なのですね」
「それで、どうだいエリクシル? 僕の提案、受けてくれるかな?」
「構わない、とは思っています。ですが、具体的にどうすればいいのか分かりません。我は何を目的に設定すればいいのですかハル?」
「それを僕が決めちゃ意味ないでしょ……」
また決定的なチャンスをフイにしているようにも見えるが、これは別にゲーマーの矜持からだけではない。
ハルが方針を定めては、今回の作戦は意味がないのもまた事実なのだ。
ここで、エリクシルに強制的に新たな方針を決めさせることで、彼女の目的を推し量る。これも今回の作戦の一つ。
一枚しかない手札で、二つの目的を同時達成する。ハルはこのカードを、一発逆転のパワーカードに仕立て上げねばならない。それが、今回の交渉。
……もちろん、敵である彼女に任せきりにした結果、とんでもなく恐ろしい難易度の新ルールが登場し自分の首を絞めることになるかも知れない。
それも当然覚悟せねばなるまいが、まあその時はその時だ。それはそれで、ゲーマーとして燃えるというもの。
……怒られるだろうか?
「ですが、どうすればハルが納得するか分かりません」
「そうか。じゃあこうしよう。君は、『ゲームクリア』を設定するんだ。クリアすれば、あの世界は終わり」
「それは困ります……」
「そうかい? なら、終わらせないためにも、さまざまな障害となるルールや敵も合わせて創造するんだ。もちろん、必ず攻略可能な範囲でね」
「難しい……、我に、出来るでしょうか……?」
「うん。君なら出来るよ。頑張れエリクシル」
「……っ!」
無表情なその目に力を込めて、気合と決意を胸に固めるエリクシル。胸の前で握った両手が力強い。
まるで、子供に初めての仕事を信じて任せるかのような状況だが、ハルと彼女は現状敵だ。これでいいのだろうか。
ともあれ、ハルの想定通りにことは運んだ。あとは、エリクシルのルール改定が、おかしな内容でないことを祈るばかりである。
◇
「では我からも、ハルにお願いがあります」
「おや? プレイヤーというカードを握っているのはこちらの方だが?」
「民の命をその手に握る、まさに王の器なのです!」
「その管理者しぐさ、傲慢でとても良いと思います。我も誇らしい」
「……ごめん。人命をカード扱いしたことは謝るから、その評価は勘弁して」
つい管理者としての上から目線が出てしまうハルだった。そのくせ支配者として扱われるのは嫌だというのだから、困ったものである。
「……とはいえ、交渉の主導権が僕にあるのは変わりない。それでも、君から要求をすると?」
「我の方にも、一部の決定権が存在します。我が、同意し首を縦に振らねば、ハルは延々と人民の命を握り続けなければならない」
「アイリの言葉を採用しないように」
この二人、やはり相性もいいのだろうか? 可能なら、見た目の酷似についての理由も聞きたいところだ。カードがなくても答えてくれるだろうか。
それよりも今は、エリクシルの提案について考えねばならない。
まあ、当然の権利ではある。ハルが強引に会話をリードしてみたはいいが、最終的な決定権は彼女にある。
もちろん、異常な低効率で慌てて通信を試みてきたことから、このままではマズいのは確かなのだろうが、それはハルとて同じこと。
意識拡張を継続し続ける、頭痛と疲労感に眠れぬ日々を強制されることになることだろう。眠れないのは元からだが。
「なんのことはない。ハルには、現実世界でモノリスをネットへと接続してもらいたい」
「なんのことはあるわ! 出来る訳ないだろ!」
「なぜ? ハルならば、容易なこと」
「そりゃ、何が起こるか分からないからだね」
「しかしハルとしても、何が起こるか何時までも分からないままでは、いられないのでは?」
「痛い所を突く。とはいえ、あえて危険を冒すことはしない。どうしても気になれば、それこそ知ってそうな君を調べればいい。アメジストもね」
「残念」
そう言ってあっさりと、エリクシルは提案を諦めた。元々、大して期待をしていなかったようにも見える。
そうなるとこれは、単に彼女の目的の一旦が垣間見えたラッキーイベントにも感じるが、逆にいえば彼女からのハルへの軽い攻撃かも知れない。
ハルに己の目的を意識させることで、自発的にモノリスを調べるようにとの誘導。あるいは意識を逸らす為の偽装か。
いや、考えすぎても仕方ない。今は、エリクシルが次に出そうとしている提案に集中しよう。
「では、そのアメジストへの接触を求める」
「ん? 僕が? それとも君が彼女と話せるように、席をセッティングしろってこと?」
「我が直接会うつもりはない。ハルに任せる」
「いや用があるなら自分でやろうね……?」
「任せる。我が会ったら、怒られてしまう」
「なに子供みたいなこと言ってんだこの子! ……『つーん』ってしてもだめ」
「つーんっ」
「かわいいのです! ……はっ! わたくしの顔に似ているので、これは“なるしすと”でしょうか!」
「いいや、アイリも可愛い」
「ありがとうございます! うれしいのです!」
「そこー、話を誤魔化そうとしないようにー」
露骨にハルから顔を背け、アイリに向き合うエリクシルに近づき強引に自分の方を向かせるハル。
不用心な行動だが、もはやその辺はどうでもよくなってきた。彼女もまた愉快な神様。そのペースに決して乗ってはならない。この二年のうちに学んだ教訓だ。
「むぎゅう」
「僕の目を見て話すように。で、アメジストに何の用なの?」
「我が間借りしているスキルシステム。だが、その機能の全てを利用できている訳ではない。それを利用可能にするように、掛け合って欲しい」
「間借りというか無断使用ね? それでいて更に機能を使わせろとは、傲慢な奴め……」
「我も誇らしい」
「褒めてない褒めてない。それで、それは何のためなのさ?」
「ハルの要求を遂行するために必要だ。我には、望んだ新機能を実装する技術力が乏しい」
「へえ。じゃあ、もうこの一瞬でプランは考えたんだ」
「前向きに検討した」
「不安な表現やめろ……」
まあ表現はともかく、ハルの提案を受け入れる気ではあるようだ。その為に必要とあらば、ハルも動くのはやぶさかではない。
「まあ、構わないよ。ただ、接触には少々時間がかかる。それまでに君は、可能な範囲でアップデートを進めておくこと」
「よいのか? プレイヤーを取り戻したら、我はこれ幸いと遅延するやも」
「そこは信じるよ。君は約束を守るって。何より、アメジストと交渉する間もずっととなると、僕が頭痛くてダメそうだ」
「それなら仕方ないな」
「そう、仕方ない」
甘い対応なことこの上ないが、彼女をその点で信用しているのも確かだった。
ハルは状況が一歩前進した手ごたえを感じつつ、カナリーが根を上げるその前に、現実世界へと帰還することを決める。
あちらもあちらで、帰ったらきっと文句たらたらなことだろう。
※誤字修正を行いました。一部、エリクシルとアメジストの名前を間違えて表記しておりました。大変申し訳ございません。誤字報告、ありがとうございました。




