第1290話 進む季節と進む世界の足音
照りつけるような日差しを頭上に感じながら、ハルは卒業した母校へと足を向ける。
なんだか、卒業したというのに足しげく通っているような気もするが、まあ仕方がない。元々、わりとそういった学園だ。卒業後も関係を持つ者も通常より多い。
普段は、校内のオフライン環境を嫌い、授業時間外は校舎外に出ている生徒も多くなるのだが、この夏の陽気だ。なんとなく、普段よりもその数は少ないように見える。
今は、エーテルネット環境よりも、空調のきいた涼しい室内こそが彼らにとって優先されるのだろう。
それでも、たくましく外に出て接続を楽しむ者は、なにも体力自慢ばかりという訳ではない。
むしろ線の細いお嬢様や、御曹司が目立つ。
直感に反することだが、むしろそうした身体の細い者たちほど汗一つかかず、この日差しの中も快適そうに歓談している。
それは、別に『武士は食わねど高楊枝』と貴族の矜持によって耐え忍んでいる訳ではない。きちんとしたカラクリがあった。
「わざわざ高い室外空調を使ってまで、鳥籠の中には居たくないか。わかるよ」
エーテルの視線で目を凝らしてみると、彼らの周囲には幕のように外気とは別種の空気が固着されており、その内部を快適な温度に保っている。
ひょっとすると、通常の視点でも外気温との落差で揺らぎでも見えるかも知れない。
室外で、個人の為にこうして気温制御を行う行為、当然費用は自分持ちだ。
なので、この炎天下でも気にせずそれを行っていられるのは、自然とお金持ちに限られるという話なのである。
ちなみに、ハルから見ればかなり無理のある構成、無駄が多く冷気がすぐに外気と混ざり合ってしまう構造になっているので、そのネット使用料は想像以上に高額だ。
「……まるで我慢大会だね。暑さではなく、一秒ごとに減っていく資産を、涼しい顔で受け流す度胸が求められる。……深い」
別に全然深くない。むしろ馬鹿げた話だ。
しかし、実際そうした、維持の張り合い、資産の見せつけ合い、マウントの取り合いといった要素も、この炎天下の社交界には含まれているのかも知れなかった。
流石は、ルナが『現代の貴族』と揶揄する彼らだ。
《そういうハル様も、外出時は常に体外空調を全開にしているではないですか》
「僕のは無料だからね。問題ないのさ」
《はあ》
そう。かくいうハル自身も、別に自然の気温に身を置こうなどと殊勝な心がけを持ってなどいない。
彼ら以上に汗一つかかず、完璧に構築された大気を“着込んで”、お散歩がてらに優雅な登校としゃれ込んでいる。良いご身分である。
「ふむ? いっそ、冷房プログラムを僕が新しく公開してもいいかもね? そうすればもう少し安価に、彼らも直射日光の下で我慢大会が出来るだろう」
《あまり手広く他の産業に進出しすぎると、また要らぬ諍いをも引き込む危険がありますが》
「そうだね。気を付けよう。最近は特に、そのせいでアメジストという特大の厄介に動く言い訳を与えてしまったばかりなんだから」
ハルが全力で動けば、そして神様たちが自重せず動けば、この日本の技術レベルは確実に一歩前進する。
だが、その急激な変化に伴う歪みもまた大きい。不用意に技術を広めすぎるのはやめておこう。
悪いが彼らには、今まで通り爽やかな談笑の裏で行われる壮絶な我慢大会を、続けてもらうことにするハルなのだった。
*
「じゃあ先輩、ご結婚の日取りが決まったらきっと教えてくださいよー?」
「そんなにお金になるのかい? 僕らの結婚が」
「あはは、やだなー。純粋にお祝いの気持ちですってー」
校内に入ったハルは、人懐っこい在学中の女子を適当にあしらいつつ、人気のない音楽室へと向かう。ログインルームだ。
ちなみに彼女が訊ねてきたのは、ハルとルナはいつ結婚するのかという内容。その具体的な日取りも含めて。
月乃の一人娘であるルナの婚姻となれば、それだけで経済の動向に変化が生じるのだろう。その時に上手く立ち回りたいようだ。
「まあ、僕もそれだけ『貴族社会』に受け入れられてきたってことか」
《やはり空調も売り出しますか?》
「考え中。状況を見てだね」
《御意に》
ハルに功績を上げさせて、庶民であっても問題のない『箔』を付ける。それが月乃の立てたプランだ。
その成果が、今のように若い彼女らを中心に出始めているのだろう。
敵も増えるが味方も増える。月乃としては、もっとガンガン敵を増やして活躍して欲しいと思っていることだろう。
「とはいえ調子に乗りすぎると、立派な人物として認められるのを飛び越えて、立派な人外であると証明されかねないしねえ……」
そんな、少々危なっかしいハルの現世への介入の一つ。それがこの学園で行われている秘密のゲーム。
条件付きではあるが、アメジストの構築した異空間でのゲーム運営を、ハルは引き続き許可していた。
その進捗を確認することも、今日この場を訪れた理由の一つ。
ハルは音楽室に入ると、体から魔力を放出し、ログインの為の起動キーとして扉を開いた。
すぐさまハルの身は、異空間へと引きずり込まれる。
今問題となっている夢世界と違い、この空間の事はしっかりと参加する学生たちの記憶に残る。
完全オフラインという学園の特殊な事情が、かろうじて外部への露見を防いでいるだけだ。
それでも、いずれは徐々に露呈していくことだろう。だがそれでいい。
いずれハルは、地球と異世界、二つの星の橋渡しをしたいと思っている。その為の前準備として、慎重に段階を踏む策の一つがこのゲームなのだから。
「……ここは変わりないみたいだね。……アメジスト! 出てこーい。定期監査の時間だぞー。そんな規定はないけどー」
ハルたちがプレイしていた当時と特に変わらぬ、どこまでも続く草原の世界。
そこに無事ログインしたハルは、この世界の主であるアメジストを、雑に呼び出すことにした。
どうせこの空間の管理者として、あらゆるエリアの状況は常に把握しているのである。
「いらっしゃいまし、ハル様。ようこそおいで下さいました。わたくしとしては、本当に定期的に監査をお願いしたいくらいですわ? それこそ毎日でも」
「何話すんだよ逆に……」
「それはもう、生徒たちの滑稽な攻略状況を肴に、優雅な一杯……」
「悪趣味すぎる……」
そんな、神様にしては珍しく日本人に対する敬意の薄い、紫髪のゴスロリ衣装の少女、アメジストがすぐに姿を現した。
といっても、これは幻影のようなものだ。本体や、それに繋がるラインを不用意にハルに晒してしまえば、すぐに逆探知されその身を支配されてしまうので、彼女も慎重だ。
「今回の攻略は、皆あまり進んでいないの?」
「ええ。第一期は、いささか進行がハイペースであった反省を踏まえ、領土の拡張ペースや、交戦の頻度を落としています。なのでまだまだ平和なままですわ」
「へえ。ちょっと意外だ」
「幸い、第一期がチュートリアルの役割を果たし、ゲームの流れと最終的に行きつく先は皆理解したでしょう」
「なるほど。今回は、その終わりを見据えて焦らずじっくりということか」
「バランスの破壊者たる誰かさんも卒業なさいましたしね? それとも、また遊んでいかれますか?」
「そんな余裕はないよ……」
本音を言えば、より調整されたアメジストのゲームに興味はそこそこあるハルだが、今はそれどころではない。
彼女が問題を起こさない限り、前回覇者は身を引いて、後輩たちのプレイを見守るとしよう。
彼らには、彼らの物語があるのだ。それを外から楽しむのも、また一興。
「では本日は、どういったご用件でして?」
「ああ。例の夢世界の話だ」
「そうでしょうとも。そうでしょうとも」
ハルが本題を切り出すと、アメジストはそのからかうように無邪気にほほ笑んでいた瞳を怪しく細めて、チロリと舌なめずりをする。
彼女としても、あの世界に関しては興味が尽きないようだ。
とはいえアメジスト側からは介入方法がないために、情報はハル頼みとなる部分が大きい。待ちかねたのだろう。
「……気持ちは分からんでもないが、そんな顔されると、少々警戒するぞ」
「あーん。そんなこと言われてもぉ。どんな顔ならよろしいのですか? 身をくねらせて媚びましょうか、お兄、さま?」
「やめい。誰が兄だ。欲しいのはそんなものより制約かな。こちらで解析したデータを渡すので、お前の所感を正直に全て話して欲しい」
「……それは、少々リスクが高いお誘いですね? 内容によっては、私の致命的な情報がハル様に渡ってしまうでしょう。そう、今日の下着の色とか!」
「何を間違えば解析データと下着が結びつくんだ? あとどうせ紫でしょ?」
「失礼な。黒だって穿きます」
アメジストの独占し、彼女の暗躍に用いているデータ。確実に例の黒い石、モノリスに関する物だろう。
それを吐き出させるのがハルの目的であり、アメジストにとっては避けたいのは当然。
だが、ハルの方にもリスクはある。ハルの持っている龍脈データの解析結果は、これはこれで独占情報に違いない。
ハルにとってはまだ価値の薄いカオスなデータだが、アメジストならば何か有効活用する方法を見出せるかも知れない。
なので、彼女にとってもこの情報は是非にでも手に入れたい物であるだろうが、交渉の優位性においてはハルの側が少々不利なのは否めない。
別に彼女は、このデータを受け取る必要性はそこまで高くない。ハルとは別の、それこそ自分だけのアプローチ方法で独自に調査を進めればいいのだから。
「いいでしょう。誓約いたします。わたくしがそのデータを見て気付いたこと、すべてハル様につまびらかにすることを」
「……へえ。決断が大胆だね」
「ギャンブルは好きでして、これでも。それに、分の悪い賭けではない、と思いますよ? わたくしにとって価値の無い情報ならば、わたくしも口を開く必要はない。逆に秘密が漏れることになっても、それはそれだけ価値のある情報を手にしたということ」
「確かにね」
合理的だ。リスクとリターンが釣り合った取引、と思ってもらえたということだろう。
何にせよ、これで第一関門は突破だ。あとは彼女の持つ知識次第。
しかし、これはハルとしても同様にリスクの大きい取引。もし得られる情報が有益だった時、それはアメジストにもまた、何らかの彼女にとって有益な情報を与えてしまった、ということになるのだから。




