第1158話 老賢人は静かに語る
数日後、雷都征十郎から渡りをつけたことの報告がハルへとあった。例の三人のうち、一人と面会の予定がついたようだ。
ハルを陥れようという企みがあるとはいえ、非常に優秀な迅速さと言って良いだろう。
「よくスケジュールの都合がつきましたね。相手もずいぶんな有力者だったのでしょう?」
「はは、ひどいねぇ。君がやれって言ったんだろう? おじさん、その通りに頑張っただけじゃないか」
「……やめません? そのテンション? 調子が狂いますから」
「いやいや、私はいつだって“こう”だとも。頼むから、妙なことを言わないでくれよ」
「はあ。まあ、いいですけどね」
あくまで、エーテルのある場所では素は見せない、そういうことなのだろう。
少々気持ちが悪いハルだが、まあ構うことはないだろう。二面性を持つ人物、そうした者はハルの周囲には多く居る。
それに、人間だれしも多かれ少なかれ、そうした仮面を付けて過ごしているものだろう。彼は少し、その仮面が頑丈なだけだ。
二人は雷都の車によって、にぎやかな街の中心から離れた道を我が物顔で行く。
最近はめっきり車が少なくなったうえに、人通りの少ないこの地域はいっそ、道の貸し切り状態だ。
「君のような学生には、このあたりは縁がないかな? 遊ぶところなど特にないからね」
「そうですね。あまりこの辺に、足を延ばすことはありません。でも、来たことはありますよ」
「へえー。そうなのかい」
「ええ。友人の家がこの近くに」
「女の子かい?」
「……また貴方はそうやって。まあ、女の子ですけど」
「あははは。やっぱり!」
「こいつ……」
別に、愛人宅とかそういう物ではないのだが。彼と一緒にしないでもらいたいハルだった。
この辺りの家というのが何のことかといえば、ミレイユとセリスの家がある地域だ。
かつてカナリーのゲームで知り合ったお金持ちの姉妹。その実家がここにある。彼女らの家は、広々とした日本家屋のような形態をとっており、そのスペースを確保するための郊外だ。
「彼女たちの家もそうでしたが、ここらは一帯、そうした家が多いんですね」
「ああ、広い家こそ正義。お金持ちには、そう考える者もそれなりに多いんだよ。かく言う私もその類なのだけどね」
「貴方はそれに加えて、人の居ない静かな土地がお好みのようですけどね」
「いやいや。君だって人の事は言えないんじゃない? 今は、ひっそりとした丘の上の家に住んでいるようじゃないか」
「あれは、正確には僕の家じゃないですけど」
「つまり、女の家に転がり込んでいると!」
「それ言いたくて知ってて聞いただろアンタ……」
まあ実際、女の家ではある。ちなみに天空城のお屋敷も、ある意味では人里離れた郊外とも言えるかもしれない。
ちなみにあそこも女の家だ。実家はもちろん女の家。まあ、これは親の家なのでセーフ、だろうか?
ハルのそんな複雑な内心は知らず、雷都は金持ちの家事情の解説を続ける。どうやら、ハルが自身を寄生男と悩んでいることなどまるで察してはいないようだ。
「君の雇い主のように、中央に住む者はむしろ少数派さ。煩わしいんだよ、あの辺は」
「雇い主ではなく義母ですよ。親孝行しているだけです」
「おや? もう娘との婚姻が決まったのかな? ダメだぜ光輝くん。そうした重要な情報は、軽々しく外で口にしちゃ」
「さて、どうでしょうね。こうして意味深に言いふらすことで、周囲に釘を刺しているのかも」
「はは。俺の女に手を出すなアピールかい? やるねぇ」
そんな、表面上は気さくな会話を交わしつつ、雷都の車は目的地へと到着する。
そこはミレイユたちの家のような広々とした平屋の和風建築。しかし決定的に異なる部分は、彼女らの家のような『古風な新築』ではなく、筋金入りの古い家だということ。
代々続いているという事実が一目で分かるその家に、ハルと雷都は飲み込まれるように踏み入って行った。
*
屋内に通され、歴史を感じる和室にて家の主を待つハルたち。畳の部屋にて、正座待機である。洋風の客間に通される経験ばかりのハルにとっては新鮮だ。
どうやらこの家、『御兜』家の主が直々に応対してくれるようで、雷都も柄にもなく緊張ぎみ。
「慣れないですね、正座は。そういえば和菓子が出て来た時は、どう対処するのが正解なんでしたっけ?」
「むしろ慣れてるねぇ君は……、お茶もお菓子も出ないだろうから、そんなこと気にする必要はないんじゃないかな……」
ハルはといえば普段通りであり、お菓子が出た際の心配などしていた。
だって重要なのである。普段はお茶菓子があって当然だし、こうした伝統ある所というのはマナーにうるさい。
勧められるまで手を付けてはいけないだとか、家主が食べるまで手をつけてはいけないだとか、そういうローカルルールがあったらどうするのだろうか?
ただ、雷都の言うようにそんな心配は無用であったようで、お菓子の登場もマナーのチェックも行われることはなく、ほどなく家主である御兜が入室しハルたちの前に座る。
彼は小柄な老人ではあれどその背筋はピンと伸びて姿勢は美しく、老いを感じさせぬ貫禄ある少年のようだった。
だが刻まれた皺はまさしく彼が歩んできた歴史を物語っており、若者には決して出せぬ静かなオーラを全身から感じるようだ。
そんな彼が静かにハルたちの前に正座して向かい合うと、まるで謁見じみた会談が、ここに始まったのだった。
「やあ。ようこそ、少年。ハル君といったかな? 会えてうれしいよ。私は、この御兜の家の現当主。天智という」
「おや? その名でいいんですか? ではお言葉に甘えて。どうも、ハルです。今日はお忙しいところ、すみません」
「……こら、君ねっ!」
「いいや。いいさ。それに私は、暇を持て余している身でね」
ゆっくりと、噛みふくめるような丁寧さで、柔らかに歌うように、御兜天智はハルへと語る。
想像ではもっと、いかつい、いかにも頑固な権力者といった対応を思い描いていたハルだったが、ずいぶんと柔和な人物であるようだ。
「若く、才能に溢れる子を連れてきてくれて嬉しいよ、征十郎。ご苦労だったね。下がってもいいよ?」
「はっ、いえっ、しかし」
「うん? 聞いていたいのかい? まあ、残っても、構わないが。ただ、私とこの子の話は、邪魔をしないでおくれよ?」
「……畏まりました」
ハルを連れて来た時点でもはや用済みとばかりに、露骨に雷都を追い出しにかかる御兜翁。
だが、雷都は雷都で計画がある。それを置いて下がっていいものかと考えているうちに、そのタイミングを逃してしまっていた。
とはいえ、自らの言葉に即従わなかったことに怒りを覚えた様子はまるでなく、雷都が残ろうと残るまいと、特に興味はないようだった。
初対面であることを除いても、内心がなかなか読みにくいこの所作の美しい老人。そんな中にかすかに感じられる感情は、『哀れみ』、だろうか?
一方の雷都はというと読みやすく、自らの計画の遂行と、家格では負けても実力では負けていないという、有力者特有のプライドが全身から溢れている。
まあ、そんな貴族同士の縄張り争いにはハルは興味がない。聞くべきことを聞けて、探るべきことを探れれば、あとは勝手にやっていただいて構わないだろう。
「さて。君のような若い子が、私に何の用事だろうか。つまらない男だよ、私は。長く家が続いているだけで、優秀な君の求める力など、何も持ち合わせてはいない」
「そうは言いつつ、僕のことは既にご存じのようで」
「それは当然、会いたいという者のことは調べるさ。ああ、生まれは、どこだったかな」
「平凡な家庭ですよ。奥様、月乃様に拾っていただいたので、少しばかりヤンチャしているだけです」
「へえ。じゃあ君の両親は、君を手に入れるために月乃が殺したのかな? もうこの世には影も形も、無いようだけれど」
「幼少期に死別しただけですよ。まさか奥様が、そんな」
「いいや。彼女ならやるさ。君の才能を手に入れるためならね? 可哀そうに。親の仇とも知らず、今日まで働かされて。あまつさえ恩まで感じて」
「いえ、誤解があると思うんですけど……」
「冗談さ。ただ、彼女のやりそうなことは、よく知っているのは本当だ。ついでに言えば、長くこの辺で暮らしていると、周囲に暮らす人々のことにも敏感になる」
「僕の戸籍がでっち上げだって、お気付きなんですね……」
「責めたりはしないよ」
ただ、情報戦では負けていないということを、初手から叩きつけてきたのは確かだろう。
エーテルネットワークのデータさえ改竄してしまえば、何でも思い通りになると思うな、と言われているようだ。
そんなハルとはまた種類の違う情報網。その中に、ハルの求めるあの黒い石の情報も、また眠っているのであろうか?




