第1154話 大貴族の憂鬱
遅れてすみません! 展開が難しい……。
「いやしかし驚いたよ。まさかこの施設から、患者を連れ出す者がいようとは」
「かねてより、エーテル過敏症の問題はなんとかしたいと思っていましたからね」
「そうなのかい? 君は色々と、手広く商売を始めているようだけど。これもその一環かな?」
「まあ、そんなところです。商売というよりも、慈善事業のようなものですけどね」
「いやいや謙遜するなって。しかし、君の専門分野はなんなんだろうね? あまり専門外のものに手を伸ばしては、火傷しかねないよ」
「ご心配には及びません。専門はエーテル全般ですので、しっかり範疇ですよ」
「そうか……」
大仰に身振り手振りを交えながら語っていた雷都氏が、『エーテル全般』と聞いて苦い顔をする。
エーテル嫌いの彼にとって、エーテルの専門家など最も忌避すべき対象だろう。
そんなハルがこの場で何をしているのか、気が気ではないといった様子だ。
「貴方こそ、専門は機械工学ではありませんでしたか? 専門外のこの場は、大変でしょう」
「……よく知っているね。いや、一見無関係に思える分野だからこそ、光明が見出せることもあるのだよ。それに、エーテルの無いこの空間だからこそ、必要だろう? この技術が」
「仰る通りで」
ハルが、暗に彼がこの場に妙な装置を持ち込んでデータを取っていることを指摘すると、彼はますます苦い顔をする。もはやすぐにでも帰りたさそうだ。
しかし、こうなってはハルにそのことについて聞き出さねば帰れないとも同時に思うのか、実に胃が痛そうになっていた。
せっかくのエーテルの無い安息の地であるというのに、ご愁傷様である。
「……しかし、その子供、見ない顔だね? こんな可愛らしいお嬢さん、居ましたかな先生?」
「ええ。ずっとおりましたよ。この子は自力ではほぼ動けないので、顔を出す機会がなかったのでしょう」
「ふーむ? 一応、全ての子供と面会するようにはしてたのだけどねぇ?」
「存在感の薄い子でしたから。スタッフも、流してしまうことが多かった。たまにふらりと姿を消しますし」
《だーれがこんなスケベ親父の視界に入るかってーのー! 帰るまでずっと、私の姿を意識から削除してやってたもんねー! まぬけー!》
《あらら。いたずらっ子なんだから》
きっと、わざわざ煽るように彼の周囲をあからさまにうろついていたのだろう。その様子を思い浮かべ、少々雷都氏に同情するハルだった。
脳に侵入しその認識を消してくる子供が居るなどと、誰が想像するだろうか。
ハルの存在がなければ彼は一生、ヨイヤミを認識せずに過ごしていたことだろう。
「おっと。そうか、私は嫌われてしまっていたんだね。無理はないかな」
ここでヨイヤミが、わざとらしくハルの後ろに隠れて服を引っ張るようにすると、彼も自身が避けられていた可能性に思い至る。
ここで、今まで姿が見えなかった理由など深堀りされても困るので、この機転には感謝しよう。感謝するのだが。
「ははは。反面君には、ずいぶんと懐いているようだね。気難しい子のようなのに、ずいぶんと“躾けた”ものだ」
「いえ、手のかからない、良い子ですよ。僕が手を出すことなんて、ほぼないくらいです」
《いや。すっごい苦労する。ヨイヤミちゃんの躾けは。この子がどんだけおてんばか、彼にも知って欲しいくらいだ》
《ライトちゃんグッジョーブ! えっちな聞き方するから、ハルお兄さんが当たり障りのないこと言うしかなくなってる! そのままお兄さんから言質をひきだせー!》
《敵の応援しないで?》
この内気そうな彼女の内面が、こんなに騒がしいとは誰が思うだろうか。
「しかし、なぜそんな目立たないその子だったのかな? 可愛い子だからね、一目ぼれしたかい?」
「ええまあ。そういう側面もありますね」
《しゃあっ! お兄さんは、私に一目ぼれしてる! 美少女でよかった~~》
《……頼む、少し静かにしてて。無表情な君の本体との落差に、ギャップで目が回りそうだ》
《むふふーん。まあ、がんばれーお兄さん~》
中々にキツイ状況である。なぜ、ハルが板挟みの状況になっているのだろうか?
だんだん敵である目の前の男に、真実をぶちまけたくてたまらなくなってくるハルなのだった。意味が分からない。
「他の子にも睨まれましたよ。『なぜ僕達を助けないのか』、って感じでね。とはいえ、全ての患者を掬いあげるほど僕の手は大きくありませんので」
「……彼らと接触を?」
「すれ違った程度ですよ。雷都さんも、彼らを気にかけておいでのようで」
「ええ。その通り。願わくば彼らにも、真に自由な生活を与えてやりたいものです。君を責めるような言い方になり、すまないね」
「いえいえ。足しげく通ってあげているようで、貴方の真剣さは理解していますよ」
ここで、話は互いの道の交点である、ゲーム参加者の少年たちのことへと至る。
彼らにハル襲撃の指示を与えたのはこの男だ。当然、ハルのゲーム参加も知っているだろう。
そんなハルがこうした言い方をすれば、彼も自分の話が洩れたと察しは付くだろう。
彼もまた、ハルのことを明確な脅威と認識してくれたようだった。
◇
「……なあ、君。これから少々時間はあるかい? それに関して、少し話がしたくなってきたんだが」
「ええ。構いませんよ」
「そうかね? ああ先生、予約していた身ですまないが、そういう訳でね。これから少し、彼と話をしてくるよ。面会はその後でいいかな?」
「ええ、もちろんです。どうぞ、このままこの部屋をお使いください。私は、席を外しますので。さあ、きみもおいで」
やや強引に彼はヨイヤミの車椅子を押し連れ出そうとする。秘密の話を邪魔しないようにとの配慮だろう。
ヨイヤミは居座ろうとするが、まあ、確実に居ては警戒されるだろう。ここは申し訳ないが、彼女にも外してもらおう。
「元気にやってる姿を見せてきてあげな。すぐに迎えにいくからさ」
「わかっ、た。すぐ来てね、おにいさん。はやくね。きっとだよ」
「ああ、約束」
そうして少々嫌そうにしつつも、世話になったスタッフに挨拶するのはまんざらでもないというように、ヨイヤミは部屋を去る。
そして二人きりとなった室内を雷都はしっかりと確認すると、大きく息を吐き無造作に背を椅子に預け体重をかけた。
「はぁああ……、よくあんなのに懐かれて平気な顔してるね君は……」
「まあ、貴方の言う通り可愛い子だからね。嫌な気はしないさ」
「……そうかね? 私はどうにも、不気味でならんよ」
《うっわ! 人が居なくなった途端にこの変わり身! まあ、見てるんだけどねー今もー》
《……頼む。大人しくしていようね? 視界共有を許可してあげてるんだから。邪魔すると切るよ?》
《はーいっ。可愛い良い子にしてまーす》
《なんだかなあ……》
ということはつまり、ハルは人扱いされていないということだろうか? まあ、別にいいのだが。
以前、彼の家の地下室で見た時のように、明るくはきはきと喋っていた姿は一瞬で見る影もない。
彼の本来の、素の性質をさらけ出し、無気力に覇気のない姿で、改めてハルと向き合う雷都だった。
なかなかに面白い。これが彼なりの、気合の入れ方ということか。
しかし、ハルの言葉の端々から、自分の置かれている状況を察知するその嗅覚は流石の一言であった。
「……ああ、すまんね。私はどうにも、人前で喋るのは苦手な質なんだ」
「いや、いいけどね? でもよく言うよ。完璧な擬態だったじゃないか」
「……そうするしかないなら、誰だってそうするさ。しかし、せっかくの無エーテル空間だというのに、演技を続けなければならないのは実にストレスだからな」
「なるほど。筋金入りなことで」
彼にとってこの学園は、数少ない心穏やかに過ごせる空間ということなのだろう。そんな中で、猫を被り続けなければならないのは普段以上に苦痛が大きいようだ。
ハルを明確な敵として見る以上、逆にもうそんな演技を続ける必要などないと判断したのだろう。
敵ながら、なかなかどうして思い切りのいい男であった。良い判断だとハルも思う。
そうしたストレスと、演技に割くリソースを負ったまま敵と対峙すれば、重要な判断を誤る危険もあるからだ。
「……で? どこまで知っている? 化かし合いは苦手なんだ。はっきり言ってくれ」
「本当によく言う……」
「……苦手さ。本当だ。そうでなければ、お前の雇い主から逃げ隠れなどせんよ」
「まあ、あの方はなんというか次元が違うから……」
月乃と比べれば大抵の者は苦手になってしまうだろう。なにせ神すらも騙す女である。
そんな明らかに情報戦では勝てない月乃に対抗する為の苦肉の策が、エーテルを完全に断絶するという行為の、要因のひとつにもなっているのだろう。
「……ガキ共が喋ったか?」
「いや。僕が独自に調べさせてもらった。彼らと接触し、あのゲームを調べ、超能力に関するデータを集めている。それが貴方の目的だね」
「……本当に忌々しい。エーテルという奴はどこまで行っても」
「まあ、そこは僕からは否定のしようがないんだけどね」
なにせ、彼の不安と恐怖は全てハルの存在をもって証明されているのだから。
ありとあらゆる秘密を覗き見しておいて、『安心していい』なんて言えるはずもない。
そんな彼に、ハルはこれから協力を持ち掛ける。味方になる訳ではない、あくまで利用したおす為の。
彼の苦難は、まだまだ始まったばかりであるといえよう。




