第1182話 噂が織り上げる魔法陣
エーテルネットの深淵にて、人知れずデータの奔流が渦を巻く。
それは接続された人々の間に無意識に伝播し続け、特定の経路を巡回し、内部に小規模なネットワーク構造を構成しはじめた。
その様子を、ハルは注意深く観察する。このデータは、アメジストが今まさに発生させているものと見て間違いない。
「少々お待ちになってくださいね。ただいま、処理を実行中ですので」
「ああ、構わないよ。好きなだけ時間をかけてほしい」
「まあ怖い。時間をかけると、いったいどうなってしまうのでしょう」
くすくすと悪戯めいた笑みを浮かべる紫髪の少女。その態度からは、ハルが何をしようと自分の優位は崩せないという余裕が感じられる。
残念ながら、現状その通りであると言わざるを得ない。
黒い石の発見と、その力を引き出す原初ネットの解析。それにより、この世界の維持に使われているエネルギーの謎の一端は掴んだハルだ。
しかし、漕ぎつけたのはそこまで。逆に言えば、転移用ゲート、ログインルームの謎についてはまるで理解できていないままと言える。
いや、それを今、こうして直接ゲート設置の現場を押さえることで解析しようとしているのだ。何も問題はない。
……なんとも泥縄感あふれる対処だが、成功さえすればそれでも何ら問題はないはずだ。
「その間、ただ黙って待つのも味気がありません。お話しながら待ちませんこと?」
アメジストが空中でくるりと指を回すと、そこには綺麗に装飾されたゲージが出現する。そのゲージ内のバーが完全に端までたまったら、そこで晴れて作業完了となるのだろう。
バーの増加ペースから察するに、残り数分といったところか。あまり、悠長にしていられる時間はなさそうだ。
だが、ハルは提案を邪険して断ることなく、彼女の誘いを受け入れる。元々、会話程度で処理が落ちるハルの並列思考ではない。
「構わないよ。僕としても、聞きたいことは山積みだしね」
「あら。例えばどのようなことがお聞きになりたいんですの?」
「まあ、色々あるけどね。とりあえず、今知りたいのはその身体のことかな? それってどうなってるの?」
「お気に召していただけました? 自信作ですので、好みに合ったなら幸いですわ」
「いや好き嫌いというより。それって本体?」
「さて。どうでしょうか」
やはり気になる事といえば、アメジストがこうして直に姿を現したことだ。
今までずっと隠れ潜んできたのに、今になって姿を見せた、という意味ももちろんある。しかしそれ以上に、神様が、次元の壁を超えて地球側に、といった部分が気になるハルだ。
アルベルトやメタの例もある。形だけ似せて組み上げた何らかのボディを、遠隔操作で操っているという可能性もあるだろう。
しかしそうでないとすれば、カナリー以外では初めての、こちら側に到達した神様ということになるのだ。
「……あらかじめ、明言しておきますと。わたくしは日本の地に姿を現すことは出来ません」
「その状態でも?」
「この状態でもです。そういう意味では、アルベルト以下ですね」
「あいつもああ見えて結構すごいんだね」
かなりの初期に出会ったので忘れがちだが、やっていることは神様全体の中でもかなり凄いアルベルトだった。
未だに、日本国内で人間に紛れてしれっと活動できてしまっているのは、アルベルトくらいのものである。
「種明かしをいたしましょう。この地は、正確には日本ではございません」
「なっ……! い、いや、考えてみれば当然か。ここが、日本だと言われても困る」
「えと、ソウシさん? ハルさん関連の話は、その場で全部理解しようとしない方が賢明ですよ」
「……続けてよろしいかしら?」
「いいよ。そんなに睨まないのアメジスト」
「ごめんなさい……」
神お嬢様は話の腰を折られるのがお嫌いのようだ。この辺も、通常の神には見られない対応。
ほとんどの神様は、日本人が疑問を呈したらそれに丁寧に解説を入れてくれるものだ。何を言うでもなく、自然に。ある種本人も無意識に。
これは、元は人間をサポートする為のAIであったころの癖とでもいうもので、染み付いた名残りのような行動だ。
いわば生まれ持った本質、存在意義のようなものであり、ここに逆らう神様はあまり見ない。
とはいえ絶対に逆らえないといった要素ではなく、『嘘をついてはいけない』程の強制力もない。今は、気にしすぎるものでもないとハルは判断した。
「ガザニアの特殊空間の技術を借り受けた事はもうご存じですね。つまり、この場はどちらかと言えば“あちら”寄り。こうしてわたくしが姿を現したとしても、何も問題ございませんわ」
「……まあ、その場合、日本側から気軽に転移出来ていることが問題になるんだけどね」
その問題はさておき、理屈は分かった。それならば、アメジストの本体がここに居たとしても一応はおかしくない。
異世界の何処を探しても見つからなかったわけだ。ガザニアがそうしていたように、彼女もずっとこの空間の中に隠れ潜んでいたという訳だ。
……窮屈ではなかったのだろうか? それと退屈では。まあ、その辺は神様だ。人間の感覚で推し量れるものではない。
さて、問題となるのは、そんなアメジストの望みが何かだ。彼女は何を望んで、こんな大それた計画を立て行動を起こしたのか。
そして、今も意識のもう一方で解析を続ける彼女の計画の集大成、新たな入り口の追加作業。そこから、随分と興味深いことが見えてきたのであった。
◇
いかにアメジストが疑似空間を作り上げ、そこに潜んでいたとしても、日本に干渉するには必ずエーテルネットを経由しなくてはならない。
そしてエーテルネットは、ハルの領分だ。大規模な干渉が来ると分かっていれば、それを見逃すハルではない。
アメジストが発していると思われるデータの流れ、その全てを、ハルは追跡出来ているという自負があった。
《……しかし、これは。あれだね、ヨイヤミちゃん》
《う、うん。私が、噂を広めた人たちの集合、それをコミュニティ化、ううん、ネットワーク化したもの、かな》
《何らかの形で噂を利用しているとは思ったけど。思った以上に複雑みたいだ》
《たぶん、エーテルネット上に、仮想のネットを更にエミュレートする形で、新しい構造体を形成している。んだと思う》
《流石の理解度だ》
彼女の年齢の発言とは思えない。今は、それが頼もしい限りだが。
とはいえこの疑似ネットワークの構築に一役買ったのも、ヨイヤミであることもまた事実。彼女はそのことを、ハルに責められるのではないかと今はずっとビクビクとしてしまっていた。
《大丈夫だよ。怒ったりしないから。ね?》
《……ほんとう?》
《うん。本当。だから、知っていることがあれば話してくれるかな》
《わ、わかった……!》
彼女の覚悟が固まるまでの少しの時間。その間にハルはこの疑似ネットワークについての仮説を立てる。
恐らくは、考え方としては黒い石から力を取り出す原初ネットの構造に近いのだろう。既存のエーテルネットワークとは、その在り方が多少異なっている。
とはいえ、原初ネットとは違いそこに人間の脳が接続されている部分はエーテルネットと同じ。ここは、アメジストによるアレンジだろうか?
まるで、エーテルネット全体を使って魔法陣でも作っているようだ。そのような印象を持つハル。
今まさに、その魔法陣の各所から特定の地点へと向け、つまりハルの指定した雷都邸の地下室へと向けて、何本も何本も光のラインが伸びて、現地で交差をしている。そんなイメージだ。
《共通した認識を持つ多数の人間が、同じ座標に、『ゲートがある』と定義する。その共通認識が力を持ち、実際にゲートが誕生する? そんな馬鹿な》
《で、でも、現実にそうなっちゃってるんでしょ? 私も、よく分んないよぉ》
ヨイヤミも詳しい理屈は分かっていないらしい。あくまで、彼女は噂を流しただけの協力者ということか。
噂を通じて指向性を得た特殊なネットワークが、魔法のような機能を獲得する。
にわかには信じがたいが、この現象に似た存在には覚えのあるハルだ。
それは、カナリーの使う『幸運データベース』。あれも、ある意味ではエーテルネット上に構築された特別な魔法陣と言えた。
人間全ての無意識から抽出した『幸運』であることのデータの総体。神様だった頃のカナリーはそれに複雑な計算を丸投げすることで、自動で運を引き込んでいた。
それゆえ完全に彼女の望み通りにはならないのだが、一般的に『運がいい』と誰もが思うだろうことは大抵叶ったそうである。
アメジストの作り上げたコミュニティ、噂を通じた疑似ネットワークも、それと同じ働きをするのではないだろうか?
誰もが無意識に、『あの位置にはゲートがある』と定義することで、それを現実に落とし込む魔法。
発動が日本側であるということがネックとなるが、カナリーの例を考えればあり得ない話ではない。
《え、えっとね! ハルお兄さん!》
《おっと。すまない。なにかな?》
《私、ないしょにしてたことがあります!》
ハルが考察にふけっていた所で、ヨイヤミがついに覚悟を決めたようだ。
果たして、彼女とこの疑似ネットワーク、そしてアメジストとの関係は、いったいどのようなものであるのだろうか。




