第1291話 顔のない犯人
「なるほど、これが件の龍脈資料。しかし、完全ではありませんわね」
「そうなの?」
「ええ。あなた様らしくありませんわ」
「そう言われてもね。僕自身は、何らかのデータを規則的に整列したものとしか分からないんだ」
しかも、半分はエメの受け売りである。言うなれば、整頓され何らかの文書が記された書類の束が見つかったが、その内容は未知の言語で記され解読できない、といったところか。
その点アメジストは一歩進んでおり、その文書の一部が言語として成立していないという事まで理解しているようだった。
「これは、あなた様お一人で?」
「ああ。このデータはそうだね。本当は、もう一人の人間が協力してくれているんだけど、彼女は僕のようにデータとして現世に内容を持ち込めないから」
「仕方ありません。ただの人間ではその程度でしょう」
「相変わらず言い方がきついね」
「事実ですもの。しかし、興味はあります。その人間、残ったデータだけでも抽出してみたいのですが。このデータを浴びて、『どう感じたか』が気になります」
ハルも、場合によってはそうすべきかと思っていたところだ。そもそもの話、イシスがなぜ自然に記憶を引き継げるようになったのかも調べねばならない。
ただその為には、神様たちの協力が得られる環境であることが望ましい。つまりは、天空城に正式に招くことになる。
「まあ今さらか。よし、じゃあ今度イシスさんを天空城に招待するので、その時はお前も来るように」
「お断りしますわ?」
「ちっ。ダメか」
「あなた様が絶対にその場に現れない、と誓約いただけるなら、少しは考えなくもないですが」
「するする。誓約する。ただ僕は人間だから、君らのように約束は守らないけどね」
「……ならそこは正直にせずに嘘をつきとおして下さいまし」
まあ、ハルとしても、約束を裏切ってまでの騙しうちはしたくはない。このアメジストだって、数少ない仲間であり同類、家族のようなものだ。
それはそれとして互いに裏をかき、相手に先んじようと出し抜き合ってはいるのだが。
「仕方がありません。そこはハル様にお任せします。あなた様としても、わたくしがその方を直接調べない方が安心な部分もおありでしょう」
「まあね。君がイシスさんから得た情報、僕らに理解できず、君にしか利にならない可能性もなくはない」
「……しかし、やはり欠損が気になりますね、このデータ。なんとかこれを埋める手段はないのですか?」
「さてね。そもそも、僕らは欠損にすら気付けてなかった。どうすればそこが埋まるかも、同様に分からないよ」
「……むむ。最強のセキュリティですね。ご本人すら理解できぬというのは。これを狙ってやっていたなら、大したものですよ」
「悔しそうだね」
要するに、アメジストにとってもこのデータ、何か有用な情報が見えそうで見えない、とても歯がゆい状態の物だということだ。
偶然にも、ハルが完全なデータを用意できなかったことで、彼女に致命的な情報が渡る事態も防げたことになる。
もちろん狙ってやった訳ではなく完全に偶然だが、この偶然は今回はハルに味方する形で作用したようだ。幸運に感謝。
「……いや、<幸運>すら我が物にして扱う君らの前では、素直に喜べないか」
「?? ああ、カナリーですね? あの子も相当なやり手ですよねぇ。わたくし、実はあの子のことを尊敬しています。天才ではないかと」
「そんなに?」
「ええ。『幸運データベース』、でしたっけ? あれってつまり、こうした解析に難儀する膨大なデータに指向性を与え、自由自在に操っているということなのですから。この、わたくしよりずっと先にです」
「まあ、そう聞くと確かに。原初ネット関連のデータと似ているね。あの子は意識してないだろうけど」
「だから天才なのですわ?」
人々が無意識に『こういった出来事が幸運だろう』と感じる雑多な思念をかき集めて、それに沿って事象を改変させるカナリーの<幸運>。
それは、アメジストですら到達出来ぬ魔法の極地。
だというのに、それをあっさり捨て去って人間に(正確に言えば現行人類ではないのだが)なってしまったカナリーに、言いたいことがある神様は意外と多いのかも知れなかった。
「さて、そんなカナリーも居ない以上、あなた様の感じた幸運は偶然の類でしょう。今回は、単にわたくしが賭けに負けたようです」
「……ということは、そのデータから何かわかった?」
「はい」
虫食いだらけのデータであり、アメジストに利益をもたらすには至らなかったようだが、何の収穫もなく終わる訳ではないらしい。
一応、彼女はこの欠損データから、何か新たな事実を感じ取ったようだ。
そして、その口ぶりから、それはハルにとっても有益な情報となるように思えた。
「エメの推測したとおり、このデータは人々が無意識下に発生させるノイズのようなデータの集合に間違いないでしょう。ただ、見る者が見れば、つまりこのわたくしが見れば、そのおかしさに気付いてしまうのです」
「ほう。そうなのか。偉いぞアメジスト。流石だアメジスト」
「ふふふん♪ もっと褒めてくださいまし」
「うんうんすごいすごい。凄いからさっさと結論を言え。あと本体を僕の前に晒せ」
「あーん、ハル様に雑に扱われるのもまたいいものですねぇ」
「無敵か」
ひと通りふざけると、こほん、と一つ咳払いし、アメジストはその結論をハルへと告げる。
その表情は、一切のおふざけを消し去り、見たことのないような真剣そのものの顔だった。
「……ここで、気になるのがこのデータの出どころです。わたくしであろうとカナリーであろうとアイリスであろうと、人の無意識データというものは必ずエーテルネットから抽出します」
「うん。当然だよね。ネットに漏れ出た『残留思念』を拾い集めるのが、その肝なんだから」
「ですが、このデータは逆なのです。このデータはエーテルネットの中からではなく、その外から、齎されたデータなのですから」
◇
どこからか取り出した紙のファイルを、ぱしぱし、とアメジストは片手で叩く。良い音がした。なかなか様になっている。
重要な論文を解説してくれる小さな女教師さんであるが、残念ながら生徒であるハルはこの分野に長けていない。
彼女の語る言葉の重要性が、いまいち実感できずにいた。
「……しかしそれは、謎の空間で行われているゲーム由来のデータなのだから、当然ということにはならないのかい?」
「なりません。いかに変換器にかけた後とはいえ、データの出どころまで変わる訳ではありません」
「それは、データに改変不能のラベルのようなものがあって君にはそれが見えている、ということでいいのかな?」
「ごく単純化して語るのならば」
要するに、このデータは誰かがエーテルネット上から抽出し、夢世界に持ち込んで龍脈へ流している物ではなく、直接あの世界で発生したデータである可能性があるということ。
そしてその力と技術は、この分野で圧倒的に他者から頭一つ抜きん出ているアメジストをも、上回っているということだ。
「あり得ません。わたくしでも不可能です」
「そうなんだ?」
「ええ。というよりも、神の仕様上どうあがいても不可能。いえ不可能は言いすぎました、それこそカナリーが不可能を可能にしています……」
「あの子本当に規格外なんだねえ」
「ともかく、そのくらい難しいとお考え下さい。このデータは、あちら側へ行って直接、編纂しているとしか思えないのです」
「そして、君たち神は次元を超えられない」
「ええ。その通りです、仕様上。よもや、犯人はハル様たち自身ではありませんよね?」
「まさかでしょ」
いくらハルが嘘をつけるとはいっても、ここで嘘をつく理由がない。
アメジストを欺けるほどのデータを用意できるのならば、彼女に見せたりせずにその技術を使って直接彼女の裏をかけばいいだけなのだから。
アメジストもそれを理解しているのか、すぐにその疑念は捨て去って別の可能性を模索し始めた。
聡明な彼女がついそんな可能性を疑ってしまうほど、あり得ない事態だったということだろう。
「僕らが人間の夢に相乗りして夢世界に行っているように、同様の手法を使ってあちらに渡っている神様がいる可能性は?」
「どうでしょうね。わたくしは皆無と考えますが」
「僕らが出来たんだ、先に方法を見つけた子が居てもおかしくないんじゃない?」
「……あなた様は、ご自分の特別さをもっとよく認識されるべきかと」
「つまり管理者不在の神様単体では難しい、と」
「ええ。それに、仮にその方法で誰かが夢世界とやらに渡ってゲームを運営していれば、それは現世での活動停止を意味するのですよね?」
「ああ。みんな止まっちゃってるね。自分のゲーム運営が出来ないってボヤいてるよ」
「ならばやはり、それは無いかと」
神々は互いに、互いの活動を相互に監視し合っている。たまにその監視の目を逃れて好き放題しようとする者も出てくるが、そこそこすぐに特定されてしまう。
それは神界ネットに全員が接続している部分によるところが大きく、全員がエーテルネットに接続している現代日本で完全犯罪が不可能な様子と似ていると言えよう。
「エメ以外の全ての者が、神界ネットにてオンラインとなって長いです。そして、そのエメすら現在はオンラインを維持している今、逆説的に常時向こうで運営している者の存在は否定されます」
「向こうに渡れば、こっちで意識不明、オフラインになる。あのゲーム開始時期と重なるようにずっとオフライン状態になっているような、あからさまに怪しい存在は居ない、ってことだね」
「はい。それに加えて」
「加えて?」
ここでアメジストは大げさに『こほん!』とまた咳払いをして、自信たっぷりに言い切った。
「なにより! この技術に関して、わたくしを出し抜いて先に行っている神などおりませんもの!」
「わあ、自信たっぷりだあ」
「……あの、つまりこれって、人間の仕業なのではないですか? いるじゃないですか、怪しいの。ほら、モノリスを管理しているとかいう家の」
「それこそあり得ない。僕の目を逃れて、現代でそこまでことを進めるのは不可能だ、と思う」
「ほらやっぱり自信ない」
「うるさいぞ。最近、色々と不手際があったからね。とはいえそれでも、ここまで大規模の陰謀を許す僕じゃないよ。それこそ、奥様の方が怪しいくらいだ」
その月乃も、真っ先にチョーカーを使って夢世界から離脱している。まあ、そこが怪しいといえば怪しくもあるのだが。
……なんだか、謎に一歩近づいたと思ったら、謎の方が更に二歩逃げて行ったような気分だ。
果たして、神様にも人間にも容疑者が見えなくなった、黒幕の運営とはいったいどんな存在なのか?




