第1161話 老成と老獪の
畳みかけるような先制打撃で、本来の目的から目を逸らされていたハル。だが、相手のペースに乗せられたままではいられない。
ここへ来たのは、己の出自に関する情報を再確認する為ではない。例の学園の地下空洞、そしてそこに安置されていた黒い石。そのことに関する、情報を引き出す為だった。
彼がかつての研究所関係者と割れた今、その線で探れば事実はいずれ明らかになるのかも知れない。
だが、ハルの経験と勘が告げている。この情報は決してエーテルネットには記されていない情報だ。
どうやってか、現代までネットを介さぬ形で受け継がれてきた情報および物品。それを探るには、受け継いできた者から直接聞き出すのが一番であった。
「今あの学園で行われている妙なゲーム。それを探るうちに見つけた学園の地下施設。関連付けて考えるなというほうが、無理があるでしょう」
「私も、現状には心を痛めているよ。こう見えて、あの学園には、多額の出資をしているのでね」
「その出資が、現状を引き起こす為のものでないと言い切れますか?」
「おや。私を、疑っているのかな」
「まあ、そりゃそうでしょう」
これも大嘘である。ハルは当事者の中で唯一、この御兜翁が犯人ではないと“知っている”。
ゲームの主催者はほぼアメジストで確定であり、人間は全てそれに振り回されているだけなのだ。
しかしそんな素振りはおくびにも出さず、ハルはこの老人に疑いの目を向ける。
事情を知らぬ者なら、彼を怪しむのは当然。その疑念は、追及の目を向けるのに都合の良い材料だった。
こういう事をするあたり、ハルも月乃のことは言えないだろう。
「困ったね。否定する材料が無い。確かにどう見ても、ハル君から見て怪しいのは私だね」
「……ぜんぜん困っている風には見えないんですが」
「それは、年の功という奴だよ。これくらいの困難、これまで何度も、乗り越えてきたさ。その経験だね」
「はあ……」
海千山千の猛者、ということだろうか。穏やかすぎてとてもそうは見えないが。
まあ、研究所の秘密を決して漏らさぬように現代まで生きてきたのだ。その重圧に耐えてきたのは、それだけで偉業と言って差し支えない。
「先に語ったように、私には世に出せぬ秘密が多くある。そうした物を、学園の敷地を借りて、置かせてもらっているだけさ」
これも、嘘は言っていない。厄介なことながら。あの黒い石も秘密の一部である以上、一応は真実の回答ではあるのだろう。
それを知りつつ、ハルは納得のいかないといった調子で追撃をする。こちらは、平気で嘘を並べ立てながら。
「そう言われましてもね……。僕が行ってきた、これまでの調査では、ゲーム世界を維持するためのエネルギーが、あの地下から発せられているんです。これで無関係を語られても、『なんだそうですか』と納得は出来ませんよ」
「……ほう? それは、本当かいハル君?」
「ええ。確実なデータです」
もちろん、大嘘である。もう何度目か分からない。
ハルもまた、やっていることはこの老人と変わらない。自らの握っているカードの特殊性、優位性に任せて、結論ありきで話の流れを組み立てていく。
相手は未知の情報に対する判断材料が不足しているために、相手のペースに乗せられざるを得ないのだ。
ただ、ハルとこの御兜天智の違うところは、ハルの方は相手の切り札の内容も、しっかり手にした上で話に乗っているという部分だが。
「……興味深いね。それが本当なら、確かに私を疑うのも、無理のないこと」
「ええ。貴方しか、疑う対象がいません、天智さん」
《嘘ばっかりっすね! 他にも二人居たじゃないすか!》
《いいんだよ。そっちは知らないことにすれば。それも自白させればなおよし》
《仲間割れも誘発できますしねー。んー、隣のライト君邪魔ですねー。『えっ、他にも居るじゃん』って顔に出てますよー》
まあ、彼には『三人と渡りを付けろ』とデータを渡している。ハルの矛盾に気付くだろう。
だが、この場で、ハルの目の前でそれを指摘する度胸はないだろう。また、彼も交渉における欺瞞の重要性は分かっている。
その辺は、後でハルを陥れるための材料として、御兜翁に提示してやればいい。
幸い、老人はそんな雷都の微妙な表情変化には気が付かなかったようで、ハルの言葉を慎重に精査している。
無事、引っかかったようだ。表情からは疑念が透けている。アレを、黒い石の存在を知る他の者が、自分に黙って何らかの干渉をしたのかと。
「これは、参加生徒でないと実感が湧かないかも知れませんが、件のゲームは運用コスト、維持コスト共にあり得ないほどに高く思えます」
「聞いているよ。世界をひとつ、まるごと作っているようなものだとか」
「世界と言っても、狭い世界ですけどね。それでも、生半可なリソースで成せる物とは思えない」
実際は、個室程度の空間を錯覚で巨大な島ほどに拡張して見せているだけなので、見た目ほどエネルギーは必要としていないのだが。
それもまた、入ってみなければ決して分からぬこと。先ほどとは逆に、今度はハルが独占情報でラッシュをかける。
「これほどのエネルギーが暴走したらと思うと、おちおち学園に通ってもいられません」
「ハル君は、この春で卒業だと聞いたけれどね」
「僕だけの問題じゃないですよ。友人だっていますし、そうでなくとも無視はできませんって」
ここは本当だ。ハルだって長く通った学園に愛着はある。まあ、嘘があるとすれば、特にそんなエネルギーの暴走の兆候などない、ということだが。
だが彼には、それは分からない。しかも、ヨイヤミの話によれば『別次元からエネルギーを取り出す』研究を進めたがっている者が居たとか。
もし、自分に黙ってそうした研究を強行している者が居たら? それは彼にとって、実に由々しき事態だろう。
「……そのデータ、見せてもらうことは出来るかな?」
「ええ、どうぞ。ただし、貴方の語った僕の出自、そのデータと引き換えならばですけれど」
「おっと。これは、交渉上手な子だね」
「いや手札をダタでは開示できませんって……」
「その結果、君の求める地下の情報が、得られるかも知れないんだ。欲張るものではないよ」
「残念。威圧には屈しません。その結果、こちらの情報だけ取られて終わりになるかも知れないじゃあないですか」
「胆力の強い子だ」
まあ、見た目通りの子供ではないので、その辺は褒められても素直には喜べないハルである。
それはともかく、彼もハルには静かな圧力をかけても揺るがないと分かったのだろう。こちらの情報だけを一方的に取ることは諦めてくれたようだ。
子供というなら、本来こんな子供の言うことなど真に受けるような物ではなさそうだが、彼は自分でそれを否定してしまった。
自分で特別な出自の人材であるとほのめかし、その能力にもお墨付きを与えた。
更には、あの黒い石の存在を知っている以上、ハルの言葉に一定の真実味を感じてしまっている。
もし本当に、自分の知らない間にあの石が起動してしまっていたなら? その可能性を、否定できないのだ。
「わかった。いいよ。特別に、教えてあげよう。では、行こうじゃないか。ついておいで」
そうしてついに、彼が折れる形で、ハルは謎の深淵、その淵へと手をかけたのだった。
*
「学園まで、謎の地下通路で直結、とかそういうのは無いんですね」
「ハル君は、愉快な事を言うね。楽しそうだけれど、そんな物があれば、君のような者にバレてしまうだろう?」
「ええまあ、地下だろうとエーテルの目は誤魔化せませんから」
「そうして、学園の地下も見つかってしまった訳だ」
ハルと御兜翁は、彼の家を出て二人、車で学園へと向かっている。ちなみに雷都は置いてきぼりだ。
この後、ハルを一人帰らせて個人的に話を進める気でいたのだろうが、当てが外れてしまっただろう。まあ勘弁してほしい。
ある意味で、あの話を聞いてそのまま無事に帰ることが出来ただけでも、上々の結果だと言えるのだから。
「一緒に来た彼だけどね。付き合う相手は、選んだ方が良いよ、ハル君」
「まあ、分かっていますよ。ああ、彼から情報が洩れるようなことはないように見張っておきますので、そこはご安心を」
「そうだね。任せるとしようか。ネットのことは、君の方が詳しいだろうから」
そんな雷都だが、残念ながら御兜翁にも信用されていないようだ。彼は危険だと身を案じられてしまった。
とはいえ口ではこう言いながらも、彼が有益な提案を持ちだしたらしれっと乗るのが目に見えている人なので、まるで油断は出来ないのだが。
「しかし、どうして初対面の僕にそんなに親身に? 怪しさにおいては、僕も雷都さんと大差ないでしょう」
「そうだね。むしろ、怪しさで言えば君の方が怪しい」
「仰る通りで……」
「まあ、そうだね。言葉にしにくいのだけれど。君とは、なんだか他人のような気が、しなくってね」
それは、どういった意味での言葉だろうか? だが、その後それを彼が語ることはなく、会話の少ないまま車は学園の敷地内へと入って行ったのだった。
まあ、別に構わないだろう。さて再び、あの黒い石との対面の時である。




