第1297話 夢の生まれる坩堝
ハルたちが泡の群れを見守っていると、次第にその中から消えていく物が次々と現れてきた。
きっとこれらは、泡の中の彼らは、ゲーム世界に無事ログインしそちらへと移っていったのだろう。
「ゲームっていったい何処でやってるんだろうねぇー?」
「さてね。どこか別の場所に転移されてるのかも知れないし、この世界は多重構造なのかも知れない」
「きっと位相がズレてやがるです。奴らは今も、見えないだけでこの位置に存在してるに違いねーです!」
「確かにそちらの方が自然ですねおねーちゃん」
「それは何でなの?」
「時間でログアウトしやがるからです。その時間制限を計っているのは、ゲームシステムではなくこの空間にちげーねーです」
「なるほどー」
つまり、泡は見えなくなっただけで、今も周囲を同じように浮上して行っている。そう白銀は推測していた。
そして、泡が浮上しきったその時、彼らは目覚めて強制的にゲームから排出される。
「つまりは、優先順位はゲームシステムよりもこの泡、というかこの虚空の世界にある訳だ」
ハルは『上』であろう方向を見上げつつ、そう口にする。
恐らくは、この泡が『上』方向に昇りきると、そこで意識は覚醒をむかえ、現実の肉体へと戻るのだろう。
「このままこいつらを追っかけるです? こいつらの目が覚める瞬間が見れるかも知んねーです!」
「おねーちゃん、マスターの時間を無駄にしてはいけません。元々、上にある泡を探してそれを監視しましょう」
「それがいーです! 流石は空木です!」
「ヨイヤミちゃん、それっぽい泡の位置とか分かるかい?」
「はーい。もっちろん! よーしっ、ついてきて~~」
ハルたちは再びヨイヤミを追って、空間の明るくなっていく上部へと向かう。
その途中でもヨイヤミは、各方向に上昇途中の泡が存在していることを教えてくれた。
「なんだか、『目』が冴えてる感じがする。現実で能力を使う時よりも、遠くの場所まで見通せる。まあ、距離感覚がリアルのそれとは違うのかも知んないけどさ……」
「力が強まってるです?」
「となると、その超能力はこの世界が由来、ということなのでしょうか?」
「空木の言う可能性はあるんじゃないかと僕も思う。もっとも、今は情報不足すぎて何の証明も出来ないんだけどさ」
この空間が原初ネットと何らかの関係がある、もしくは原初ネットそのものだったと仮定すると、ますます信憑性が上がるというものだ。
なぜならアメジストもまた、人々の超能力を目覚めさせることが目的。そしてまだ全容の見えぬ彼女の計画にも、それが使われていた可能性が高いのだから。
「よっし! お兄さん、ちびちゃんたち! たぶんこれが一番上だよ!」
「確かに、明かりぃです!」
「これより上は、存在しないのでしょうか?」
「わかんない! でも、人間の気配はここから先には見当たらないと思うから」
徐々に明るさを増していく空間を飛んで、ハルたちは最も高度の高い『泡』へとたどり着いた。
この高さになると、周囲に他の泡の存在はほぼ見られない。ヨイヤミが探知した泡は、どれも単独で浮遊しているらしかった。
恐らくは、他の物はここに来る過程でゲームへのログインを成功させて消えていき、残ったのはごく少数のみ、という理由からだろう。
「こいつは夢の中でついに扉を見つけられなかったです? どんくせー奴なのです!」
「おねーちゃん。そんなことを言ってはいけません」
「確かにです! 日本人を批判すると、アメジストになっちまうです!」
「どんな教訓だ……」
「いーよいーよ、私たちなんてそもそもロクなもんじゃないしぃ。でもルナお姉さんの前では気を付けようねー」
「ルナはお口の悪さには厳しいからね」
ハルたちが馬鹿な事を言っていると、目の前の泡は次第に存在感を希薄にしてついには完全に消えてしまった。
ログインの際の消え方とは違い、サラサラと砂粒に分解されるように泡の天井から崩壊してゆく。泡だからといって、パチンと割れるような素直さは持ち合わせていないようだ。
「何でログインしなかったかはさておき、中の人はこれで目を覚ましたと考えられる」
「不思議なのー」
「何がです? ヨイヤミおねーちゃん。当たり前に見えるですが」
「いやだってさ、ここで目覚めたってことは、逆に今までは目を覚まさなかったってことでしょ? 普通何度か目を覚ますじゃん、どーなってんのって?」
「レム睡眠と、ノンレム睡眠の切り替わりですね」
「ああ、それは僕らも以前推測したことがあるけど、ゲームもしくはこの泡の効果だろうという仮説が立っている。今見た限りだと、泡の持つ力のようだね」
「ほえー」
つまりは、ミントの仕込んだ仕掛けだろう。『泡』に囚われている間は、自然に起床するまでに断続的に目を覚ますことは起こらなくなる。
人間は肉体の、脳の仕様として、夢を見る時間というものは決まっている。ハルには無い仕様だが。
眠っている間はずっと夢を見ている訳ではなく、見る時間、見ない時間が、交互に切り替わって存在しているのだ。
その仕様を無視して、睡眠中はずっと夢を見せ続けるのがミントの作り出した能力。
健康被害が不安だが、ミントのことだ、それをケアする為の機能もセットで搭載しているに違いない。今のところ、弊害が出たという話は聞かない。
「そんでどーするお兄さん? 消えるのは見届けた訳だけど」
「白銀たちも、このまま上に行って消えるです?」
「そもそも泡に包まれていない空木たちは、この先に行っても起床に繋がるのでしょうか?」
「いや、上に行くのは止めておこう。何が起こるか不明瞭なこともあるし、なにより、僕らはまだ何の手掛かりも得られていない」
「そだね! 泡が消えましたってのを確認しただけだ」
故にまだまだ、この空間を後にする訳にはいかない。
どうせなら、何か決定的な情報に繋がる糸口を見つけておきたいハルであった。
*
「じゃあ今度は、『下』に行ってみよー!」
「そうなりますね。そちらも是非確認してみるべきです」
「行ってみるです!」
まだまだ元気に遠足を続ける少女たちに遅れないように、ハルも続いて来た道を落ちるように飛翔する。
これでは引率の先生の立場も形無しだが、まあそもそも子供と先生の関係などこんなものだろう。いつだって元気なのは子供の方だ。
「マスター! 遅れちゃダメですよ!」
「……白銀たちこそ、周囲の観察を怠っちゃだめだよ? 遊びに来てるんじゃないんだからね」
「しまったです! つい下が気になって!」
「まあ、気持ちは分かるけどね」
ハルとて、この世界の『底』がどうなっているのかについては興味は尽きない。
下方向へ進むにつれ、どんどん暗く塗りつぶされて行く周囲だが、不思議と見通しは悪くならない。
既に闇夜の暗さとなってきているが、周囲を浮遊するヨイヤミたちの姿は変わらずハッキリと確認できた。これは、ハルの視力とは関係ないものだ。
そうして逸る気持ちを抑えつつ、慎重に下へ下へとハルたちは進む。
途中、上へと向かって行く泡たちとすれ違い、何度か彼らを見送った。その頻度は、進むほど増えて数も進むほど複数となる。
「やはり泡の奴らは、下から湧いて来やがるです!」
「しかし、どこが一番下なのでしょうか?」
「それは分からないけどね、泡が湧いてくるラインはなんとなく分かるよ? ほら、もうすぐ」
何かを察したヨイヤミが、指でその地平を示す。とはいっても、対象物がまったく存在しないのでどのラインを指しているのかハルたちには確認しようがないのだが。
しかし、ヨイヤミがどうやってそのラインを特定したのかは分かる。
泡が生まれる瞬間を、その彼女の能力によって知覚しているのであろう。
「確かに、この辺には特にいっぱいありやがりますね!」
「あっ、おねーちゃん、見てください。あそこで新しい泡が生まれましたよ?」
「ううぅ、なーんか周りに人がいっぱい居るみたいでソワソワするぅ……」
「確かにね。この辺はかなり混んでるようだ」
大して時を置かぬ間に、ハルたちの周囲には次々と夢の泡が発生し、まるで人混みの中に放り出されたかのような様相を呈してきた。
人込みなど、たまの人気商店街への買い物でしか経験のないヨイヤミにとっては、この過密状況は落ち着かぬようだ。
次々と発生する泡を逃れるように場所を移すも、そこもすぐに新たな泡によって取り囲まれる。
まるで、ハルたちの位置を泡の方が認識して追って来ているようだった。
「こいつら、白銀たちを狙ってきてるです! 敵です! 敵ですか!?」
「落ち着け白銀。中の人からは、こっちの事は見えていないよ」
「しかしマスター? 彼らは空木たちの何かに反応して、発生位置を決定しているとしか思えません」
「それも確かだろう。思うに、僕らは雨粒の核になる、塵のような役目をしているんじゃあないかな」
「えー、なにその例えー。もっと可愛いのがいいなぁ~」
「なに可愛い例えって……」
「なら白銀たちは、遊園地の着ぐるみなのです! そこにガキ共が、わらわらと寄ってきているです!」
「おねーちゃん。彼らは恐らく一定年齢以上の、いい大人と呼ぶべき人物が大半ですよ?」
「じゃあアレです!」
「うん! 大きなお友達、ってやつだ!」
「いやだなぁ……」
……ちなみに、空木が泡の内部を見ずに年齢を特定したのにも理由がある。ゲームにログインするプレイヤーの年齢は、年齢層が高めの傾向があるからだ。
別に、対象年齢を指定して販売、配信している訳でもないというのに、何故か自然とそうなっている。
これは、泡の時点でなんらかの『選別』が行われている可能性が高かった。
ただ、今はそれよりも考えるべき事がある。何故、ハルたちの位置を狙うかのように新たな泡が発生しているのかだ。
なにも、白銀の言うようにこちらを狙って、攻撃するような意思を持っているとは思えない。
ならば、それは何か、システムとして定められた仕様であり、何らかの手がかりとなる可能性をその中に秘めていた。
「……泡は今までも必ず、集団を形成して存在していた。それは、この発生の仕方が理由か」
「んー、かもねぇ。つまりこの下の存在が、何かこっちの状態を認識していて、既に何かが存在する位置に優先して泡を放出してる、かなぁ?」
「ん? ヨイヤミちゃん、『この下の存在』って、泡の発生位置より下に何かあるの?」
「真っ暗で、何も見えねーです」
「泡の原料、のような物があるのでしょうか?」
「うーん……、わかんない、というか上手く言えない……」
ヨイヤミは何となく気持ち悪そうにしばらく口を噤んだ後、イメージを苦心して言語化するように、ぽつぽつと口を開いた。
「なんて言ーのかな? 個人の特定できなくなった人の群れ? バーゲンに群がる主婦?」
「いつの時代の例えだ……」
「アニメで見た! いやね? そんくらいいっぱい人が居るの。でも、どのくらい居るのか、それが誰なのか、遠目からじゃ分からない感じ。こんなの初めてだよー」
「ふむ……?」
ヨイヤミの能力は、的中率100%といっていい精度で離れた個人を特定する。その彼女が、『分からない』と言い出すのはよっぽどのことだ。
これは、以前少しだけ話に出た、集合的無意識だとか、そんな状態となった人々の意識の群れが、坩堝のようにこの『下』には渦巻いている。そういう、ことなのだろうか?




