第1165話 研究の原初
エーテルネットのルーツがモノリス、この謎の黒い石にあった。そのことには、薄々感付いていたハルだ。
研究所時代の出資者がそれ以前から隠し持ち、今も人知れず管理を続けている謎の物体。エーテルネットの研究そのものが、それと無関係だと思うには少々楽観が過ぎるだろう。
御兜の話によれば、まるで、それこそ類人猿に進化を齎した叡智の石板のように、エーテルネットの発想の元となり人類を新たな段階へと導いた。
ハルもさすがに、そこまで根本的な部分で関わっていたと言われると驚きを隠せない。
「……よく当時の状況を想像できないのですが、つまりそれは、エーテルネットの設計図が、この石には記されていた。そういうことなのですか?」
「そこまで、露骨なものではないね。あくまで、ヒントを得ただけさ。もしかすると、そこにはなんの意味もなく、彼らが勝手に、神の意志を読み取っただけなのかも知れない」
「神本人は、そんな知恵を与えたつもりなんかない。って訳ですね」
「そういう、ことだね」
そもそも、石に意図も目的もないのかも知れない。ただ偶然、人類に都合よく作用しただけ。
そんな都合の良すぎる偶然などあり得ない、必ず何かしらの意思が介在しているはずだ。と、人間的には考えたくなるものだが、宇宙的なスケールから見ればそのくらいのことも『偶然』起こりえる。
まだまだ分からないことだらけだ。そこについては、どちらにも断定で考えるのは止した方が良いだろう。
「そもそも、この石の解析以前から、雛形となるエーテル粒子の研究は、進行していたんだよ」
「最初期は、どういったコンセプトで研究されていたんですか?」
「最初はね、インフラとして開発されていた訳ではないんだよ」
「軍事目的ですか?」
「せっかちに、結論を急ぐものではない。まあ、そうした側面も、なかったとは言い切れないだろうがね」
最初の目的は違ったと聞いてハルが思い描いてしまうのは、どうしてもインターネットだった。それにいつの時代も、技術の発展を促すのは争いだ。
「我々は最初はね。ガイア理論になぞらえて、人間全体を一個の大きな生命と定義し、観察する。そんな研究を行っていたんだよ」
「ガイア理論というと、地球をひとくくりで大きな生命体として、個々の生き物は細胞のように捉えるっていうあれですか」
「ああ。そうさ。人間一人を脳細胞の一つとして考え、国家を巨大な脳として考える。そうして総体として定義された『超個人』は、いったい何を考え、どこに向かうのだろうとね」
「なるほど」
詠うように語る御兜翁の語りも相まって、まるでファンタジーや夢物語に聞こえるが、れっきとした人類学だ。
集団としての振る舞いは、時に個人の集合という以上の予期せぬ結果をもたらす事がある。
月乃やジェードなど経済に強い者も、たまに経済全体を一人の擬人化した存在になぞらえることがあった。それと似ている。
「だがそれに、モノリスから見出したネットワーク構造を組み込むと、実利を伴う、新たなインフラとして作用することが分かった」
「そこからは、学術というよりも事業目的の投資ですか」
「ああ、そうさ。その後の顛末は、ハル君も、知っての通りだね」
「……大災害が起こり、エーテルネットは前倒して実用化された」
まさに、知っての通り。歴史で習ったという話ではなく、ハルは実際にその当時の様子を肌で知っている。
そこからは、御兜以上にハルの方が事情通だ。先達の立場で話してはいるが、彼もまた、当時はまだこの世に生まれていないのだから。
よほどの例外がなければ、当時を体験して生きている人間はハルだけだろう。
「その研究時代に起こった事故から、これをネットに繋ぐのは危険と、我々は判断した」
「……だからこうして、わざわざ手間をかけてまでオフラインで隔離を」
「そうだよ。また、何が起こるか分からない。確証はないが、あの災害そのものが、コレをきっかけに引き起こされた物だと、そう考える人もいる」
「そんなまさか……」
「辻褄が、合ってしまうからね」
この石が、もし何らかの意思を持っていた場合。自らが啓示を与えて作り出させたエーテルネットを迅速に普及させる為、既存文明を崩壊させたという符合である。
さすがに被害妄想である、と一笑に付したいハルだが、そうも言えない事情がある。
直接の原因をハルは知ってはいるのだが、その原因である異世界での出来事にも、間接的にあの黒い石が関わっているためだった。
「……そういうことだよ。要は、何も分かっていない、というのが、正直なところさ」
そう言って、御兜天智は石に関する話を締めくくる。
彼の話はハルにとって、予想通りというのが半分、期待外れというのが半分だ。
何か解明が成されているのであれば、こんな所に封印などしていないとは思ってはいたが、それでも裏では、画期的な進展が何かあったのでは、という期待もあった。
まあ、変に大きく事が動いていなかっただけ良かったと考えた方が良いだろう。
色々と面白いことが分かったが、今重要なのは、おまけのように触れられたエネルギーの話だ。
アメジストが活用していると目されるそのエネルギー。いったい、何処から来て、どういった物であるのだろうか?
◇
「なかなか、興味深いお話でした。ただ、今は、この学園で発生している事態についてを優先しましょうか」
「君の出自について、ではないのかい?」
「気にはなりますが、そんなものは後でいいでしょう。自分自身は、逃げませんから」
「気の長い子だね。まだ若いのに。まるで私のようじゃないか」
「……喜んでいいんですか、それ?」
言外にジジくさいと、当の老人に言われてしまった。同類扱いである。
出自が同じと思っているからか、最初から異様に仲間意識が高い御兜翁だった。悪い気はしないが、老人扱いはどうか止めていただきたい。
「……まあいいです。それよりも、先ほどの話にあったもう一つの謎。出どころ不明のエネルギーとやらについても、教えて欲しいのですけど」
「うん。そうだね。しかし残念ながら、それに関して私は、微妙に管轄外でね」
「管轄、ですか?」
「ああ。そうさ。我々はそれぞれ、専門としている管轄がある。我々が複数の家から構成されているのは、知っているね。雷都を通じて、君は三家にコンタクトを、取ろうとしたのだから」
「ええまあ。彼が最初に選んだのが、貴方だったって感じですね」
「少し違う。私が、最初に当家を選ぶよう、彼を誘導した」
「なんとまあ……」
つまり雷都は、あるいはハルもまた、御兜翁の手の上だったという訳だ。
こうしてハルと第一に友誼を結ぶために、その力をもって雷都の行動に誘導をかけた。エーテルよりも機械に頼る雷都は、さぞ御しやすかったことだろう。
しかしそれはつまり、逆に言うとハルを他の二人と接触させたくなかったということになる。
「君の求めるエネルギーの情報には、彼らの方が明るい。そして恐らく、月乃とも接触しているのだろう」
「奥様は彼らから情報を得て、僕を作り出した。そう考えているのですね?」
「少なくとも、誓って、私ではないよ」
そう、『自分ではない』。そこが問題なのではないだろうか?
何となくだが、後の二人もそう考えている可能性は十分にある。自分ではない。ならば自動的に、怪しいのは他の家の者になる。
これまで少数でずっと秘匿してきた情報だ。そう考えるのも無理はない。
ヨイヤミの見た光景によれば、エネルギーの活用については意見が分かれていたという話だったというのも、その説を後押ししていた。
いや、仮に家同士の仲が良好だったとしても、異世界から探知不能の存在が、こっそり干渉してきているとは誰が思うだろうか。
「そこを調べることで、君の疑問は、二つ同時に解消することだろう」
「いや……、僕の疑問は一つだけなんですけどね……」
出自に関しては、特に調べたいとは思っていない。というよりも調べるまでもなく知っている。
なんだろうか? どうあっても調べさせて、早く仲間確定したいのだろうか?
見かけによらずお茶目、とは言うまい。自分だけが、人間から外れた存在。その苦悩は、察するに余りある。仲間を求めたくもなるだろう。
「他の方々と接触するのは、僕も賛成ではありますけど。どうするんです? 天智さんが紹介でもしてくれますか?」
「いいや。それでは向こうに、警戒されてしまうだろう」
「でしょうね」
相手もきっと御兜家を疑っている。彼がこの学園のゲームの黒幕であると。なのでスムーズに話が進むとは思えない。
まったく、アメジストの行いによって要らぬ不和が生まれてしまっているようだ。後で代わりに文句をいっておくとしよう。少々他人事のように、ハルはそう決定した。
「安心して構わない。それに関しては既に、手を打ってあるからね」
「おや。いつの間に」
「あの雷都という男だ。家で、私が脅しておいただろう。情報も与えた。その危機感から、彼は恐らく今度は他の二家へと、コンタクトを取る。いや、そう誘導する」
「僕も、彼を利用しようとした口ですけど。ここまで来るとなんだか哀れですね」
「自業自得さ」
彼は静かな生活を求めただけだというのに、ここまで道化のように扱われる謂れはあるのだろうか。
まあ、色々と犯罪行為に手を染め、野望を抱き行動もしていたようなので、本当に自業自得ではあるのだが。
「私がまた彼を誘導し、動かそう」
「そうそう上手くいくものなのですか?」
「私の力は、君も見ての通り。機械を頼りに暮らす彼には、天敵のようなものだよ」
「むしろ災害にでも遭ったようなものですね……」
雷都にとっては、何をされたかも気付けないだろう。まるで人間版アメジストだ。経路を無視して機械に直接介入できる御兜の超能力は、もはや異世界からの干渉。
だが誤算があるとすれば、そんな御兜の作戦が上手くいったとしても、事態は解決しないということだ。
石の制御が出来ていない日本の人間と話し合っても、解決には至らないだろうことが御兜と話して分かったハルだ。
やはりここは、どうにかしてアメジストと接触する方法を、ハルは見つけねばならないようだった。
*
「さて、伝えるべきことは、伝えたかな」
「ええ。急な訪問だったというのに、お世話になりました」
「いいよ。そんなことは。家が近いのだったね。このまま、帰るかな?」
「いえ、どうせなんで、一度ゲームに入っていこうかと。新しい情報を得たうえで、改めてデータを取ってみたいので」
「そう。そうか。ではね、ここでお別れだ」
ハルたちは地下空間を後にし、今度は御兜翁が一人で車に乗り込むのをハルが見送る。
どうせ学園に居るのだ、効率的に物事は進めたい。それに、気に入ってもらっているようだが、これ以上彼に肩入れするのも避けたかった。
「すぐに、事態は動くだろう。その前に何かあれば、遠慮なく訪ねて来るといいさ」
「ええ。その時は是非、お力をお貸しください」
「それと、月乃には、気を付けるんだよ」
「……心しておきます」
この部分が、どうにも苦手の抜けきれない部分として引っかかるハルだった。
月乃に注意を払った方が良いのは、本当に至極もっともなのだが、ハルとしてはやはり彼女は敬愛する相手である。
まあ、確かに月乃にはまだまだ隠し事は多いだろう。そこは素直に、忠告を聞き入れておいた方がいいだろうか。
そんなしこりをハルに残しつつ、御兜は自宅への帰路へとついた。それを見送ったハルは踵を返すと、再び学園内に踏み込んで行く。
《そんで、なんか分かったっすかハル様? 今からまたログインするんすか?》
《ああ。彼には悪いけど、こちらも感知不能の超能力使いだからね。魔法って言うんだけど》
《物理的な資料で保管しているならー、それを見つけちゃえばこっちのもんですからねー》
《うん。彼の家に分身を残して、少々物色させてもらった》
《うわ! 泥棒っすよ! 家探しっすよ! ちなみにお宝はあったすか!?》
《興味津々じゃないかエメ……》
なお、情報はしっかり入手させてもらった。学園とは違い魔法が使える。一切手を触れずとも、簡単に全てコピー可能だ。
《その情報を検証しつつ、改めてゲーム内も探っていく。さて、今度こそ、システムの根幹に触れられるといいんだけどね?》




