第1214話 浮かび上がる夢の泡
「なるほど。やはりここで矛盾に耐えきれなくなったか」
「《いや、『やはり』じゃないっすよーハル様ー。まったくもー、廃人の方々はすーぐこうやってゲームを壊すんですからー》」
「《でもこれはさすがにー、世界側が脆すぎましたねー? 特殊演出の構築で満足して、それが破られた時の対応を考えていなさすぎですよー?》」
「まあ、自分でやっておいてなんだが、対処を考えておけという方が無茶な話ではある」
人間は空を飛ばないし、背後に目は付けられない。物理的に。
そんな例外への対処などわざわざしていてはその方がリソースの無駄だ。常識的に考えればそうなるかも知れない。
「それに、本来この世界へ招き入れられるアリス役はヨイヤミちゃんのはずだった。普通の人間の、睡眠時の精神状態がどうなっているのかは分からないが」
「《普段よりも判断力が落ちている可能性が高い。ということですねー》」
「そういうことだね」
普段極まったプレイヤーが検証作業を行う時のように、冷静すぎる対応を取れる精神状態なのかは怪しいところだ。
夢という物はおぼろげな主観で認識されるものらしいので、すぐ目の前の対処で精一杯になってしまうのかも知れない。そこは、夢を見ないハルたちにはとんと分からぬ感覚だった。
「しかし、そんな前後不覚な状態の人間を閉じ込めて、何がしたいんだ? 判断力を失った人間の方が、操りやすいとかそういうことだろうか?」
「《ハルさんー。ナチュラルに支配者モードが出て来てますよー》」
「《魔王様っすねー。常日頃から、人間を奴隷にして支配したいと思ってるんすねー。わたしたちでは出ない発想っす。恐ろしいお人っすよー》」
「いやそんなつもりは……」
確かに、神様たちは基本的に人間の守護者としての出自をそのまま継続しているので、そうした発想は出てこないか。
……いや、別にハルがこんなことを言い出したのも、無意識に人間を支配したいと考えているとか、そういうことではない。
単に、ゲームのやりすぎの者が放つゲーマージョークというだけなのだ。そのはずなのだ。
「ともあれ、目的が分からないのは確かだ。この世界が崩壊した後、裏側がどうなっているのか確かめて……」
「《…………ハルさんー? ハルさんー。聞こえてますかー?》」
「ん? どうしたのカナリーちゃん。通信の調子がおかしいかい?」
どうやらそうらしい。遊園地のキラキラと光り輝く照明を照らしたまま、崩壊していくこの世界。そんな破片の飛び散る様は美しいが、それによる影響は無視できないようだった。
世界が砕け散ると共に、カナリーたちとの通信も途切れ途切れとなっていく。これは本格的に、現世との繋がりが途絶え、夢の世界にハルの精神が引きずり込まれようとしているのか。
「まあとりあえず、ここからは僕一人で調査するとするよ。そっちで説明はよろしく」
もう聞こえていないかも知れないが、現実に残った女の子たちへの説明などをカナリーに任せ、ハルはこの崩壊する夢世界がこの先どうなるのか、それを一人で探っていくことにしたのであった。
*
「さて。完全にリンクが途絶えたか。ここからが本番だね。体は黒曜に任せてあるし、まあ大丈夫だろう」
世界が色とりどりのガラスを砕いたかのように七色の破片となって飛び散って、ハルの視界内には一切の風景が消失した。
上も下も存在しない、一面の闇。まさに未定義のままの舞台裏といった感じの世界ではあるが、ここは一体何なのだろうか?
「精神を幽閉する先、というには、少々殺風景が過ぎる。ミントの計画の一部とは思えないね。やはり舞台裏に迷い込んだか」
ミントの目的は、肉体から離れ、電脳世界に永住することをプレイヤー自らが望むこと。いわゆる『ログアウト不可』の状態を、本人の同意の上で永遠に継続することだ。
それには快適で何不自由ない環境が不可欠であり、こんな何もない空間に閉じ込めればそれで良いという話ではない。
あくまで、お互いにとってメリットのある平等な契約。神様として、そこはきっちりと守っているミントだった。
「まあ、アメジストのような例もあるから油断はできないけど」
逆に言えばアメジストでさえも、生徒達には決して被害を出さぬよう、そんな設計を心がけていたともいえる。
ならばこんな不安を煽るだけの空間は、逆説的にミントの仕事ではない。そう結論付けてもよさそうだった。
「だけどそれはそれで、減点だよミント。僕のような例外だったとはいえ、ユーザーをこんな暗黒空間に放り込むバグを残すなんて。もし偶然世界を砕いてしまう人が出たら、どうするつもりだったんだ」
まあ、偶然空を飛ぶことを自在に定義できて、偶然後ろに自在に目を作り出せて、偶然それを夢うつつの状態でも冷静に実行できる人が居れば、の話になるので、ハルも本心から責める気はない。
正直ここに落とされたのは、ハルの自業自得だ。あの遊園地を、明確に壊す気で行ったのだから。
なのでこの場に落とされた普通の日本人が出ても、同情はできない、と言いたいが、運営としてはそうもいかないだろう。
客の故意による事故であろうと、自分のゲームで生じたものならば全力で助ける責任がある。
「……あるんだけど、仕様上無理ってことはないだろうねミント? 通信途切れてるのは僕だけで、お前は緊急対応出来るんだよね?」
呼びかけるも、返事はなし。これは、ハルが計画の障害となる者だから無視しているだけだと信じたい。
エーテルネットにも神界ネットにも接続しているハルが通信出来ない。これが、ミントの妨害であるならばまだいい。
だが、もしこれが仕組み上通信不可の空間であれば、少々不味いことだ。
「僕が通信不能ってことは、神様も通信は出来ない場所ってことになる。そこに落ちたら、誰も助けられないぞ……」
まあ、そのためにハルが居るのだと言われればその通りなのだが。
だがミントも、そんな緊急対応の為にハルを顎で使うような事はするまい。しない、と思いたい。
「……とりあえず、ここが何処なのかの調査からだね」
わき上がってくる悪い想像を振り切るように、ハルは暗黒の空間を調査することに決める。
幸い電脳体の定義は維持されており、ハルとしての形は保たれている。飛行機能も健在で、この空間でも自在に移動が出来そうだ。
ハルはその飛行能力を駆使して、導のまるで見当たらないこの世界を飛び回り探索する。
念のため、最初の位置に戻れるようにどのルートをどれだけ辿ったかのパンくず機能も忘れずに。
「どうやら、完全な漆黒って訳じゃなくて、微妙な濃淡があるようだねこの空間」
ハルが目を凝らし解析してみれば、暗黒の空間は完全な黒の世界ではなく、微妙に明るい方角、暗い方角があるようだ。
特に一方面が明るく、逆は暗い、そのようになっている。ハルは明るい側を『上方』と定義し、そちらに飛行し進んで行った。
ハルが移動するとそれに合わせ周囲の明るさも増していき、気分も比較的安心できる雰囲気に変わって来る。
そんな『上層』においても、特に明るい方角と、そうでもない方角に分かれているようだ。これは、『左右』、いや『東西南北』の話となる。
「まあ、意味ないだろうけど、とりあえず一番光量があるのが『北』ってことで」
ハルは脳内でワールドマップを構築すると、その明かりの方角へと向かい進んで行く。
進むごとに周囲の光量もまた増えていき、どうやら光源があるらしいと確信が持てた。
そして、徐々にその光源が視認できるようになっていく。ハルは“それ”に向かい、速度を上げて一直線にたどり着いた。
「これは、泡かな? 輝く巨大な泡。ふむ……?」
泡と言っても、通常目にする小さなサイズではない。ハルの身の丈を優に超える、建物も丸ごと包み込みそうな泡。
それが自ら輝きを放ち、ゆっくりと浮上して行っているのであった。
そして、その泡は一つのみではない。この大きな泡の周囲には、同様の大きさの、いや微妙にサイズ感の異なる泡が離れた場所に確認できた。
ハルはそちらに向けて飛び、それらを一つ一つ近くから確認していく。
どうやら、この一帯には数十の泡が、群れを成すようにして固まって配置されているようである。
「同一の発生源から生まれた泡か、それとも個々の泡は何らかの要因で引き合ってここに居るのか。あるとしたら後者かな?」
見た目がシャボン玉のような泡だからと、物理的な原因で生じたとは思えない。とはいえ、これらが無関係とも思えない。
ならばこれらは天体のように、互いに引力で引き合って、と推測するのが自然だろう。
そうすると、この泡の正体、そしてその中身にも自然と思い至るというもの。ハルは探偵が推理を告げるように、その正体を宣言するのであった。
「この泡はさっきのような夢の世界であり、この中にはそれぞれ夢を見ている人の意識が入っている。つまり僕はこの泡を叩き割って、自力で中から出てきたという訳だ」
口にして、そこそこ合っていそうな推測ではないかと、ハルは内心で自画自賛する。状況から見て、その可能性は高そうだ。いや、他にはあまり考えられない。
「……ということはつまり、ここは夢の泡が浮かび上がってくる世界? なんだか聞いた事のある気がする話だね」
であればさしずめ、ここは無意識の海の世界ということだろうか? 人々は皆、夢を介してネットワークを構築している。アイリスたちと立てたその予測とも一致した。
となれば、この場に通信が届かないのも納得できる。ここはエーテルネットでも神界ネットでもない、原初のネットワーク。
モノリスに記され予言された、人類が初めから所持していたネットワークなのだろうか?
「とりあえず、この泡を調べてみれば何か分かるだろうさ。……いや、これ、触れて大丈夫だよね?」
触ったとたんに弾けて割れて、中の人が飛び出して来たりはしないだろうか? そうなるとハルが、電脳誘拐犯になってしまうのだが。
「まあ、その際は責任を持って僕が助けるさ……」
そうしてハルは覚悟を決め、その泡の中の一つに、ゆっくりと手を触れていくのであった。




