第1159話 歴史の語り部と生き証人
「今は見る影もないが、私の家は、古くから公人を多く輩出する家系でね。そのこともあって、古い資料へのアクセスも、多少は融通がきくんだよ」
ハルのデータから違和感を感じ、その不整合を察知した理由を、御兜翁はゆっくりと語り出す。
この声には聞く者を威圧する勢いはないが、何故だか話を遮れない確かな存在感が、常に彼の言葉からは叩きつけられているようだった。
「見る影もない、などと謙遜を。今でも十分に、政財界に顔が利くじゃあないですか」
「お世辞を言ったところで、何もでないよ。もっとも君は、そういうタイプでは、ないようだけれどね」
「ええ。僕はその力を認めたからこそ今日ここに来ています。そこを否定しては、来た意味そのものがなくなってしまう」
「おや。最近は、飛ぶ鳥を落とす勢いの君だ。その君の次の標的が、私ということ、なのだろうか」
「……別に、そこまで勢いづいていませんけどね」
「自覚を、した方が良いよ。なにせ、君のことは、今回慌てて調べた訳ではない。以前から既に、気にはなっていたんだ」
どうやら、ハルの“おいた”は以前からこの老人には警戒されていたようだ。
といってもそれは、どこからだろうか? 彼も深くかかわっている、学園のゲームで暴れてからか。それとも最近、大々的に技術を表に出し始めてからだろうか。
いや、恐らくは、月乃の下で現代の貴族社会に電脳戦で喧嘩を売り始めてからのこと。ずっと以前から目を付けられていたのだろう。
「月乃が、藤宮の家を手中に収めて以降、ここまで勢力を伸ばすとは、誰も思ってはいなかった」
「奥様は優秀な方ですよ。皆、過小評価しすぎです」
「かもしれないね。だが、人の隆盛には限界があるものだ。盛者必衰、栄枯盛衰。個人のカリスマでは、すぐに限度が来る。我々は、それを肌感で知っている」
「しかし、奥様は止まらなかった」
「ああ」
「私もそう思っていた者の一人だよ。君の雇い主は、確かに優秀な経営者だ。だがそれ故に、恨みを抱く者も多い。すぐにそうした勢力が一丸となり、栄光の時代は終わると思ったさ」
「僕がいなくても、奥様はそうそう負ける方だとは思えませんけどね」
今回ハルが実証した通り、異なる派閥同士が徒党を組んだとして、すぐに上手く機能するとは限らない。
月乃もきっと、その隙に気付き好きに振る舞わせるようなことはしないだろう。
とはいえ御兜翁の言っていることもまた事実。急拡大し、このままどこまでも伸びると思われていた会社が、一気に傾くことはよくあること。
その時代を生きる人間にはなかなか実感が湧かないが、長期で見れば何度も同じことが繰り返されてきた、歴史の常識だ。
月乃もまた例にもれず、そうした歴史をなぞる者のひとつになるだろう。知恵ある者は皆、そう思っていた。
だが、ある種の分岐点を超えても、彼女の勢いは留まることをしらなかったのだ。
「なにか、要因があるはずだ。我々はそう考えた。そこで、目についたのが、君というわけさ」
「過分な評価、痛み入りますね」
まるで『犯人はお前だ!』とでも突きつけられているような状態のハルだが、御兜天智はむしろ楽しそうだ。
その皺の目立つ顔にうっすらと笑みを張り付け、まるで駆け引きを楽しんでいるようである。
確かに、初手から彼のペースである。話を聞きに来たというのに、まるでハルが秘密を暴かれに来たような気分である。
「だが、そこまでだった。明らかに、怪しい戸籍を持つ君を、見つけはしたが。結局君が、何者であるのかは分からなかったさ」
「じゃあ、何者でもなかったんじゃないですかね? 戸籍は単に、奥様が僕を守る為に変えてくれただけとかで」
「ふふふ。あの子が、そんないじらしいことを?」
「悪いけど私も、するようには見えないねぇ、とてもじゃないけどさ」
「奥様の評価……、いや否定は出来ないけど僕も……」
冷血な女当主、といったイメージでもう月乃は固定されているようだ。まあ仕方ない。対外的にはそうした姿しか見せていないのだから。
「そこで、私の立てた仮説はね。君はあの子の私生児で、あの子は自分の子供同士で、婚姻を行わせようとしている。どうかな?」
「なるほど! 確かに、優生思想の強い権力者ならば、一度は考えること……」
「いや『なるほど』じゃないんだけど雷都さん。あんたら本人の前で何言ってんの?」
「しかし、御兜様。藤宮が第二子をもうけたような素振りは、いっさい見せませんでしたが」
「そこは、強引な推測に過ぎないが、私は彼は、あの子のクローンなのではないかと、そう思っているよ。君は、どう思うね?」
「……確かに。わが社でも、法と倫理とコストさえ無視すれば、可能といえば可能。そんなもの藤宮ならば」
「聞けって……」
これで、彼らは冗談で言っている訳でも、ハルをからかって遊んでいる訳でもないのが質が悪い。
有力者の倫理観など、どこもこんなものなのだろうか? ついツッコミに入ってしまうハルだった。
だが、流されてばかりいるわけにもいかない。今の話から漏れ出たごく薄い手がかりを頼りに、ここからハルの方から反撃に転じるとしよう。その為に、この場へ来たのだから。
◇
「……はあ。やれやれ。ずいぶんと言いたい放題だ」
「何か、私に聞きたかったようだけどね。こちらとしても、ただで教えてあげる訳にはいかないよ」
「これ以上掘り下げられたくなければ手を引け、とでも? しかし、天智さんの話にも、確証はないんじゃないですかね。僕が試験管ベイビーだなんて、話が飛躍しすぎているようにしか思えない」
「そうかい?」
いや、実際、いい線をいっている。ハルが月乃の“作った”子供だというのは間違いだが、月乃がそうやって子供を“作った”こと事態は事実なのだから。
彼女のことを、良く分かっている人物であるのは間違いないといえた。
……まあ、『やりかねない』と思われてしまう月乃も、少しどうかと思うハルではあるが。彼女のことは好きだが、一切否定は出来はしない。
「天智さんの話を総合すると、奥様は、エーテルネットに高い親和性を持つ個体を、僕を狙って作り出した事になる」
「そうなるね。彼女はそうして、天下を取った」
「さすがに、話が都合よすぎでは? 雷都さん、クローンはともかく、そこまでの調整は可能なんですか?」
「……うーん。いや、さすがにそれはね? いや、出来ないとは断言できないよ。だが、その試行錯誤には、確かにどれだけの時間がかかることか」
「でしょう。しかも、秘密裏にとなると、いかに奥様でも現実的じゃない。それこそ、貴方のような者に察知されてしまうはずだ」
「たしかに、そうかも知れないね。物資の動きは隠せない。それだけの大掛かりな実験をしていれば、必ず痕跡を、残してしまうだろうね?」
これは、納得せざるを得ない論理だろう。妄想の域を出ない御兜翁の推測は、ここでご破算となる。普通なら。
だがハルは、彼を論破するためにこのような事を言ったのではない。そもそも真実ではないのだ。別に、論破の必要性が最初からない。
では何故か? それは、求める反応はその逆であり、反論をすることで、彼に自説の補強をさせることが真の狙い。そこに、彼はまんまと食いついて来た。
「だけどもし、もしもだよハル君。そんな試行錯誤など重ねる必要はなく、調整のための雛形が、最初からあったなら? 君は、どう思う?」
「それなら、現実的かも知れませんが……、でも、まさか……」
「そのまさかが、あるとしたら? 君は、不思議に思ったことはないかな?」
「なにを……」
予想通りだ。ハルは内心ほくそ笑む。クローンの話を出してきたことから、その時点でうっすらと予感はあった。それが今確信に変わる。
彼は、研究所のことを知っている。恐らくは、元関係者、その血筋。
全てが歴史の闇に消えたと思っていたあの研究所の末路と、そのデータ。
しかし、それはこうして、決してエーテルネットの情報として上らぬ形で、脈々と受け継がれてきていたのだ。
ハルは、その内心を一切出さぬまま、いやむしろ彼の話に気圧されるよう振る舞いつつ、彼の話に合わせていった。
彼らの目から見ればハルは、自身の出生の真実に動揺する、年相応の少年にでも見えているだろうか。
「君も得意な、このエーテルネットワークさ。その始まりは、どうしていたのか。何故、驚くべき早さで普及し、最初から、人類に適合したのか」
「それは、災害時に当時の方々が、血のにじむような努力で成し遂げたと……」
「もちろん、その通り。先祖には、頭が上がらない。だが、それでも、先ほども言ったように、人の力には限界がある。そうだろう?」
「どれだけ死に物狂いで研究しても、物理的に不可能だったと?」
「そう言っているよ」
知っている。当時の奇跡的な普及の裏には、エメによる暗躍と、なにより例の研究所による事前の実証実験の数々があった。
災害後に一から研究していたのでは、まるで間に合うものではなかっただろう。
「そんな、歴史の闇の中で行われた研究には、ネットのオペレーターを担うべく生み出された、新人類の誕生も、また含まれていた」
「……そのデータを使って作られたのが、僕であると?」
「私は、そう推理しているよ。信じたくは、ないかも知れないがね?」
この衝撃の事実を何故ハルに語ったのか。そこには様々な狙いがあるだろう。
畳みかけるように情報をぶつけることで動揺させ、自分の味方につけるように動く。おそらくは、ハルもよくやるそんな狙いがあるはずだ。
これでハルが真に無知ならば、この話を信じるか、もしくは月乃を信じるかで混乱させることが出来ただろう。
だが生憎、彼にとっては本当に生憎、ハルはその当時の当事者である。この話が真実であると確信が持ててしまう立場だ。
それにより、逆に彼の情報が、ハルにとっては浮き彫りとなっていったのであった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




