第1188話 最高率であることの特権
このゲームの仕様外の力として、ここぞという時の切り札に取っておいたハルのナノマシン。
しかしアメジストはそのエーテルを、媒介する空気ごと自分の世界の外へと押し出してしまった。
彼女の世界へ入り込んでいたネットワークも、風圧と共にハルの国へと排出されてシグナルが消える。
敵陣の解析も、エーテル技術による遠隔攻撃も、一気にその効力を失ってしまった。
「まいったね、どうも。一瞬で切り札も対策されてしまった」
「この力が、ハル様の勝算だったのですか? だとしたら拍子抜けですね。他に手がないなら、もう勝負は決まったも同然ですよ?」
「いいや。最後まであがくさ。……ところで、なんで真空なのに君の声が通ってるの?」
「神の力です」
神の力なら仕方ない。ハルは気にしないことにした。
まあ、これで会話するのにいちいち、通信を通して行わなければならないのも面倒だ。これで済むならそれで良しとしよう。
「では、ここからはわたくしの反撃とまいりましょう」
「もうちょっと待たない? ここで攻勢に出られると、僕の勝機がどんどん削られていくんだけど?」
「くすっ。待ちま、せんっ」
「まあ、そうだよね……」
最も勝率の高い、アメジストの世界が初期状態の今。そこで一斉攻撃を放ち勝負を決めるのが、ハルにとって最もリスクの少ない勝利への道だった。
ここで更に、アメジストが反撃に転じてきてしまえば、ただでさえ低い勝率が、よりいっそうゴリゴリと削れて行ってしまうのだ。
ハルの情けない懇願むなしく、アメジストの領内からハルの世界へと水晶の柱が浸食を開始する。
ペキペキと音を立てながら、急速に成長していく紫水晶。彼女と同じ名を持つその美しい鉱石は、平和なハルの草原を静かに、しかし容赦なく、次々と上書きして行くのであった。
「……なーんか、この光景にはいいイメージがない」
「で、ですね……、今にも中から、モンスターが出て来そうで……」
「?? ただの土地の書き換えだろう。お前たち、何の話をしている」
「……いや、以前別のゲームでね。シルフィードも経験者なのさ」
輝く紫水晶。前回、ハルにとって非常に重要なキーアイテムだった存在だ。
イベントの中核を成すアイテムとして、ハルの前に幾度も立ちふさがった。モンスターを呼び出す力を持った鉱石である。
「もしやとは思っていたけど、あれも君が介入を?」
「いえ、特に直接の介入はいたしておりませんわ? ただ少々、お茶目な方向付けはしたかも知れませんけれど」
「それを介入って言うのでは……」
「誓って見た目以上の内容には手を加えておりません。それより、良いのですか? あまりその話をすると、ハル様が女の子だった事も、そちらの方に伝わってしまいますよ?」
「そうだね。バレたら今の君の言葉のせいだよね? 覚悟しなよ?」
「あら怖い」
「?? なんのことだ?」
まあ、今さらハルがローズだったことがソウシにバレたとしても、さほど問題はないと言える。
そんなことよりも重要な秘密が絶賛公開中なのだ。どうせその口止めもするので、ついでのように口を塞いでおけばいい。
……とはいえ感情的には、神様達の秘密よりも学友に知られたくない事かも知れなかったが、まあ、今さらだ。
「それよりも、おかしい。奴はいっさい兵を展開しているようには見えないのに、お前の領地が押されている」
「確かにね。実は本当にモンスターだった、とか?」
「ならばまだ分かるのだがな。しかし、そうではなかった場合は厄介だ。兵で囲んでいて、しかも勢力値で勝っているお前の国が、あの狭い水晶の国に押されている」
「……確か、何もしないまま世界を衝突させた場合は、大きな国が勝つんでしたよね」
「その通りだ」
数々の国を併吞し、ハルたちよりも多くの戦争を経験してきたソウシが現状の異様さを説明してくれる。
基本、世界と世界が接触した場合、強い世界が弱い世界をじわじわと飲み込んでいく。
ただしその力は比較的小さなもので、それに抗う為に弱い世界が国境沿いに兵を配置すれば、それだけで戦力差は逆転するものだ。
そして相手もそれに対抗し派兵し、国境に並んだ兵士は一触即発の状態となり、といった流れで戦争に発展する。
だが今のアメジストは、不敵な笑みで佇むだけで、一切のアクションを起こしていない。
兵も出さない、国力でも圧倒的に劣っている。それなのに、浸食力のベクトルがこちらを向いているのは、どう考えてもおかしい。そうソウシは語っていた。
「何処か、見えない場所でお前の世界が攻撃されているのではないか?」
「……いや。それはない。一応、怪しい動きが無いか常にチェックはしている」
「国土全てをか……?」
「うん。そうだけど?」
「どうやってだ! い、いや、今はいい。ならばいっそう、分らんな……」
「そのような、姑息な真似はいたしません。貴方ではないのですから、ソウシさん?」
ハルは自領全てにエーテルネットを展開し、文字通り『網』を張っている。
もし、アメジストがソウシのようにワープゲートなどを使って、見えない場所へダメージを与えていたら。という仮説もまた否定された。
「つまり、俺達も知らない隠し仕様があるということか。ふんっ! どっちが姑息なのやら!」
「……ずいぶんな言われようですが、元々そうした条件の勝負。口出し無用にお願いいたします。そもそも、わたくしとハル様の勝負なのですから」
「まあ、その通りだね」
「同意している場合かっ! このままでは、抵抗する術なく飲み込まれるぞっ!」
「だね。それに、彼女の領土が広がれば、そのスピードはそれこそ加速度的に上昇する」
今の狭い状態ですらこれなのだ。これがもし、ハルの世界と互角の面積にでも成長すれば、彼我の浸食力の差はどれほど広がるか分かったものではない。
それはまるで、ハルがかつて対抗戦で多くのプレイヤー相手にやって見せた圧倒的な浸食力の暴力を、今度はハル自身が受けるかのように。
「出来れば、そんなつまらない結果にはなって欲しくありませんね」
「そうかい? それじゃあ、もっと加減してくれるかな?」
「いや、ですぅ。どうか、最後まであがいてくださいな、ハル様。このまま飲まれて終わるなんて、そんな結末、私が許しませんよ?」
「飲んでるのは君だろうに……」
複雑な乙女心と言うやつだ。いや、ゲーマー心だろうか? それなら分からないでもないハルだった。
勝負には当然、もちろん勝ちたい。勝ちたいが、敵が全て手ごたえなく瞬殺されても面白くない。
最後まであがいて、手に汗握るギリギリの名勝負を繰り広げて、成長の成果を実感させてくれた後に、きっちり負けて欲しい。
そんな自分勝手な望みを胸に、ゲーマーは日々戦っているのだ。アメジストもそうなのだろう。ハルは勝手にそう結論づけた。
さて、そんな期待をされてはいるが、ハルはゲームルールに則る以上、ゲームマスターの彼女にとっては紛れもなくただの雑魚だ。
なので彼女に楽しんでもらう強敵となるには、やはりゲーム外からアプローチをかけるのがベストなのだろう。
しかし、そのゲームルールについて、ずっと気になっていたことがある。良い機会だ、製作者が目の前に居る今、そのことを直接尋ねてみるとしようか。
*
草原の地面から突き出してくる水晶の棘に追われるように、ハルたちはじりじりと、一歩一歩身を引いていく。
ソフィーだけは逆に水晶の世界へと飛び込んで行こうとしていたが、ハルが強引に止めさせてもらった。
「……あの中は真空だよソフィーちゃん。さすがに止めておこうね?」
「猛犬のような奴だな……」
「がるるる、わんわん!」
「ユキみたいなこと言わないの」
「ユキさんも猪突猛進ですよねぇ……」
シルフィードも、もうユキとはそこそこ長い付き合いだ。そんな、もう一人の猛犬ユキはどうしているのかといえば、今は『これはハルの戦いだ』として大人しくしてくれている。
とはいえ内心はソフィーと同じように、今すぐにでも水晶の世界に飛び込み、あの生意気なアメジストに一太刀あびせてやりたい、そう思っているのが伝わってくる。
「今は攻め込むより、この浸食力についてを、先にどうにかしたい。そうじゃなきゃジリ貧になるからね」
「おや? これ以上わたくしの世界が広がらぬうちに、一か八か突入して戦わずとも構わないのですか?」
「危ないしね。皆を真空中には送り込めないよ。それよりアメジスト、良い機会だから聞いてみたいんだけど」
「はい。なんなりと」
「答えるのかっ!」
思わずソウシもツッコむ余裕っぷり。真剣勝負の中、敵に情報を渡す奴が何処に居るのかと言いたげだ。
恐らくは、アメジストにとってハルの疑問に答えたところで、万に一つも逆転の目など生まれないと確信しているのだろう。
「このゲーム、大地や、その他物質を生んでいるのはプレイヤーの想像力だ。その浸食力もそうなんだろう」
「ええ。そしてハル様は、想像性ゼロ。女子の皆さまに頼らなければ、今の世界も作り上げることは出来ていません」
「お前……、そうなのか……?」
「やめろ。そんな目で僕を見るな」
情けない奴を見るようなソウシの視線を全力で無視しつつ、ハルはアメジストとの会話に集中する。
確かに、ハルには他のプレイヤーに当然のように備わっている想像力が欠けている。正確には人間とは異なる存在であるからだ。
ハルとカナリーは、システム的に『人間』として判定されず、世界を想像し創造することが許されていない。
しかし、それならば、それはアメジストもまた条件は同じなのではないだろうか?
「じゃあ、君はいったいどうしているんだい? 君だってゼロ判定だろうに、現状は逆に浸食力マックスだ」
「誓って運営特権のようなものは使っておりませんよ? まあ、中身を熟知していて、最高効率で扱えるのが特権といえば特権ですが、それはご承知の上のはず」
「それは勿論。でも、つまり逆に言えば、僕も君と同様の処理を通せば、同じだけの浸食力を得られるってことだよね」
「それはもう。しかし、貴方様にできますか? わたくしの、百年の成果を、いかにハル様とて、この勝負の最中に、解き明かすことが可能ですか?」
「まあ、無理だろうね。単なる興味だよ」
「いいでしょう。わたくしとしても、興味をもっていただけるのは光栄です。この機に少々、開示するのもいいかも知れませんね」
そうしてアメジストは、浸食の手は緩めぬままに、自慢のシステムについて語り出す。
しかし実のところ、ハルの真の目的はそこにはない。彼女の言う通り、この勝負中での解析は不可能だろう。
しかし解析などせずとも、強引に彼女の力を上回る術が、ハルには残されているのだから。




