第1157話 打たれ弱くも不屈の精神
そうして、雷都との面談という名のほとんど脅迫じみた話し合いは幕を閉じた。
もう少し荒れるかと思っていたハルだったが、意外と素直に話は進んだ。拍子抜けするくらいだ。
二人で話が出来るよう自ら取り計らってくれたりと、彼が率先してハルの意図を汲んでくれたことが大きいだろう。いわば、『同じ言葉を話している』相手だということだ。
「《普段くだらない隠語なんか使ってばっかりだから、その手の会話に慣れたんじゃないのー?》」
「なんてこと言うんだいヨイヤミちゃん。ただ、その可能性は否定できない」
「《でっしょー》」
そんな理由だったら嫌だが、彼が素直だったことには、他にも思い当たる節のあったハルだ。
それは、彼がハルの提案を心の中では飲んでいない可能性だった。
「普段から、自身を取り巻くさまざまな不安要素に、怯えに怯えて暮らしている彼だ。そんな彼だから、僕がこうして姿を現したこともある種、想定内だったのかも知れない」
「《想定してたんなら、もっと対策取ってるんじゃないの?》」
「……なんだろうね。そういった予測じゃなくて、普段から色々と漠然とした不安を胸の内に飼っている人だ。僕を見た時の内心も、『ついに来たか』って感じだったしね」
「《それで絶望した? だから、素直に観念した?》」
「いいや、逆だね。ついに不安が形を持って現れたか、ならばこれに対処しきれば、自分は次のステージへと進める。って感じの心情かな?」
「《ふーん。前向きなのか後ろ向きなのか、わかんないやーつ》」
不安ばかり抱えて生きるから後ろ向きなのか。それを乗り越えようとするから前向きなのか。
まあ、そういった側面を持つ人間も結構居るのだろうとハルは思う。
あのセキュリティのガチガチな家も、そうした彼の内心が形になった物と思うと分かりやすい。彼は、抗う者なのだ。
「だからこそ、彼が諦めて屈したとは僕は思わない。まあ、いいんだけどねそれで」
「《よくないじゃーん! 劣等人種が神に逆らうなんて、ぶっとばしてやんなきゃ! しゅっ! しゅっ!》」
「こらこら。思想の強い発言しないの」
子供の頃からこれでは、先が思いやられる。いや、ある意味こういった所こそ、子供らしい無邪気さなのだろうか?
それはともかく、ヨイヤミに語った通り、そこをさほど問題視はしていないハルだ。
従うにせよ抗うにせよ、彼が何かしらの行動を起こすことには変わりはない。そしてアクションを起こせば、状況は動く。
ハルはその動いた状況に合わせて、上手く流れに相乗りしていけばいいだけだ。
「お手並み拝見といこう。僕という『不安』を倒せば、彼はすなわち『安心』を得られる。必死になって動いてくれるはずさ」
「《それでわざわざ姿を見せたの? 悪いひと!》」
「そういう面もあるね」
悪いと言いつつもにっこりと微笑みを作ってくるヨイヤミに、ハルもまた笑みで返す。
ここだけ見れば、仲の良い兄妹の平和な会話風景だ。その内容が、こんなに物騒なことになっているとは誰も思うまい。
「《でも、それならアイツを監視しに行かなくていいの? アイツ、あの男子たちのとこに行ったんでしょ?》」
「彼らにももう、僕の息がかかってるからね。僕が行かなくても、きっと自動で僕の目になってくれるだろうさ」
「《悪いひとー! まあ、アイツらにも働いてもらわないとね!》」
渋々ながらもハルに協力してくれている、ユウキたち五人の少年。雷都が彼らに何かを吹き込んだら、渡した通信機で伝えてくれることだろう。
言葉の上では文句たらたらだが、彼らも通信機で遊ぶことを実は気に入っている。
少年たちには他にも、もう少し働いてもらう予定なのだが、それはまた、先の話になりそうだった。
「それに、彼は用心深いがゆえに秘密を簡単に見せてはくれないさ。常時張り付くのは時間の無駄だ」
「《じゃあ無視するの?》」
「いいや? 無視もしない。用心深すぎるからね、逆に読みやすいんだよ。なにも二十四時間見張ってなくても、彼には必ず、その警戒を解いてしまう瞬間がある」
「《ひみつきちだ!》」
「そうだよヨイヤミちゃん。そこを狙うんだ」
エーテルの存在する場所に異常な警戒を抱いている彼だからこそ、それが解消された時は脆い。
精神の弛緩は常人の比ではなく、秘密をぽろりと口走ってしまうならば、それもそこ以外にありえないだろう。
つまりは家の地下室に入った時のみ、ハルは神経を割けばいいだけなのだった。
「という訳で、僕らは帰ろうか。ヨイヤミちゃんはもういいかい?」
「《いいに決まってるじゃん! こんなとこ、一秒だって長居したくないもん! まったく、『生活に不自由してないか』とかばっかり聞いてきて、嫌んなっちゃう!》」
「君を心配してくれてるんだよ」
「《分かってるけどさぁあ~? ここでの生活が、いちばん不自由だったってーのー!》」
「あはは……」
ぷんぷんと怒りつつも、スタッフへの感謝はあるのか何となくいつもの勢いに欠けるヨイヤミだ。
そんな彼女に外の空気を吸わせてやるべく、ハルたちは、この学園を後にすることとしたのであった。
*
そして、その日の夜、ハルは予告通りに、雷都邸へと再び分身を差し向けた。ハルの予想したように彼は秘密の地下室へと入り、外で張り詰めていた緊張を解く。
どうやら、この地下室すらも実は既に監視の目が入っているのではないか、という警戒はされていないようだ。
その可能性を考えることすら許されないのか、ここは彼にとっての聖域に等しいようだった。
「まあ、ここすら安全じゃないとなったら、もう何を信じればいいか分からないもんね?」
「そうだね。でもさユキ、疑うならば本来そこまで疑うべきで、でもそんなに疑ってばかりじゃ何も出来なくなるから、疑った上で、何も気にするべきじゃないんだよ」
「むつかしい……」
「妄想はほどほどにしよう、ってことさ」
「……でも困ったことに、彼の不安はほぼ現実なのよねぇ」
「むしろ、現実はそれ以上に過酷なのです……!」
残った唯一の安全地帯さえ、こうしてハルの侵略を受けている。これを知れば、絶望に沈むこと間違いなしだ。
まあ、別にハルの目的は彼を絶望させることではないので、ここで姿を現したりはしないのだが。
彼個人のことは、好きではないハルであるが、その心情そのものは理解できる。
こうした不安は、人間誰しもが抱えているものなのだろう。ただ、大抵の者は折り合いをつけて生きるしかないだけ。
彼はそんな中で、運よく、いや運悪くだろうか? その不安を解消できる技術を資金を持ち合わせてしまっただけの人間なのだろう。
「《……はぁ。なんて日だ。散々な一日だった》」
そんな雷都は、入室後しばらく黙っていたのだが、ようやくその口を開いた。何度も重いため息を吐いて、ハルとの邂逅というバッドイベントを振り返る。
そうして部屋に保管してある酒のボトルを開けると、小さなグラスに注いでその強そうな酒を、ちびりちびりと傾けるのだった。
「これが、噂に聞く自棄酒!」
「違うよアイリちゃん。ヤケ酒ってのはもっともう、ぐーっ! っていくんだよ。知らんけど」
「わたくし、知ってます! “へべれけ”に、なるのです!」
「また妙な言葉を覚えたものね……?」
「これは、晩酌って感じかね」
「わたくしたちも、“ばんしゃく”いたしましょうか!」
「……アイリちゃん? その体で、お酒は大丈夫なのかしら?」
「確かに。犯罪感、強め。いや? むしろルナちゃんがだいじょぶ? 実年齢的にさ?」
「……余裕よ?」
「まあ、別にどっちにしろ僕が体内のアルコールをエーテルで分解するからどうとでもなるんだけどね」
「風情がないですねー? それよりも、なんか喋りそうですよー?」
だらだらと雑談しながら、お気楽な張り込みを行っていたハルたちは、カナリーの言葉に真剣さを取り戻す。
彼女の言う通り、雷都征十郎はその表情を外の時のように精悍に構えなおし、問題の対処に取り組んでいくようだった。
「《状況は実に厳しい。奴に真っ向から逆らえば、無事では済まないだろう。淫行の証拠は出るはずもないが、この家に女を連れ込んだ事実は消しようもない。厄介だよ、本当に。あの少年は》」
「エーテルネットの恐いところですねー。学園もそうですが、商品の搬入を監視することで、中でなにやろうとしてるかはだいたい分かりますー」
「ハルは、なにか証拠を掴んで脅したのかしら?」
「いや? 彼が勝手に掴まれたと思っちゃってるだけ。秘密結社の会議で、そういう話を出してた男がいたからさ。普段から過剰な接待をしてるのかなーと」
それで、少し含みのある言い方をしてみたら、まんまと釣れたという訳だ。言ってしまえば、単にカマをかけただけに過ぎなかった。
「《それに、相手の三人も、負けず劣らず厄介な奴らだ。前時代から続く名家ばかり。気軽に敵に回して良い相手ではない……》」
一つ一つ状況を確認するように、彼は続ける。実にありがたい。やはり、気の抜ける瞬間を狙い撃ちに出来るというのは都合が良かった。
「《……下手をうてば私が潰される。金の流れが派手な奴らではないが、影響力は今なお甘く見れないな。正直、関わり合いになりたくなどない。……まったく、四面楚歌にも程がある》」
「大変そうだね」
「かわいそうですねー?」
「誰が追い込んだのよ……」
だが、そんな追い込まれた彼も、まだ完全に諦めてはいなかった。
このままハルに従い、旧家を敵に回すのか。それとも旧家側に付き、ハルの暴露に立ち向かうのか?
否。彼が選んだ選択肢は、その二つの問題を解決する第三の道。
「《……ここは、潰し合わせるのが一番だ。少年の依頼に乗ったふりをしつつ、裏では彼らに少年を潰させるようリークする。これしかない》」
「へえ。やるねライト君。持ち直したじゃん」
「そうだね。面白くなってきた」
ただでは終わらぬとばかりに、雷都征十郎は決意する。その様子を盗み見るハルもまた、この先の展開を思い描き、ほくそ笑むのであった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




