第1211話 宵闇に落ちる夢
ハルはヨイヤミに、現状日本で起こっていると思われる事態について説明していく。
いきなり荒唐無稽が過ぎる話だが、ヨイヤミはすぐに納得し喜んで協力をかって出てくれた。
「《わかったよお兄さん! 私がんばる! ……でも、私で大丈夫かなぁ? ハルお兄さんにも分からない、夢の世界なんでしょ?》」
「不安にさせちゃってすまない。でも、必ず僕が守るから安心してほしい」
「《わーおっ。ナイト様だ! 不安は、少しあるけど、それよりお役に立てるのかなーってのが心配かなぁ》」
「それも安心してよ。君なら出来るさ」
遊びたい盛りのいたずらっ子に見えて、ヨイヤミは人類屈指の処理能力を有している。
ハルたちの戦いを見て少々自信を喪失しているようだが、力を借りるにあたり彼女の能力になんら不足は感じていないハルだ。
それに、ヨイヤミに協力してもらうことにはもう一つ重要な意味がある。
彼女が渦中の重要な要素であるエーテル過敏症患者の一人である、という事はもちろんあるが、それ以上にその症状を抑制しているのがハルだというのが大きい。
もしかすると、今ヨイヤミだけは睡眠過多の症状が出ていないのは、ハルが間に挟まっているからかも知れなかった。
「……いや、単に遊びたい欲が大きく上回ってるだけかも知れないけど」
「《どしたの? お兄さん?》」
「いいや? 君のデータ入出流は僕がクッションになって制御しているだろう? だから、何か危険なことがありそうだったら、僕が身代わりになって守れるってことさ」
「《おお! 保護者規制に、初めて良い部分が!》」
「……いや、最初から君を守る為の規制だからね?」
まだまだハルがデータ量を制御していなくては、ヨイヤミの意識はすぐに肉体の制御を手放し、ネットの海へと旅だってしまう。
それを防ぐため、ハルは彼女に決して全力を出させないように常に制御を続けていた。そうすることで初めて、ヨイヤミは社会復帰できているのである。
もしかすると、そうやって肉体と精神との関連性が薄くなっているからこそ、今回の事件で真っ先に症状が出ることになったのかも知れない。
ちなみに、『規制』とはいってもヨイヤミが閲覧するコンテンツに関しては一切の制限を課していないハルだ。
そこはもう、本人の裁量にて十分に判断できる程度には成熟しているだろう。諦めているだけ、とも言える。
「《そうと決まれば、善は急げだよハルお兄さん! ほらほら、制御弁開いて開いて!》」
「確認しておきますけどヨイヤミちゃんー? これからヨイヤミちゃんは寝るんですからねー?」
「《分かってる! ……分かってるけど、寝られるかなぁ?》」
話に興奮して、完全に目の冴えてしまったらしいヨイヤミ。彼女を寝かしつけるには、少々苦労するかも知れなかった。
◇
「おっけー。寝たよー」
「いや。起きてるからね?」
「うー。難しいよー。寝るのって、どうすればいいのかな? 改めて言われると、わかんないよー」
「そこに関しては、申し訳ないが僕らではどうあがいてもアドバイスしかねるね……」
ハルと共に、意識を電脳空間へと移したヨイヤミ。体は既に眠っているような見た目となっているが、定義の上ではまだまだ起きたままだ。
ハルの場合は、この状態から先に移行することは決してない。
「《安心していいっすよヨイヤミ様。わたしたちが外で、貴女の身体を睡眠状態に導きますんで。とはいえ、慎重にネットの状況をチェックしながらになるっすから、今すぐに熟睡、という訳にはいかないのは勘弁してほしいっす》」
「わかったよ! あと『様』はいらないってばーエメお姉さんー」
「《……っす》」
相変わらず日本人である者に対しては、敬意という名の負い目があるエメをハルは苦笑しながら見守る。
彼女に関しても、少しずつ増える日本人との触れ合いを通して症状が改善されてゆけばいいのだが。
とはいえ、そこは今の本題ではない。目の前のことに集中することを、ハルは己に言い聞かせた。
「《どうですかー? ヨイヤミちゃんは今、『うとうとしてる』って感じの状態のはずですがー》」
「……うん。スペックが下がってきてやがるぜぇ。くっそー、負けてたまるかー!」
「抗うな抗うな。いや、普段通りに自由にやった方がいいのかな?」
なにせ、眠れば必ず見つかる物ともいえないのだ。何を切っ掛けに、夢の世界への扉が開くか分からない。
「もしかしたら扉は、そうやって一秒でも長く遊んでいたいという意志の下に現れるのかも知れないんだから……」
「《またハルさんはそんな適当な推測してー。ヨイヤミちゃんを振り回すんじゃないですよー?》」
「おっとすまない」
気を付けなくてはならない、今この場で検証を行っているのは、ハルではなくヨイヤミなのだから。
いつもの調子で、色々と無茶ぶりじみた実証実験を考案するのは止しておいた方が良いだろう。
「う~~む。それは別に構わないんだけどさお兄さん?」
「どうしたの?」
「いや、私さ、今まで一度も、そんな夢の扉じみた物を目にしたことがないんだよね。それって私たち、過敏症患者が影響されやすいってお兄さんは考えてるみたいだけど、私は欠片も見たことがないのはどうなのかな、って」
「……なるほど。前提が、そもそも的外れだった?」
「あっ、いや! そういう訳じゃないよお兄さん。ただ、私の場合普通の患者と少し違うっていうか、なんてゆーか。能力が最強なのはもちろんだけど、今はハルお兄さんが通信制御しているじゃない? もしかしたらそれで、ってね?」
「確かに、一理ある」
ヨイヤミにはこれまで、一切この事件に影響された兆候が見られなかった。それは、ハルが間に入り通信を制御していたことが要因の一つとして思い当たる。
であるならば、このまま彼女と共に調査を進めていても成果は決して得られない。そういう結論にもなるのであった。
「ね、ね。だからさお兄さん。いったんお兄さんの制御弁を解放して、水門開いてよ!」
ヨイヤミのイメージでは、データは水でハルの制限は水門といった扱いのようだ。いや、これはハル側のイメージが影響しているのか。ハルもまた、よくネットを水に例えている。
そんな水門を、開放していいものかという事には少々迷いが大きいハルだ。
別に、ネットの海に直接さらしたからといって、ヨイヤミにただちに害が出る訳ではない。
しかし、それをさせない為にわざわざ閉めていた扉だ。安易にここで開いてしまって、彼女の回復に悪影響が出ては元も子もなかった。
「……せめて、調査の利になるという確証が欲しいな。エメ」
「《はいっす!》」
「入院中の子供たちのデータを参照。彼らの睡眠時間に、例の睡眠障害の影響が出ていないかを調べろ」
「《了解っす! すぐ調べます! 調べたっす! 結果を申しますれば! どうやら彼らは影響を逃れているようです!》」
「《むしろー、五人中四人は睡眠不足の傾向がありますねー。これは、環境変化による緊張が出ているからかもですけどー》」
「ふむ……? ストレスで睡眠時間が減っているだけか、あるいは……」
「私と同じで、通信制御しているから影響が出てないんだよ!」
その可能性が考えられる。彼らはハルが組んだシステムにより、疑似的にヨイヤミと同様の通信量制御が課されている。
その結果、今回の事件の影響から免れているというのなら、ヨイヤミの言う案はやはり正解に近い可能性は高くなってきた。
「ねえねえー。やろうよやろうよーお兄さんー。あけてあけてー」
「分かった分かった。はしゃぐなって、起きるぞ?」
興奮し今にも目が覚めそうなヨイヤミの勢いに負けるように、ハルは彼女の通信制限を解除していく。
閉ざされていたデータは、もはや水門どころかダムが決壊するかのごとくハルたちの元に雪崩れ込む。
そのデータの濁流を全身で浴びるようにして、ヨイヤミは満面の笑みではしゃぎ回るのだった。
「うっひゃー! シャバのデータだー! 楽園の水門、ここに開放! ひゃっほーいっ!」
「こらこら。あくまで事件の調査を、」
「さっそく遊びに行ってみよう! さーて、どこいこっかなー、ぐえっ!」
「僕を出し抜こうとは良い度胸だねヨイヤミちゃん。逃げられると思った?」
「むぎゅー、すとっぷ、すとっぷ。冗談だよお兄さん。門閉めないでー、首も絞めないでー」
開かれた水門から、すぐさま飛び出しネットの海に旅立とうとするヨイヤミの首根っこをハルはがっちりと捕まえる。
小さな女の子にする対応ではないが、甘い対応を見せるとその瞬間に飛び出してしまうだろう。先が思いやられる。彼女の社会復帰は、実に前途多難であった。
「……離すけど、逃げ出さないように」
「はーいっ!」
ハルはヨイヤミの首を離すと、目の前に現れていた水門と暴れ狂う水のイメージも消去する。
だが見た目が収まっただけで、今もヨイヤミに流れ込むデータの量は変わらず膨大なまま。さて、何か変化があるのだろうか?
「消えちゃった?」
「見た目だけね。まだ水門はそこにあるから、安心してほしい。何かあったら、すぐ閉められるからね。……君が逃げ出した時とか」
「うぐっ! でも、危険があったらすぐに守ってくれるってことだもんね!」
「その通りだよ」
現実の門と違い、閉じるのは一瞬だ。ヨイヤミに何か危機が迫ればこの門を閉じ、ハルが脅威から彼女を守ろう。
とはいえ今のところ、そんな脅威どころかネット世界には異変の一つも見当たらない。危険が無いのはいいことだが、これでは進展もない。
これは彼女が興奮し眠りから遠ざかったからか、それとも、まるきり見当外れだっただけなのか。
「睡眠薬マシマシ、いっとく?」
「犯罪じみた例えをするんじゃない……」
「でもこの力があれば、狙った女の子にえっちなことし放題だよね。きゃー、警察のひとー」
「えっちなことどうこう以前に、眠らせた時点で重犯罪だよ。本来、医者にしか許されてないんだ」
「ほえー。……あっ、そうだ! 私が寝るんじゃなくて、私が寝てる人の体をハッキングしてそこから辿るのはどう?」
「面白い発想だね。でも、ここからじゃちょっと難しいかもね?」
「あっ、そうだった。ここ地球じゃないんだ……! 自然すぎて忘れてた!」
ハルはヨイヤミと雑談を交わしつつ、何かしらの違和感が表れないか、油断なく彼女の状態をチェックする。
そんな中で、ついにヨイヤミが、何かの異変を感知したようだった。
「お? あれなんだろ? ……扉だ! ハルお兄さん! 扉があるよ、きっとあれだよ! 夢世界への扉!」
「本当に扉が出た? 例えで出しただけなんだけどな」
まあ、言葉のイメージに引っ張られただけ、ということもある。ここは電脳空間、精神世界のようなもの。
ハルたちはそんな、突如出現した扉へと、慎重に近付きその取っ手を回していった。
「わお。これは、なんだか見覚えがありますなー」
その扉の先に待っていたのは、かつて彼女がアメジストのゲームで作り上げた、宵闇に映える遊園地の世界であった。




