第1285話 虚空の圧縮移動
十二種ある属性魔法の中でも特に扱いにくいと有名な<虚空魔法>。
真空と宇宙を司るという説明文や、『虚空』という名前自体に惹かれるプレイヤーは多かったが、攻撃性能のあまりの低さにその期待は裏切られた。
基本的に<虚空魔法>は全ての攻撃がスリップダメージ、つまりは一定時間ごとの持続ダメージとなっていて、即効性の求められるこのゲームの戦闘には向いていない。
特に、指定した範囲に入った相手にのみ影響するといった効果が多く、誰もが身体能力の高いこのゲームでは、すぐに抜けられてしまうのだ。
「んん? なんだこのダメージは。ああ、こりゃ<虚空魔法>って奴か。ほれっ」
「トラップにすらならないしね」
ついでのようにハルの残した<虚空魔法>フィールドの置き土産も、<天剣>の一振りであえなく消失する。
こうした持続性の低さも、不人気の理由だ。<生命魔法>の毒攻撃の弱さといい、このゲームは直接攻撃以外のスキルに厳しい。
「まったく、毒攻撃の強さを理解してないよね。最強の剣士だろうが騎士だろうが、毒には勝てないというのに。人間であるならさ」
「急になに剣士の風上にも置けねぇこと口走ってんのよお主。まあ確かにここの体は、呼吸もしてないから真空も効かんし、血流も神経も無いから毒も効かんよなぁ」
「あっ、やっぱり分かるんだ」
「当然よ。真っ先に自分の身体かっさばいてみるだろフツー」
「いやアンタらだけだから!」
普通ではない。絶対に普通ではない。ハルも同類だと思われたくないので、ここは念入りに否定しておいた。
思い返してみれば、当時彼らに協力した時も、やたらと現実の人体構造の再現にこだわりを持っていたように思う。
「で? それはなんだ」
会話しながらも、まるで瞬間移動のように<天剣>を避けながら飛び回るハルをヤマトは不審がる。
いかに身体能力が上がったとはいえ、地に足も付けずにノーモーションで空中をぶっ飛ぶ挙動など能力の限界を超えている。
視界を侵略するハルの技術もあって、この移動速度を捉えきれぬヤマトはまたかすり傷を増していた。
「僕らの体に毒も真空も無効とはいっても、その場に存在することには変わらない。ならば、それを都合よく操ってやることで、望みの物理現象を発生させられる」
「相変わらずけったいなことを!」
通常、<虚空魔法>で作られた真空フィールドは周囲の空気に影響を及ぼさない。
発動時はその場の空気を置換するようにして生まれ、効果終了時や消滅時にも再び同量の空気に戻る。
しかし、術者の意思により、あえて置換を行わないように処理される場合だけは別だ。この発見により、<虚空魔法>は一気にハルのお気に入りの魔法となった。
空中に開いた穴へと、周囲の空気が一気に流れ込む。その勢いは現実でも地下鉄に使われているほど強力なもの。
まるで瞬間移動に感じる程の早さで真空は閉じて、その閉じる勢いに乗りハルは移動を繰り返す。
「ははははっ! こうなると、そのキラキラとまぶしいエフェクトもいっそ逆効果だね! 自分で自分の視界を、塞いでしまっているじゃあないか!」
「なんの! そんな曲芸程度、もう慣れてきたわい! お主こそ、勢い余って<天剣>に突っ込むなんて幕引きを晒すでないぞ?」
確かにそれは怖い。十分に注意しなければならないだろう。
事実、ヤマトももう前後左右、時には上下と飛び回るハルの動きに対応してきており、的確に<天剣>の輝きを合わせてきている。
恐らくは空気の流れを肌で感じ取って、それだけで空間把握を完了しているのだ。相変わらず化け物である。当時から彼らはこうだった。
その達人的センスの前に、今のハルは周囲をぶんぶんと羽虫のように飛び回るしかないという、少々情けない状況だ。
「《ねーねーハル君。こんな時になんだけどさ》」
「どうしたのユキ」
「《そのびゅんびゅんって飛空艇に使えない?》」
「んー、使えなくはないと思うけど、制御が難しい。今は僕自身がエンジンになるしかないし、何より<虚空魔法>だから『ミーティアエンジン』と干渉する」
「《あ、そか。<星魔法>だからモロだ。消滅関係だもんねー》」
この<虚空魔法>と<星魔法>は、相性図の位置でいえば十二時と六時、対角線の位置にある。
属性吸収効果の中では『消滅』の位置となり、今のメインエンジンである隕石とは打ち消し合ってしまうのだ。
だがその効果も、今は便利に扱える。ハルはヤマトが自分の現在地に合わせ、ぐるり、と首を回して先読みし剣を構えた所で、その<星魔法>を発動した。
あわや彼のカウンターで放った<天剣>に頭から突っ込むことろで、属性消滅した<虚空魔法>の引き寄せ効果はキャンセルされた。
そんな、ハルだけが食らえば即死の目にも留まらぬ攻防は、互いにダメージの通らぬ膠着状態となり、しばし動きを鈍らせている。
さて、ユキに退屈されぬためにも、ここからは勝負を決めに行きたいハルであった。
*
「ヤマト様!」
「おう! 出てくんな、巻き添え食うぞ」
「ですが、この一帯はもう完全に更地です。どうか次のポイントへ」
「しかしだな、ワシとて動きたくても動けぬ。例えばあの奥の塔まで走る間に、何度か攻撃を受けてしまうわい。下手すれば致命傷だ」
そう、今は膠着状態を保っているが、それはつまりヤマトに新たな<建築>の被害を出させないようにしている、ということでもある。
ハルが羽虫のように命がけの牽制を続けている間は、ヤマトもおいそれと位置を移動できない。彼の移動速度自体は人並みだ。
「ならば、先に地下を片付けましょう」
「ほぉーっ。そりゃ何故だ」
「ここの地下には坑道が広がっています。その内部へ入ってしまえば、その超高速移動も使えないはず!」
「げっ……」
「ひひっ! 確かに! いいなぁそれはぁ!」
「余計なことを……」
このまま、山頂の城を全て更地にしてから順を追って地下へ、と進んでくれれば、城を犠牲にして時間稼ぎが出来たのに、足を封じられた途端にシノは作戦を切り替えた。
しかも、彼のいう通り地下の密閉空間では真空に吸い寄せられる瞬間移動は使いにくい。どうしても通路を相手に向かっての直進になりがちなので、自爆の危険が跳ね上がるのだ。
「だが、例のアイテムの破壊とやらはどうすんだぁ? ワシでは位置が分からんぞ。かといってお主が付いて来れば死ぬ。確実にだ」
「ええ、ですので、適当に暴れていてください」
「おいおいマジかよシノさんや」
「どのみち、山は完全に破壊したいですし。それに今は、ハルさんの撃破だけを考えましょう」
まあ、確かにそれが効率的だと思うだろう。ハルを倒してしまってから、安心して陣地の解体作業に入る。
しかし、少々方針にブレが出てきているようにも思うハルだ。最初は、『ハルは倒せなくても拠点が無くなれば終わり』、という方針であったはずだ。
思ったよりもハルが邪魔を出来てしまっているので、焦ったか。
だが確かに焦ってしまうのも無理はない。このまま夜明けを迎えれば、彼らは進軍からやり直し。
そもそも一夜のうちに山をひとつ、しかも一人で消滅させてしまおうという作戦が、最初から無茶なのだ。
それを可能にする<天剣>。世界の広さに合ったスケールの大きいスキルが出てきたものだ。他にもまだまだ、こんなスキルが眠っているのだろうか?
「……いいのかい? 確かに<虚空魔法>による瞬間移動は使いにくいが、攻め急ぎすぎはアンタだって危ないよ?」
「雇い主の都合だ、しゃーねーじゃろ。それに、老人は朝が早い、なんかもうそろそろ、寝返りでもうって起きちまいそうな気配もするしよ! ひひっ!」
「そりゃ好都合、と言いたいけど、今ログアウトされたら勝ち逃げされるようで嫌だね」
「そうじゃろそうじゃろ。やはり、最後は相手を斬り殺して決着せんとのぅ……」
人斬り大好き倶楽部の趣味に同意する気はないが、ハルも同意見だ。持久戦で焦らせてはみたが、結局HPをゼロにしてこその勝負。
……彼らに剣を教わった時に、その精神性まで刷り込まれていないだろうか。それは少々嫌だった。
「んじゃまあ、さっさとやるとするかのう!」
「はは! でもその瞬間が命取りってね!」
天から叩きつけるように、唐竹割りに地面に向けて思い切り空を裂くヤマト。
だがその地下へ潜る穴を開ける攻撃は、彼に致命的な隙を生じさせる。
無理もない、基本的に、真上や真下に対する攻撃は、人類の修める武術では無用の長物なのだから。現代の剣豪もさすがに、直下攻撃には不慣れさを感じた。
「首がお留守だ」
「なんの!」
ハルはここぞと<虚空魔法>の真空圧縮で、<天剣>の光をかすめながら彼の真横へと飛び込む。
かすっただけでごっそりと体力が削られるが、死ななければ安いもの。ハルの刀は、ヤマトの首筋をぴたりと捉えた。だが。
「直下への対処はお主のおかげで学習済みじゃ!」
「……昔少々いじめすぎたか」
「嫌でも慣れるわいワシらも!」
彼らの流派それぞれの、型の弱点を徹底的につく嫌がらせのようなハルの戦い方。それは剣士たちの流派に新たな化学反応を生じさせた。
視界を侵略されて当たり前、直上、直下からの攻撃もあって当たり前、人体の構造的欠陥は突かれるものと思え。
そうしたハルによる逆薫陶の成果が、この回避へ繋がった。
ヤマトもまた、自身の<天剣>をあえて受けることで、ダメージを負いつつ強引に攻撃姿勢を解除。宙返りを決めるように、ハルの刀を空ぶらせる。
そこからの続けざまに放たれる空中攻撃に、今度はハルが引くことになる。
そして、地面に叩きつけられた複数回の<天剣>は地下坑道の天井を砕き、ヤマトは一瞬でその内部へと潜って行った。
「曲芸じみた真似を。だけど、閉所での曲芸は、僕も得意とするところでねっ!」
ハルも躊躇せずに四角い坑道へと飛び込むと、その壁を、そして天井を蹴り四方全てを足場として立体的にヤマトへ迫る。
ヤマトはヤマトで、迫るハルに向け道その物を粉砕するような回避困難な<天剣>の一撃。
戦いは、更に危険度と高速化を増したこの閉じた領域にて、続行されることとなった。




