第1216話 眠りの中でのみ成立する関係
宇宙船の中のような通路の光る扉を抜けた先には、広大な宇宙空間が、広がってはおらず、そこは自然豊かな丘陵地帯だった。
どこかの惑星に不時着したのだろうか? などとのんきに考えていても仕方ない。ここは電脳空間、しかも誰かの夢の中。唐突な場面転換など日常茶飯事だ。
「……いや、電脳世界かというと、そういう訳でもなさそうだね」
ハルは周囲の状態と、自分の状態を冷静に観察すると、そうつぶやく。その問いに答える者は、この場の何処にも居なかった。
「カナリー。エメ。応答」
短く呼びかけ通信を求めるが、彼女らが返答を返すことはない。またしても、エーテルネットの外へと飛び出してしまったようだ。
「……しかし、ここは何なんだ? また、誰かの夢なのかな」
少なくとも、先ほど共に居た男の夢とはまるで異なっている。
足元に草の生えた自然の多いエリアということで、ハルの世界と混じってしまったのかとも思ったが、そんな気配もない。
上手く言えないが、ここはハルの世界ではないように思う。色々と細かな情景情報が違っている。
「となれば、さっきの泡の浮かんでいた暗黒空間、あのネットワーク上に作られたエリアだと考えられるが……」
カナリーたちとの通信が行えぬ以上、そう考えるのが自然である。
しかし、それはそれで、また少々問題点が出てきてしまうのだった。
「……なら、誰がそこにマップを作ったんだ? この地は既存のネットから通信が届かない。つまりは、今僕らが怪しんでいるミントだってデータのやり取りが出来ないはずなんだ」
そんな中で、こうしてきちんと整った空間作成が出来るものだろうか?
見渡してみると、非常にしっかりとした情景の構築だ。現実と遜色ないと言える。この世界ならば、第二の現実として人間の精神を幽閉しても不満は出ないだろう。
そして、その場でぐるりと周囲を回転するように見渡してみても、先ほどのように景色が次々と切り替わることはないようだった。
しっかりとした、確度の高い世界。ある意味手抜きの自動構築ではなく、何者かによって丁寧に組み上げられたフィールドの可能性が出てきている。
「確かにミントは、リアルなマップ生成を得意としていたが、それでもやっぱり疑問が残る。自由に通信できないネットに対して、ここまで精密にマップの構築を? 考えにくい……」
夢の不条理性に任せた自動構築マップならばまだ分かる。あれは、生成リソースをプレイヤーの処理能力に任せた効率の良い方法だ。
しかも、粗があっても『夢だから』ということで見逃される。二重の高効率を実現していた。
一方こちらでは、そうした自動生成が行われている様子はない。人間に丸投げできない以上自分で作るしかなく、しかしここには神では通信が届かない。
今ハルが行っているように、人々の夢に相乗りして、大量の夢を経由することで通信強度を確保していたとしても、今度はその干渉がハルたちにバレてしまう。
そんな大規模なクラスター型の通信干渉を行えば、必ずその痕跡を残すはずだ。今のように、隠密に計画を進めることは出来ない。
「つまり、様々な要素を複合して考えると、この世界を作った犯人はミントじゃないという訳だ。なんだ良かった、悪い神様は居なかったんだね。事件解決!」
……とは、ならないだろう。こうして世界が存在している以上。
「……誰かが作らなきゃ生まれないよなー、こんなリアルなマップ。自然発生したとでもいうのか?」
誰に向けるでもない独り言を語りながら、ハルは少々勾配の急な丘を登って行く。
そうして丘の頂上へとたどり着き、そこから広がる景色を目にしたハルは、感動と共にいっそうの疑惑をその胸の内に深めるのであった。
「わあ、これはこれは、なかなか胸躍るファンタジー世界じゃないか。『分かってる人』の演出だ」
眼下に広がる雄大な景色は、水と森林の織りなす広大なフィールド。
その先にはこの丘よりずっと高い山がそびえ立っており、空気遠近によって霞がかって見えた。
そんな光景が一気に広がるこの演出。導入としてはばっちりである。
「……って、誰に向けた演出だ。ここに来てお一人様用ゲームだっていうのか?」
景色への感動を振り切って、ハルは再び現状へのツッコミを開始する。純粋に楽しんでいられる状況ではない。
この地へと来る際に、ハルは成年の男と共に転移してきた。その彼は、何処へ飛ばされたのだろうか?
ここがネットの外であり、ハルの手でこの地に飛ばしてしまったとすれば、それは責任を持って連れ帰らなければならないだろう。
「まずは彼との合流か。近くに居ればいいんだが……」
ハルは美しい遠景から視線をはがし、男を見つける為にもと来た道へと注意を向ける。
道中出会わなかったということは、丘のふもとへと降りたのか。今も夢の中を行くように彷徨っているのだとすれば、行動が読めない。
ともかく、何よりも情報収集。そう気合を入れてハルが動き出そうとした所に、男のものではない、そして夢うつつに寝ぼけてもいない、はつらつとした大声が掛かった。
「おーいっ! アンタ新入りーっ!?」
その元気な女性の声は、どうやらハルが背を向けようとした丘の下、水辺の輝く森の中から発せられているようだった。
*
「ちょっとそこで待ってなー!」
「……なるほど。やっぱりソロゲーじゃあなかったか。広すぎるもんね」
ハルが一人で納得している間に、声の主は高速でまっすぐにハルの方へと接近してくる。
足場の悪い水辺と岩場を短いジャンプで飛び越えつつ、素早いダッシュで距離を詰める。最後には、大ジャンプで崖のようになっている丘を越えると、ハルのすぐ隣へと正確に着地するのであった。
その身体能力は、現実な人間のそれではない。もちろんハルなら可能だが。
ゲーム特有の過剰なスペック。しかも、一般的なゲームよりも数段優れた、派手なアクションゲーム寄りの身体能力であった。
「よっ! ようこそ新入り君! この良く分からないゲームへ!」
「やあ。ハルだよ、よろしく」
「アタシはウェンディ! 分からないことがあれば、何でも聞いてくれよな!」
「そうか。じゃあウェンディ、このゲームの運営について教えて?」
「アタシも分からん!」
「……まあ、そうだろうとは思ったけどね」
がはは、とばかりに笑う姉御肌の女性。日焼けした露出の多い肌と快活な表情がまぶしい。
その様子は先ほどの男とは異なり、どう見ても夢の中に居るようには見えなかった。しっかりと、現状を把握しているのは間違いない。
とはいえ、そんな彼女でもこの世界が何なのか、そこはよく分かっていないようではあるのだが。
「頭はハッキリしてるかい? 今しがた夢を抜けてきたばっかだろアンタ?」
「そこは問題ないよ。目は冴えてる」
「へぇ。優秀じゃないか。アタシなんかしばらく、パニックになってオロオロしちゃったよ」
まあ、元よりハルは夢に飲まれてなどいない。そこは、問題になるはずもなかった。
「夢を抜けるって、なんなのあれは。あのゲーム? の続きなのかいここは」
「いいや、あれはただの入り口だね。面倒だし時間の無駄だからさー、無くしてくれないかなーって何時も思ってんだけどねぇ」
「なるほど。毎回あれを抜けないと、ここにはたどり着けないと……」
「そゆことー」
つまり逆説的に言えば、この世界から彼女らは何度も無事に現実に戻り朝を迎えている訳だ。そこに少々安心するハル。
しかし、そうなるとそれはそれで気になることが出てくる。何度も帰還者が出ている、しかも彼女の口ぶりからは複数人が。
であるというのに、このゲームの噂をハルは一切目にしたことが無いのである。
「……聞いたことないよ、こんなゲーム? みんなで揃って秘密にしてたの?」
「いいや。私らだってもーっと皆に教えてあげたい。でも、起きるときれいさっぱり忘れちまうんだよ」
「まさに夢ってことか……」
「……しばらく、プレイしていてもこれが本当に存在するゲームなのか、自分が見てる夢なのか、信じられなかったよ。はは」
だが中で他のプレイヤーと出会って、その者たちの話を聞いていくうちに、『どうやら現実らしい』とすり合わせが取れたようである。
「互いのリアルの状況教えあってさー。普通のゲームならご法度なんだけど、仕方ないよね。しかも、起きたらどーせ忘れてるし!」
「まあ、確かにね」
「アンタ学生? その若さだと」
「この春で卒業したよ。一応、社会人ってことになるのかな」
「おっ、新社会人! 会社の荒波は厳しかろうきびしかろう! がんばれがんばれ!」
「いや、会社員って感じではないんだけどね? 何て例えるのが適切なんだろう。役員?」
「クソエリートッ!!」
そんな感じでテンションと露出の高い彼女、ウェンディとしばらく雑談を交わすハル。今はとにかく情報が欲しい。
この地ではリアルの情報を晒すことも、そうした理由から普通のゲームのように避けられてはいないらしい。ハルは彼女のリアルも含めて、様々な話を教えてもらった。
「……そういえば、どうして僕が初心者だと? そんな感じのゲームなら、誰が迷い込んだって分からないでしょ?」
「あっ! ごめんごめん! 説明するのすっかり抜けてた! ちょっと大きな声で、『メニュー!』って唱えてみてよ!」
「メニュー」
「大きな声でーっ! もー、かわいくないなぁ!」
「起きれば忘れるからってやりたい放題だな……」
恐らくハルだけは記憶を引き継げるのだが、大丈夫だろうか? まあ、言わぬが花という奴だろう。
それはさておいて、『メニュー』と唱えたハルの目の前には、現実でもよく見るウィンドウパネルが表示される。アメジストが消したがっていた物である。
そのメニューウィンドウにはハルのステータスが表示されており、今はまだ『レベル1』であるようだった。
「RPGなのか……」
「そーそー。それでさ、端っこのマップ見てみて。私の表示もあるでしょ?」
「ああ、あるね。24レベル。そういうことか」
「そーそー。レベルはすぐに1から上がるから、初期レベルの人は確定で初心者ってことよ!」
「なるほど」
そうしてハルの姿を見つけた彼女は、お節介にも世話を焼きに来てくれたという訳だ。頭が下がる。
「さて、分かったかな少年? じゃあ、さっそく攻略に出かけよう! 時は金なり、急いだ急いだ!」
「……そんなに急ぐ必要が?」
「うんあるよ? 起きるまでがリミットだもん、このゲーム。『もう少し遊びたい』が許されない」
「なるほど……」
ある意味どんな廃人であろうとも平等な制限のあるゲームだ。
そんな謎の多すぎるゲームを、ハルは先住民の導きを得て、まだまだ何も分からぬまま攻略へと乗り出すのであった。




