第1143話 薄くも盤石な結界
遅れて申し訳ありません!
毒の霧により、正確には通信を遮断する妨害物質により、敵兵の侵攻を停止させる事に成功したハルたち。
それによりこの国は、外部から見れば一面を霧に覆われた幻想的で不気味な世界に変貌した。
その奥には木々が雷を散らしながら、輝く花弁を舞わせている。草原が続くだけの単純な世界も、ずいぶん空想世界らしく様変わりしたものだ。
「これで、しばらくは攻めては来ないだろう。この間に体制の立て直し、更なる植樹、そして『大陸』全土へのエーテル散布を行う」
ハルの世界を中心として、取り囲むように地続きとなった世界の数々。今や、それらを更に取り囲んで漁夫の利を得ようとする者も加わって、世界は巨大な一つながりの大陸と化した。
敵が二の足を踏んでいるこの時間を使い、その大陸中の大気にナノマシンを満たすのがハルの目的だ。
外敵の居なくなった今、全ての電力を使いハルたちはエーテルの増産に入るのだった。
「《でもさでもさ? 霧の中に入らなきゃ問題ないんしょ? これを吹き飛ばして攻めてきたら?》」
「まあ、なくはないねユキ。でも問題ない理由は色々とあるけれどね」
「《色々って? とりあえず、私が思いつくのは、狙った方向に空気を操るのは、思ったよりも難しい、ってとこかしら?》」
「ルナの言う通り、大気のコントロールは非常に難しい。例え風を操る特殊ユニットや兵士が居たとして、狙い通りにこの紫の霧を吹き飛ばして穴を空けられるかは疑問だ」
「ふーふーしたとしても、その側面の空気が逆流してくるかも知れませんからね!」
「そうだねアイリ」
アイリが頬を膨らませて、『ふー、ふーっ』と空気を吹き飛ばす様子を表現しているのが微笑ましい。
見た目ではまるで分からないが、周囲の空気の動きを可視化すれば、必ずしも離れて行く方向での動きに限らないのが見えるだろう。
「ふーっ、ふーっ……《うーん難しい。いや、冷静になったら、こんな大変な制御して『ふーふー』なんてする必要ないんじゃないかな? 熱い飲み物なんて、エーテル制御で直接冷ませばいいし、そもそも冷めるまで放置しとけばいいじゃない?》」
「でも『ふーふー』してる子は可愛いよ」
「そうです! それに『ふーふー』がなくなったら、わたくしのココアを優しく冷ましてくれるハルさんのシチュエーションもなくなってしまいます!」
「《ふーん。じゃあ頑張ってみる》」
「話がズレてますよー?」
ヨイヤミが動かない体を身体制御し、頑張って『ふーふー』の練習をしている。
その姿に癒されつつ、敵が攻めて来れない次の理由をハルは解説していった。
「二つ目、もし敵の能力が予想以上で、的確に霧を吹き飛ばし道を開けたとしても、それは大した問題にならない。別に少しくらい入れてもいいんだ」
「《あっ、そっか! 閉じちゃえばいいんだ!》」
「ユキ正解。兵士の操作が電波のような性質で、この霧がチャフのようなものである以上、中に入れれば安全って訳じゃない」
通り抜けた後で、霧の蓋を閉じて電波にあたる波動の経路を塞いでしまえば、また敵は糸を切ったように動かなくなる。
敵が入り口で頑張って穴を維持し続けていたとしても、内部、奥深くに入り込んだ時点で、改めて霧を発生させて囲ってしまえば終わりなのだ。
「つまり彼らは、国境からここ本拠地へと至る道全てを、風使いでガードしていないといけないのさ。そこまでのユニット、さすがに居ないだろう」
「《そうね? 居たのなら、これまでの侵略で既に投入しているわ?》」
突破されてしまう可能性自体は残ってしまうが、むしろ突破されたところで大した問題にはならない。
まあ、リソースを割かねばならなくなるので、突破されないに越したことはないのだが。
「で、最後に。敵はさんざん精神的に揺さぶりをかけられているので、可能であってもそうした的確な手段を実行に移せない」
「さんざん虐めましたからねー」
そう、非常に可哀そうなことではあるが、ハルの策略によってさんざん疑心暗鬼にさせられた彼らは、そうした冷静な突破手段を思いつけない。
思いついたとしても気が引けて行動に移せず、行動に移す気になっても人員が集まらない。
異なる派閥同士で協力しての大連合を組むことが、このハル包囲網を成立させている。その連携が崩れた今、もう攻めて来ることはない、と断言していいくらいだった。
「そもそも、包囲の為に人員を分散して配置した、というのも逆風になってる。今僕らを攻めるのならば一点突破。その為の再編成を行うことも厳しいさ」
「《悪い人ねぇ……》」
「《ホントやってること悪人だよねハル君。仲間の信頼関係にヒビ入れたり、毒ガス撒いたり》」
「……いいの。あの程度で崩れる信頼しか無かったのが悪いんだし、これは毒ガスじゃあないし」
「《あはは。お兄さん苦しい~。崩れやすい人を的確に狙って倒していったし、見るからに毒ガスに見えるように演出してたじゃーん》」
「しーっ! いけませんヨイヤミちゃん! そんなことを言う口はこうです! おしおきしちゃいます!」
「《あはははー、お口引っ張っても私の発音には影響ないもーん》」
「ていっ!」
「ほわっ!? ふぁいりほねえひゃんはににゃったにょー!?」
ハルの力を使い、ヨイヤミの発音機能を強制停止しておしおきするアイリだ。
小さい女の子同士の無邪気なじゃれ合いに見えるが、やってることはえげつない。
とりあえず、この状態でもきちんと喋れるようになったヨイヤミの成長をハルは喜んでおくとする。
ハルたちはこうしてほのぼのと賑やかだが、敵は今、別の意味で賑やかになっているだろう。
そんな敵プレイヤーの生徒たちの元に、そろそろエーテルを含んだ風が到着する。
ハルは少しばかり、その風に乗って彼らの所にお邪魔してみることにするのであった。
*
「……さて、そろそろ直接接触している一層目の国に、エーテルが行きわたる頃だね」
「こうして見ると、色々な国があるのね? 有事でなければ、のんびりと見て回りたいところだわ?」
「お帰りルナ。ユキもお疲れ」
「あいあいー。んー! さすがに右手と左手で別ゲーするのは疲れる!」
「《ユキお姉さんってナチュラルにヤバいよね実は。ハルお兄さんにばっか目が行きがちだけど》」
「まだまだ若いもんには負けんぞヤミ子」
「《お姉さんだって若いじゃーん》」
植林の旅に出ていたルナとユキも一区切りついたようで、本拠地へと戻りハルと合流。共に、巨大モニターに映し出されている戦略マップに目を向ける。
そこには、この国を中心とした『大陸』の地図が国境のラインと共に表示され、そこに重なるように二種類の靄が国土の上を覆っている様子が示されていた。
一つは、ハルの国の国境と重なるようにこの世界を取り囲む霧の結界。例の『毒ガス』であり、操作信号を遮断する妨害物質だ。
そしてもう一つがエーテルの浸食範囲。空気中にナノマシンの粒子が混じった範囲で、閉じたこの世界にエーテルネットのインフラが行き届いた範囲であるとも言える。
その範囲内に、既にいくつかの国の首都、生徒の居る本拠地のポイントも含まれているのであった。
「既に、何名かはネットワークに接続された。まあ勿論、彼らにはそれを気付く術はないのだけど」
「《修行不足だよねー。私なんか、体の中にエーテル入ってきたらすーぐ気付いちゃう。あいつら、お薬にこっそり混ぜ混ぜして実験してるつもりなんだろうけど、バレバレだってーの! べーだっ!》」
「……微妙に病棟の闇が見える発言はスルーするとして、それって修行でなんとかなるものなのヨイヤミちゃん?」
「《うーん。生まれ持った主人公的血統だったか? うちの忌むべき血筋にも価値があったか……》」
「だから闇……」
ヨイヤミの自虐ネタには触れないにしても、実際彼女ほどのエーテルに対し過敏な反応を示す者でなければ、体内にエーテルを取り込んだ事になど気付かない。
当たり前だ。人は、病気に感染したことにその場で直感的に気付いたりしない。
症状が出て初めて、ここではネットワークに接続しメニューが出て初めて、体内の小さな異物を認識するのだ。
「これが外なら、自動でエーテルネットに繋がるけど、ここでの元締めは僕だ。僕を通さなければ、外部に繋がることはない」
「《まさに、閉じた世界の神様だよねー。やりたい放題じゃん》」
「そうだね。調子に乗らないように気を付けないと」
「《まっじめなのー。デスゲーム始めたり、女子を監禁したりするものじゃない? これが満たされた者の余裕か……、もう女は要らんと……》」
「アイリ、教育」
「はい!」
「ふがー! もがー!」
監禁はともかく、その気になれば生徒の身に対抗手段なく危害を加えることも容易な状況。そこをしっかり心するとしよう。
「そんな彼らだけど、中には数名で集まっている所もあるみたいだね」
エーテルの『感染』した生徒が確認されるごとに、マップの上に光点としてその位置が表示されていく。
恐らくは同じ派閥の者同士であろう、数名の集合した光点も見える。
ハルはその位置に、エーテルの集合をレンズとしたカメラを設置し、映像や音声を別のモニターへと表示させていった。
本拠地の中であろう会議室のような一室に、四人の生徒が集まってこの状況について話し合っている様子が送られてきた。
「出ました! 覗き見です!」
「ふがっ!」
「随分と議論が白熱しているわね? ということは、まだやる気なのかしら?」
「いや、これは、激しく議論することで他の仲間にやる気の無さを悟らせないための熱さだね。方向性は後ろ向きのようだ」
「ハル君に見られちゃそーゆー仮面も形無しだよねぇ……」
そんな彼らは机を囲み、そこに手を突くようにして激しく議論を交わしている。
卓上にはハルたちと同じく、戦場の地図が広げられているようだ。
とはいえハルたちのような空中投射のモニターではなく、紙の地図に立体の駒という、実に雰囲気の出る物だったが。精度も甘め。
彼らは、今は前線から後退してしまったその駒たちを、どうすれば再び前進させられるかを熱く語り合う。
「《だからさ、風で吹き飛ばせば一発だろ! もう一度あっちの風丘組みと連携を取って……》」
「《そう上手くいかないって。風の操作は。それに、連携を取るのももう無理だ。あいつら、こっちを警戒しまくってる》」
「《連合の誰かが裏切り者だと思い込んでるもんな》」
「《……ぶっちゃけ、実際に誰かスパイが居るんじゃ?》」
「《ありえる……》」
「《ハルの人脈、というか藤宮の圧力か? どっちにしろ凄いもんな》」
「《それに、もし吹き飛ばして道が出来たとしても、入った後に閉じられたら終わりだろ。一部隊だけでどうすんだ?》」
「おー。だいたいハル君が言った問題点と一緒」
「確かに、これは攻めては来ないわね?」
そう、連携の崩れた今、攻める為の体制の立て直しを図るだけでかなりの時間を要する。そして、新しい敵への対処もある。
そんなどうしようもない中、ハルの手はその援軍であるはずの新たな敵の方にも、徐々に徐々に伸びていくのであった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございます。「しちゃうます」→「しちゃいます」。一瞬このまま押し通すのもいいかと思いましたが、発言者がアイリですし、普通に誤字ですね。




