第1205話 廃人と世捨て人のお話
「ミントか。あの子も、善意の提案の人なんだよね確か……」
「困ったことにな?」
ミント、かつてアイリスと共に、六柱の女神の一人としてゲーム運営に協力してくれていた少女だ。
彼女は他の五人とは違い、ゲーム開催期間には特に、積極的に自分の望みを叶えようとはしていなかった。
しかし、その願いの内容はある意味、誰より危険なもの。人間の精神を、ゲーム世界に閉じ込めてしまうというものだった。
更に困ったことにそれが、悪意からではなく完全な善意。しかも、更に更に厄介なことに、その善意の対象はハルへと向けられているのであった。
「僕とセフィ、元管理者として、生物学的には人類種から独立した存在」
「あっちの人の方はもう生物からも独立してんな?」
「茶化すなアイリス。そんな僕らを哀れんで、ミントは僕らの『同類』を作り出そうとしている」
「善意でな」
「善意なんだよねえ……」
同種が存在しないということは、生物として非常に哀れ。まあ、正しいのだろうし言いたいことは分かる。
しかし、だからといって、今生きている人間たちをハルたちの同類へと進化させる、などという手法での解決は強引すぎる。
なんだろうか? 同じ進化を標榜する仲間として、アメジストに刺激でも受けてしまったのだろうか?
「……というより、元から結託でもしてたんじゃないだろうねあの子ら」
「あり得る。リコリスも居たしな? 橋渡しでもしてたんじゃねーの? よし! 今から拷問しに行くぞお兄ちゃん!」
「尋問ね? あと今からは行かないけどね?」
そんなミントだが、目的の壮大さの割に行動は実に大人しかった。
アメジストのように人間の迷惑を考えずに強引に巻き込むことはせず、懸念されていた強制的に『ログアウト不可』状態にすることもしない。
あくまで本人の意志を尊重し、現実を捨て永遠に仮想世界で生きたいと思っている者しか、計画の対象にはしないと彼女は明言していたのだった。
「結局、開催期間中にあのゲームの参加者の中からは、その対象者は見つけられなかった。あれだけの人数を集めても居なかったんだ、諦めてくれたかと思ったが……」
「そう素直に諦める私らじゃないんよ? 神ってのは、誰もかれも諦めが悪い奴らばっかなんさ」
「おっしゃるとおりで……」
「確かにゲームとしては流行った方だけど、それでも日本の全人口を漏れなく調査した訳じゃないかんなぁ」
確かにその通りだ。月乃の圧倒的な資金力とマーケティング手腕を背景に、アイリスたちのゲームは爆発的な盛り上がりを見せた。
しかし、いくら多いとは言ってもゲームはゲーム。一切興味の無い者だってもちろん存在する。
それに、大会として開催された都合上、それだけ集客数も限られてくる。もちろん、期間限定だからこそ集客できた対象だって多いのだろうけれども。
「……ん? 待てアイリス。ということはだ。ミントは次は、『全人口をくまなく調査するつもりでいる』、そう言ってる?」
「その危険はある!」
「そんなに力強く肯定してほしくなかった……」
なんともまあ、実に頭の痛い話だ。とはいえミントの望みを考えれば、実に自然な話。
彼女は意識をゲーム空間に閉じ込めることで、その存在だけを肉体から切り離し、人為的に精神だけの存在へと進化させようとしている。
それはある意味、セフィの同類を作ることでもあり、また神に近しい存在を増やすことにもなる。これだけ聞くと、ハルたちにメリットがあるようにも聞こえる。
しかしそれは、現実の肉体の死を意味する。ここ異世界に精神を流されたセフィの肉体が、研究所でその後どうなったのか、ハルはよく知っていた。
「うーん。殺人罪……」
「だがお兄ちゃん。同意があるんだぜ?」
「アイリス、残念ながら、相手の同意があろうと殺人は殺人なんだ」
「知ってた」
「知ってたら聞くなよ……」
とはいえ、立証の出来るものでもないだろう。日本側から見れば、見かけ上はただの意識不明。そこに神為的な力が働いているなどとは、思いもしないだろう。
ある種、フルダイブの電脳世界が生まれたその当初から、懸念されていた事態がついに起こったかと、そんな反応が出て多少の騒ぎにはなるかも知れないが。
結局は裏に誰かの思惑があるなんて話は、荒唐無稽な陰謀論として次第に噂話程度に処理されるだろう。
「そもそも、ニュースにすらならねーんじゃねーの?」
「そんなことはないだろうアイリス。ただでさえ、対象者は砂漠で砂粒を探すようなものなんだ。そのうえ天涯孤独な者にだけ絞っていたら、対象ゼロで終わりかねない」
「でもよぅ。もし、そいつが健全に現世とお別れを済ませてくるとこまでサポートしたら?」
「嫌すぎる手厚いサポートだな……」
「可能性は捨てないない方がいいのよ? あいつあれでいて、社会に迷惑をかけない真面目さを持ち合わせてっかんな?」
「いやな真面目さだなあ」
しかし、アイリスの言は正しい。ハルもミントと接触し、その考えを聞いている。ミントには確かにそうした部分があった。
そんなミントが動いていそうだという元同僚の意見、無下にはしない方が良いだろう。
ハルも彼女と一緒になって、ミントの動向を探っていくことにしたのであった。
*
「……うーん。とりあえず、意識不明事件のヒットはゼロか」
「油断すんなよお兄ちゃん? まだ発覚してなくて、ニュースに載ってないだけかも知れないのよさ」
「甘く見てもらっちゃ困るねアイリス。これでも元管理者だ、報道だけ見て判断するほど馬鹿じゃない」
「そだなぁ。今んとこ、ダイブしたままログアウト不可になった奴はいねーっぽいな?」
アイリスと共に、ミントの計画の被検者として連れ去られた者が居ないか、ハルは調査を進めていく。
しかし、今のところ世界にはまだ彼女の魔の手は伸びていないらしい。ゲームしたまま、あるいは環境ソフトにログインしたまま、帰って来ない人物は居ないようだった。
平和で何よりだが、同時に手がかりとなるものも見つからないのがモヤモヤするハル。
「お兄ちゃん、こいつは?」
「その人は単に廃人なだけ」
「廃人ならダメそうだなー。ミントの仕業に違いねーのよ?」
「茶化すなアイリス。『ゲームプレイの時間が異常に長いだけ』だ」
「こうして考えっと、廃人って言葉にも思うところがあんよなー」
よく『ゲーム廃人』などと気軽に言うが、その言葉の発祥にまで辿っていくと現状では少々笑えない。
現実を捨てる勢いでゲームにのめり込む人を指す言葉。それが本当に今、ミントによって現実を捨て去る選択をする者が出るかも知れないのだ。
「つーかこいつ、どんだけプレイしてんの? 人間ってこんなにログインしたままでいられるもんなのなー。アラート機能してんの?」
「彼は特殊な訓練を受けてるからね。……いや、冗談抜きに」
「……知り合いか?」
「残念ながら」
ハルの交友関係の都合上、頭一つ抜けた廃人たちは大抵友人である。ユキも同様だ。そしてその二人は、更に常軌を逸した廃人でもある。
ハルを例外とすれば、実は最もヤバいと言えるのはユキかも知れない。もっとも、ユキは早くからハルの勧めで医療用ポッドを導入していたので、ある種のチート使い状態であり『参考記録』とした方が良いかも知れないが。
「訓練ってなにすんの? 我慢する修行か?」
「いや、真面目に嘘偽りなく訓練だよ? 長時間の過酷な環境にも耐えうるように、前時代で言えば宇宙飛行士とかその辺の訓練に近いかな」
「……ゲームの為にか? 馬鹿じゃねーのか?」
「ある意味」
「まー、とりあえず、そいつらは絶対にミントのターゲットにはならなそーだなぁ……」
「だろうね。彼らほどしっかりと、『現実』を生きている者もそう居ない」
廃人と呼ばれるゲーマーであるというのに、おかしな話である。
そんな常軌を逸した者たち程ではなくとも、現代ではゲーマーほど体調管理には気を遣う者の割合が多い。
体調に問題が出れば警告が出てゲームから強制的にはじき出される鉄の仕様があるために、長時間プレイの為には健康第一なのである。
「そのうち『ゲーム廃人になって健康になろう!』キャンペーンでも打ちそうな? 政府が」
「馬鹿なこと言ってないで、調査を続行するよアイリス……」
「でも無いとは言えなくね?」
「……政府はともかく、どっかの企業は真面目にやりかねん」
「月乃かーちゃんとかな」
「…………」
実際、月乃なら本気で実行に移しかねない。そして成功させてしまいかねない。
馬鹿みたいな話だが、流行りを作り出すことにかけて一級品な彼女だ。特にこうした、話題性とインパクトがある、一見馬鹿みたいな話は拡散しやすい。
そのうえただ馬鹿みたいなだけではなく、実利も存在するとなれば尚更だ。流行に乗りつつ、実際に健康にもなれる。月乃が手掛ければ、実際に流行ってしまうだろう。
「でもよぅ? ライトユーザーは結局そこまで求めてねーし、何より面倒なトレーニングなんか続かねーのよ? 最初の一瞬はいいとしても、その後どーすんのよさ。何か、そこから続くバックエンド商品が必要だと思うんよ。しかも楽な奴」
「……なんでお前がその気になってんのですかい?」
「そこに金のにおいがしたから! いーから、どーすりゃいいのさお兄ちゃん?」
「そうだね。結局、表面的なトレーニングでは実は限界があるっていう現実もある。必要なのはエーテル技術による体内の最適化さ」
「ふむふむ」
「だから、トレーニングに疲れた人や、逆にもっと高みを目指したい人向けに、高額なエーテル治療コースを斡旋すれば、それがバックエンドになるんじゃない?」
「おお! 確かに、お兄ちゃんは病院も持ってっしな! グッドアイデア! さっそく実行に移すぜお兄ちゃん!」
「いや、やらんから……」
そんな風に、アイリスと馬鹿話をしつつハルは調査を進める。こんな時間もなかなか良いものだ。
……ただ当然ながら、ミントの足跡はまるで掴めない二人であった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




