第1167話 無限回廊の奥から来る物
現実から隔離された、この誰にも繋がることのないエーテルネットへとハルはアクセスを開始する。
いや、正確にはエーテルネットですらない。ナノマシン・エーテルはあくまで、データを伝える為の仲介役。エーテルネットワークの主体はあくまで、それを使う人間の側にあった。
研究当初における設計思想は、人々の意識の総体、その『国民の総意』の向く方向性について探る為の計画。
そのため、エーテルそれ自体の持つ能力は、ただ情報を集め伝えるだけだ。
「それに特殊な指向性を定義し、特定のネットワーク構造を構築することで、今のエーテルネットという異常な力場が形成された」
「《その出どころが、あの石なのですね……!》」
「そうだねアイリ。僕としても、そこは興味深い。まあしかし、今はそれを考える時じゃない。後回しだ」
「《はい! アメジスト様の、尻尾を掴むのです!》」
「果たして尻尾が生えてるのかな?」
まあ神様なのだし、その辺のデザインなどは自由だろう。それはともかく。
「要するに今のこの場のエーテルには、その方向性が定義されていない。一からそれを設定してやらないといけないわけだ。それが少々面倒でね」
「《私が居ないからって、泣き言言っちゃだめなんですよー? 前回もやったんです、今回だって頑張りましょー》」
「そうは言うけどねカナリーちゃん。前回は君の他にもみんなが居たし、それに、接続先の生徒も居た。彼らの存在が、自動で構築を大きく後押ししててだね……」
「《問答無用ですー。こっちで処理の一部は受け持ちますからー、張り切るんですよー?》」
「厳しいね、カナリーお母さんは……」
時おり甘えを許さないカナリーだ。まあ、ハルに対する評価も理想も、非常に高い表れだと思うことにしよう。
つまり、ここにあるのは言わば無色の魔力で、それを浸食し自分の『色』を付けていく作業。それと似ている。
前時代で言えば、初期化した記録媒体に、再びOSをインストールするようなものだろうか。
「《そうです! ハルさんが“あたまよく”なっちゃえば、すぐなんじゃないですか!?》」
「《確かにそうね? 意識拡張すれば未使用領域の掌握も一瞬なのでしょう?》」
「そうなんだけどね。それも少し難しい。今も相変わらず、ネットの基幹システムへのハッキングは続いている。それに対して、並列思考で意識の一部は割いておきたい」
「《なるほど……》」
未だに、正直目的のハッキリしないその『OS』へのハッキングは継続している。
最初はこのゲームの運営に不可欠な要素なのかと疑ったハルたちだが、どうやらそういう訳でもないらしい。
一体アメジストは、何が目的でメニュー非表示の仕様を、エーテルネットに組み込みたいのだろうか?
「まあ、考えていても仕方ない。今は地道に、出来ることをやるさ」
「《おー。がんばれハル君。よーわからんけど》」
そう、結局のところ泣き言を言っていないで頑張るしかないのだ。女の子たちの応援に、気合を入れるハルである。
無人のフィールドに広がるネットワークを、いつも自分の触れている、使いやすい形へと構築しなおしていくハル。
この形こそが、ネットをネットたらしめている大元であり、かの黒い石から齎された天啓。そういうことらしい。
「……つまりこの構造は、あの石の内部構造を模したもので、つまり、エーテルネットそれ自体が、最初から黒い石と親和性がある。そういうことになる」
「《ですねー。これはどうにも、怪しいですよー?》」
そんな構造図をエーテル上に引き直しながら、ハルは明らかとなった情報を少しずつ整理していく。
エーテルネットの雛形となったネットワーク構造は、あの黒い石の解析結果から構築された。そのデータが、今まさにハルの手元にある。
せっかく、誰の影響も受けずに一からネットを構築できるのだ。ハルはその構造を、忠実に再現してみることにした。
「……この時点で、相当に完成度は高い。とはいえ、この状態だとそのままエーテルネットにはならないけどね」
「《具体的には、何が足りんのん?》」
「うーん。『目的』、かな? 今のままだと、送信したデータは延々とこの中をぐるぐるするだけだ」
「《それじゃぁ何の役にも立たんね》」
「まあ、最初の研究目的である群体観察は出来るかも知れないけど、インフラ目的だと役立たずが過ぎる」
まるで、プログラム初心者が作ってしまう無限ループ構造。命令の出口がなく、入力データは延々と内部を回り続けるだけだが、しかし仕様上はそれでも問題なく『完成』だ。
ある意味で無駄のない、美しい形。しかし何の結果も引き起こさない、無意味な形。
その構造を一通り確かめた後、『やはり何も生み出すことはない』とハルは形を崩そうとして、あることに気付いた。
「……いや待て? もし、この状態で過不足なく、『完成』なのだとしたら?」
「《でもそれはプログラム的な、仕様上の話でしょう? あの石はそんな人間の側の都合、知ったことではないと思うわよ?》」
「そうだね。知ったことじゃない。だけど同様に、石は人類の求める物だって知ったことじゃないはずだ」
「《利便性だなんだというものは、石は興味ないということですね……》」
ついでに言えば、人類の文明レベルにも興味がない。なので、当時の技術では理解できぬ難問をふっかけてきていたとしても、おかしくはないのだ。
まあ、実際はそうした『興味』などという擬人化した例えをすること事態が、無意味で無価値なのだろうけど。
「もちろん、この解析情報に抜け、漏れのある可能性も十分に考えられる。なのでこれから、その検証もかねて実験を行う」
「《おーい。そんな暇あるんかーいハル君ー》」
「《……まあ、どのみち明確な手がかりもないことだし、ハルの好きにやればいいわ?》」
「《それでー、どうするんですかー? その状態では、なにも解析できませんよー?》」
「《たしかに! ナノさんが、何のお仕事もしない状態なのです!》」
「そこは、中央を用途不明の状態で固定しつつ、その外部を通常のエーテルネットで解析用に取り囲む」
「《器用だこと……》」
これでも元管理者だ。エーテルの取扱いに関しては、なんでもござれなハルなのだった。
そんな、原初ネットの実証実験。半ばハルの興味本位の遊びではあるが、そこから何かしら学びもあるかも知れない。
いや、ハルの予想通りであれば、ここにこそ、求める答えが眠っている。そんな気がしているのだった。
◇
「今のところ、何の反応もなし。やはりこの構造では、何の出力も見込めないか」
「《そんなのハル君なら、試す前から分かってたんじゃない?》」
「そうだね。だけどユキ、何もないと分かっていても、『もしかしたら隠しイベントがあるかも』って、色々試しちゃうものだろう?」
「《あーわかる》」
「《分かっている状況ではないでしょうに……》」
「《しかし、分かる気がします、わたくしも! 魔法も、実際に使ってみたら、事前の理論とは異なる結果が出たりするものです!》」
「《ですねー。この世の法則の全てを、私たちは知ってる訳じゃないですからねー》」
特に、今は正体不明な黒い石が相手だ。何かしら未知の事象が、絡んでいると考えた方が良いだろう。
ハルはその原初ネットの構造を少しずつ微妙に変化させながら、その中で起こっている反応を、包み込むようにした通常ネットで観測していく。
「この形状をベースにして、考えられるパターンはそう多くない。総当たりも現実的に可能なはずだ……」
「《検証でやるだけやったら最後はやっぱり、残るのは力技だよねー》」
「《十分多いわよ……》」
まあ仕方がない。実験なんてそんなものだ。
これでも、ハルのような管理者の力を持たない当時の研究所の人々のことを思えば、何百倍も楽な作業である。
そんなハルの検証作業の中で、何となく微妙な手ごたえをハルが感じ取る瞬間があるが、それはすぐに霧散してしまう。
あるいは気のせいだったかと切り捨てそうになる程の微弱さだが、誤差と断じるにはその反応は頻発していた。
「……強度が足りないか? しかし、ここには僕一人しかいない。データ強度を上げる為に他の人を招き入れたら、今度はその人らに引っ張られて形状が矯正されてしまいかねない。痛しかゆしだ、困った条件だよ、これは」
「《独り言が増えてきましたねー》」
「《楽しそうなのです!》」
「《そうね?》」
「《没頭してんねー》」
女の子たちには申しわけないが、検証に夢中になってしまうハルだ。放っておけば、いつまでも一人でこうしているだろう。
しかし、今この状況で延々と遊んでいる訳にもいかない。何かしら、可能性の高い策に賭けてリソースを振り分けるべきだろう。
「……うん。やはりデータ量だと思う。幸い、僕には君たちがいる。協力してくれるかい?」
「《当然です!》」
二つ返事で了承してくれる彼女らの協力を得て、ハルはこの原初ネットに流し込むデータ量を増大させていくことにする。
彼女たちは今、半ばハルの同一存在となっている。そんな彼女らの生み出すデータは、ハルのデータとしてノイズを発生させることなく、量だけを倍増させることが可能なはずだ。
「適当なデータでいいから、適当にどんどん送り込んでみて」
「《適当適当って、つまりどうするのよ……?》」
「《ルナさん、ここは『はーっ!』ってするのです! はーっ!!》」
「《は、はぁっ……!》」
「《ルナちー、かーわいっ》」
「《ですねー》」
「《か、からかわないの、もうっ……!》」
そんな姦しくも愛らしいやり取りは、次々とデータを送ってきてくれる。これには能面のあの石も、思わず笑顔になること請け合いだ。
……いや、実際は変な方向性など付いても困るのだが。まあ構わないだろう。どうせ相手は石なのだ。
そんなハルの危惧とは裏腹に、狙い通りにノイズのようだった反応は次第に明確になっていった。
回路に流れるデータが増す程、出口などなかったはずの経路から出力が生まれる。
「トンネル効果で電子が抜けるようなものかな? あれも、理屈を知らなかったら計算が合わないよね」
そんな、現代ではあまり伝わらなそうな例えをしつつ、ハルはその現象がより明確になるようネットワーク構造を調整していく。
何をしても暖簾に腕押しだった先ほどと違い、今は手を加えるごとに明確に解が変わるのでやりがいもある。
そうして閾値を超えたエネルギーは、取り囲んでいるエーテルネットによって、その内容を詳細にデータとして記録されていくのだった。
「予想通りだね。この反応は、資料にあるデータと一致する」
「《ですねー。やはり、この構造は奴と親和性があったんですよー?》」
「《……ということは、つまり、別次元からの?》」
「それは不明だけど、例の『次元を超えたエネルギー』、『永久機関から取り出したエネルギー』と言われる物の正体はこれだった。そう考えられる」
皮肉なものだ、構造的に無意味と切り捨てられたネットワークこそが、魔法のようにエネルギーを取り出す夢の回路だったなんて。
それとも、エーテルネットとしての構造を確立させた今だからこそ、データを自在に扱える今だからこそ、こうして制御が可能になったのだろうか? どちらにせよ皮肉なものだった。
「《んー? つまりさ、ハル君これって……》」
「ああ、そうだねユキ。つまりアメジストも、こうして力を取り出していると考えていいだろう」
「《だよね! そんで、ゲーム運営に使ってる!》」
「そう聞くと、途端にチープに聞こえるね……」
とはいえ、間違いなくハルを出し抜いた偉業である。しかしながら、タネが割れれば急速にそのトリックも暴かれていく。
エーテルを媒介して生み出されるエネルギーならば、どんな形であれエーテルネットの中で行わざるを得ないのだから。
「……きっと、今まで僕が『無意味』と断じてスルーしてきた、いや、視界にすら入れていなかった場所にそのエンジンが眠ってる。そして、もはやそれを見逃す事はない」
既に、その構造は把握した。あとはそれを、ネットの海から見つけ出すだけである。
そこまで来れば、ネットワークマスターであるハルの目から逃れることはもう出来ない。
まるで起点の埋まったパズルゲームのように、連鎖的に次々と、謎が白日の下に晒されていくのであった。




