第13話 王女様の昼食、王女様のお部屋
アイリと二人、食堂へと移動する。
途中、さりげなくアイリが手を繋いできた。意外と大胆な所のある彼女だが、これにはやはり緊張が隠しきれないようで、ほのかに赤くなりながらも不安げに見上げてくる。
そんな様子もかわいらしい。つい頭に手を乗せたくなるハルだが、当のその手は今アイリによって確保されてしまっていたため、それは叶わなかった。
「…………」
言葉はない。
言葉を重ねることを楽しみにする彼女のそれが止まるのは不安のサインだ。その不安が溢れてしまわないうちに強めに手を握り返す。
「……」
「……!」
言葉はない。
沈黙をもってハルも答えとする。指先が言葉より多くを語って伝えていた。アイリの表情が花の咲くような笑顔になり、それを見たハルの表情も自然と柔らかくなる。
……同時に、後ろでメイドさんが二人、こぶしをグッと握ってガッツポーズを表しているのもチラリと見えた。
──見せものに! されている!
背景のように粛々とお仕事をこなすメイドさん達ではあるが、彼女たちだって当然れっきとした個人だ。それぞれ感じ、思い、動いている。
主人たちの動向は、それは気になることだろう。
と納得するものの、ハルにはまだ慣れない事だった。アイリは慣れているのか目に入っていないのか、気にする様子はない。
慣れなければ、ならなかった。
*
「ずっと食堂に着かなければいいのにって思っちゃいました」
「それじゃあごはんが食べられないよ?」
「そうですね。じゃあ、空腹で仕方なくなったら、その時は食堂に着きます!」
「素敵な廊下だ」
名残を惜しみながらもアイリが手を離す。
別にここでお別れという訳でもないのに、かわいらしいことである。
それとも先ほどの事で、ふとした拍子にハルがどこかに行ってしまう存在だと感じて、不安がらせてしまっていたのか。
すぐ近くの席に腰を下ろす彼女を見ながらそう思うハル。本来席はいろいろ決まりがあったはずだが、気にするつもりはないようだ。ハルとしてもありがたい。
ありがたいといえば、昼食はサンドイッチのようだ。マナーを気にする食事よりもこういったものの方がありがたい。
──それとも、実はサンドイッチにも食べ方のマナーがあったりするのか? どの角から口をつけるか、とか。何口で完食すべし、とか。
気にしすぎである。
「ああ、あまり気にしてなかったけど、こっちの料理も向こうと同じようなものなんだね。サンドイッチもあるし。いや当然なのかな、簡単なものだし」
「ハルさんの世界にもサンドイッチはあるんですね。わたくし好きなのですが、あまり出してはくれないのですよ?」
むくれて不満を示すアイリ。恨みがましくメイドさんをチラリと見るが、メイドさんはにっこりと優雅に一礼。慣れたものであった。
先ほどの件もそうだが、こうした主従の気安いやりとりが見られるのは微笑ましい。上下関係のぴっしりした空気だけではアイリも息が詰まるだろう。
──しかしあまりサンドイッチは出ない、か。確かに王女様には合わないかね。とすると僕に合わせてくれたって事になるのだろうか。
「ハルさんはこちら、お好きでしょうか……?」
「ああ、コーヒーもね」
おずおずと上目遣いのアイリにうなずく。
基本的にハルに嫌いなものは無い。逆に言うと、好んで食べるものも無かったりするのだが、サンドイッチは好きな方だ。
やはり手軽に食べられるという部分が性に合っているのか、適当な所の多いハルらしいと言えた。
……それともゲーマーらしく、ゲームをしながら食べられる料理であるところのサンドイッチには何か感じるものがあるのだろうか。
──いや、いつの時代だよそれは。
なお、片手どころか両手がふさがっていても問題なくゲームが出来るハルではあるが、食事中は流石に控えている。例の黒いカードも珍しくお休みだ。
「いただきます」
「いただきます!」
ふたり、食事を始める。
さて、サンドイッチといっても、リアルで一般的に売り出されている耳を落とした薄い三角のものではなかった。
食パンでなく、丸型のブレッドに切り込みを入れて具を挟んだ、わりと豪快なもの。
しかし口のちいさなアイリに合わせてか、パンそのものが小さめに柔らかく焼き上げられた専用のものだ。丁寧な仕事に関心するしかない。
ハルはその中から、まずはトマトの鮮やかな赤が目を引くものを選んで口に運ぶ。
「どきどき」
「口に出して言ったよこの子」
かじりつく。
口の中にトマトの果汁が広がり、酸味がほどけてパンに塗られたマヨネーズと混ざり合う。
非常に、相性が良かった。
ジューシー、とはよく言ったものだ。肉汁と例えても遜色の無いそれは、トッピングされているお肉様であるところのハムより主役をしていると言えよう。いや、ハムの淡白さがこれを更に引き立てているのだろうか。
上品に汁切りされているのが惜しく感じられる。
一通り舌を楽しませると、パンに染み込んで調和を演出しクドさを残さない。臭みの無いキュウリのような野菜は何であろうか、食感の良いそれが後味をすっきりさせていた。
「おいしい……」
「やりました!」
「ああ、とってもおいしいよ。トマトとすごく合うんだね」
「はい、わたくしも大好きなのです!」
流石はアイリのおすすめだった。あっという間に一つを食べ終わってしまう。
続けざまに次のものに手を伸ばしたいところだが、自制してコーヒーに手を伸ばすハル。いくら軽いものとはいえ王女様の食卓だ。がっついてしまうのはよろしくない。
「これも酸味がパンに合うね。苦味の強いのが好きだけど、今回ばかりはこれもいい」
「ハルさんはコーヒーがお好きなんでしょうか」
「いや、そうでもないかな。どちらかと言えばって程度だよ」
「わたくしも普段はそんなに飲まないのです」
見れば意外にもアイリもブラックでコーヒーを飲むようだ。
ミルクや砂糖をふんだんに入れれば飲みやすいのでは、とは思うが、そこまでして普段から飲むものでもないかと思い直し口に出すことはないハル。
かわいらしい顔でブラックを頂く彼女も、なかなか様になっている。
「トマトのものはチーズもおいしいのですよ!」
「チーズ、だと……」
これ以上いったいどうなってしまうというのか。
ハルは白く柔らかそうなチーズとトマトの織り成す紅白に、身を硬くし衝撃に備えた。
◇
食べる。そして食べる。
どれもこれもおいしかった。結局がっついてしまうハル。
マナーもなにもない食べ方になってしまっていたであろうが、アイリは終始にこにこ顔だった。食べているのを見るのが楽しいのだろうか。
──まあ、僕もアイリの食べてる所を見るのは楽しいし、そういうものか。
しかしメイドさんは顔をしかめているのではないか、と視界の端で盗み見てみるが、彼女たちの顔も心なしか誇らしげだった。
山盛りあったバスケットを完食してしまったからであろうか。おいしいのだから仕方ない。直接お礼を言いたいハルであった。
「ごちそうさま。とてもおいしかったよ」
「ごちそうさまでした! ハルさんはたくさん食べるんですね! もしかして今までは足りませんでしたか……?」
「いや、おいしかったから、ついね。僕らは食べなくても活動出来るのに、お恥ずかしい」
実際は、食べなくても活動出来るのはハルくらいだ。他のプレイヤーは現実へ帰り、空腹を満たす必要がある。
完全に調整された栄養素が、ナノマシンと共にポッドの溶液に満ちている。それが必要に応じてハルの体に運ばれてきていた。
そうでなくとも普段からあまり食事に気を使わないハルだ。自炊をしないわけではないが、食べられればそれで良しとしてしまう。基本的に一人だ。
だからであろうか。彼女との食事がこれほど美味に感じたのは。
肉体が、もしかしたら心も、こうしてきちんと食事をとる事に飢えていたのかも知れない。最初は比較的硬い食事の場だったからか、あまり味わう余裕が無かったが、こうして気楽に味に集中できるとその事実を実感する。
無いはずの胃が満たされる錯覚があった。心が満たされたからだろうか。
そのくらい食べた。
「いや、でも次から量を増やしたりしなくていいからね? ここは買い物も大変だろうし」
「お気になさらずに。そのために揃えている食材ですから」
食材はどれも新鮮だった。何か保存する魔法があるのだろうか。それとも家庭菜園のようなものがあるのか。
とはいえ、ここはいわば陸の孤島。やはり大量の食材を用意するのは大変だろう。船で隣の街までメイドさんが行ってくるのだと思われる。
メイドさんは万能だ。川もさかのぼる。
「でもそうですね、皆わたくしのために良くしてくれます」
アイリが食後のお茶を運んできたひとりに向けてにっこりと微笑むと、彼女はかしこまって頭を下げる。
主従の垣根を越えて、というほどではないのだろうが、心からお互いを想っているのだろう。それが伝わってくる。
最初のメイドの事があり心配していたが、この様子なら心配の必要はなかったのだろう。
「素敵なことだ」
「はい、とっても」
ハルはアイリと共にお茶に口をつけそれを楽しむ。
ちなみにコーヒーはもう出ないようだった。
──ちょっと名残惜しい。
◇
食後のお茶も飲み終わり、おかわりを用意しようとするメイドさんを制止する。
ハルはいくらでも飲めるが、付き合って飲もうとするアイリのおなかがたぷたぷしてしまうのが心配だ。
そのような念が届いたわけではないだろうが、アイリはお手洗いに席を外した。
手持ちぶさたになったハルは空になったカップをもてあそぶ。見事な品だ。きっと高い。
──そういえば試してない事があったっけ。
プレイヤー用の倉庫機能だ。
プレイヤーは回復薬のようなゲーム用アイテムは、いくらでも持つ事が出来る。どれだけ持っているか数字で表され、必要な分だけ取り出せる。
だがこの世界の物質は別だった。どう区別されているかは分からないが、街の店で売っている商品などがそれにあたるだろう。
これは無限に持つ事はできず、容量にして登山用の中くらいのバックパックくらいが限界のようだ。
──転移貿易で経済が混乱しないようにフェイルセーフかな。
ミニゲームとスキルアップに夢中で、これはまだ試していなかったハル。
試しに今持っているカップをウィンドウの中に収納しようとしてみる。しかし、こつんと音の無い軽い衝撃によってカップははじかれた。
《収納できません:所有権が設定されています》
──他人の所有物だからか。万引きは犯罪だね。
「ハルさん、カップがどうかされました?」
「このカップをしまえるか試してたんだ」
「しまえる」
上手く伝わっていない。それはそうか。そういった魔法は無いのであろうか。
「僕らは専用の空間に物を、ああ、ちょうどさっきの剣みたいにしまえるんだけど。このカップはアイリの持ち物だから出来ないみたいだね」
「まあ! そうなのですね。ハルさんならこの家のものなら何でも自由にして良いのですよ」
「……しまえるようになった。アイリ、気軽にそういうことは言っちゃだめだよ?」
「ひゃいっ!?」
収納できてしまったカップを取り出し、ソーサーに戻す。
次いで、うかつなアイリの頭に手を乗せてわしゃわしゃする。驚いていたがすぐ楽しそうにしている。
許可はずいぶん気軽に出せるようだ。
言葉巧みなユーザーに悪用されないか少し心配なる。
「心配だからもう少し確認しようか。アイリ、よかったらアイリの部屋に入ってもいい?」
「もちろんです!」
もう少し迷うフリくらいした方がいい。ハルは更にちょっと心配になった。
*
「こちらになります!」
「落ち着いた部屋だね」
「まあ、なんと言いますか、お部屋はしっかりしてなくてはならないので」
「アイリはしっかりしてるよ」
それは事実だ。かなりしっかりしている。使い分けが巧みなだけだ。
さて、いろいろ目を引くものはあるが、不躾な視線を向けるために来たのではない。確認をしておかなければ。
「申し訳ないけど、国の運営に関わる貴重品を少し貸して欲しい」
「先ほどの確認ですね。少々お待ちください」
言葉をにごしても結果は変わらない、ハルはストレートに聞く。
断って当然の事であるが、すんなり通ってしまう。この信頼は絶対に裏切らないようにしなければならない。また自身が誰かに利用される事があってはならないと緊張するハル。
そんなハルの気を知らずアイリは印鑑のような物を持ってきた。
「これはですね」
「アイリ、重要な事は話さなくていいからねー」
「わぷっ、えへへへ」
わしゃわしゃする。
もしや、わざとやっているのではなかろうか。気に入ったのだろうか。
──カナリーには悪いが盗られたのがあっちで良かった。多分、盗りやすいように置いて誘導したんだとは思うけど。
そして渡された物はすんなり収納出来てしまった。
「これはいかん」
「いかんのですか?」
「いかんの」
すぐに取り出して続けるハル。
「これは貸せないって宣言してみてくれる?」
「これは貸せません!」
問題なくしまえてしまった。
「…………」
「貸してもいいって心の中では思ってしまったのかも知れませんね!」
「思っちゃだめでしょ」
わしゃわしゃはしない。どうせ期待されているのである。
意思確認が必要となると、わりと強固ということになるのか。しかし、するとなれば確認は何でしたらいいのだろうか。
アイリが渡したくないと心から思えるもの。先ほどのものが通った時点でそんなものがあるのか。そう悩むハルの目にあるものが映る。
──いや、しかし、それは流石に。なんというか僕の方が、流石に。
「そこはわたくしのお洋服が入っていますね」
「うん、流石にそれはね」
「わたくしの下着も入っています!」
「アイリの、下着……」
「ご確認、なさいますか!」
「ぐっ、ご、……ご確認なさらない!」
「そうですかー」
なんだろうかこの勢いは。
ハルは確認を諦めてアイリをわしゃわしゃした。とても喜んだ。




