第1212話 生まれてこのかた初めての
ヨイヤミの開けた扉の先からは、煌煌と明かりの輝く闇夜の遊園地が広がっているのが見えた。
これはかつて、彼女が創造したマップ、それと一見同じに見える。
ハルとアメジストの戦いによって最後には全てゼロに戻ったあの世界。当時のデータが、ひそかに保存されており蘇ったのだろうか?
「んー? なんか微妙に私の遊園地と違う気がする。こんなだったっけ?」
「《いえー。どうやら違うようですよー、ヨイヤミちゃんー。こちらで記録はしていますがー、その際のデータと明らかに違いますー》」
「わお。いつの間に記録を」
「《可能な限りこの状態でデータを取りますんで、まだ入らないようにしてくださいっす!》」
よもや、ヨイヤミをピンポイントで狙った罠だなどという事はないだろうが、あからさまに怪しいのは確か。
ヨイヤミの遊園地という合致がある以上、もう偶然では済まされない。これは、再びアメジストの関与がある事件か、少なくとも彼女の技術を転用した計画であることに間違いはないからだ。
「《あんにゃろー、ミントと接触しやがりましたかねー?》」
「《それとも、実はあっちにも最初からミントが関わっていたんすかね?》」
「あんにゃろー! あははは!」
「あんまり変な言葉憶えると、またルナに怒られるよ?」
「ルナおかーさん厳しいもんねー」
「お母さんと言ってあげるな……」
教育ママである。むしろ本当の母親役であるはずの月乃より躾けに厳しい。
まあ、それは今はいいとして、やはり偶然のタイミングの一致ではなく、一連の事件は繋がっているということが、ほぼ明らかとなったと言って良いだろう。
アメジストと接触があったか、裏から観察しており技術を体得したかは知らないが、確実に彼女のゲームが発端となっている。
「ねーねーまーだー? まだ入っちゃだめー?」
「《落ち着いてくださいっす! 安全確保が最優先っすよ!》」
「《とはいえー、妙な信号は観測できませんねー。入っても問題はないんじゃないでしょうかー》」
「やった! 行こう、ハルお兄さん!」
「あくまでまだ入るだけだからねー」
ヨイヤミに手を引かれるようにして、彼女と手をつなぎハルは扉をくぐる。
まるで転移してマップ移動したかのようなその先では、見るからに楽しげな遊具と、心躍るテンポの音楽がお出迎えしてくれる。
かつては彼女の兵隊だったピエロをはじめとするキャストたちが、今は普通の案内員として、またはお客さんの代わりとして、無人の遊園地に華を添えていた。
「ふむ! やっぱり、電脳体で来ると一味違うね! 体は不便だ! ……それとも、私の遊園地よりこっちの方がクオリティ高いのかなぁ?」
「いいや。別物ではあるけど、クオリティに関しては特に差異を感じないよ」
「じゃあやっぱ、私の感じ方の違いかー」
「《ユキ様もそうですが、ネット適正の非常に高い方はそうなりがちのようっすね》」
主観の上ではほぼ変わらないはずだが、前回のゲームは肉体をもって直接遊べる体感型ゲーム。対してこちらは電脳空間だ。
ユキがよく『肉体に居る間は靄が掛かった感じがする』と言うように、両者の感じ方は個人によって差が生じる。
ヨイヤミも同様であるようで、どうやらこちらの世界の方が、『リアリティがある』と感じられるようだった。こちらでは、身体が自由に動かせるという違いもあるだろうが。
ハルにとっては、どちらもあまり違いはない。これが、個人的主観の差ということなのだろう。
「ねぇねぇお兄さん。遊ぼう遊ぼう! やっぱり、他人の作った遊園地の方が、楽しそうだよね!」
「そういうものかね? まあ、自作だとどうしても、何処に何があるか分かっていてワクワク感がないか」
「そういうものー!」
元気に駆けまわれる足を得たヨイヤミに、ハルは引っ張りまわされる。彼女はどんな単純な遊具でも楽しそうに、目を輝かせるようにして乗りたがった。
ハルはそんな彼女を決して単独行動させないように、常に離れぬよう付いて回る。まるで保護者だ。
幸い、個人専用の遊具という物はなく、ハルが搭乗禁止を告げてヨイヤミを悲しませることは無いままで済んでいた。
「次はあれに乗ろうよハルお兄さん! あはは、コーヒーカップだ。何が楽しいんだろうねー。あっはは!」
「そう言いつつ楽しそうだね」
「そ、そなことないよ……? ほ、ほら! 別にどれに乗っても、待ち時間ゼロだし! なんでも乗ってみないと!」
「《ハルさんー、無粋ですよー》」
「《そっすよ。さいてーっす》」
「悪かったよ……」
どんな遊具であろうとも優先搭乗券対応。貸し切りの遊園地に二人きり、乗り放題の遊び放題。
そうしてキャストに導かれながら、続けざまに遊具に乗り続けたヨイヤミ、ここにきて少々疲れが出てきたようだ。
ゆったりと回るコーヒーカップに目を付けて、ハルと二人で中に乗り込む。
「うー、さすがにちょっとはしゃぎすぎたー。ゆーっくり回してー。……おっ、ゆっくりになった」
「……やっぱり、君の遊園地であることに変わりはないんだね」
「そのようだ! ……ぐでーっ」
「お疲れだね」
背もたれに全力で身を預けるように、ぐでー、っと寄りかかるヨイヤミ。そんな彼女をあやすように、コーヒーカップは低速でのんびり回転を続ける。
肉体は無いが、はしゃげば疲れる。特に、今の彼女は肉体的にも半ば眠りに落ちかけているのだ。この世界では、身体が消えかけているに等しい。
「あー……、これ寝落ちする奴だ……」
「無理しないで、そのまま寝ちゃっていいからね」
「……うん。だんだん、ぼーっとしてきた。あとよろしく、お兄さん」
「ああ」
徐々にヨイヤミの反応は鈍くなり、その視線は虚ろになっていく。現実でいえば、うとうととしている状態だ。
普通であれば、このまま肉体が睡眠に落ちると同時に強制ログアウトして、彼女の体もこのまま消えることだろう。
ハルはその様子を暖かい目で見守りつつ、油断なく状態を観察する。何か起こるとすれば、ここからだ。
「《ハル様。異常事態っす。さっきから、妙な反応が検出されっぱなしっすよ。どーします?》」
「ヨイヤミちゃんへの流入を切れ。その異常データ、僕の方で全て引き受ける」
「《らじゃっす! くれぐれもお気をつけて!》」
眠りに落ちる者へと襲い掛かるミントの陰謀が、ここでついに牙をむいてきたようだ。
そこからヨイヤミを守る為に、ハルは彼女に施しているネットへのアクセスフィルターを全開にする。
すぐにコーヒーカップの上から彼女の姿は消え失せて、このヨイヤミの遊園地には、ハル一人だけが取り残されることとなったのだった。
*
空間が歪み、景色がひしゃげていく。まるでそんな錯覚が、ハルを襲う。
乗っていたコーヒーカップはどろりと溶けて、ハルの体は強制的にその外へと追い出される。
それどころか道も建物も輪郭をあやふやにして、世界そのものが非常に不安定になっているようだった。
「カナリー、エメ。どうなっている。むしろ通じてる?」
「《聞こえてますよー。マリーの時のように、オフラインにはなってないみたいですー》」
「《しかしどうやら、肉体との接続は半ば遮断されてるみたいっす。ハル様、そこからお体動かせます?》」
「……うん、無理だね。幽閉されたか。少々懐かしい感覚だ」
「《落ち着いてる場合っすか!》」
「《まあー、通信出来てるので、そこまで慌てる段階でもないですからねー》」
かつて、マリーゴールドの罠によって、精神を幽閉されたことがあるハルだ。その時の感覚に、似たものを感じる。
とりあえずは、これが計画通りでもある。特に慌てる必要はない。ただ、肉体を放置しておくのもよくないだろう。皆に心配をかけぬよう、そこだけは先に対処しておかなくてはならない。
「黒曜。聞こえているか?」
「《はいハル様。何なりとお申し付けくださいませ》」
「しばらくの間、僕の体を任せた。別に危険はないだろうけど、脱力させたままもよろしくないだろう」
「《御意に。お任せください。今は、カナリー様が支えていてくださいますよ》」
「すまないねカナリーちゃん」
「《いえいえー。なんのなんのー、ですよー?》」
「《手ーぷるぷる震えてるっすよカナリー。ウケるっす》」
「《エーメー? ハルさんの体が持ち直したら、覚悟しておきなさいよー?》」
そんな二人の会話を微笑ましく聞きつつ、ハルは意識を改めて目の前の世界に集中させる。
溶け落ちたコーヒーカップから抜け出し、とりあえずの一歩を踏み出すと、次の瞬間にはもう足元にはカップの痕跡はもう存在していなかった。
いや、カップだけにとどまらない。その場はもう一切コーヒーカップ乗り場ではなくなっており、まるで気付かぬうちに転移でもしたかのように様相を変えている。
ハルが一歩踏み出せば、まるで空間圧縮したかのようにその一歩だけで遠く離れた施設にたどり着き、次の瞬間にはハルはおしゃれなレストランの屋内に居た。
「……危なすぎるだろ。これが夢なの? 普通の人って、普段からこんなヤバい物を見てるの? 尊敬した方が良いのかも知れない」
「《私たちには縁がありませんからねー。ただ、情報によれば、ほとんどの人は夢の最中はそうした違和感を抱くことはないらしいですよー?》」
「なるほど。常識のすり替えか」
そんな、ハルにとっては生まれて初めての体験。ある意味危険すぎる、夢の世界の探索がスタートしたのであった。




