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エーテルの夢 ~夢が空を満たす二つの世界で~  作者: 天球とわ
3部1章 アメジスト編

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第1153話 過敏症患者の未来について

 ハルはヨイヤミと共に、再び病棟の扉をくぐる。雷都氏に察知されぬよう唐突な訪問となったが、病棟スタッフたちは皆、嫌な顔ひとつせず二人を歓迎してくれた。

 特に、かつてヨイヤミの担当だった女性などは、今にも泣き出しそうな程に、ヨイヤミとの再会を喜んでくれた。


「こん、にちは。元気、に、なったよ。ハルお兄さんの、おかげ、だよ。いままで、ありがとー」

「っ……!!」


 訂正しよう。今にも泣き出しそうではなく、もう泣き出してしまっている。


《えー……。お兄さんどーしよ。私いま、『お前たちの看護は無駄だった。これからはお兄さんと生きて行く。もう世話になる事はない』って言ったのに。通じてない?》

《普通通じんわ……》

《張り合いのないやーつらっ》

《それにね。通じてたとしても、彼女にとってはきっと本望だったんだよ。君が、ここから出て行くことが。そしてもうここには戻ってこないことがね》

《……ふーんだっ》


 ヨイヤミも、憎まれ口を叩きつつもそれはきちんと理解しているのだろう。それ以上この事について語ることはしなかった。


 とはいえ照れ隠しだけでこう言っているという訳でもなく、語る言葉には紛れもない本心が含まれている。

 ここは彼女にとって『おり』であり、もう二度と、この中には戻って来るつもりはない。その決意を、はっきりと言葉に出して語っていたのだった。


「……ぐすっ。……お外での暮らしはどう? 不自由してない?」

「うん。ハルお兄さん、は、とっても良い人。月乃お母さんも、優しい」


《調子乗って保護者面するなーっ! 不自由というなら、この中がいっちばん不自由なんだからー!》

《まあまあ……。でも、そうやって猫被るくらいには、ヨイヤミちゃんも感謝はしてるんでしょ?》

《ふーんだ。……そりゃまあ? この人らの手がなければ、私は今までこうして生きてこれたか分からないけどさぁ》


 だからといって、ここでの生活の思い出が素敵な物に変わる訳ではないのだ。

 まだまだ全てを割り切るには若すぎる。しっかりしているので忘れそうになるが、この子は遊びたい盛りの子供なのだ。それをきちんと認識しておかねばなるまい。


「……きみ。そろそろ。あまり患者に負担をかけてはいけないよ。いや、既にもう、我々の患者ですらないのだからね? 世話を焼きすぎるのも、迷惑だろう」

「はっ、はい。すみません……」


 ヨイヤミにあれやこれやと世話を焼こうとしていた女性スタッフを、責任者だろう男性が割って入って止めてくれる。

 ヨイヤミはそのことにほっとするでも感謝するでもなく、この男のことはそれはそれで好きではないようだった。


《こいつきらーいっ。世話もしないくせに、世話を語るなー》

《複雑なお年頃だねえヨイヤミちゃんは》


 一応作り笑顔を向けていた女性とは違い、ヨイヤミは彼には無表情で睨みつけるだけで何も語らないが、彼もまた気にした様子はない。

 まあ、睨んでいるといっても、その変化に気づけるのはハルと、ヨイヤミの世話をしていた女性くらいのものだろうが。


「さて、失礼しました」

「いえ」

「それで、今日はどうされましたかな? この子にとって、ここはきっとあまり良い場所ではないのでしょう。問題がないなら、あまり近づかない方がよいのでは? それとも、なにかトラブルが」

「いえ、少々、今後の為にお聞きしたいことがありまして。可能な範囲で、データなども見せて頂ければと」

「我々で分かることなどたかが知れておりますが。なんなりと」


 まあ、データが見たければ忍び込んで、勝手に見させてもらうことも出来るのだが、もちろんそんな事は言えない。

 そのデータすら実は方便にすぎず、ただ雷都氏の訪問時間まで待たせてもらえればそれでいいのだが、もちろんそんな事も言えない。


 ハルとヨイヤミは責任者であろうその男性に導かれ、応接間へと案内される。

 その道中、例の子供たちが様子を遠巻きに見守っていた。ハルは彼らに目くばせして合図を送ると、彼らも目を逸らしつつも渋々と頷いて返してくれたのだった。





「……なるほど。原因はエーテルそのものではなく、データの流入量でもなく、データの出力量であったと」

「ええ。意識がネットに流れ出たまま戻らなくなる。それにより肉体を動かすための処理能力が足りなくなり、無反応のようになる。この子の場合、それが原因でした」

「しかし、そうなると、この中に入ってなおも症状が改善しなかったのは?」

「その意識の出力量のいわば調整弁。それを正しく制御してやることは、ネットに接続した状態でなければ出来ませんから」

「なるほど……、いわば蛇口が開きっぱなしの状態で、外に向け出力し続けようとしていたと……」

「ええ、しかも締める『蛇口』がどこにもない」

「それは、快方に向かうはずもないのは当然ですね……」


《えっ、なーにこの人。お兄さんの話についてきちゃってんの? 何者?》

《いや、この病棟の偉い人でしょ……》


 知識も能力もあるのは当然であった。ハルの語る専門的な話にも、ハル特有の多少癖のある例えにも、難なくついてきて会話が成立している。

 ヨイヤミにとって、それはなかなか衝撃的であったようだ。そういった様子は盗み見ていなかったのだろうか。


「では、そのチョーカーがあれば、ここの患者は全員が症状の改善が見込めるのでしょうか?」

「いえ、そういう訳ではありません。今はあくまで、僕がある種手作業でデータの流入制限をして、結果出力も押さえられているに過ぎません。患者さん全員を同時に対処するのは、流石にどうにも……」

「なるほど。そうでしたか」


 正直な話、ヨイヤミの首に巻いた装置など飾りである。実際は、ほぼハルの力ありきの処置と言えよう。


 しかし、今ハルが彼に語ったことは別に出まかせでもなんでもない。それに対する対処が確立するのであれば、ここの患者全員を外に出すことは、可能と言えば可能なのだった。

 彼はその可能性を、しみじみと噛みしめているようである。


「……なるほど、なるほど。となると、もしそのような未来が実現すれば、私も仕事を無くしてしまいますな。はっはっは」

「いえ、外に出られるようになったとて、彼らがすぐさま社会に復帰できる訳ではありません」

「と、いうのは?」

「技術的に解決できたとしても、彼らのネットへの親和性は依然いぜん高いまま。今度は心身への問題なく、健康的にネット依存するだけです」

「なるほど……」

「……お兄さん、私の、わるくち言ってるぅ」

「おっと、ごめんね? でもヨイヤミちゃんも、もう少しネットの時間は控えようね?」

「む、むぅ……」

「はははは、大変そうですね」

「笑い事ですか……」


 そう、制御出来るようになったとしても、そこで解決には至らないだろう。そのまま、引きこもりが一人誕生するだけである。

 それは、エーテル過敏症の彼らの高すぎるネット適正から、ある意味仕方のない話でもあった。


「……なので、職を失うことはないというか、むしろ、忙しくなるかも知れませんよ。活発でやんちゃになった彼らに寄り添い、導いてあげる存在は、必要不可欠ですので」

「……なるほど。それは実に、大変そうなお仕事ですね」


 そう言いつつ、彼の表情は明るい。ただこの病棟に閉じ込めて、体の世話だけをしているよりも、ずっと有意義な仕事だと思っているのだろう。

 案外、真剣に患者の未来を考えている人であったようだ。ヨイヤミもなんとなく複雑そうである。


 そんな話を、ハルが彼と続けていると、ついに待ちわびた知らせを職員が持ってきた。

 彼には悪いが、ハルはここの患者を救うための新事業の提案をしに来た訳ではない。この知らせをこの時間、この場で聞くために、こうして彼と話していたのだ。


 ……ある意味、ハルがこの施設内で一番の、嫌な奴ではなかろうか?


「先生。雷都様がお見えですよ。先生にご挨拶したいとのことで」

「おっと。もうそんな時間か。つい話し込んでしまった」


 予定されていた、雷都征十郎の病棟訪問。それと鉢合わせ(バッティング)するよう、今日を狙いすましてハルはここに来た。

 責任者の彼と話していたのもそのため。自然な流れで、彼に取次ぎをお願い出来るからだ。そしてそのハルの思惑通り、彼は動いてくれた。


「お話の途中ではありますが、来客がありまして。しかしどうでしょう? よければ、共にご挨拶など」

「お邪魔ではありませんか?」

「とんでもない。彼もきっと、この偶然の出会いを喜んでくれることでしょう」


《あっははー。ぜーったい嫌がるんだけどねー》

《画期的な新技術として売り込んだ価値はあったね。『子供たちの未来をうれう』、優しいライトさんなら、きっと興味をもってくれるに違いないよ》


 心の中で二人悪い顔をしつつ、ハルとヨイヤミは喜んで承諾し、雷都氏の到着を待つ。

 ほどなくして部屋のドアを開けて入ってきた彼は、困惑を全身ににじませつつ、かつ全力でそれを押し殺した笑みを浮かべつつ、優雅な仕草でこちらへ近づいてきたのであった。


「やあ、どうも先生。いつも申し訳ない。来客中に失礼しますよ」


《あははははは! だれこいつー! さっわやかー! あの覇気のないボソボソ喋りのライト君とはおもえなーい》

《……言ってあげるな。きっと、これが社会人をやるってことなんだ。彼も、これで心労を重ねているんだ》


 柔和にゅうわな笑顔で、人当たりのいい挨拶をかわしつつ、こちらへと歩いてくる雷都氏。

 優雅な貴族の余裕を感じさせるが、その実、本心ではこうした対応に疲れ切っていることをハルたちは知ってしまっていた。


 ただ、それを表に出すわけにはいかない。あの姿は本来、決して表には出ない姿。

 ハルは脳内に響くヨイヤミの爆笑に決してつられないように気を付けつつ、こちらも立ち上がると彼の挨拶に応じてみせた。


「やあ。君の噂は常々聞いているよ。そこの子を引き取ったそうだね。“具合は”どうかな?」

「ええ、おかげ様で、“体調は”すこぶる良好ですよ」


 友好的にしつつも、出会いがしらでいやらしいジャブを打って来る雷都氏。彼との化かし合いが、ここから幕を開けることを予感させるようだった。

※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 残念ながら、そこまでの婉曲表現をされてしまったら真意に気付くのはお貴族様か京都人くらいですなぁ(風評被害)。 [気になる点] 微量のエーテルを混ぜて経過観察したり、結局何も解消しないまま閉…
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