第1296話 泡はどこから来て何処へ行く?
「……それで、なんで居るの?」
「うん、なんかね! 『むーんっ!』って念じたら来れちゃった!」
「神の組んだシステムに対して……、このイレギュラーめ……」
気合でなんとかしてしまうとは、規格外にも程がある。
エメも災難なことだ。今ごろ、自分のミスでヨイヤミを巻き込んでしまったかと大慌てしているかも知れない。
しかし、どういう理屈なのだろうか。この世界、エーテルネット上には存在が確認されず、ハルやヨイヤミがその万能の力を振るう条件は満たしていない。
だというのに、今回はヨイヤミの意思で、一部とはいえ世界を自由にできている。これはいったい、どういうことか。
「……もしくは、ヨイヤミちゃんの超能力は、この世界由来である、ってこと?」
「分かんねーですね。この空間は、謎の神が作りやがった世界じゃないんです? ヨイヤミおねーちゃんの力はそれ以前からあるです」
「そうだよー白銀ちゃん! おねーちゃんは、すごいんだから!」
「もしくは逆説的に、ヨイヤミさんの力が目覚めた時点から、この計画は進行していた、ということでしょうか?」
「まだそれは分からないよ空木。これだけの情報じゃね。ただ、何となく言えるのは、この空間は最初からあったと考える方が自然ではある、ってことだ」
「それはどういった理由からですか、マスター?」
「新しい世界を作るのは、それだけ大変ってことさ」
ハルたちの放り出された空間は前後左右上下、どの方向を見ても果てがない。これだけ広大な空間を新たに創造するというのは、神にとっても労力とリソースを消費しすぎる一大事業。
いや、現状では、異世界に居る全ての神の力を集結しても、これだけの世界を作る技術はないだろう。
「なにせガザニアが、個室程度の空間を創造するのにもあれだけ苦労してるんだからね」
「んん? んん-? いやハルお兄さん。ゲームなんだからさ、何もないエリアを設定する程度、なにも難しくないでしょ?」
「それは、エーテルネットや魔力サーバーといった、ベースとなる力の存在があってこそだね。無からマップを作るとなると、それら基幹システムを含めて設計するに等しい」
「じゃーアレは? アメジストちゃんの、狭い空間を広く見せる魔法。あれがあるじゃん」
「そうだね。それも警戒しなくちゃいけない。ちなみにあれは、厳密には魔法じゃないよ」
ただ、今のところ、空間伸張による錯覚が引き起こされている気配はない。
これは勘になってしまうが、恐らくこの世界は見かけ通りの広大な容量を有した空間だ。まるで、宇宙をもう一つ作り出したように。
それは謎の神が創造したというよりは、始めからそこにあり、そのスペースを利用して、あの広すぎるマップのゲームを作り上げたのだと考えるのが自然であった。
「次元の狭間に近い世界だ、とマスターは考えているのですね。製作者が、その空間を利用して『神界』を作り上げたように」
「まさしく」
そう、こうした世界の存在を確認するのはなにもこれが初めてではない。
地球と異世界の間に横たわる形で存在する隔たりの空間、通称『次元の狭間』。この空間から受ける印象は、あの世界にそっくりなものだった。
「むむむむ! まどろっこしーです! いつもの白銀なら、自慢のセンサーでぱぱー! っと解析して解決してやるですのに……」
「ここじゃ使えないの白銀ちゃん?」
「ダメです。パラメータ設定はねーですが、この体は既にゲーム内と同じものが適用されているです。神の能力は、使えねーです」
「その程度で泣きごとを言ってはいけませんよおねーちゃん。逆に言えば、ゲームシステムによる制限もないのです。センサー程度、空木たちで新たに作り出してしまえばいいんです」
「おお! その手があったです! 流石は空木、出来た妹なのです!」
「元々必要な道具は、全て手作業で作り上げていましたからね」
「サバイバルです! ディー、アイ、ワイ、です!」
「エメが放置するから……」
見かけによらず、たくましい生存能力を備えている空木であった。
それもこれも、エメが百年単位で放置して単独で『エーテルの塔』の管理を任せていたのが悪い。
……いや、エメとしては、自分が去っても空木単独で塔の保守管理にまつわる作業を自己完結しこなせるシステムを組み上げただけのつもりなのだが。
「ねーねー。白銀ちゃん空木ちゃん」
「なんです? 悪いけど今、手が離せねーですよヨイヤミおねーちゃん。だが待ってろです。すぐに白銀たちが、道を切り開いてやるですからね!」
「いやそーじゃなくてね?」
「ヨイヤミちゃん? どうかしたの? 何か気になる事があったかな」
「うん。そのさ、この世界の案内役だけどね。たぶん、私がこなせるよ?」
*
突如、とんでもないことを言い始めるヨイヤミ。彼女は同時に、この何もない空間をフラフラと、どこかを目指して飛翔しはじめる。
その足取りには迷いがなく、ハルたちも慌ててその後を追うことになるのだった。
「ヨイヤミおねーちゃん! 勝手にどっか行ったらあぶねーですよ! この道しるべのない空間で、迷子になったら二度と再会できねーです!」
「まあ、逆に遮蔽物もないので、多少離れた程度ではどうということもありませんが」
「油断しちゃならねーです空木! 白銀たちはいま、たいして目が良くねーんですから!」
勝手に隊列を離れようとしたヨイヤミを、小さな二人が厳しく注意する。
ヨイヤミはそんな可愛らしいお叱りを特に意にも介さず、あっけらかんとした顔で首をかしげていた。
「だいじょーぶだよぉ二人ともー。しんぱいしょーだなぁ」
「ですから油断は……! 油断は……、しても、大丈夫な根拠でもあるです……?」
「うんへーき。私、ハルさんの位置とか何時でも分かるもん」
「……その力、この世界でも健在なんだ」
「そうだね。なんでだろ?」
その辺の詳しい理屈はハルにも分からないが、やはり、最初の推測の通りこの世界はヨイヤミの能力と親和性の高い世界のようだ。
あるいは、彼女の超能力はこの空間由来であるのかも知れないが、その考察の答えは今は出るまい。
今は、この図らずも降ってわいた有利な状況を、どう生かしていくかを考えるべきだろう。
「ヨイヤミちゃん。その力、僕以外の人間にも有効?」
「もっちろん! 近くの人の気配だって、ばっちり分かるんだから!」
「……よし。じゃあ、一番近い人の気配の場所まで飛んでみようか。ああ、その前に」
「なになに? すぐ行くんじゃないの?」
「その前に安全確保だ。ヨイヤミちゃん、僕の精神への侵入を許す。命綱代わりに、リンクを繋いでおいで」
「お、おおお……、ハルお兄さんへの侵入許可……」
「よかったですねヨイヤミおねーちゃん。白銀たちと、お揃いです!」
「これでどんな時も、マスターが守ってくれます。もう安心ですよ」
「……あまり信用されすぎてもね」
もともと、白銀たちとは頻繁にリンクを形成し、その身に取り込むようにして互いに力を共有していたハルだ。今更一人増えてもどうということはないだろう。
「さっすがハルお兄さん。引率の先生みたい!」
「その通りです! 今後もずっと、幼女を導く救世主です!」
「なにさりげなくずっと世話になる気でいるの。白銀はそろそろ独り立ちしなさい」
「えー! まだ白銀は生まれたばかりです! 乳幼児です!」
「おねーちゃん。それだと空木が、マスターの庇護を受けられません」
「へーきです! 空木も、神としてはまだまだ乳幼児です!」
「なるほど……」
「……空木もさりげなく便乗しないの」
「でも何だかんだ強く言えないハルお兄さんなのでした」
……まあ、否定はできない。百年選手の自分たちに比べ、まだまだ右も左も分からない不安な状態だろうと、どうしても思ってしまう部分がある。
ただそれでも存在としては他の神と遜色ない力を持つので、甘やかしすぎもどうかと思う部分があるのも確かなのだが。
「……もし本当に、黒幕が君たちのような新しい神だったら、その人はどんな気持ちで事件を起こしたんだろうね?」
「んー、それって、独りぼっちで寂しかったから、とかそーゆーことかな?」
「同情で油断してはいけませんマスター。お分かりかとは存じますが、空木たちだって立派に世界を害せる力を持っています。手心は、被害を招きます」
「うん。それも分かってはいるけどね」
「でもマスターは、空木と重ねて心配してくれたです! よかったですね空木!」
「……はい」
「なーんか青春の一ページって感じ! ドラマだぁ~~」
そんな風に少女たちに騒がしくからかわれつつも、こちらを振り返りつつも迷いなく一直線に飛ぶヨイヤミを追いハルたちは進む。
時おりヨイヤミが方向を微調整する様子から、その目標地点は“上方向へ移動している”ポイントだと理解できる。
そうして見えてきたのは予想の通り。いつかハルも発見した、『人の夢が内包された泡』、その集合した場所だった。
泡たちはゆっくりと、上方へと向かって浮上する。
そしてこの空間は上に行くほど、光というか、空間そのものの明るさが増していく傾向があるのであった。実際、最初の地点よりも周囲は視界が通りやすい。
「泡だ。あわあわ~。確か、この中にプレイヤーの夢が詰まってるんだよね、お兄さん?」
「うん。なんだか夢のある表現だけど、実際なんというか物理的に夢が詰め込まれているね。おっと、うかつに触らないように」
「わ、危ない」
この泡に手を触れると、その中の人の見ている夢の回廊にご招待されることとなる。
そして、中の彼らが回廊の出口を見つければ、その者と共にハルたちもゲーム内へとログインできるという流れになるのだ。
前回はそうして、ハルは事故で訪れたこの空間を脱出することが出来たのである。
だが、今回また同じことをしても仕方がない。
自分の意志であえてこの世界を訪れた以上、脱出する前に、何か新たに有益な情報を掴んでおかねばならないのだった。
「どうしましょうマスター。触れずに、情報を取る手段を模索した方がよろしいですか?」
「難しく考える必要はねーです空木! 単にこのまま、観察してりゃいーのです!」
「おねーちゃんはまた、そんな適当な……」
「いや、実際いい案だろう。この泡が何処へ行くのか、それを確かめておきたい」
「確かに気になるよねぇ。こいつら、このまま上の明るい方に行ったらどーなるんだろ?」
「ゲームに行くんじゃねーです?」
「それは違いますおねーちゃん。ログインは、夢の中で扉を見つけた時です。時間制じゃありません」
「じゃあ起きるです!」
「そうかも知れません」
何にせよ、泡の外に居るハルたちでは自分で確かめようがない。そして、泡の中に入ってしまえば、今度は外の様子は一切分からなくなる。
つまりはこのまま外から観察しつつ、内部の情報を推し量るしかない訳だが、今のところ、泡はふわふわと漂いつつも、徐々に上へと浮かんでいくだけだった。
「うーん、暇だなぁ。見ているだけってのも。よしっ!」
「待て待て。やめておこうかヨイヤミちゃん……」
「まだ何も言ってない!」
「どうせ、泡の中の人に精神ハッキングを仕掛けようとしてたんでしょ」
「わーお。大当たり。もしかして心読まれた? 逆侵攻?」
読まなくても分かるだろう、それくらい。彼女には前科が多すぎた。
「でも中の様子が分からなかったら、何の変化も観察できないよ。時間の無駄だってばぁ」
「そんなことはない。いずれ変化は起こる、確実にね」
「いつか泡は消えやがるです!」
そう、これは日本人の見ている夢。それをパッケージングした存在。
つまりは夢が消えれば、否応なしに変化は起こるのだ。
そしてそんなハルたちの予想を裏付けるように、周囲を漂う泡の一つが、まるで空間に溶け込むように薄くなり、じきに消えて行ったのだった。
「わお! ほんとに消えちゃった! すごいすごい! ……これって、中の人起きたのかな?」
「かも知れない。だけど、ログインしたのかも知れない。もう少しみてみよう」
そうしてハルたちがしばらく観察していると、泡の群れの中から次々と空間に溶け込む物が出始める。
やはり、これがログインを伴う現象であり、彼らはあのゲームフィールドへと飛ばされたのだと推測できた。
眠った人間たちが、皆一様にこんな短時間で次々と起床したと考えるよりは実情に近い。
しかし、それはそれで気になることがある。彼らは、いったい何処へと飛ばされているのだろうか?
見渡せど目を凝らせど、どこにもあの広大なゲーム世界は見当たらない。この空間は、いったいどのような構造をしているのだろうか?
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




