第1207話 春の眠り病
「じゃあ、ここは仮に、ミントがモノリスの、というよりもアメジストの技術を活用して何かしようとしていると思って見ていこうか」
「そうね? そうよね! 既存の手法を使っていないなら、いつまで探しても見つからないままだもの」
「アメジストの時は、それで後手に回ることになったからね」
「方向性は悪くなかったんだけどなぁー」
つい、ハルの知る技術の応用で彼女が何かやっているという視点に固執しすぎてしまった。
実際に、アメジストの使っていた技術は既存の技術の発展形も多かったのだが、少し視点が違うだけで見えなくなるものばかり。ここは、彼女の才覚を素直に賞賛すべきだろう。
「といっても、ハル様? あいつ、何を活用してると思う? アメジストのゲームそのままだと、ミントの目的には、合わないと思う」
「コスモスの言う事も尤もだね」
「あの子は、人間の精神だけを肉体から切り離して、独立した生命体にしたいのよね?」
「んだなー。一方、アメジストは肉体ごと転移させてゲームさせるっつー、今までにないタイプだ。ぶっちゃけ合わねー」
「ミントの目的には、肉体なんて邪魔なだけだもんね」
「ん。全く同じ手法を使ってるとは、考えにくい」
ガザニアの異空間を活用した、体感型ゲーム。しかしその肉体そのもので体験するという行為こそが、ミントにとっては邪魔なだけだった。
「いちおー、肉体を異空間に保管して、眠らせたまま維持管理するって使い方もあるけんどもなー」
「現実的じゃないよアイリス。眠ったままの人間の体調維持ってのは、思ったより面倒だ。異空間に放置なんてしていたら大変だ」
「どーなる?」
「すぐ死ぬ」
「人間は脆い。ずっと寝てられないなんて、かわいそう」
「おめーはもっと起きて働けな?」
ミントも別に人間を嫌いな訳でも実験動物扱いしている訳でもない。むしろアメジストよりずっと、彼らのことを尊重している。
そんなミントが肉体を異空間に監禁し、精神は電脳空間に監禁し、実験さえ出来ればそれでよしという狂気の科学者じみたことをするとは思えない。
その前提のもとでは、アメジスト同様に異空間の活用をしているとはあまり考えられなかった。
被検者の体調維持の為には、定期的にミント側で異空間に物資を搬入して行かなければならない。
最も手間のかからない『医療用ポッド』の活用をするとしても、それでも必要となる物資は多い。
ポッドの内部を満たし、肉体を浸しておく溶液は補充用の在庫がけっこう必要となる。
余談となるが、医療ポッド自体の入手難度の高さも勿論だが、この使用コストの高額さもゲーマーに普及していない原因の一つだ。
日常的に、しかも長時間の廃人プレイをし続けて、そんな高額課金に耐えられるのはユキのようなトッププレイヤーか、ハルのような自作で溶液を生み出せる反則くらいだ。
ついでに、ポッドを使う場合はエーテルネットへの接続も必須となる。
基本的にネットへの干渉に制限の大きい神様たちに、その条件は少々厳しいものがあるだろう。
「まあそれに、僕は以前彼女から直接その考えを聞いている」
「私らのゲーム内で接触したときな!」
「うん。その際に言っていたことは、意識不明となった対象者には病院を手配して、その入院費用はミントが負担することで安全を保障する、って計画だった」
「あらあら。良い子なのね? 偉いわ!」
「マリー、良い子は精神幽閉したり、しない」
「本当にねコスモス……」
これは、『肉体の安全を保障しているからいいでしょ?』という話ではない。
ただまあ、実際危険は少なく、効率的であることには間違いない。自分の苦手としている事には人を頼り、お金を払うことで解決する。
ハルは苦手としていることだ。そこは尊敬してもいいだろう。よくルナや月乃に、『優秀すぎて何でも出来るから、仕事を他人に振ることが出来ない』と言われていた。
「でも最近は、エーテル過敏症の制御システムを自動化して、僕以外でも運用できるようにしていってるから……」
「いきなり何を言い訳してんだこのお兄ちゃんは」
「情緒が、不安定」
「大丈夫ハル様? お姉さんと一緒に、お花畑を眺めながら休憩しましょうか」
「人を病人扱いするな。僕は疲れてなどいない。とはいえ、病院か……」
ミントが計画を実行した時は、彼女は病院を頼る。ここは頭に入れておいても良いかも知れない。
つまり逆を言えば、病院を張っていれば、ミントが動き出したことがすぐに分かるということになる。
「……いや駄目だ。それだと事件が起きちゃってるじゃないか。被害者が出る前に、僕らは動けるようにしていかないと」
「ホントに大丈夫かお兄ちゃん? 甘い紅茶でも飲めな?」
「んっ。よしよし、落ち着く」
「はい、お菓子もあーんしてあげるわ?」
「黙れ君たち。僕は病人でも子供でもない」
「んー。子供といえば、ハル様が外に連れ出したガキ共、大丈夫?」
「ガキって言うなコスモス。まあ、今は慣れない環境に移ったストレスもあって多少不安定だけど、システムは問題なく機能しているって話だよ。どうかした?」
「いいなら、いい。ただ、ハル様の病院、噂を聞きつけた過敏症の人が集まってきて、大変そうだな、って」
「ふむ?」
調査の視点を病院に移していたコスモスが、ハルの、正確にはルナと月乃の持つ病院の状況を報告してくる。
病院には、症状に効く設備があると聞きつけた過敏症患者が家族に連れられ、続々と集まってきているらしかった。
それにより許容量不足が発生し、子供たちの体調にも問題が出るのではないかと懸念されたが、今のところその心配はないようだった。
「……後で、システムの拡充をしておくか。現状、僕にしかできないからね」
「おつかれさまー」
「働きすぎて、ハル様が体を壊しちゃだめよ?」
「お兄ちゃんがその程度でどーにかなっかよ。なぁ? ……でもよぅお兄ちゃん、この状況、なーんか気にならねー?」
「確かにね。アイリスの言う通り、僕らの予想よりも患者の集まりが良い。行動がずいぶんと早く感じる」
「だよな?」
確かに、不治の病とされていたエーテル過敏症の治療システムが開発されたとなれば、一縷の希望をそこに見出すのは自然だろう。
だが一方で、そんな新技術は胡散臭いと思う者が出るのもまた自然。
ハルたちの予想では、全国から患者が集まるのは、子供たちの完治と社会復帰のニュースが出て以降の話になると考えられていた。
「……このズレは気になる。もちろん、藁にも縋る者がそれだけ多かったと言ってしまえば、それだけなんだが」
しかし、タイミングがタイミングだ。ハルはこの不気味な一致について、もう少し深く掘り下げて調査してみることにしたのであった。
◇
「……ふむ。だいたい分かった」
「お? どーだったお兄ちゃん? 結果出たか?」
「ああ。少々気になる所があるね」
「んっ! これはきっと、事件に違いない」
ハルは、コスモスと共に病院のデータを詳細にチェックしていった。
それによれば、患者の親族が予想を上回る勢いで病院に集まってきたのには、やはり外的要因が大きく関わっているようだった。
「最近、彼らの眠っている時間が妙に増えている。どうやらそういうことらしい」
「気持ちはわかる。私も、春のぽかぽかした陽気の中、うたた寝するのは気分が良い」
「ぽかぽかのお兄ちゃん?」
「ハル様のことじゃない。でも、だっこされて寝るのも、悪くない」
「……いいから続けるよ。この季節はなーんか色々言われがちなんだよねえ」
ハルが『ハル』なので仕方ない。
それはともかく、エーテル過敏症の患者たちの睡眠時間が延びているのは、なにも『春眠暁を覚えず』という単純な話ではなさそうなのだ。
「もともと、彼らは症状が重度になると外界に反応を示さなくなる。とはいえ、全くのゼロではないし、当然起きているのと眠っているのではまるで別だ」
「そう。むしろ、普通の人間よりも、生活リズムはきっちりしている。その場合が多い」
そんな彼らの、睡眠時間が大幅に増えた。これは気になるデータといえる。
学園の病棟に居る者は別として、外に残ったままの患者は当然、ネットに繋がったままだ。
そんな彼らは、非常に親和性の高いネットの海に夢中になり、ログイン時間は膨大なものとなる。
しかし、睡眠中の時間は別だ。フルダイブ状態は眠っているのとほとんど同じように思われることも多いが、実際のところはまるで違う。
睡眠中は決してログインすることは出来ず、廃人であれど、睡眠時間はプレイ時間とは別にきっちりと分けて用意せねばならないのだ。
「そんな彼らの睡眠時間が増える。それは、大好きなネットの為に使える時間が減ることとイコールだ」
「なるほどね? つまり、ゲーム好きな人がゲームすることより、眠ることを優先したのと同じこと、という訳ね?」
「そりゃ、『これ体調悪いんじゃねーの?』って病院行きたくなるのも納得だなぁ」
そういうことだ。しかも同時に複数件、同じ理由で病院に患者が訪れている。単なる偶然とは片付けられないだろう。
「何らかの、全く無関係の病気が流行している可能性はないのかしら?」
「今のところその反応は見られない。あくまでこれは、精神的な問題であるという診断のようだ」
「……確かに、怪しいわねぇ」
精神的なものに起因する症状が、同時多発的に発生するという状況はいかにも怪しい。それはすなわち、個人の精神ではなくネットに起因しているということ。
そして現状も踏まえて考えると、自然と嫌な推測が思い浮かんで来るハルたちだった。
「結論。ミントはたぶん、夢を介して人間に干渉している。それも、ターゲットは過敏症の患者たち!」
「……嫌な結論だけど、現状、そう思えて来ちゃうよね」
力強く断言するそのコスモスの推測、残念ながら否定する材料を持たないハルであった。




