第1301話 出自の異なる神の危険性
少し帰還不能となることを心配したハルだが、その心配は杞憂に終わり、何の問題もなく意識を戻せた。
肉体の方の目を開くと、ハルを不安そうに取り囲む仲間たちの姿があった。
特にエメの顔がつい笑ってしまうほど狼狽えており、よほど心配をかけてしまったのだと分かる。別に、彼女のせいではないのだが。
ハルは黒曜から肉体の制御権を受け取るついでに、眠っている間の出来事を素早く共有。
そして、あちらであった出来事を、彼女たちに一つずつ説明をしていったのだった。
「……なるほどね? アクシデントはあったけれど、無事に夢世界の運営者を発見することが出来た、という訳ね?」
「びっくりですねー。泡の挙動について話し合っていましたけれど、そんな事なんかどうでもよくなる衝撃ですねー?」
「はい! 大人っぽいわたくし、とってもせくしーなのです!」
「あはは。アイリちゃん、そこなんだ……」
「当然なのですユキさん! わたくしも、もし成長していたら“ぐらまらす”になっていたと思えば、報われるというものです……!」
ハルが共有した視覚情報から、アイリがエリクシルの姿に注目する。
まあ実際にはその姿は何をモチーフにしたかは不明であるが、成長しないはずのアイリがもし成長したら、を表した姿だと言われても違和感はなかった。
「……あの、これは別に、マスターアイリをモチーフとしたとは限らないのでは?」
「ばか! なに言ってるです空木! マスターアイリを参考にしたに決まってるです! つまりは白銀たちと同じ、マスターたちの娘です!」
「は、はあ。おねーちゃんがそう言うならば……」
「いや、そもそも君らは僕の娘じゃないから」
隙あらば娘枠を生成しようとする白銀だ。油断も隙もない。むしろ早く独り立ちしてほしい。
しかし、それはともかく、白を基調としたそのデザインは、白銀や空木と似通っていると言えなくもないのは確かだ。もっとも、背丈はまるで別物であるが。
「おお? つまりはハル様は、わたしと同様に新たな神を生んでそれを放置してしまっていたんすか? ネグレクト仲間っすか? いやぁー、これでハル様もわたしの気持ちが分かったんじゃないっすかねえ。労ってくれてもいいんですよ? いいんですよ?」
「調子に乗るなエメ」
「そうです。明確な意思をもって空木を作った貴女と、マスターを一緒にするんじゃありません」
「すみませんでした空木ちゃーん!! 愚かなわたしを許してほしいっす!」
「まったく……」
「……だがまあ、エメの気持ちが分かった気がするのは事実かな。これって、僕の責任になるのかねえ?」
「彼女の生まれた原因は、数多の人間の想念なのでしょう? あなた一人の責任になるとは、到底思えないけれど?」
ルナはそうフォローしてくれるものの、最初と最後のトリガーを引いたのはハルだ。
エーエルネットの基幹システムロックを開放したことで、彼女は活動を開始した。さらには、彼女を生み出すデータの数々を効率よく集めたのは、ハルの作ったプログラムの可能性があった。
「んー、そのですねー? ハルさんを責める意図は一切ないと前置きしたうえで言うんですけどー」
「どうしたのカナリーちゃん?」
「はいー。そのエリクシルちゃんが生まれた原因はー、ハルさんにあった可能性は結構あると思うんですよー。私の例を考えるとー」
「カナちゃんの?」
「ですよー?」
「わたくし、よく憶えているのです! カナリー様は、ハルさんの中に入りその意識に触れたことで、自我を芽生えさせるきっかけとなったのです!」
「その通りですよー。なので同様に、エリクシルちゃんもハルさんを通じてなんらかの天啓を受けて、今の自己を確立させた可能性は十分にあるかとー」
「あらら。ハル君、歩く神様製造機だねぇ。創世神ハル君だ」
「まったく笑えんぞユキ……」
もし本当にそうなら、ハルはこの世に存在しているだけで世界に害を成す存在になってしまう。まったく笑えない話だ。
しかも、現状それは冗談として流せない、妙な説得力を持ってしまっている。
《いえ、問題はないでしょう。私の存在が、その説を真っ向から否定しています。最もハル様に近いAIである私が、いわゆる『神』にはなっておりませんので》
「黒曜」
「んー。黒曜ちゃん、一度ハルさんの中から出てみませんかー? もしかしたらそれだけで、案外神として覚醒するかも知れませんよー?」
「カナリーちゃん? 気軽に被害を広げようとしないで?」
《いえ、私の仕事は、ハル様の肉体制御のサポートですので》
黒曜が提案を否定してくれたので、ハルもホッと胸をなでおろす。
……自分が完全に制御を握っているAIだというのに、なにを不安にならねばいけないのだろうか。
それはさておき、今はいつまでも、エリクシルの発生原因についてばかりを探ってもいられない。
これは別に、ハルが責任逃れをしたいという訳ではなく、問題はむしろ、この先にこそ待っているからなのだった。
*
「さて、彼女が生まれた理由は今後も継続的に調査をするとして」
「今は、エリクシル様がこの先どう動くかの方が問題なのですね!」
「そうだねアイリ」
「マスターアイリ、新参のやろーに、『様』はいらねーのです。奴は白銀たちと同じ、マスターたちの子供なのですから!」
「しかし白銀ちゃん! この方はとても、なんというか、おおきいのです!!」
「体がでかいだけがなんです! 自分を大きく見せて、威嚇してるだけです! 白銀にだってできるです!」
「……ほお、そうか白銀。では、君も今すぐ大きいボディに乗り換えて、幼年期を終わらせるように」
「しまったです! これは、白銀をハメるための罠でした!」
「どさくさに紛れて、ことあるごとに子供としての主張を通そうとしないように……」
白銀の戯言はともかく、エリクシルがアイリの信奉する既存の神々と同一ともまだ限らない話だ。
これは、彼女が生まれて間もないからアイリたちに何も加護を与えていない、というだけではない。
もっと根本的に、存在の定義そのものが異なる可能性が否定できなかった。
「そもそも彼女はなんなんだ? 異世界の神様と、同一視して本当に大丈夫な者なのか?」
「ダメかもっすね。わたしたちを基準に先入観を持ちすぎると、足元を掬われるかも知んないっす。まず気になるのが、存在意義の設定です。彼女実は、日本人の為に動く前提を持っていないんじゃないっすか?」
「ありえるわね? 確か、あなたたちは研究所で生まれて、その時の行動理念を引き継いでいるのよね?」
「ですねー。まあー、程度の差は人それぞれですがー。私なんかは薄い方でー、エメは異常に濃いタイプですかねー」
エーテルネットワークを管理する存在として、日本人の為に動き、その利益を守るための行動理念。
そうした『機能』を付与された彼らは、神となった後もそれを『本能』として引き継いだ。『三つ子の魂百まで』、のようなものである。
「それは人間でいう遺伝子のようなものでして、変だとか嫌だとか思ったとしても、それだけで逃れられる類のもんじゃないんすよね」
「そうなのですか? すごい力をもっていますのに……」
「アイリちゃんがご飯を食べたいとか、ハルさんとえっちなことしたいとか、思う気持ちと同じっすよー」
「それは、そもそも嫌だとか思わないのです!」
「ユキなんかは、睡眠欲を克服しようと頑張っているわよね?」
「廃人は、みんなそう」
「エメ。話を変な方向にずらさないように」
「おっとすみません! まあつまりは、研究所の設定と完全に無関係である唯一の存在であるエリクシルさんは、そうした常識が通用しない相手かも知れない、ということは常に意識しておいたほうが良いと思います」
「それは、嘘をつくことが可能な神であるということかしら?」
「……どうだろう。僕の印象では、発した言葉に嘘はなかったように思うけど」
もっとも、ハルの質問にはあまり明確な回答は得られずはぐらかされてしまったので、断言するほどのデータが揃っているとは言い難い。
しかし、逆に言えば嘘がつけるならば、『答えられない』ではなく全く別の情報で騙してしまえばいいので、その可能性は大きく下がったとも言えた。
少なくとも、ハルとの会話には真摯に応じてくれた印象だ。
……それはそれとして、愉快で独自のテンポ感を持つ話し方だったので、内面を捉えるのには苦労するが。
「まあ、それは今はいいっす。それよりも問題なのは、日本人の皆様の利益を守る、という我々の大前提が、存在しない場合だった時のお話です。今までは、我々が事件を起こしても、ハル様はその部分である意味の安心感を得ていたというか、その……」
「まあ、ある種君らを『ナメて』いたね。どうせ、生命の危機に至る状況は作り出さないだろうと」
「そうですねー。そこは、特に強制力の強いところでしょうかねー」
「そうなのかしら、カナリー? あなたも?」
「ですよー? エメのように、日本人の利益をひたすら追及しようって者も稀ですがー」
「いいじゃないですかあ……」
「よくないですー。結果的にー。まあそれはともかくー。ですが、積極的に害を与えよう、とする者は皆無ですー。確実に、ブレーキがかかりますー」
確かに、それはハルも何度も経験があった。
ハル以外にはあまり興味のないカナリーも、プレイヤーの安全に関しては魔力消費度外視で気を配っていたし、悪ぶっているアメジストも、安全基準は標準装備。
まあ、一部道徳の規準そのものがぶっ飛んでいる神様が困りものだが、それでも積極的に命を奪おうとする者だけは一切存在しなかった。
「つまり、エリクシルちゃんは目的のためなら、日本人が死のうが困ろうが一切気にしないかも、ってこと?」
「その通りっすユキ様。これが、彼女の正体が判明したことで我々が突き当たった最も大きな問題になります。今までは、正体は分からないけど、どうせ何処かの神がやっていたことだから、と高を括っていたのですが」
「……確かにそう言われてしまうと、これからは暢気にしていられない気がしてくるわね?」
「まあー、そうは言ってもこれまでの状況を冷静に見れば、今すぐそれほどの危険はないとも言えますけどねー」
「……そっすね。あくまで可能性の話っす。今のところゲームは平和に運営されてるのも事実です。それに、彼女が日本人の想念から生まれたというなら、それら創造主たちを無碍にする行動を取るのも自然ではありませんし」
「ただそのどれもが、あくまで根拠なしの可能性、ってことか」
「っす!」
確かに、ハルも無意識で油断していたのは否めない。どうせ、神様は日本人を害さないだろうと。
今回もその例を踏襲していたので自然とそう思ってしまっていたが、もしかすると、ただ“害し方を知らない”だけの可能性もある。
彼女はミントとアメジストの力を横から奪う形で活動を開始しており、両名は当然その力に安全基準を満たした設定を行っている。
ならば今後、エリクシル独自の力が濃くなっていった場合、それが守られる保証はない。
しかし、本人にそれを問いただそうにも、どうにも素直に答えてくれるイメージが湧かないハルだった。
「……この際少し、荒療治というか、強引な策をとってみるか」
「強引って、どうするのかしら?」
「うん。日本の全人口に、夢世界のログインを封じてみようかと。いわば、あのゲームに強引に、緊急メンテをかける」
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




