第125話 その檻の中の魂は
「ところでハル? 一応聞いておくけれど、ユキは帰れるのよね?」
「帰れるよ、当然。……その心配するならルナ自身の事を気にしなよ。勢いで連れてきちゃったけど」
「私は別にいいの」
「美月ちゃん、割り切りが凄いなぁ」
割り切りの凄さに関しては、ユキに言われたくない。恐らく、そのようなセリフをルナは飲み込んだと思われる。
ルナ目が、ハルにだけ分かるようにジトみを増している。
「……言葉が足りなかったわ。ユキは、直接、自分の家に帰れるのよね? 勢いで来たようだけど、帰り道は確保してあって?」
「魔力の事ですね!」
「あっ、そっか。<転移>には行き先に魔力が必要なんだね」
「もし用意していないなら、ハルの家にしか行き先は無いわ」
「何か問題? ハル君の家におじゃまするんだよね。……ちょっと緊張するけど」
ルナの言っている事はつまり、家を出ていないはずの人間が、家の外で確認される事への懸念だ。
エーテルネットワークに支配されていると言っても過言ではない現代日本だが、そこまでガチガチの監視社会という訳でもない。
当然、犯罪の抑止や検挙には利用されるが、それは発覚した場合のみ。普段から逐一、市民の動向を監視したりはしていない。
だが、抑止には確かに利用されているのだ。
防犯意識の高い家には、入出記録のチェックが基本で付いている。これは不法侵入の対策とは別に、外出していないはずの家人が外部で検出された場合のアラートもある。
つまりは誘拐対策だ。
ユキは中古の家を安く買ったと言っていたが(それでも高額だっただろうが)、元々は豪邸だ。そういう機能が付いている事をルナは懸念しているのだろう。
お嬢様らしい視点だった。
「わかりました! ハルさんが、ユキさんを監禁する事が出来るのですね!」
「そっか……、ここも、あっちも、ハル君の縄張りだ!」
「いや監禁したいなら神界のマイルームに送るが」
「……具体例を出さないの」
ハルの反応から、帰り道の魔力が用意してある事を察したのだろう。ルナの緊張感が弛緩する。
もしその検知が働けば、通報が行くのはハルの家の座標だ。事情を聞かれる事になってしまうだろう。
現代日本で<転移>を使うのは、そんな感じで、気をつけないと色々と面倒なのだった。
「ユキさんも、ハルさんのお嫁さんになるしかありませんね!」
「ど、どうしようアイリちゃん。私、そういうのまだ考えた事ないや……」
「だめですよ! ちゃんと考えておかないと!」
「こっちは結婚は早そうだもんねぇ……」
何だか楽しそうにしているので、二人に伝えるのはもう少し先にするハルとルナである。
しかし妻を外に出さない文化など、こちらでも特に聞いたことが無いが、何処から出てきたのだろう。貴族はそんな感じなのだろうか?
大名か何かが、そんな所があったような気もする。カナリーがそんな文化を持ち込んでいない事を、祈るばかりのハルだった。
◇
「あ、えっと、何の話だっけ? ……監禁?」
「ユキはこう見えて束縛されたいのかしら?」
アイリとユキのお喋りは長く続き、主題はどこかへ消えてしまったようだ。
この状態のユキは、意外に落ち着いた聞き上手で、アイリは楽しそうに話を続けていた。
普段のユキも聞き上手な所はあるのだが、いかんせん落ち着きが無い。自分から話題を変える事も多ければ、話の切れ目にふらりと消えてしまう事もある。
じっとアイリと目線を合わせて、にこにこと相槌を打つ様子は、なかなか見た目通りのお姉さんらしさを醸し出していた。
「でもハル? やっている事は監禁なのではなくて?」
「ネット環境は完備してるから大丈夫だよ」
「うん。ハル君だいすき。ネットあるならオーケー」
「そういう問題では無いと思うのだけれど。それで良いのかしら、あなた達は……」
ユキを監禁したいなら特別な場所も設備もいらない。エーテルネットから遮断してやればいい。
彼女は常に、その魂を肉体という檻の中に監禁されている。日常的に、常時その牢獄から抜け出したいという衝動を抱えているのだ。
それはさておき。素直すぎる『だいすき』の言葉に非常にドキリとさせられたハルだった。
「最初は確か、ユキさんが今日、おうちにお招きくださった理由の話でした!」
「あ、そうだね。そうだった。お菓子買ったんだ、お礼に。だから皆で食べようと思って」
「話が見えないな?」
流石にハルも何のお礼か読めない。さばさばとしているようで、律儀なユキだ。気にしなくても良い小さなことに感謝を感じていたりもする。
今の、この落ち着いた性格が基礎にあると考えればそれも納得か。
ユキがリアルな買い物を、しかもお菓子を買い求めるなど珍しいにも程があるが、そこを茶化すのは止めておこう。
きっと彼女のことだ。ハル達のために勇気を出して普段しない事に踏み込んで行ったのだろう。
「ハル君、……と美月ちゃんも? 私が無理して<飛行>取った時に、その代金工面してくれたでしょ。気を遣わせちゃったなーって」
「気を遣ってるのはキミの方だが……」
「そうだ! ハル君ってニンスパの運営だったの!?」
「システム開発を手伝っただけだよ。……運営はこの人」
「どうも。運営です」
「美月ちゃんさん!?」
それについては後にしよう。適当にはぐらかすハルだった。
わざわざリアルで、というのはユキにとって最大級の気の遣い方だ。あれほどリアルの体を見せる事に抵抗していた彼女である。
まあ、何となくそれを理由にして、また別の用事もあったような雰囲気も見受けられたが。今はそれは霧散してしまったようである。衝撃が大きすぎたか。申し訳ない事をした、とハルは反省する。
「じゃあ、戻って頂こうか。せっかくだもんね」
「あ、いや、待って。あ、待たなくていいのか……」
「どしたんユキ?」
「……うぅ、上手に話せない。……その、どうせならこっちで食べよう? カナちゃんやメイドさんにも、食べてもらいたいし」
そうしてユキのお菓子を取りに、一旦ユキの家へと戻る。
お菓子は、大量にあった。本当に山ほど。何を想定してこんなに買ったのだろうか?
いや、恐らくは選びきれなかったに違いない。選べないなら全部買えば良い、というゲーム的なノリで。
確か以前このゲームでも、そんな事があった。
人間の胃袋には限界があるのだ。これでは結局、こちらに持ってくる事になっていたであろう。
その他にも、実質的に引っ越す事になる。そのための準備は必要だろうと言うハル達だったが、ユキは来客用に開けていたカーテンを閉めたくらいで、特に何も無いようだった。
『着替えは用意しなくていいのか』、とのルナの言に、きょとん、としていたのは流石にルナも反応に困ったようだ。
普段はずっと裸でポッドの中におり、たまに出てくる時は今の服を着るのだろう。意外に清楚でかわいらしい服で良かった、といったところか。
きっと今日からルナは、しばらくユキのために服を作り続けるのだろう。
「忘れ物は無い、はず。私あんまり持ち物無いし」
「すぐ戻れるよ。どうせ僕らも、帰りはこの家から帰るし」
「そうね。万一誰かに見咎められていた時に、テレポートしていては説明に困るものね」
「そっか。案外不便だ。やっぱリアルなんてダメだね。鍵とかどうしようか、ハル君?」
「この家のセキュリティはもう、全部掌握したから平気」
「うわ!」
「諦めなさいユキ? こういう人よ?」
どういう人なのだろう。ルナの部屋のセキュリティを解除して、忍び込んだりはしていないのだが。
ちなみにルナは、権限により強引にセキュリティを停止させて忍び込んでくる人である。
ハル達は三人で、それぞれ大量のお菓子の箱を抱えてアイリの屋敷に戻るのだった。
◇
*
◇
メイドさんにお茶を淹れてもらい、ユキの買ってくれたお菓子の箱をひとつ見繕って開ける。
匂いを嗅ぎつけて、すぐにカナリーもぱたぱたとやって来た。テーブルにはもう、カナリーの分のお茶も用意が済んでいる。流石はメイドさんであった。
「おー、お菓子ですねー。日本の物ですねー。いいですねー」
「ユキにお礼言うんだよカナリーちゃん」
「はーい」
既にお菓子に魂を囚われている。気もそぞろに適当に礼を述べるカナリーだが、ユキにはそのくらいが気楽で良いようだ。
箱から出てきたのは白桃のタルト。非常に丁寧に、見た目よく飾りつけられている。切り分けてくれるメイドさんの目が、一瞬、敗北感に揺らいだ。
私情を出さない彼女たちには、とても珍しい。お菓子作りにも、なにかしらの矜持があったのだろう。一瞬でそれは鳴りを潜め、気づいたのはハルだけのようだ。プロである。
「いただきますー」
「カナリーちゃんは本当にお菓子が好きだね」
「はいー」
我先にとカナリーがパクつく。お菓子を食べている時の彼女は本当に幸せそうだ。すぐさま一切れを食べ終わり、メイドさんに次を要求する。
このままだとカナリーに全て食べられてしまいそうなので、さりげなく一切れを<魔力化>して保存しておくハル。複製で悪いが、後で人数分に増やしてメイドさんの分を配るとしよう。
ハルも頂くことにする。タルトの生地は、どうやらビスケットのような物を混ぜたタイプのようだった。
これは食感がもそもそしてハルは苦手としているのだが、この作品はそれを感じさせず、非常に調和の取れた仕上げとなっているようだ。名店なだけはある。
盛り付けられた果物の部分も、切り分けたり、食べる際にだらりと零れないように固めてあるのに、口の中に入れるとふわりととろける。
そして生地と合わさってハーモーニーを演出する様が、非常に計算されつくした仕上がりとなっていた。
「ハル君どしたの? お菓子冷めちゃうよ?」
「なんでさ……、お菓子は、冷めないが」
「あ、お茶だった」
「なんだかユキが愉快になってる」
その芸術的とも言えるお菓子の仕上がりを考察していると、ユキがじっと見てくる。口に合わなかったのかと心配している様子だ。
気にしすぎである。口に合おうが合うまいが、そういうものだと割り切って、美味しくないデータ食品を頬張る時の彼女とはえらい違いだ。
しかし、今はその様子が微笑ましい。
「いや、凄く計算され尽くした作品だなって。これきっと、体温に反応してるね。お茶が入ると余計かな」
「そうなの?」
「うん。これもエーテル技術の集大成だね。……生身で食べられて良かったかも」
「あ、そか。キャラの体だと、体温無いもんね。美味しさ、半減かな?」
「そんなことないですよー?」
「体温ある特別仕様の体持ってる人は、口を挟まないの」
人が食べた時に最大のパフォーマンスを発揮するように、念入りに調整されている。『美味しい』、というよりは、『その執念に感心』の気持ちが起こるばかりのハルだった。
カナリーやアイリのように、何も気にせずぱくぱく食べた方がきっと幸せだろうが、これに関してはそちらが先に来てしまう。
その念の入り用は、プレイヤーの使う魔法の調整と近いものを感じる。
「ユキも、その体だと食べるのはゆっくりなんだね」
「ふぇ? あっ、そうかも。食べ慣れてないからかな、あはは」
「悪いとは言ってないよ。落ち着いて。どっちのユキも良いと思うよ」
「そ、そっか、良いのか……」
なんだろうか、ルナや、マナーを遵守する時のアイリのような、落ち着いた所作を感じる食べ方だ。
手掴みでそのまま口に放り込みそうな、プレイヤーのユキとは似ても似つかない。肉体と幽体では、ここまで差が出るものなのだな、とそちらにも変な感銘を受けるハルだった。
◇
お茶会が終わり、ユキの為に用意された個室にポッドの設置が終わると、彼女はすぐに試運転とばかりにその中へ入って行った。
プレイヤーとしてログインした彼女は、ハルと顔を合わせると生身の時の事を思い出したのか、真っ赤になって飛び出して行ってしまう。
「かわいい」
「はい! ユキさんかわいらしいです!」
「体を切り替えれば、すぐに気持ちも切り替わる訳では無いようね?」
「不便ですねー」
皆でそれを見送り、ハルはメイドさんに複製したお菓子を配って回った。しずしずと恐縮する中にも、口の端には喜びが隠しきれないメイドさん達であった。こちらもかわいい。
なお、目ざとくそれを見つけてきたカナリーにも餌付けを行った。
「しかしハルさんは、そんなに衝動的に女の子を浚って来ちゃう人でしたっけー?」
「ユキさんだから、特別なのですよね!」
「……特別なら衝動的に浚うみたいに言わないのー」
「なら、どうしてなのかしら? 正直、驚いたわ? ……ユキが簡単に受け入れたのも、驚いたけれど」
「ユキは、僕以上に肉体に執着が無いからね」
まあ、ハルとしても、自分の事ながら衝動的すぎたと思う所もある。
しかし、あの家に一人で住んでいるユキを見て、行動に移さずにはいられなかったのだ。
「ユキ、言ってたでしょ。僕の作った防犯に『助かってる』って」
「……つまり、ユキさんの家は防犯が必要になる事態が既に起こっている、という事ですね?」
「それも、恐らく一度だけとかそういう話じゃなくてね」
「そう。ハルはそれを知って、放っておけなかったのね」
「うん」
「過保護なこと」
ルナの言う通りだ。独占欲が強い、というのもその通りだろう。
ユキが拒否しないから良いものの、これでは犯罪者はハルの方である、と言いたげなジト目を向けて来る。
ただ、こちらの方が安全だというのはルナも同意のようで、続く言葉は飲み込んでくれたようだ。
「とは言うものの、ハル? 物理的な脅威はむしろこの世界の方が上なのではなくて? 向こうは流石にミサイルが飛んできたりはしないわ」
「こっちは戦略魔法とかあるしねえ。お屋敷の防御も固める事を考えるか」
「私の神域でおイタなんかさせませんよー。安心していいですからねー」
「いつもありがとうございます! カナリー様!」
そのカナリーが、標的となる可能性は一番高いのが皮肉な話だが、彼女の力は絶大だ。信頼できるだろう。
しかしユキを強引に連れてきたのはハルだ。カナリーに頼り切らずに、自身で彼女を守りきれるよう準備はしておこう。




