第1152話 欲望渦巻く邪悪空間!
ハルは体から糸のように細長く伸びたエーテルを使い、周囲の地形を慎重に探査していく。
決して黒い石の本体には触れないように、また、エーテル感知のセンサーにも触れないように。
幸い、この場は学園内の更に奥に位置する隠し部屋。エーテルが侵入していないことが当然であるため、それほどセンサー類の数は多くないようだった。
「しかし、そんな便利な能力があるなら最初から使えばよかったんに。音楽室とかの調査も、もっと楽だったんじゃないの?」
「最近できるようになったんだよ。アルベルトのケーブルに着想を得てね。君たちが世界創造してる間に、暇だったんで練習してた」
「あはは。ハル君はあのゲームから嫌われてるもんねー。しかし、レベル上限かと思ってたハル君がまだ強くなるんか……」
「いや、こんなのただの曲芸というか、こうした限定状況でもなきゃ役に立たないほぼ死に技術だけどね」
世界にエーテルが満ちていて当然の現代、わざわざ『身体の一部として定義し糸のように延長する』なんて面倒なことをせずとも、その辺の空気中のエーテルを直接使えば済む話だ。
このような小技、他で披露する機会はないだろう。正直、疲労が大きいので、別にそんな機会はなくていいのだが。
そんな小技を用いて、ハルは部屋に残された痕跡を探して歩いた。
ユキとメタも同様に、己の体に搭載された機械式センサーをフル活用して、この部屋に出入りしている人間の情報を収集していった。
その甲斐あって、ハルたちは何人分かのデータを、この室内から採取することに成功したのであった。
「……よし。長居は無用だ。帰るよユキ、メタちゃん」
「えー。もっと、徹底的に探らんの?」
「気になる事ができたら、また来ればいいさ。こいつは逃げないというか、逃がしようがない」
「まあ、そだね。あのエレベーターには乗らんし、何より外に逃がしたらエーテルに触れるんだから、出せないか」
「にゃうにゃう」
そうしてハルは、集めたデータを共有すると、一度この場を離れ家へと戻る。
あとはルナたちと合流し、彼女らの集めた情報とのすり合わせを行っていくことにしよう。
*
「なんとまーそっちは、随分とびっくりな情報が出てきたようですねー」
「うん。びっくし。驚いちゃったよ私」
「ユキさんもお疲れ様でしたー」
「まあ別に、私はロボット動かしてただけだから、ぜんぜん疲れてないけどねー」
遠隔操作を終えて、医療ポッドから起き上がったユキも揃い、ハルたちは情報のすり合わせがてらのお茶会の席に着く。
ここにきて、まさかの黒い石の再登場。この唐突すぎる情報をどう受け止めたものか、皆も複雑な表情だ。
「……まあ、とはいえ、ある種の納得感もある。アメジストの謎すぎるあの能力行使、このくらいの伏せ札が隠れているくらいが納得がいきやすいってものだ」
「ですねー。正直、あれを単に『魔法の才能だけで構築しましたー』なんて言われたら、どんなに能力の開きがあるんだって話ですからー。絶望ですよー?」
「それよりはまだ、未知のアイテムを活用していたという方が、受け入れやすいということね?」
「ですよー?」
魔法の才能があるとはいえ、純地球人であるルナには少々ピンときていないようだが、それでもこれまでの調査がことごとく空振りに終わっていた状況から、あのゲームのあり得なさは察していたようだ。
調査に難儀する場所であったとはいえ、二種のエーテル専門家がこうまで揃って、何の手がかりも得られていないという状況は、どう考えてもおかしかったのだ。
それが黒い石という鍵となるピースを得て、一気に解決に向け動き始めた
「《わたしの時とおんなじっすね! 探しても探しても見つからないのは、未知の技術が絡んでいたからってあたり。それがモノリス絡みってあたりが、出来すぎな気もするっすけど。にししし!》」
「《笑ってる場合かー。このこのー。あの時は迷惑かけおってー》」
「《コスモスには責められたくないんすけど!?》」
確かにエメも、当時の『エーテル神』も、どれだけ星中を探し回ろうとも見つからなかった。
隠れる視点が完全にズレていたというか、判断材料が決定的に欠けていたのであった。
「だが、こうなればあとは開いたマスから順に近くを埋めていくだけ。パズル全体が埋まるのも、そう遠くないかもね」
「なら、まずは隣り合った直近の三マスを開けてみましょうか? その部屋とやらに残っていた痕跡から出た遺伝情報と、私の調べた重要人物が合致したのが、この三名よ?」
「おお。これは、期待できそ」
「きっと彼らが、黒い石の秘密を知っている人物なのです!」
モニターに表示されたのは、学園の有力者たる三名の男。皆、初老と言って差し支えなく、雷都氏よりも一回り年上のようだ。
「ふむ? 雷都氏やその派閥とは、あまり接点のない顔ぶれだね。都合が良いのか、悪いのか」
「あれ? この中に、学園長さんみたいな人は、いないのかな?」
「居ないわよユキ。学園のトップ、理事長職を務めている人は、どうやら意思決定からは遠い立場のようね?」
「雇われ社長、というやつですね! 世知辛いですー……」
「そうね? 意外だけども、どうやら学園の運営陣は本気で、特殊環境での教育に意義を見出しているらしいわ?」
「その想いを、利用されたのでしょうか? それとも、その思想自体が彼らに刷り込まれたもの?」
「どうかしらねぇ……? 現実的に考えれば、そうした都合の良い人材を見つけてきて、都合よく操ったと考えるのが無難ではあるわね?」
モニターに表示された三人は、その誰もが学園に多額の資金を寄付しており、発言力も非常に高い。
あの学園はそうした学生の保護者達からの献金で成り立っており、その莫大な維持費はどう頑張っても通常の授業料では賄いきれないようだ。
そんな親世代の欲望渦巻くあの箱庭で、運営陣だけはきちんと生徒の教育を考えてくれているのは幸いと言うべきか。
それとも、このご時世に本気でそんな教育が生徒の為になると考えているお花畑と評するべきか。少々悩ましいハルであった。
「とりあえず、彼らは学園の人間ではないので、あの中に常駐してはいないようだね。それに、『面談』予定の雷都氏とも派閥が違う。これも、都合が良いと見るべきか否か……」
「それって、ライト君を味方に付けることが出来るって意味かな?」
「味方にまではしたくないけどね。まあ、場合によっては」
「敵の敵は、利用価値のある敵なのです!」
「そうだね、アイリちゃん。今度は私たちが、ぶつかった所を漁夫の利しようねー」
「はい!」
同じ、学園の環境に利用価値を見出している者でも、その目的はこうしてそれぞれ異なっているようだ。
その方向性の違いを上手く利用できれば、ハルの都合のいいように事が運ぶ可能性はある。
「しかしー、意外というか、予想が外れましたねー? 超能力を求める雷都さんは、黒幕とは無関係だったんですねー」
「そうだね。『超能力担当』みたいな立場じゃ、なさそうだ。まあ、あまり組織が大きくなりすぎると、誰の口から洩れるか分からない。それぞれ、思ったよりも小さな組織形態なのかもね?」
「今の今まで、秘密を守ってきたのですものね!」
この情報化時代において、本当にご苦労なことである。雷都氏ではないが、気が休まる時間などないだろう。
「……ついでに、奥様とも仲が悪いんだね。これも都合が良いと言うべきか、悪いと言うべきか」
「当然ね? お母さまは力押しでずいぶん派手にやっているもの。当然のように敵は多いでしょうよ?」
「うーん、確かに、裏で繋がっていたら、月乃お母様から情報が得られたかも知れませんのにね!」
「そんな敵だらけの環境に娘を送り込むなと言いたいが、まあそこは今はいい」
月乃も月乃で、あの学園を都合よく利用している者の一人。ただそれだけの話だ。
そうした多くの者の思惑が複雑に絡み合って、学園は現在の構造を形作っている。それを紐解くことは、今回の趣旨ではない。
「ともかく、目下の目的はこの三名のバックボーンを洗うことと、雷都氏との接触の準備だね」
「ついにライト君との直接対決かぁ。でもさ? 黒幕と無関係だと判明した今、ライト君にはもう構わなくていいんじゃないの?」
「……確かに、ユキの言うことも一理あるわ? ゲーム内の状況も決して無視できない今、こちらの三名に集中した方がいいとも言えるわよ?」
「そうかも知れない。でも、なんとなく、一方向からじゃ見えない物もあるんじゃないかと思うんだ」
「まあ、その判断はあなたに任せるわ? ただ、そのぶんスケジュールは厳しくなるわよ?」
「まあ、そこは僕の力の本領発揮ということで……」
「くれぐれも、体調には気を付けて欲しいのです……!」
ゲームの進行もそうだが、様々なものが佳境に入ってきた感じがする今、どれ一つとして手が抜けない。
だがめくられたカードはまだ一枚。それだけに固執しても、舞台の全貌は見えない気がする。
ハルは得意の並列思考をフル回転させ、それら各種事象へと、同時対処していくのであった。
*
そうして、日付は変わり、時は雷都氏が学園の病棟を訪問する日取り。下準備を終えたハルは、ヨイヤミを伴って学園の敷地を歩いている。
まだ肌寒い中にも春の日差しの混じり始めた桜並木の道を、車椅子を押しながら病棟を目指す。
もうひと月も経てば、この道も一斉に桜が咲き乱れ、日本の学校らしい春の景色を演出することであろう。
「《ねーねーハルお兄さん。やっぱり今日は口で喋らないとだめー? めんどうなんだよーあれー。このままでよくなーい?》」
「残念ながらよくないね。それ、しれっと流してるけど普通の人にとっては超技術だからね? 彼らを無駄に驚かせないためにも、ヨイヤミちゃんにはちゃんとお口で喋ってもらわなきゃ」
「《むーむー! どうせ、お口で喋ったら喋ったで、あいつら無駄に仰天しちゃうんだからおんなじじゃーん!》」
「いや、驚きの種類が違うから、そこはね……?」
自力ではほぼ体を動かせなかったヨイヤミが、自分の口で会話出来るようになるまで回復した。その経過を見せるのも、今回の訪問の目的の一つだ。
彼女の回復を心から祈っていた純粋なスタッフは、その姿を見てきっと驚くと共に、安堵してくれることだろう。
ヨイヤミが動けぬのを良いことに、ハルが虐待まがいの事をしていないか、そうした心配も、拭ってやる必要があった。
「あー、あー。うぁー、しんど……。喉が渇くよーハルお兄さんー。《ジュース飲みたいなぁ? 学生の為の食堂には、美味しいのいっぱいあるんでしょ? 買ってきて買ってきて~。お喋り用にストックしてきて~》」
「それはいいけど、あんまり飲みすぎると途中でおトイレに行きたくなっちゃうよ?」
「《むふふふー。その時は、お兄さんがおトイレに連れていってね? ちゃーんと介護できてるところ、見せてあげないと!》」
「いや、その時は、もう自力でトイレ行ける所を見せる場面でしょ? 頑張ってね?」
「《がーん! すぱるた!》」
そんな風にふざけつつも、ハルはきちんとヨイヤミの要望通りに様々な味のドリンクを仕入れてやる。甘やかしすぎだろうか?
そんなヨイヤミを連れて校内を歩く様に、時おり出会う学生たちは物珍しさで足を止める。
彼女はそうした奇異の視線にも嫌な顔ひとつすることなく、逆に表情制御で愛らしい笑顔を作って向けてやっていた。
「……うーん。似合わないなあ、その顔」
「《ひっどーいっ! めっちゃあざとく可愛くお顔作ってるのにー! お兄ちゃんに学園を案内してもらってる、仲良しの妹風美少女だよ!?》」
「やかましい。僕よりずっとこの学園内のこと知ってるくせに」
「《まーね。すれ違ったあいつらのことだって知ってるよ。それこそ本人しか知らないはずの秘密もね。その優越感が、私に心の余裕を与えてくれてるのだ。ぐへへへ……》」
「やめなさい……、美少女の笑顔はどうした……」
……なんというか、実に一風変わった心の均衡の保ち方だった。
そんな頼もしい彼女を連れて、ハルは再び真っ白な神殿の門のような病棟の扉をくぐる。
さて、本日は雷都氏がこの病棟を訪れる予定の日。それに鉢合わせるように、ハルもまた素知らぬ顔でこの日を狙って顔見せに来ることにした。
不意打ち気味にハルたちと出会った彼は、どんな顔を見せてくれることだろうか。今から、それを楽しみにしている趣味の悪い二人であった。




