第1305話 地の底から駄目な子が呼ぶ
「どうする、これ……?」
僕らは全容の判明したエリクシルからのメッセージを前に、皆で頭を抱える。
分かってみれば単純な話だ。単に、データ転送に死ぬほど時間がかかっていただけだった。
あちらの世界からの通信は、それだけ大変、ということだろう。仮にも世界を超えているのだと実感する。
「ただ、いくら人々のログイン妨害に力を割いていたとはいえ、“この状態”で気付けなかったのが恥ずかしい……」
「仕方ないっすよ。パソコン通信の時代に録音した音声データをそのまま回線にぶち込んだような転送速度、現代で誰が想像するっていうんですか」
「想像しなきゃダメなんだ。意識の虚をつくのがこの戦いの肝。『仕方ない』で済ませていたら、いずれ命取りになりかねない」
「真面目っすね」
皆の命を預かっているのだ、真面目にもなる。
いかに意識拡張時の計算力が飛びぬけていようとも、使い手たる僕がポンコツではどうしようもない。
「それで、本当にどうするのかしらハル? このまま、おろおろして必死にあなたに訴えを続けるエリクシルさんを想像して楽しむのもいいけれど……」
「そうだね。それだと完全に事態は平行線のままだ」
「わたくしたちはエリクシルさんの世界に干渉する方法がないですし、エリクシルさんは、数時間かけて短い文章を送るのが精一杯なのです……!」
このまま気の長い文通を続けていたら、頭がどうにかなりそうだ。物理的に。
ただ、だからといって、僕が直接彼女の元に話を聞きに行くのもリスクがある。僕がこの場を離れれば、当然ログイン介入もキャンセルされてしまうのだ。
エリクシルの居るあの世界に行くには、こちらの世界で睡眠、僕の場合は活動停止状態になる必要がある。
だからといって、この状態を維持し続けても、彼女からのこれ以上の干渉も期待できない。
なにせ、一晩かけて短い一文を送信するのが精一杯のデータ転送速度なのだから。
「ねぇハル君。あの子、ドジっ子なのかな……? 通信速度が遅いなら、もっと軽い方式でメッセージすればよかったのに」
「まあね。ドジっ子なのかも知れないし、もしかするとこうするしかなかったのかも」
「てゆーと?」
「軽いデータじゃ、欠損が激しくて伝わらないと思った、もしくは、既に試したけれど僕には一切届かなかった、そういうことかも知れない」
「あー、なーるほど。小さなデータじゃ、小さすぎて粉々になっちゃうんだ」
「そんな感じ。このノイズのうちどれかがそうしたデータの成れの果てなのか。そもそも、ノイズにすら成れずに消えてしまったのか……」
どちらにせよ、どれだけ劣化しようとも僕らが判別可能なサイズの巨大データを送るしかなかった、のかも知れない。
……実際のところは不明だ。ただ単に、本当にエリクシルがポンコツでドジっ子なのかも知れない。
無表情であたふたして、右往左往し、やっとの思いでメッセージを転送できた彼女の姿を思うと、微笑ましい。
「……このままいじめてやるのも一興だけど、僕が持たない。あの子がポンコツなのだとしたら、やっぱり僕から出向くしかないか」
「それが狙いかも知れないわよ? 非力で可愛らしいふりをして、二人きりになったら本性を表すわ?」
「ハルさんはパクリと、いただかれてしまうのです!」
「まあ確かにー、自分からは通信手段がないと思わせておいてー、仕方なくハルさんが再びあちらへ赴くように誘っているのかもですねー?」
僕が無視して行かなくても、それはそれでよし。どうせ時間をかければ、僕はそのまま自滅するのだから。
どちらに転んでも、エリクシルに損はない。プレイヤーの復帰が、早いか遅いかの違いであった。
「……まあ、それでも行くとしようかね。仕方ない」
「そういうと思いましたー。ハルさんは、泣いてる女の子をほっておけないですしねー」
「《だよね! お兄さん、優しいんだから!》」
「……別に優しい訳じゃない。ただまあ、相手が身内だから、多少は甘くなっている可能性はある」
「《またまたー。照れやさんなんだもんねー》」
この世に現存する、数少ない仲間。同類、家族、言い方は色々あるが、多少の贔屓目が入るのは仕方ない。
同じような境遇から救い出されたヨイヤミがこの状況に興奮するが、僕が誰彼構わず救い出す聖人だとは思わないでほしいところだ。
本質は、そうした理由がなければ、どんなに可哀そうな境遇だろうと見捨てる冷たい人間だと僕は自分を評価している。決して照れている訳ではない。
「ただ、やっぱり不安はある。僕がこの場を離れてしまうと、あの子のゲームも再開してしまう訳で……」
「私たちが、代理で向こうへ行く、というのは、ダメよねやっぱり……」
「ごめんね。ルナたちの交渉力を不安視はしていないけど、というか僕より優秀だろうけど、神が相手だ。どうしても僕じゃないと対応できないことがある」
「《んー、そもそもねー、あの地底のドロドロ。あれはお兄さんにしか突破できないんじゃないかと思うの》」
「しかしハルさんが行けば、エリクシルさんの目的がその場で達成。交渉の必要もなくなってしまいます……、むむむ……!」
「ならー、ここは私にお任せですよー? なんのために、“私”が“あなた”になったのか見せてあげるとしましょー」
カナリーのその提案に、皆の視線が彼女に集まる。
方法ならある、僕と同じ管理者の体を持った自分が居ると、カナリーは自信満々にその胸にポンと手を置いていた。
*
「じゃあ、譲渡するよ。気を付けて」
「お任せですよー。……うわっぷう。これは思ったより、きつそうですねー」
「無理するんじゃないっすよカナリー。あなたはハル様と違って、意識拡張してる訳じゃないんすから。こっちでもフルサポートかけますんで、なるべくシステムに委ねてください。手動でやろうとなんてしたらすぐに破綻するっす」
「うるさいですねー。分かってますってばー」
「白銀たちも、お手伝いするです!」
「カナリーさん、雑事は空木たちに」
「私もカナリーおねーちゃんでいいですよー」
「あの、それはその……」
「……まあ、ふざけている余裕はありそうか」
意識拡張を解除した“ハルが”カナリーに処理を移譲すると、彼女がそれを引き継いでくれる。
これで、短時間ではあれどハルがエリクシルの居る空間へと突入できるだろう。
「もう朝ですから負荷も軽いですー。ただー、長くは持ちませんねー。一時間程度で、戻って来てくださいー」
「一時間か。分かった……、長いようで、きっとあっという間だね……」
とはいえ、作戦遂行時間として与えられる時間としては、破格のものだろう。
作戦内容が交渉という、時間が掛かりがちのものであることに不安は残るが、そこは対象がお互いに人外だ。なんとか効率的に運べるはず。
それよりも時が惜しい。ここでダラダラしていてはせっかくカナリーの作ってくれた時間が一秒ごとに無駄になる。
「よし、じゃあさっそく行くとしよう。すぐ寝れる人ー」
「はーい」
「わたくしも、眠れるはずなのです!」
「《私も私もー。仮眠程度だから、また二度寝できるはず》」
「まあ、神経は昂っているけれど、床に就けばきっとすぐよ?」
「一人でいいんだけどね……」
「先着順ですよー?」
そうカナリーが宣言すると、女の子たちが一斉に思い思いに横たわる。妙な光景だ。
ハルはといえば、腰かけたままで力を抜き、肉体の制御を黒曜に任せるだけだ。ハルは正確には眠る訳ではない。
そうして、少女たちの睡眠競争がスタートし、最初に眠りについた者の夢に相乗りし、ハルは再び夢の回廊へと入る。
その回廊も、エメの作り出した回廊破棄システムによりすぐに霧散して、あの暗黒空間へと無事にたどり着いたのだった。
「やってきました! ここが、そうなのですね!」
「そうだねアイリ。ここが、夢の泡が浮かんで来る、いや浮かんできてた世界だよ」
「まっくらですー……」
就寝レースに勝利したのはアイリ。なんだかんだで、肉体的にはお子様のボディーが功を奏したのだろうか?
いや、今はそんなことはどうでもいい。先に進まなくてはならない。
ハルたちは揃って、暗黒空間を下へ下へと潜って飛ぶ。
とはいえ、夢の泡が一つも存在しない今、それが本当に『下』であるのか判断する指標がない。己の直感だけを信じ、より暗い方へと向け進み、ついにはあの暗黒の瘴気の沼へとたどり着き、それを突破した。
「……自然と付いて来ちゃってるけど、平気だったの?」
「はい! ハルさんと、一緒でしたから!」
「ふむ……」
ヨイヤミは、『ハル以外には突破不可能』と語っていたが、そうでもなかったようだ。
これは、彼女の鋭敏すぎる第六感が恐怖を増幅していたのか、それともハルと魂のつながったアイリだから耐えられたのか。まあ今、深く考えるべきことではないだろう。
そうしてひたすらに急ぎ足で、ハルたちは想念の渦を抜けて真の最下層へとたどり着く。
一面の白い地平に、謎のデータの凝縮された恒星の輝く空、そこに、エリクシルは独りハルを待っていた。
正確にはハルたちが白い地面に足をつけた瞬間、また意識の隙を突きどこからともなく出現していた。
「よかった。我は待ち焦がれていた、不安だった。メッセージ、伝わったんですね、管理者様」
「わっ! びっくりしましたー……」
「アイリ」
「はい! わたくしの事も、ご存じなのですね!」
「当然。よく知っている。だがすまないが、我は管理者様と話がある。今は、歓迎している余裕がない」
「まあ、僕も時間が無いのは同じだけどね」
とはいえ、まるで余裕が存在しない訳でもない。あまり焦りすぎても、事を仕損じるというもの。
ハルはここで一度呼吸を落ち着けて、交渉を優位に運ぶべく余裕の態度を繕ってエリクシルと向かいあうことにした。彼女が焦っているというならば、これはチャンスともいえる。
「それよりエリクシル。『管理者様』はやめてって言ったでしょ?」
「ではハル。やめるから我のプレイヤー達を返して、ください」
「必死だね……」
「必死にも、なろうというもの。我にとって、彼らの存在が必要不可欠なのは言うまでもない。それにハルとしても、このまま彼らをここから排し続けるのは、労の嵩むことでしょう?」
「まあね。でも僕には、多少疲れてでも彼らの安全を守る義務があるから。なんたって、管理者だからね」
「先ほどは、『管理者と呼ぶな』と言っておきながら」
もちろん、思ってもないことだ。いや、多少は責任感はあるが、悪いが自分の身と引き換えにする気はさらさらないハルだ。
だが今は、いけしゃあしゃあとそう嘯く。これが、人間に与えられた特権である。
「だからエリクシル。お互いにとっての落としどころを決めようか。プレイヤーを戻せというならば、あのゲームに、新たなルールを追加するよう、僕から君に要請する」




