第1199話 進化の塔を登る彼女の願い
「こちらは差し上げます。どうぞ、お心のゆくままに。ですが代わりに、あちらはわたくしが貰い受けますね?」
僕の全力をかけての浸食に、アメジストは急に一切の抵抗を停止する。
彼女の世界は一気に草原に塗り替えられていくが、アメジストは気にもとめる様子がない。不敵にほほ笑んだ表情のまま、自分の世界の終わりを、敗北を受け入れていた。
「……まさかとは思ったけどね。君は、この瞬間の為にこの戦いを、いや、このゲームそのものを準備したのかい?」
「買いかぶりですわ。この試合だって、可能なら勝ちたいとは思っておりましたもの」
そうはいうものの、その顔には一切の悔しさなど存在しない。むしろ、やりきった清々しさすらある。
ひっそりと開催していた秘密のゲームが僕にバレたのも、そのゲームを僕に荒らされクリア報酬を持っていかれたもの、それを利用され追い詰められたもの、全て計画のうち。
それら全てが壮大な意識逸らしのための餌であり、意識拡張した僕が、全力で対処をせざるを得ないその状況こそが、真に求めるものだった。そういうことだろうか?
「……けど、そんな勝利宣言をしてしまえば、僕が切り替えてそっちの対処をするだけだよ。早まったんじゃない?」
「勝利宣言ではありません。敗北宣言です」
「あ、そう……」
「そして、問題ありませんの。腐ってもわたくしゲームマスター、このゲームの仕様は熟知しております。想像力を全力で注入してしまうと、しばらく逆流は難しいでしょう?」
「そのようだね」
データの流れを水の流れになぞらえてイメージすると、濁流のようにこのゲームに意識を流し込んでいる今、その流れに逆らって外に再び意識を逆流させるのは難しい。
彼女はその隙を突いて、『外』、つまりはエーテルネットワークの内部にて真の目的を完遂しようという訳だ。
「……では、勝負の途中ですが、これにて失礼。わたくし少々、お仕事を片付けてまいりますね」
ゴスロリドレスの裾を掴んで、優雅に一礼したと思うと、アメジストは糸が切れたようにその体から力を抜いた。
既に僕の世界に浸食されたその足元に、人形のように崩れ落ちる。
僕はそんな彼女の身を、草原の草を増量することで優しくふわりと受け止めてやるのであった。
「おーい。だいじょぶかーハル君? どーすん、これ?」
「ユキたちの方こそ大丈夫? 悪いね。少々、無茶をしたかな」
「……本当だぞ。戦車の中に括り付けられて、何度も暴れる大地に跳ね上げられて生きた心地がしなかっただろうが」
「ソウシ君も、無事でなにより……」
「うぅ、私は少し、無事じゃないかもです……」
「しっかりしろ。背筋を伸ばせ、学園生としての威厳を保て。そして吐くなら俺から離れた場所で吐け」
「任せてシルフィーちゃん! 私、酔い止めのエーテル技も使えるからね!」
「《私も私も! シルフィーお姉さん、まっかせて! ちょーっとお体お借りしますね~?》」
「……君たち、例え善行でも他人の体内エーテルを掌握するのは法に触れるよ?」
あまりに激しい運転できりもみにされたシルフィードは、さすがに車酔い状態に陥ってしまったようだ。
現代人は特に車に慣れていない。仕方ないだろう。
そんなシルフィードをソフィーとヨイヤミが、覚えたばかりの体内エーテル操作で助けてやろうとしている。
美しい友情ではあるし、覚えたての技術を披露したい微笑ましい子供らしさとも言えるが、れっきとした犯罪だ。
まあ、僕らも日常的に使いまくっているので、あまり人の事は言えない。外では決して無関係の人間にやろうとしないよう、言いふくめておく程度にしておこうか。
「こちらのことは任せなさいな。あなたは、その子の対処を急いだ方が良いのでなくって?」
「そうですね! このままでは、アメジスト様が勝ち逃げしてしまうのです!」
「負け逃げですけどねー。気持ちよさそうに寝てやがりますねー。この隙にいたずらいてやりますからねー、この人形にー」
「やめなさいカナリーちゃん……」
もう既に、徒歩で簡単に世界の全てを横断できるまで圧縮されきったこの世界。離れて戦いを見守っていたアイリたちも、続々とこの場に集まって来る。
見上げるようだった世界樹も、世界圧縮に伴い再構成されて、今は普通の大きな木といった程度。
皆でその下へと移動して、体調を崩したシルフィードたちを休ませる。
僕も、操作の放棄されたアメジストの体をそっと抱き上げ、その木陰へと移動し横たえてやった。
期待していた訳ではないが、やはりこの体から接続し彼女を支配下に置くことは不可能なようだ。
今やそんな小さくなった世界の全ては、飾り気のないただの草原に置き換わった。抵抗を続けていた最後の紫水晶も、たった今消滅した。
見せかけの広大さを失った世界は、もうどこまでも続くような広がりを演出することもない。まるで切り取られた草原のジオラマ。最近は、こんなに狭い範囲しかないゲームもそうそう無いだろう。
「じゃあ、あの子の対処に行ってくるよ」
「はい! お気をつけて!」
「ええ、行ってらっしゃいな。これまでいいようにやられっぱなしだった、借りを返してやりなさい?」
「うん。まあ、頑張って来る」
そこまでビシリと決められるかは分からないが、エーテルネットへのハッキングは必ず阻止しなくてはならない。
引退した身とはいえ、元管理者としてネットのシステムを好き放題にさせられはしない。システムロックを外したのは僕なのだ。
そうして、この場を彼女らに任せ、僕もアメジストを追いかけるように目を瞑り、意識をネットの海へとダイブさせていくのであった。
◇
「おっそーいっ! いつまで待たせる気なんよお兄ちゃん! 大変なんだかんな、これ?」
「そう。大変。特に私には重労働。コスモスは、今すぐに交代してお昼寝タイムに入ります」
「悪い悪い。でも、悪いついでにもうちょっと頑張って。ここが正念場だよ」
「むぅ……、ブラック……」
「ブラックやめようね? 人聞きの悪い」
ネットの海で僕を待ち受けていたのは、アメジストではなくアイリスとコスモス。二人には、僕の補佐としてアメジストによるハッキングへの対処をお願いしていたのだった。
「ごきげんようハル様。お早いお着きで。そして面倒なお仲間をお持ちですこと」
「面倒とはなんだー! このロリっ子のぶりっ子がー! オメーも相当面倒だろーがーっ!」
「ん。面倒ロリ」
「あなた方も幼い見た目ではありませんか」
「でも私はぶりっ子じゃねーのよ?」
「私も面倒じゃない」
「いやコスモスは面倒だからね?」
なんだか意図せず小さくて面倒な神様たちが集まったが、皆実力は確か。アイリスとコスモスは、特にアメジストに対する強力なカウンターとして機能してくれていた。
「しかし、残念だったなアメジスト! オメーの使ってる踏み台は、元は私らのゲームのユーザーリスト!」
「んっ、そゆこと。それを、何の制限もなく直通でアクセスできる私たちに、敵うはずない」
「じゃあもうハッキングは防げたの?」
「う……、それは、これから上手いことやるの……」
「そうかい……」
とはいえ、相性の良い人材なのは確か。アメジストの使っている特殊な技術は全て解析できなくても、使用している大元のリソースは同じ。
元々は、アイリスたちのゲーム参加者リストからユーザーの脳にアクセス、彼らの処理能力を間借りしているのがアメジストの力の源だ。
そのリスト経由で妨害を仕掛けることで、ハッキングの進行を妨害してくれていたのがアイリスたちだ。
「ですが、根本的に全ての経路を塞ぐことは出来ていません。ハル様も、姿こそあれ力の本流はまだまだ本体に残ったまま。わたくしの勝利は揺るぎません」
「むきーっ! 腹立つなー、コイツの余裕なー! なんかなー!」
「うん。ぶっとばすべき」
「落ち着け幼女ども。解析は?」
「まーまー。『金の魔力』と似てっからな。そのうち全容が見えるだろーけど、リミットまでは無理かも」
「解析終わる前に、あっちの処理が終わりそー」
「ふむ……」
アメジストの力の全容が分かれば、対処の手段も格段に増えるのだが、さすがにその前に目的を達成されてしまう。そうそうこちらの思い通りにはならないらしかった。
「ハッキングの内容は、相変わらず『モニターの非表示化か』。そんなに大事なの、これ?」
「それなー。意味わかんねーぞオメー」
「……見えなくなると、なにか良い事ある?」
「公衆の面前で卑猥な画像を開き放題! あいたぁっ! お兄ちゃん、本体に攻撃仕掛けんのやめて! リソースの無駄遣い!」
「だったらくだらんこと言わないように……」
そもそも、そうした個人のプライバシーの維持であれば、モニターの内容を他者には確認できないようにする秘匿モードがある。
ただし、いかに秘匿モードであっても、『その人が今モニターを見ている』、という事それ自体は、システムの基幹部分として決して変更が出来ないようになっていた。
「一応、正式な理由としては、『安全のため第三者からも常に状態確認ができるように』、だったね」
「歩きネット止めろや、ってことなー。『おっ、アイツ今なんか見ながら歩いてっぞ! あぶねーやつ! 食らえ!』って、みんなで石を投げられるようにな?」
「ん。死刑!」
「石は投げないように……」
「野蛮な子たちですね? 人様に迷惑をかけてはいけませんよ?」
「むがーっ!」
再び醜い言い合いに発展しようとした所を、事前にアイリスの口にロックをかけて防いでおく。その時間が無駄だ。
現代まで、多少の不便に思う者も多いものの、皆その理由に一応は納得している。
極端な話、自分の眼前を一面、大量のモニターで覆い尽くしながら歩いている人が居たとして、本人しかそれを認識できなければ危なくて仕方ないのは事実だからだ。
とはいえ僕も、なぜアメジストがそんな仕様に拘っているのか未だに分からない。
正直今でも、どうしてここまで固執するのか不思議で仕方ないのだった。
「だから、君のゲームに無関係と分かった時点で、このハッキングの方がブラフだと思ったんだけどね。僕の目を逸らして、ゲームに集中させないようにと」
達成したとしてあまりに利益がなさすぎる。世の中に混乱を起こすことが目的だとしても、実際のところ大した騒ぎにはならないだろう。
「そうですね。いいでしょう、最後に教えて差し上げます」
「こいつ、もう勝った気でいやがる! お兄ちゃん、いいんかこんなん許してむごっ!」
「黙ろうかアイリス。語ってくれるなら都合が良い」
「んっ。洗いざらい吐かせた後に、始末する!」
「コスモスも物騒なこと言わないの。仲間の目的は知っておきたいでしょ?」
「まだわたくしを仲間と言ってくださるのですか? 本当、お優しいこと……」
「お兄ちゃんだかんねー。ほら、いーから喋れよ」
そう悪態をつくアイリスも、コスモスだって、アメジストのことを心の底から嫌っている訳ではないだろう。
目的がぶつかり合うことはあるが、世界に数少ない『同類』同士。その願いは、可能な事なら叶えてやりたい、祝福してやりたいと思うのが共通の心理なのだった。ハルも同じだ。
「では、完了するまでしばしわたくしのお話にお付き合いください。まあ、もうさほどの猶予もありませんけどね?」
「だからさっさと吐けとゆーに!」
アメジストは再び頭上に達成率のゲージを表示して、彼女の目的について語り出す。
……好きなのだろうか、このゲージ。
「さて、結論から言いますと、わたくし特に、システムウィンドウの非表示それ自体にはなんの興味もございません」
「だろうね」
「ですがこの仕様は、深い部分でわたくしの目的を邪魔しておりまして」
「君の目的というと、超能力のデータ収集?」
「正確には、人工的な人類進化の研究ですわ」
そう聞いて思い出すのは、異世界にあった彼女の拠点。永遠に未完成の建築途上の塔。進化もまた、永遠の未完成であると言い換えることが出来るかも知れない。
「他者からのモニターの認識、そこには、無意識下での他者との接続という処理が隠し要素として付随しています。わたくしは、これを取り払いたいのです」




