第128話 彼女の幸せ、彼女たちの幸せ
着替え終わったアイリとユキの元気っこ二人は、我先にと遊びに行ってしまった。案内は良いのだろうか?
メイドさん達もアイリに付いて行くが、特にお世話が必要な状況はしばらくあるまい。それとなく、好きに遊んでもらうように言っておこう。
広間には、出遅れたハルとルナのマイペース組が残されるのだった。
「……ユキは、あれで良いのかしら。せっかく、勇気を出して、体をこっちに持ってきたのに」
「あんなに楽しそうだし、良いんだと思うよ。肉体の方じゃ、きっとああは行かないだろうから」
「そうなのだけど。あの子が勇気を出したのはあなたの為よ? ハルも分かっているのでしょう」
「うん。分かってる。でも、無理に変わる事が幸せとは限らないよ」
川の浅瀬を模した砂浜を歩きながら、ルナと語らう。彼女にしては饒舌だ。それだけユキを心配しているのだろう。
川から溢れた水が、勢いをゆるくして足をさらって行く感触が気持ち良い。ハルの少し後ろを歩くルナも、それを楽しんでいるようだ。
当のユキは、その川の流れの中心を爆泳して、ハル達の目の前を横切って行った。
こちらの心配をつゆ知らずのその姿に、ルナから苦笑が漏れる。
「……確かに楽しそうだこと」
「でしょ?」
「でも、変わるのを先送りすれば、解決するとも限らないわ?」
「まあ、それも肝に命じておく」
ユキから少し遅れて、アイリも流れに乗ってやってきた。二人とも特に何をしている、という事はなさそうだ。ただ流れに乗って泳ぐのが楽しいらしい。
ユキの運動神経はここでも流石だが、アイリは泳ぐのはあまり得意ではないようだ。あたふたと流れに翻弄されて行っている。
後ろからはメイドさん部隊が少し心配そうに、遅れて流れてきた。
「あんなに大勢のレスキューは要らないだろうに……」
「何をしていいのか、まだ分からないのよ」
彼女たちの使命は、アイリを守ること。アイリの助けになること。
休日だと言われても、それは変わらないのだろう。誰かが外から、強引に軌道修正を与えてやる必要があった。
「遊び方の指導をユキに任せるか」
「そうね。適任なのでしょうね」
『異論は無いが、先ほどの話は忘れないように』、と視線で念を押すと、ルナは周回して追いついて来るであろうユキを捕まえるために、川の流れに入って行く。
ハルも流れに身をゆだねて漂うばかりのアイリと合流し、その手を取る。
いくら遊んで良いと言われても、主人が一人で居ては気が気ではないだろう。旦那様が付いている事にする。
「一緒に遊んでくれるのですか!?」
「うん。何して遊ぼうか」
「やりました! えとえと、泳ぎを教えて欲しいのと! 間欠泉に乗ってみたいのと!」
「間欠泉は主目的じゃないんだが……、まあ、一個ずつやってこうか」
「はい! では間欠泉から!」
スライダー入り口はこの先になる。二人は川の流れから上がると、間欠泉地帯に向かって手を繋いで歩いて行った。
メイドさん達も見送ってくれている。アイリの事は、ハルに任せてくれるようだ。
*
間欠泉。地下から勢い良く吹き上げる水の柱だ。吹き上げは地熱のエネルギーによって行われ、熱湯となる。故に、その付近には温泉が存在する場合も多い。
このプールも、隣のエリアは温泉地帯になっている。
「疲れたら入ろっか」
「楽しみです!」
さて、その間欠泉だが、当たり前だが吹き上げに乗って移動するような事は現実には無い。主にゲーム的な発想だ。
ゲームの主人公たちが高い場所の目的地へ行きたいが、その手段が無い。
そんな時、足元に、おもむろに噴き出す間欠泉があったりするのだ。『これに乗って移動しよう』、というマップのギミック。
「そのゲーム的発想を、実際に作っちゃったんだよねルナが。いや、この場所もゲームの中って事になってるんだけどさ、一応」
「ルナさんも、よくゲームをされるのですね」
「僕と一緒にね、大体は」
「羨ましいですー。わたくしも、いつかやってみたいです」
このゲームの中に搭載されているミニゲーム(恐らく著作権の切れたレトロな物)、それならアイリも遊ぶ事が出来る。
だが別世界の住人であるアイリには、エーテルネットを使ってのゲームはまだ不可能だった。
なので気軽に約束は出来ないが、いつか一緒に遊べるように努力しておこう。
「今はこっちですね! ……どうやって乗ればいいのでしょう?」
「……吹き上がる瞬間を狙って、ぴょーんと」
「ぴょーん、ですか……」
「一般人が利用する事を想定してなくてね。……ルナ自身はどうするんだコレ」
今は生身のルナである。流石に危険だ。ハルとは違い、こちらの世界のキャラクターと同化してもいないので、<飛行>も使えない。
「わたくし達で、連れて行ってあげましょう!」
「それがいいね」
ただ、登った先のスライダー自体も非戦闘員お断りの激しい物だ。
親切のつもりが罰ゲームになりはしないだろうか?
とにもかくにも、ハルとアイリはタイミングを見計らって、水を湛えた穴の中へと飛び込んだ。途端に中の水が勢い良く飛び出してくる。
人工の施設だ、熱湯ではない。多少暖かい程度。
そのほとばしりに押し出されるように、二人は空中へと放り投げられる。微妙に角度が付けられたその噴出は天井付近までに達し、エネルギーが減衰する頃にはちょうど足場へと着地するように設計されている。
「うきゃああぁぁ! け、けっこうスリリが、スリルがありますね、こりぇは!」
「テストをユキにばかりやらせたのが悪かったかな」
結婚してから、あまり聞くことが無かったアイリの噛み癖が久々に聞けて満足だが、やはりこれはプレイヤーの体であること前提だ。
落下速度がほぼゼロになる頃に足場に着くように計算されているとはいえ、着地体勢を崩せばケガに繋がる。
「メイドさんが怪我しないように、足場はやわらかくしておこうか」
「彼女らは、わたくしのようにヤワではありません。問題ないかと思いますよ」
「アイリも魔法ありなら何も問題無いじゃない」
「運動は、あまり。えへへへ……」
普段から鍛えているメイドさんならば、この程度は問題無いらしい。相変わらずどういう鍛え方をしてきたのか。屋敷ではお仕事をしている姿しか見ていないのだが。
「まあ、今はナノマシンも入ってるし、怪我してもすぐ察知できるし治せるんだけど」
「メイド達の体も、ハルさんの虜なんですね!」
「嫁がどんどんいやらしい言い方を覚えていく……」
やる気は無いが、やろうと思えば肉体の制御権も奪える。そういった意味だ。
◇
岩場を削って流れる激流、そのようなイメージで水路は作られている。
この地下空間の壁に沿うようにそれは走り、ぐるりと大きく円を描いて、下へ向かって行く。
「どきどきします! ……本当に、激流ですね!」
「水の勢い、弱めようか?」
「いえ、ルナさんやユキさんが、これが楽しいと設計したものですので!」
「あの子ら、そう深く考えてないよきっと」
アイリを抱え上げて膝の上に乗せると、ぎゅっ、と密着して体を固定する。肌の触れ合う感触に、お互いの体温が少し上がった。
激流に気を飲まれ、硬く縮こまっていたアイリの体も、少しやわらいだようだ。
「では! 行ってください! …………うきゃーーー! 速いですー!」
「怖かったらすぐ離脱するから」
「大丈夫ですーー! わきゃーー!」
楽しさを表現する悲鳴、なのだろう。絶叫マシンに乗る際の嗜みという奴だ。顔のすぐ下で発せられる愉快な悲鳴をBGMに、ハルもスピード感を楽しむ。
ハルの言葉が聞き取れるのが不思議なものだが、精神が繋がっているゆえの感応力だろう。
水路はぐるりと、とぐろを巻きながら下って行き、まっすぐなだけではなく、途中、左右に体を揺さぶられるような、うねりもある。
下手をしたら水路の外へと飛び出しそうなその軌道に、腕の中のアイリの悲鳴も音量を増した。
「きゃー! きゃははは! うわっぷ! み、水がー!」
楽しそうで何よりだ。こう大声を出して笑うという事もあまり無い。いい気分転換になるだろう。
アップダウンまで付き始め、コブになった道でジャンプした際にアイリが飲んでしまった水を丁寧に分解しつつ、ハルも嫁の楽しそうな姿を楽しんだ。
そうしてすぐに終わりが見えてくる。このスピードだ、距離に比べて時間は短い。
「最後は滝に飛び出るよー」
「言ってはなんですが! 普通の人間向けではありませんね!」
「ほんとにね」
「うおわぁ! つ、捕まえててくださいー!」
捕まえたままでは逆に危なそうだが、言われたとおり、ぎゅっと抱きしめたまま、空中で姿勢制御し、ハルが下側になった状態で滝つぼへと飛び込む。
アイリの悲鳴が途絶え、代わりにごぽごぽと空気が泡になって吐き出される。
ずいぶんな勢いで落ちてきたようだ。かなりの深度まで沈んでいる。
真っ暗な水中に落ちてパニックにならないようにと、滝つぼの壁面には幻想的な七色の光源と、美しい装飾が施されて不安を和らげていた。
アイリはそれに目を奪われているようだが、ずっとここに居る訳にもいかない。ただでさえ叫びっぱなしで空気が足りないだろう。
「ぷはっ! 水の中も素敵でしたね! また潜ってもいいですか?」
「いいけど、後にしようか。いったん上がろう」
「はい! ……次は水中神殿にも行きたいですね!」
「そうしようか。あそこならゆっくり見れるし」
施設のひとつに、水中に居ながら呼吸が出来る観光施設がある。そこも、今の場所のように幻想的な作りだ。そちらに行く方が適切だろう。
「ハル君アイリちゃんおかえりー。どだった?」
「すごく! 凄かったです!」
「さよかー。アイリちゃんの悲鳴おもしろかったー」
「き、聞こえていたのですね。お恥ずかしいかぎりです……!」
水から上がると、ゴール地点でユキが待機していた。
このスライダーの調整はユキが主になってやっている。感想を聞きたいのだろう。
「とりあえず地球人お断りだねこれは。ルナは乗せられない」
「あはは。ルナちー今は本体だもんねー」
「楽しかったのですが、すぐに終わってしまって残念でした。もっと長いと良いと思います!」
「我が妻よ。死人が出るぞ」
今でさえ、けっこう三半規管を揺らされる作りだ。アイリも無意識に魔法を発動して耐えている。
そこにハルによるナノマシンの補助があって、初めて自然に楽しめるレベルになっている。それを更に伸ばしては、アイリでも危ないくらいだ。
「んー、壁沿いじゃなくて。空中にぐるぐるとジェットコースターみたいにレーンを回すか。水の勢いは途中で補充してやれば良いし。いっそ水路は途中で途切れさせて、ジャンプで飛び越えるのも、アリかな」
「無いよ。どこへ行こうとしてるんだこのプールは」
更なる強化案を練り始めたユキに釘を刺しておく。ここは絶叫系をやるための場所ではない。憩いの場だ。多分そうだった。
いっそ、そういった物は地上の、ギルドホームの誰でも立ち入れる部分に作って、遊び場として開放しても良いだろう。
*
アイリと共に、ハルは水中神殿へと足を伸ばす。水中に沈んだ神殿を探索する、というコンセプトの施設。
何だかモンスターが出そうな言い方であるが、ダンジョンではない。ただの綺麗で雰囲気の良い場所だ。
ゆっくりと見て回れるように、ここでは水中でも息も、会話も出来るようになっている。
「そういえば、酸素ぼんべは無くなったのですね」
「最初の案だね。僕が<神力操作>で、“水のようで水じゃない物”を作り出せるようになったからね。結構な自信作だよ、これは」
「すごいですー……」
最初はダイビング用の酸素ボンベを貸し出して、それを着けて探索する予定だった。
だが、ハルが<神力操作>を習得した事により、神界での作業に幅が広がった。唯一の成果ではあるが、良い物が出来たとハルも気に入っている。
この場に満ちている水は、見た目通りの水ではない。浮力と、泳いだ時の抵抗を受けるだけの力場の集まりだ。
神力、というのはどうやら力場の発生に関わる力のようで、ここ神界の物はほとんどそれで作られている。
「メイドさんも居るね」
「見入っているようですね! 建物の設計はわたくしもお手伝いしたので、わたくしの自信作でもあります!」
「センスの良い建物だよ、アイリ」
「えへへ」
メイドさんはハル達に気付くと、水中で姿勢を正して器用におじぎをする。……本当に器用だ。初めてだろうに、こんな行為をする事など。
「アイリ様、旦那様」
「おっと、良いよ、今は自由に遊んでくれていて」
「と言っても聞かないでしょうね。……わたくし達と一緒に見て回りましょう!」
「はい。光栄にございます」
水中神殿の観光をしていたメイドさんを引き連れ、ハルとアイリもあてどなく神殿内をただよう。
ぷかぷかと、浮いたり沈んだり。
製作は自分達だ、特に目的地は無い。内部のことはもう良く知っている。ただ、その場の雰囲気に浸るように内部を適当に行き来する。
「気に入った?」
「はい。旦那様。とても気に入りました」
彼女はメイドさんの中でも大人しい。どうやらこの水中神殿に、しばらく留まっていたようだ。
長時間滞在したいほど気に入ってくれたのならば良かった。酸素ボンベを廃した甲斐があったというもの。
「このように美しい場所、今までに見たことがありません。神の世界に、相応しい眺めです」
「君たちの世界には、こういった場所は無いのかな」
「いえ、そういったものは、寡聞にして知らず」
「ハルさんの教えてくれるような、幻想的な光景というものはあまり聞いたことがありません。勿論、わたくしの勉強不足もありましょうけど」
「そうなんだね」
「この世界、ハルさんが期待するほど素敵な世界ではありませんよ?」
「素敵だよ。アイリが居るもの」
「まあ……」
ふたり、いちゃいちゃし始めるも、メイドさんも同時に顔を輝かせる。多分、後で同僚の皆さんに触れ回られてしまうのだろう。『今日のアイリ様と旦那様』、といった感じで。
アイリの喜びが彼女たちの喜び、アイリの幸せは彼女たちの幸せ。
徹底している。歯に衣着せずに言えば、普通ではない精神性だと言えるだろう。
メイドさん達がどういった経緯で、アイリに仕え、尽くすようになったかはハルも知らない。
彼女たちの普段の振る舞いから、見えてくる物は色々とあり、そこから推し量ることの出来るものも多い。
だが詮索はしない。きっと、普通ではない忠義を向けるに足る、普通ではない事情があったのだ。
そんなメイドさん達が、今こうして普通に笑ってくれている事を喜ぼう。
しばらくの間メイドさんと一緒に、ハルとアイリは水中散歩を楽しむのだった。




