第1203話 没落の雷都
学園を後にしたハルとルナは、そこからは街の中心から離れるように、郊外の方向へと向け移動していく。
郊外といっても、ハルたちも住むお金持ちの集まるエリアではない。今一つ人気のない、言ってしまえば少々寂れた地域であった。
そうした、繁華街からは離れた地区にひっそりと建つ、とあるマンションの一室。そこが、ハルたちの目的地だった。
「思ったよりも綺麗なところね?」
「どんな想像してた? もっとボロボロで、古臭い感じ?」
「ええ。見た目だけなら、そこそこのお値段のマンションと遜色ないのでなくって?」
「まあ、今の時代、ボロい建物を建てたり、くたびれた維持管理の仕方をする方が逆に難しいからね。アニメやゲームなんかで見るようにはならないさ」
いかにも、といった廃墟じみた安アパート、ボロマンション。そうしたありがちな演出は、建材と管理方法の問題で今は再現が難しい。
特に安く仕上げようと思ったら、ナノペーストを粘土のように組み固めての、まるで巨大ジオラマでも作るかのような工法が使われる。
施設維持も、劣化した部分に自動でナノペーストを充填し即時硬化させて維持される。
ヒビが入ったり塗装がはがれたりサビが浮いたり、そうしたありがちな安くて古い演出は仕様上起こりえない。
なので見た目だけは、このまごうことなき激安マンションでも、いつでもピカピカの新築と同等なのだった。
「特に、ここは自治体の管理住宅だからね。下手なことしたら、そこをすぐに突っつかれる」
「まあ、そうね? なにも住んでいるのは、後ろ指差されるような人間だけではないですものね?」
そう、今ハルたちが訪ねてきたのは、このたびめでたく後ろ指を差されるような立場になった人物。雷都征十郎だった。
かつては広々とした土地に豪邸を構えていた彼も、今は『政府による最低限の保証』として整備されたこの安マンションの一室住まい。要するに、一文無しになってしまっている。
当然、そこまで彼を追い込んだのはハルだ。没落させるとの宣言通り、彼の屋敷を含め、全ての財産は国に差し押さえられることとなった。
ただしその地位が高すぎるため、公に断罪することは避ける流れに決まったようだ。
彼の会社が不祥事で一夜にして傾けば、経済に与える影響もまた無視できない。彼の処遇は、『知る人ぞ知る』、といった感じで穏便に退陣となったのである。
結局、ここでもまた有力者たちの裏工作により全ての流れは都合の良いように操作されたという訳だ。
ハルもそれに思うところがない訳ではないが、それでも、平和が一番なのは同じ気持ちなので、とやかく言うことはしなかった。
「さて、そろそろそんな負け犬の顔でも拝むとしようか」
「趣味が悪いわ? とはいえ、言いたくなる気持ちも分かるけれど」
ハルはそんな雷都の新たな住まいの扉の前に立つと、呼び出しボタンを押し来訪を知らせる。
まあ、顔が確認したいだけならば、わざわざ物理的に来なくても用は済むのだが、それはそれ。面と向かってというのが重要なのだ。
呼び出し音が鳴り響くと、すぐに中から扉が開く。この間、一分にも満たない。
以前の豪邸では、決して考えられなかった速度だろう。それだけでも、彼の没落を感じさせるには十分な実感がこもっていた。
「ああ、君たちか。いらっしゃい。何の用だね」
「哀れな負け犬の顔を見に来てね。調子はどうだい?」
「趣味が悪いな。しかし、調子か。正直、実感がわかないというのが素直な感想だ……」
「まあ、無理もない」
取り繕う必要がなくなったからか、余所行きの朗らかな好人物としての仮面を付けず、ぶっきらぼうな対応の雷都が出てくる。
しかし、それでいてオフラインの時にのみ見せる本性、くたびれた態度でいながらも刺すような視線の彼もそこにはおらず、両者の中間、といった感じの中途半端な雰囲気だ。
その言葉の通り、激変した環境にまだ実感が伴っていないといった精神状態なのだろう。
「……とりあえず、入ってくれ。何もない所だが」
彼に招き入れられて室内へと入ると、謙遜ではなく本当に何もない部屋が出迎えてくれた。
お世辞にも広いとは言えないサイズの部屋なのはもちろん、そこには家具も最低限しか揃っていない。豪華な調度品など当然ない。
まるで越してきたばかりの新居だろうか、と思ってしまいそうな室内は、彼が全てを失ったことを一目で表現しているようだった。
「来客を想定していなくてね。椅子すら無いのは許してほしい」
「いやいいけど。しかし、家具を買うのまで禁止された訳じゃないだろう? それとも、庶民の家具なんて買うのはプライドが許さないかい?」
「というよりも、何を買っていいか分からない。もしかしたら、現状に満足しているのかも知れない」
「なんとまあ」
随分と変わったものである。まあ、変わらざるを得ない状況へ追い込んだのはハル自身であるのだが。
かつての、常に何かに追われているかのようにあらゆる物を警戒していた彼の姿はそこにはなく、今は完全にノーガード。
もちろん、セキュリティを強化する為のお金がないという事情はある。かつてのように、現代では高額となった機械装置で周りを固めることは不可能になった。
しかし、それでもかつての彼ならば、現状で考えうる全てを使い、周囲の警戒に血眼になっていただろう。かつてこれほど危機的な状況はなかったであろうから。
「全てを失い、もう失うものが無くなったからか、不思議と守る気もなくなった。今にして思えば、何にあんなに怯えていたのだろうか?」
「いや、僕に聞かれても……」
「全てを失った割には、あまり惜しくもなさそうね?」
「ああ、そうだな。惜しくなかったのかも知れない。金も、地位も、機械たちも」
「あの地下室は?」
「それも、今はさほど気にならない。あれだけ嫌っていたエーテルにさらされ、もう何処にも逃げ場はないというのに、特に恐怖も焦燥も感じない」
「……仙人のようになっちゃってまあ」
なんとなく、勝ち逃げされたような気分になるハルだ。罰を与えたつもりだったところ、その実この状況こそが彼にとって真に心地の良い環境だった可能性がある。
期せずして、ハルはそれを与えてしまい、彼を正体不明の恐怖から解放してしまったのだろうか?
……まあ、別にハルも永劫に続く逃げ場のない恐怖に落とし込もうと思っていた訳ではない。なので構わないといえば構わないのだが。
それでも、こんな急に達観し悟りでも開いたかのように落ち着かれるとモヤモヤがつのるのが人情。
なんというかもっと、苦悩し葛藤し、その上で真理にたどり着いて欲しかった。変な話だが。
こんな、チートコードでも使って一足飛びにゲームクリアされては、ハルの方が要らぬ苦悩を抱えてしまいそうだ。
「……まあいいさ。僕としては、君の、いや君たち秘密の会合の野望とか悪事が阻止できただけで、それでいい」
「強引に納得したわね?」
「するしかないでしょ……」
「すまないね。ただ私も、痛みを実感するのはこれからなのかも知れない。どうかそう考えて、溜飲を下げて欲しい」
「いや、君の事情に興味なんてないのは本心だよ。ただ、負け犬を笑ってやるという目的が達成できなかったのがモヤモヤする」
「子供かしらあなたは……」
実に子供じみた感情なのはハルも理解している。ただ感情的にもっとこう、勧善懲悪じみたすっきりとした結末が欲しかったのだ。世の中、そうままならないものらしい。
「……では、そうだな。この負け犬に、ひとつ聞かせてくれないか? そもそも私は、どうやって負けたんだ?」
◇
その悪事の数々が露呈し全てを失った雷都。それは、屋敷への強制捜査という形で一気に決着がついた。
しかし、そこに至る経緯には当然ハルが関わっている。警察が地道な捜査で、彼に目を付けて情報を突き止めた訳ではない。
地位と権力があったにせよ、彼の病的な隠蔽工作はそうそう発覚することはないレベルだったのは認めざるを得ない。
決定的な証拠を用意せねば、警察機構は動かない。もちろんハルは証拠を握っているが、その証拠も違法な、いや超常の手段で入手したもの。提出するにしても説明に困る物である。
しかし、現実は目の前の状況の通り。そこに至る道をどのように整備したのか、話してやるのもいいだろう。
「病棟のあの子供たちが居ただろう? 彼らに協力を依頼して、こっそり君の悪事の証拠を掴んでもらった。気を抜いてただろう、君。エーテルネットがオフラインのあの病棟内では」
「確かに。しかし、相手はただの子供だぞ? そんな器用な芸当が出来たのか?」
「ただの子供じゃないだろう? 君が、超能力者として研究をしていた子供だ」
「それはそうだが……」
だが、彼らの能力は実に微弱なもので、雷都の持ち込んだ機器でも大したデータは取れていなかった。
まあ、そこは当然ハルが手を貸した結果であるのだが、それを教えてやる義理はない。
そうした機器による調査の実態が、子供たちの告発により明るみに出ることになった。
それが違法な人体実験にあたるとして、警察は強制捜査に踏み切る流れとなる。そして、屋敷の地下が暴かれ、という経緯が、彼の辿った顛末なのだった。




