第129話 無垢の姫君、蠱惑の姫君
間欠泉の隣の温泉エリアに来ると先客が居た。ルナとメイドさんだ。
メイドさんは背の高いおっとりしたお姉さん。体を動かして遊ぶより、のんびりと温泉に浸かって過ごす事を選んだのだろう。
ただ、気になる所がひとつ。いや、気になる部位がいくつもある。
「なんで裸なのさ……」
「温泉だもの。当然でしょう?」
「ここは水着を着て入る温泉だったよね?」
「こ、これはお目汚しを……」
「あ、君は良いんだよ。ルナに唆されたんでしょ。それにこういうのは、眼福って言うんだ」
大きな胸を隠そうとするメイドさんを制す。恥ずかしさではなく、申し訳なさなのが彼女たちらしい。
だが揃いのメイド服を脱いだ彼女たちは、それぞれ個性が見えてくる。ぴっしりと、一糸乱れぬ対応で、普段は背景の一部として埋没することを信条としているメイドさんだが、皆れっきとした個人だ。
彼女たちにとって、揃いのメイド服というのは、外から意識のスイッチを入れる効果もあるのだろう。着ている間は、滅私の徒。
「わたくしも、脱ぎますか?」
「アイリはそのままでね」
「そうですね!」
着替えの気配を察知したメイドさんが素早く反応を示すが、これも手で制す。
しかし、水着を脱ぐだけの着替えの手伝いは、流石に要らないだろう。これも職業病だろうか?
アイリと二人で、そのままルナの隣に入浴する。メイドさんからは離れた側だ。あまり近いと、また世話を焼かせてしまうだろう。
「温泉に行く機会なんて、あまり無いものね。こういうのも良いものだわ?」
「だから裸なんだ」
「ええ、気分が出ると思って」
汗ばむルナの体が色っぽい。つややかな黒髪も相まって温泉美人だ。
「この温泉はどんな効能なのかしら?」
「え、無いよそんなもの。……あ、うん、ごめん。でも仕方ないんだ、睨まないでね?」
神界の施設作成の機能で水を作り出して、その温度を設定しているだけである。効能には期待出来ない。
暖かい水でリラックス効果はあるだろうが、その程度だ。
「今のでプラシーボ効果も薄れたわ……」
「それは失礼。そっちの方が重要なのかもね、実は」
「ハル。日本から温泉水を取り寄せなさい」
「えー、レジャー施設のお遊びにそこまでやる?」
「なら、お屋敷の庭に作りましょう」
「それこそ、そこまでやる!?」
偽薬効果。飲めば良い効果があると信じ込んで薬を飲むと、それがただの小麦粉でも本当に効果が出る。人体の不思議だ。
病は気からの実例とも言える。
エーテル技術では、ちょっとした健康管理にはこれを応用して使っている事も多い。
「アイリとメイドさんには、温泉に入ると体内のナノマシンが活性化して美容効果が出るように設定しておくか」
「まあ!」
「ハル。どうして私は対象外なの。私もやりなさい?」
「ルナはもう個人として完全にプロテクトがかかってるから」
「解除したわ。何でもハルの好きなようになさい?」
「うわホントに解除したよこの人」
ここにはエーテルネット接続者はハルしかおらず、世界の壁という強力すぎる防護壁があるため問題ないが、大胆にすぎる。
日本では決してやらない方がいいだろう。というか違法だ。合意の上でも。
「それに、しなだれ掛かりながら、そんなコトを言われると、別の意味で言ってるように聞こえるから……」
「言ってるわ」
「流石はルナさんです!」
「アイリ。この人の事はあまり真似しないように」
だいぶアイリに悪影響が出てきている今日この頃だった。
なんだかんだ、こういうルナも好きなハルだが、もっとクールビューティーな彼女も見たいハルでもある。
体内からの温泉効果の設定と、セキュリティの再設定と強化をつつがなく済ませると、ハル達はしばらくのんびりと皆で温泉を楽しんだ。
*
「ハル、喉が渇いたわ? どうしてここは飲み物が無いのかしら」
「生身で来ることを想定してないからだね。荷物を置いた広場まで戻ろうか」
「迂闊だったわね。すぐ飲める物は何か出せない?」
温泉から上がり、ルナが、ほぅ、と色っぽく吐息を吐く。
どのエリアでもドリンクがすぐに買える日本のプールとは違い、ここでは持ってきた物を飲むしかなかった。基本的に、神界には物質は無い。こういう時、人の世界では無い事を実感する。
「これならいくらでも」
ルナに請われ、ハルが<物質化>したのは、ナノマシンの活動を補佐するエネルギー溶液だった。
「……広場まで行きましょうか」
「これも中々、おいしいのですよ!」
「アイリちゃん、旦那様の真似をしてそんな物ばかり食べていてはダメよ?」
アイリへの悪影響では、ハルも人の事は言えなかった。
ちなみに、結構おいしいのは本当だ。緊急時でも飲みやすく、また飽きないように果物風の味付けがしてある。柑橘風味がおすすめ。
メイドさんもこくこく飲んでいる。
「ハル、<転移>して」
「お嬢様はものぐさだね」
抱っこして、のノリで転移をねだるルナに苦笑しつつ、皆で<転移>し広場まで戻る。
すぐさまメイドさんが冷えたフレッシュジュースを用意してくれた。砂糖をまぶした果肉入り。くだもの特有のすっぱさと、溶けきらない砂糖の、じゃりっ、とした強烈な甘さが交互に口の中を楽しませる感覚が癖になる。
「おいしいわね。……あなた達は、飲みすぎではなくて?」
「あれは水分補給。これは美味しさ補給」
「なのですっ!」
「まあ、いいのだけれど……」
お手洗いの心配をしてくれているのだろう。それはきちんと設置してあるので平気である。
「それに、僕らの体、余計な水分はすぐに分解できるし」
「……便利になりすぎよ、あなた達。まあ、ハルが美味しい物を嗜むようになったのは、良い変化なのでしょうね」
この世界に来る以前のハルであれば、水分補給を済ませれば後はジュースには興味を示さなかっただろう。必要な量はもう摂ったとばかりに。
アイリのお屋敷で、美味しい物を沢山頂いた結果だろう。
「……ハル? あなた水分の他にも余計な脂肪も分解できるのよね。メイドさんにはやってあげてるみたいだし」
「ん、出来るよ。でもルナには必要無いんじゃないかな? むしろほっそりしすぎだから、もう少しお肉を付けても、あいたっ」
「おだまりなさい? 私が胸とお尻にだけ肉を付けるのに、どれだけ苦労していると思っているの」
「まあ、それは知ってるけどさ……」
「すごいのですよ! この間お聞きしました!」
近くでメイドさんも『うんうん』と頷いている。理想の体型維持というのはどの世界でも尽きない課題のようだ。
痩せていれば良い、という問題ではない。大きな胸のアピールの為には、そこは痩せさせない事も重要だ。特別、何もしていなさそうなユキが羨ましがられていた。
「お肉が付いた方がハルの好みだと言うのであれば、それでも良いわ? でもそこも含めて、調整を任せたわよ?」
「はいはい、お嬢様。おうせのとうり」
体内のナノマシンの制御をハルに渡して来たのは、これもやって欲しかったのだろう。
ルナは簡単に言っているが、自分の命をハルに握らせるに等しい。並大抵の信頼ではない。それに答えるためなら、ダイエットの手伝いなど安い物だろう。
……甘やかしすぎだろうか?
「これでたくさん食べられますね!」
「そうね。たっぷり食べて、せいぜいハルを困らせてやりましょうか」
「食べすぎが体に悪い事には変わりないからね? 気をつけて」
「はい!」
もちろん任された以上は真剣にやるが、ハル好みの体型にしてほしい、という言外のお誘いには心惹かれるものがあった。ルナは男心をくすぐるのが上手い。とても上手い。
それでなくとも、“あなたの好みに変わる”、というのは最大の親愛の証とも言える。そうしておきながら、主導権を握られている気がするのは流石だった。
せっかくなのでほんの少し、自分好みの場所にお肉をつけさせて貰おうか、と画策してしまうハルなのだった。
◇
そうして休憩していると、甘い物の匂いに釣られたのかカナリーがぱたぱたとやって来た。
ジュースを見せてやると、顔を輝かせてまっしぐらにこちらへ飛び込んでくる。すぐにメイドさんが彼女の分のジュースも作成してゆく。
「お砂糖たっぷりでー」
「かしこまりました、カナリー様」
「君は太る心配が絶無で、たいへんよろしいね」
「ハルさんも太った私は見たくないでしょうー?」
「別に見てもいいけどさ」
おなかを摘もうとするも、摘む余計な肉が存在しなかった。カナリーは魔力体。その形は自由自在だ。
どこもぷにぷにして触り心地が良いにも関わらず、その身はすっきりと引き締まっている。やりたい放題だ。
「そういえば皆さんは、容姿を弄っている人は誰も居ないんですねー」
「ルナも年齢下げただけだもんね。胸以外」
「髪色も変えているわ? そこが変われば十分に別人でしょう。ユキが一番驚いたわ」
「使徒の皆さんは、容姿が違うのが普通なのでしたね」
「“違う自分になる”、ってのが、主な目的の一つでもあるから」
変身願望、理想の自分の投影、日常の切り離し、単純にプライバシーの保護。理由付けは人それぞれだが、現実の姿とは変えて来る人は多い。
しかし中には、現実の自分のままで凄い冒険をしたい、と容姿を変えずに来る人も居る。ハルの場合は、姿が変わるとパフォーマンスが落ちる、という実用面もあるが、これが近い。
「ユキは毎回キャラデザ違うんだけどね。本体と同じは、今回が初めてだ」
「ハルと一緒だからね?」
「ハルさんに見て貰いたいのですね!」
「そう、なんだろうね」
ユキの好意がキャラクターのデザインにも表れた結果だ。ありのままの自分を、ハルに見て欲しい。
「ハルさんは心を読むのが得意なんですから、気付いていたのではないですかー?」
「いいや、僕はそこまで万能じゃないよカナリーちゃん。ユキの場合は特にね」
「それは、どのようにー?」
「まず彼女は常に本心を語ってる。気持ち良いくらいにね。それに多分、自分の事を自分でよく分ってない。だから読みきれない」
「肉体と精神で、ズレが大きそうですからねー、ユキさんは」
「あとはハルは、身内の心は読まないようにしてるわ」
「読んでくれていいのですよー?」
「どの口。読ませないようにしてる癖に。このカナリーちゃんはー」
ハルはむにむにとカナリーの口を引っ張る。非常にやわらかい。楽しい。
カナリーはAIだ。本心を読まれたくない時は、人間的な癖を完全に廃して、ロボットのように平坦に会話出来る。
そこから内心を読むのはハルにも無理だ。
それと同様ではないが、ユキもゲームキャラの体になってしまうと、精神的に完全に切り替えが行われる。
本心、ここでは肉体で居るときに持っていた気持ちを、すっぱりと切り離すことが可能なのだろう。
「そういえばカナリーは、ハルの体を元にしているのよね?」
「ほうれふよー」
「ハルさんと物理的にひとつに……、これも、結婚……!?」
「ずいぶんと高度な一人遊びね、ハル」
どうやら今は、どこかで遊んでいるユキの事よりも、左右から同時に発せられるたわ言を、どちらから処理すべきかに頭を悩ませなければならないようだった。
*
またふらふらと何処かへ飛んで行くカナリーを追いかけ、アイリが着いて行く。ハルとルナもそれに続いた。
カナリーが足を降ろした先は、森の中の湖畔。きらきらと輝く澄んだ湖だった。その淵に腰かけ、足を水にくぐらせてちゃぷちゃぷと遊んでいる。
アイリも真似をして隣に座ると、同じようにちゃぷちゃぷし出した。
「親戚のお姉さんに懐いてる、って感じだ」
「かわいいわ、アイリちゃん……!」
ルナと二人で、ハルもその様子を眺める。アイリとカナリーに特に会話は無いが、主従で通じ合っている様子だった。
「私達もいちゃいちゃしましょうか」
「真顔で言われてもムード出ないねえ。じゃあ、ボートでも乗ろうか」
「いいわね」
湖畔には小さな木製のボートがくくりつけられている。
オールを使っての手漕ぎ式、のように見えるが、実は自動操縦も可能だ。実際にオールで操舵するのはユキくらいだろう。
ルナとふたり、それに乗って漕ぎ出す。
「カナリーがああして此処に居ても平気なのかしら? 今、お屋敷は無人でしょう?」
「大丈夫でしょ。僕もカナリーちゃんも、自由に神域に視界を飛ばせるし。それにお留守番させたら文句出そうだ」
「ぶーぶー言うでしょうね」
「一応、セレステも見てくれるらしいし」
「……そっちからも文句が出そうね。自分も誘うべきだ、って」
「まあ……、後で連れて来るよ」
スライダーでアイリを乗せた時のように、ハルの膝の上にルナが滑り込んで来た。
ハルに体重を預け、ぴったりと密着してくる。こうした積極的なスキンシップは、ルナにしては珍しい。
「奥さんや、他の女の子のお相手も良いけど、私のことも、たまにはこうして構って欲しい物ね?」
「了解、お姫様」
「……私はお姫様にはなれないわ。それに、まったく……、本物のお姫様が居る中で、嫌味かしら?」
「ルナもお姫様だよ。こう、甘えたがりのとことか」
「手のかかる女子、って意味じゃあないの、それじゃあ……」
ルナもこうして本体でこちらの世界に来たのは、きっとハルとの触れ合いが不足していたのだろう。
最近ハルはこちらが本体、日本は分身、と世界に対する体が逆転している。
ハルがアイリと生身の触れ合いを求めたように、ルナもまた同じであったのだろう。寂しい思いをさせてしまったようだ。
「ルナもこっちで暮らす?」
「そうね。向こうの世界はしがらみが多いし。でも、逃げ出すようでそれも癪だわ?」
そう言ってしまえる所が、彼女の強さだ。ハルなら逃げられる物からは逃げてしまう。索敵すれば、戦う相手は無限に見つかるこの世の中。全ての相手などしていたら身が持たない。
そんな強くも危うい彼女を、ハルはこれからも支えて行こうと、改めて心に誓うのだった。
「ハル。あまりおなかは抱かないように。……お肉が気になるわ」
「まだ気にしてるのかこのお姫様は……」
とりあえず、今日からおなか周りのダイエットを集中的に手伝ってあげよう。それも心に誓うのだった。




