第1215話 夢の出口を探して
ハルが巨大な泡の一つに手を触れると、すぐさま電脳体が内部へと引き込まれてゆく。
その勢いには抗えず、まるで渦に飲み込まれるかのようだ。まあ、触れたらパチリと音を立てて泡が消えてしまった、なんて事態よりはマシだろう。
ハルはその流れに無理に逆らうことなく、誰かの夢であろうその世界へと侵入する。
「《あっ! 繋がったっす! つながったっすよカナリー!》」
「《だから慌てすぎだって言ったんですよエメー。しかしー、予想よりもお早いお戻りでー》」
「二人とも。通信が復帰したのか? ふむ?」
「《そこは何処なんですー?》」
ハルは二人に、謎の空間と謎の泡についてを説明する。そして、その間にこの泡の中についてを見極めるべく、慎重に周囲を見まわしはじめた。
「……振り返っても景色が切り替わらない。これは恐らく、夢の主体が僕ではないからだろう」
「《まあさっきも正確にはー、主体はヨイヤミちゃんだったのですがー》」
「《そこは、なんすかね? 迷路、でしょうか? チューブの中って感じっすか、それともパイプの中って感じっすか。ごちゃごちゃと入り組んでいて、んー、そうだ! 言うなれば、宇宙船の中!》」
「宇宙船の廊下はもっとスマートだろう。ただ、言いたいことは分かる」
現実のそれではなく、SF的なイメージの宇宙船ということだろう。
円形の通路の中に、ごちゃごちゃと用途不明のエネルギーチューブや計器、バルブなどが乱雑に装飾として配置されている。
そのせいで、なんだか圧迫感があり、狭苦しく感じる通路であった。
「《どう見ても視界は通りませんけど、その通路は誰が定義しているんですー?》」
「そうだね。まずはそれを探そうか」
ハルはこの夢の主を探しながら、泡の内部に入った途端に通信が復帰した理由について考察する。
通信が行えるということは、ここはまだエーテルネットの内部ということ。そして、あの泡の境界面を越えることで、エーテルネットの影響範囲外に出てしまうのだろう。
あの先は、エーテルネットでも神界ネットでもない未知の世界。ハルたちも知らぬ、第三のネットワークの中であると思われた。
「研究所の人達が、モノリスから着想を得て見出したというネットワーク構造。それが、あの場所なんだろうか」
「《原初ネットって呼んでる場所ですねー》」
「《別次元からの、エネルギー取り出しぐちっすね! 確か、エーテルネットが普及する以前から人類はそれによって裏で繋がっていたので、いざネットの普及、という段階になった時にもスムーズに他者との接続が果たせたとか、なんとか》」
「《魔力の発生源とも考えられていましたねー?》」
つまりは、あの空間こそが『神の夢』? 異世界人が探し求めた、魔力を無限に生み出す源泉。
人が眠りを通じて、夢を通じて無意識に接続されている大領域。SFなどではよく聞くその場所こそが、あそこなのだろうか?
「その割には、何のデータもエネルギーも感じなかったけどね」
「《興味深いですねー。この中の探索よりも、私はそっちに興味がありますよー?》」
「《けどカナリー、わたしたちの通信はそこまで届かないんすよ? 探索しようがないっす》」
「《そうなんですよねー……》」
「まあ、今は再び合流できたことを喜ぼう。ぶっちゃけ、現状、出ようと思っても出られないしね」
迷路のように入り組んだチューブの中を、ハルはあてもなく彷徨い続けている。
だがハルがどの方向へ進もうとも、この世界の境界である泡の膜へはたどり着けず、延々迷路の中を行ったり来たりするだけだ。
「……おっと。またマップの切り替えだ。当人以外だと、容赦ないね」
「《世界が変異している瞬間を認識できるのは利点ですけどねー》」
「《壁の中に埋め込まれないよう注意してくださいよハル様!》」
「どう注意しろっていうんだ……」
幸い、ハルの座標に壁が出現するようなことはなく、必ずハルは通路の中央に配置されている。
夢の主が認識しておらずとも、マップ構築は訪問者の存在を考慮して行われているのだろう。
次々と切り替わる周囲の風景は、プレイヤーが今も活発に行動中であろう事を表している。
その者が移動したり、振り向いたりすれば、先ほどの遊園地のようにその視界に合わせて世界がその都度再構築されるのだ。
とりあえずハルは、その夢の主人と邂逅を目指して迷路を進む。
果たして、無事にその人物の元にまでたどり着けるのであろうか?
*
「あれっ? 人だ!」
「やあ、お邪魔してるよ」
しばらくの後、ハルは無事にこの夢を見ているだろう人物との接触を果たした。
コツを掴むのに少々苦労したが、マップの切り替わり、すなわち視界の移動のタイミングから、そのおおよその位置を計算し、徐々にその場へと近付いて行ったのである。
「て、敵か!」
「いや、多分違う。良く分からないけど」
夢の主である彼は、華奢な体の男性。その細い身体のラインが出る未来的な宇宙服に身を包んでいる。
ここの所ハルが相手にしていた学生たちよりも、年齢層が上の人物だった。なので少々新鮮だ。
「ハルだよ、よろしく。君は?」
「俺は、俺は、えーと、なんだ?」
「分からない?」
「ちょっと待って……、たぶん、分かるんだけど……」
「いや別に、無理に思い出す必要はないよ」
どうやら意識がはっきりとしていないようで、受け答えもあやふやだ。夢を見ている状態、ということなのだろう。
ハルが突然現れたことにも、驚きはあれど疑問を感じている様子はない。すぐに当然のことのように、順応し受け入れてしまっていた。
まあ、こんな振り向くたびに景色が入れ替わる世界に居れば、突然人が一人出てくるくらい大したことはないだろう。驚くに値しない。
彼の中では、ハルも単なる自分の夢の登場人物の一人なのだろう。そう思われた。
「それで、君は見つけたか?」
「見つけたって、何を?」
「何ってそりゃ、あれだよ。見つけるべき物を、見つけたかい?」
「難しい質問だ」
実に哲学めいている。まあ実際は、彼自身も何を見つければいいかがあやふやな感覚なだけなのだろうが。
しかし、この世界に何か目的があるという情報は収穫だ。ただ単に、無限に人を惑わせる不思議の国に放り込まれただけではなかったようである。
「何が必要なの? 出口?」
「出口……、出口は確かに、必要だ……」
「それとも何かの宝物?」
「宝……? 宝は別に、探していない、いや、何かしらのアイテムは、必要だった……?」
「僕に聞かれてもねえ」
適当すぎるハルの対応にも、彼は気にした様子はない。本質的に彼は、ハルと会話していないからだ。
発言はほとんど自問自答に過ぎず、その瞳はハルに焦点を結んでいない。
ならばこれは会話ではなく、ハルの言葉は彼の意識に波紋を立てるため投げ入れられた小石。ただの呼び水に過ぎなかった。
「ふむ? つまりこうしてぼーっとした彼の耳元で囁き続けて、僕の望む方向へと誘導していくゲームかな?」
「《催眠っぽい趣きがありますねー》」
「《相手が女の子じゃなくて良かったっすね! 女の子だったら、一気に犯罪臭アップっすよ!》」
「《ベッドへ誘導ですよー?》」
「やめんか。彼に聞こえる」
そんなハルたちの与太話にもまるで気に留めず、彼はこの場を離れてどんどん先に進んでしまう。
ハルを仲間や同行者と認識していないので、待つとか歩調を合わせるという意識も皆無であった。
足取りはおぼつかないくせに、そのスピードだけは速くまた思い切りもいい。彼は通路に扉を見つけると、次々と開けてその内部へと身を滑り込ませて行く。
「何処を目指しているんだい?」
「どこ……、何処だろうか……? たぶん、重要そうなところだ」
「重要区画か。ブリッジとか、コントロールルームとかかな?」
「コントロール……」
ハルが言葉をかけると、何かを思いついたように彼の動きが変わる。それに合わせ、変異を続ける周囲の風景にも、また変化が表れた。
「おっ、区画の重要度が上がった感じがするね」
「《ちょっと高級感が出てきましたねー》」
チューブ類が床や天井にむき出しでうねるように這っていた通路は、気付けば多少整えられて、束ねられ壁に一直線で整列されていた。
お金をかけて整えられた感じのある背景は、探索が一段進んだ実感をハルに与えてくる。
それとも、別に段階が進行した訳ではなく、単に雰囲気が変わっただけなのだろうか?
「この区画には何かあるのかな?」
「あった気がする。何か、俺は探していた?」
「アイテムがあるんだったね」
「そうだ。何かある」
「無人の宇宙船を探索して見つかるアイテムは、きっとカードキーだ」
「なるほどな。俺もそんな気がしてきた」
「ちょっと楽しいなこれ」
「《危ない趣味に目覚めてますよー?》」
「《ハル様が催眠にハマってしまったっす!》」
気分はまるで、オートで行動する主人公に適切な指示を出して誘導するプレイヤーだ。ここでのプレイヤーは本来、彼のはずなのだが。
だが夢の中で前後不覚な彼は、己の目的意識がはっきりしない。そこで意識のはっきりしたハルと組むことで、効率よく探索を進められるのである。そう、これは協力なのである。
「あった。カードキーを見つけたぞ」
「よし、あとは、それを使う為の扉だね」
「扉……、どんな扉だろうか……」
「きっと重要な扉だ。他よりも厳重で、きっと一回り大きい」
「それは、何処にある……?」
「さて、どこだろうか? でもきっと、施設の奥の方だろうね」
「分かった。行ってみよう」
「……しまった。『すぐ隣の部屋だ』とか言うべきだったか」
「《納得感は重要ですよー?》」
「《そっすね。不発になって、振り出しに戻っても仕方ないっすし。急がば回れですよハル様》」
そうして、しばらく彼が満足するまで探索に付き合うと、ようやくハルはその終点であるらしい扉にたどり着く。
彼がカードキーを差し込むと、その扉は音を立てて開き、その先には光に満たされた世界が広がっていた。
ためらいなく飛び込む彼に続いて、ハルもまた覚悟を決めその扉をくぐる。
その先は宇宙船の通路が生成される様子はない。果たして、この先には何があるのか。ここが、この夢の出口であるのだろうか?




