第1302話 泡の止まる日
夢世界にログインし睡眠中にゲームをプレイする。しかし、そのログインの過程には、必ずエーテルネットワークの仲介が必要となっていた。
つまりは、ハルの領域だ。エーテルネットを介する以上、元管理ユニットとしての力と権限を持つハルが必ず優位に立ち回れる。
「でもさハル君? たしか、それってめっちゃ大変なんじゃなかったっけ?」
「そうだよーお兄さんー。私一人に首輪付けるだけでもひーひー言ってるのに、全人口なんてむりむり無理だってぇ」
「首輪じゃなくてチョーカーね? それに、ヨイヤミちゃんの通信制御するのを一般の人と一緒にしないで。百人分くらいは大変だから」
「わお。やっぱり私天才なんだなぁ~~」
まあ、それは否定しない。遅れて起きてきたヨイヤミも、会話の席に参加してきた。
ただ逆に言えば、百人分も通信制御を介入した時点で、ヨイヤミを複数人、面倒を見ていると同等の負荷へと至ってしまうのだ。
いかなハルとて、すぐにパンクしてしまう情報負荷だった。
一応、今ルナの持っている病院にて、エーテル過敏症患者の治療用にハル抜きでもそのシステムを継続できるように、自動化の実地試験が行われている。
しかし、まだまだ効率化の目標達成にはほど遠く、全人口にシステムを適用させるにのは夢のまた夢だった。
「そもそも、全ての人に首輪、じゃないチョーカー付けて回る時点で現実的じゃない」
「これってカモフラじゃなかったの?」
「ヨイヤミちゃんの場合はね。ただ、一般患者用のチョーカーは当然意味があるよ。物理的なマーカーが存在しないと、システムが患者を識別できないんだ」
「正確には因果が逆で、患者がチョーカーを通してシステムを認識しているのよ?」
「ほえ~……」
流石はルナ、専門外であろう内容にも、責任者としてしっかり理解を深めていた。
それに、もし強引に日本人全てにチョーカーを付けたと仮定しても、今度はリソースの問題がある。
最適化が成されていない今、通信制御の負荷は本人の能力を超える。なにせ、自分では抑え込めない情報負荷を、外部の力を借りて抑えるシステムなのだから。
「……つまり、それを国民全てが一斉に使用したとすると、仕様上必ずエーテルネットの総リソースを上回ってしまうっていう訳さ」
「なるほど! その人の力を抑えるのに、同じだけの力が必要になるならば、絶対にリソースが足りる日は来ないのですね!」
「リソースとなる人口を増やしてもー、そのぶん必要な力も増えちゃうんですねー」
「その通り」
そもそもエーテルネット社会は、個人が普段使用していない余剰リソースを束ねて、公共設備を支えている。
それを全て負荷軽減に使うということは、その時点で社会が成り立たないことを意味していた。
「ふーん。それじゃあさハルお兄さん? このまま全ての人が、私みたいな力に目覚めたとして、そうなるとヤバいの?」
「ヤバい。確実にエーテル社会は崩壊する。まあ、超能力者が必ずしもエーテル過敏症になるとは限らないけど」
「ふーん。単純に世界が進化するなんてことはない訳だ?」
「合成の誤謬ってやつだね」
個人にとっての最適解を全ての人間が実践したら、社会が成り立たなくなるというジレンマのことだ。
ただ、今は本筋と関係ないので軽く流そうとハルが思っていると、ヨイヤミの表情は思った以上に真剣だった。その言葉を、ハルは待つことにする。
「いや、あのね? ちょーっと思っちゃったんだ。アメジストちゃんの作戦がもしそっち方面に進んだら、マズそうだなぁ~って」
「この忙しい時になんて危惧を発生させるんだいヨイヤミちゃん……?」
「まあ確かにー。全人類超能力者計画はそうなりかねませんかー」
「平気だと思うっすけどね。あいつ、ハル様の熱狂的な信者っすよ? そんな、ハル様の害になるようなことはしないはずっす。変な奴で何考えてるかは分かりませんけど、その部分は信用していいかと思うっす」
「ハルお兄さんの害になるの?」
「うん。エーテルネットが無くなったら、僕は生きていけない。比喩抜きでね」
「なんと!」
「私も生きていけなーい。ゲームの無い世界なんてー」
「ユキ? 今は真面目なお話よ?」
いや、ふざけた口調ではあるがユキも大真面目だろう。電脳世界に最適化されたユキの体は、ネットがなければ生きる意味を見失う。
そんな、起こりえるかもしれない未来に戦々恐々としつつも、やはり今考えても仕方ないこととハルたちは本題に戻ることにした。
「……まあ、今はアメジストのことは置いておこう。……ほんの少しだけ」
「ハルさんの処理するタスクはもう現時点でパンクしそうですねー」
「本当だよ。ただ、そんなパンク寸前の僕でも、今回の作戦を処理することは可能ではある」
「どうするのかしら?」
「うん。まず、意識拡張を行えばいい。そうすれば、処理可能なリソースは比較にならないレベルで増える」
「あたまよくなるのですね!」
意識拡張。インフラなどにも使われている、そのエーテルネットの余剰領域を強引に接収し、ハルの一部として脳と直結する力。
今のハルなら、これを使えばエーテル技術で可能な事なら大抵の物は実現可能となる。
「そして、そもそもの通信制御を、“その人が寝る瞬間”だけに限定する。そうすれば、制御負荷は分散し、しかも必要最低限に収まるはずさ」
◇
人間、寝る時間は夜に集中してはおれども、皆が一斉に床に就く訳でもない。
眠りにつく瞬間、もっと言えばあの『夢の回廊』へと続く扉をくぐる瞬間にだけ限定してしまえば、時間帯あたりの処理人数は大した数にはならないはずだ。
そうして扉をくぐらず眠りについた人物は、久々に何の変哲もない普通の夢を見ることができることだろう。
「しかしハル? その『寝る瞬間の人間』の選定はどうするというの? いかにあなたが覗きのプロだといっても、日本中全ての人間を同時に監視するなんて不可能よ?」
「あははは! 想像したら笑っちゃったぁ。ハルお兄さんがお家を一つ一つ、『寝ない子は居ねーがーっ?』って順番に回るの」
「なんでナマハゲになってるのさ僕……」
ナマハゲはともかく、そんな力技では効率が悪すぎる。もちろんそんな事はしない。
もしかしたら、意識拡張を全開にしたハルならばそれも可能なのかもしれないが、今度は拡張負荷がきつくなる。
丸一日に渡って監視を続けなければならない関係上、脳への負荷も最小限に留めたい。
「当然、監視は自動化しシステムに任せることにする」
「自動システムを組むんすね! お任せっすよ、お手伝いするっすよ! ハル様の負荷を最小限にして、サーチも完璧に効率化してみせるっす!」
「落ち着けエメ。今から新しくシステムを組むなんてことはしない。ワーカーホリックすぎだお前は」
組んで組めないこともないだろうが、そんな大規模なプログラムを新しく、しかも大々的にネット上に走らせるとなると、痕跡を残さない訳にはいかないだろう。
注意してもどこかに足跡は残り、それは一般人でも目ざとい者なら追跡可能だ。
「まあ、足跡が残っても意識拡張の力で強引に消して回ったり、事後処理を奥様に任せたりと、やりようはあるけど」
「大規模システムの介入に真っ先に気付くのは奥様ちゃんでしょうしねー」
「ただ、そんなことをせずとも、既存のシステムを一つ乗っ取ればそれで済む」
「そんなものが、あるのですか!」
「あ、分かっちゃった。ゲームプレイの邪魔してくるあのアラートだね」
「ユキ、正解だ。流石だね」
「どうでもいい体調まで感知してたたき起こそうとするから、本当に面倒なんだよねぇ……」
正式には、『国民疾病管理センター』という。
電脳空間を利用したフルダイブゲームを行う際は、ここへの身体情報データ提供が義務付けられる。
それにより、肉体的には意識不明状態である時に体調が急変した場合などは、お節介にもほぼ強制的に叩き起こされるのだ。
そのため、気合の入ったゲーマーほどこのアラートを回避すべく、徹底的に健康管理に気を配っているのだが、それはまた、別のお話。
「この前見た、国民の平均睡眠時間のデータ。これもここから得た情報だ」
「つまり、そこを張ってればそれだけでー、あっちから情報を自分で飛ばしてくれるってことですねー」
「その通り」
「しかし、登録は任意なのではなくって? ゲーマー以外には、データ提供をしていない人だって居るでしょう」
「それは問題ない。そうだねエメ?」
「はいっす。例の夢の回廊は、電脳空間を経由して侵入するっすから。その際には必ず、データ提供が発生するっす」
「そういうことだね」
「なるほどね? 納得したわ」
そうして、今まさに眠りに落ちようとしている体調の者だけをピックアップし、夢の回廊へのアクセスを遮断する。
そうすることで、自動的にあのゲームにログインすることも封じることが出来る。
「では、早速始めるとしようか」
《御意に。十二領域、接続スタンバイ。覚醒完了、接続良好です。続いて、意識拡張、帯域確保。エーテルネットワーク余剰空間を、強制徴収可能です》
「全領域確保」
《御意。領域確保開始、確保完了。接続帯域アンリミテッド、常時100%の出力で入出力が可能です》
「……今回は長期戦になるからね。出力はそこそこ絞ろうか」
《では、20%限定起動でスタートいたします》
「長丁場って、あなたの負荷は大丈夫なの? どのくらいの時間続ける気なの? これからずっと、ログインを封じ続けるなんて不可能でしょう?」
「大丈夫だよルナ。多分だけど、そう長くは掛からないはず」
「そうですねー。早ければ、数時間、半日程度で動きがあるんじゃないでしょうかー?」
「動きというと?」
「新たなログインを制限すれば、当然、ゲーム内の人は徐々に減っていくからね。それで、今寝ている人が全て起きれば、中は自然と無人になる訳だ」
「エリクシルちゃんは、当然困る訳ですー。こまったちゃんは、きっと何らかの行動を起こすはずですよー?」
「なるほど! 龍脈を封じて、経済制裁を加えた時と同じですね!」
その通り、言い方は悪いが、人というリソースの流入を封じることで、エリクシルに制裁を加える訳だ。当然、彼女は困る。
そして、それをハルの手札として、彼女と交渉を行うという訳である。まあ、思惑通りに行けばの話だが。
「まあ、やってみないと分からないさ。じゃあ黒曜、善は急げだ。意識拡張、開始しろ」
《御意に》
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




