第1142話 毒の花粉が戦場に舞う
もはや兵士は居ないというのに、敵兵はハルたちの国への侵攻を再び足踏みしていた。
ただ静かにそこに佇むだけのぽつんと立つ木々を、彼らはどうしても越えられない。
その木に近づけば枝葉から電撃をまき散らし、一歩たりとも踏み込ませることはない。
電撃の射程外から狙えど、舞飛ぶ花びらのような紫の紙吹雪に電流が触れると、謎の力場が発生して攻撃を妨げた。
まるで人の立ち入りを拒む神域の結界。境界線を引くように等間隔に植えられたこれらの木々は、現世と幽世を分ける目印だ。
命をもったままで、この先を進むことあたわず。
「まるで内政をやりすぎた国の行きつく先を見ているようだ。自動防衛が強すぎて、もはや兵士が必要ない」
「まるでというか、そのままですねー」
「確かに。あとは悠々と、陣地を広げて行くだけなんだが、それがそう上手くはいかないね?」
「いい感じにやっつけられてますがー、一進一退ですねー。もっとこう、効率の良い方法はないのでしょーかー」
「《エーテルの雲を通して、雷を範囲外に飛ばすのはどうかな?》」
「それは無理なんだヨイヤミちゃん。この雷は、実際の電気じゃない。物質であるエーテルでは、干渉することが不可能なんだよ」
「《そうだったー!》」
「つまり、幽世の雷といったところですね……!」
「そうだねアイリ」
心を読まれてしまったハルである。現世がどうの幽世がどうのと、そんな内容が融合した心を通じて彼女の方にも伝わってしまったようである。
……まあ、今は恥ずかしがっている場合ではない。そんな幻じみた幽世の力を、どのように現世に降ろし神通力と成すか。腕の見せ所だ。
「《相手も生きた人間なら簡単なのにー》」
「彼らもまた、幽世の住人なのですね! ……おや? ややこしいですね?」
「MPにダメージを与えないと倒せないと考えようか。僕らの雷はMP攻撃だけど、エーテルはそのMPを使って作り出したHP攻撃だ」
つまり、ダメージを与えるにはもう一度MP攻撃に変換してやらないといけない訳だが、変換に変換を重ねた結果、出力がどうなるかはお察しである。
今、ナノマシンの微粒子はハルたちの世界で飽和を終え、風に乗って、既に敵軍の陣地へと流れこんでいる。
これを使って敵兵を葬ることは容易い。防具に覆われていない無防備な体表に直接、衝撃波でも叩き込めばいい。
しかし、ハルたちの目的はエーテルの増殖と散布。出来れば戦闘などという無駄な事に、その為のエネルギーを使いたくはなかった。
「……出来れば、省エネで収めたい。それもなんというかこう、人知を超えた感じで」
「今のままでも、十分にド派手ですが!」
「《そうだよー。木から『ばりばりー』って雷が飛び出るとか、神様の奇跡っぽいじゃない?》」
「それはそうなんだけど、なんというかゲーム的なんだよね。現代人には珍しくない」
「もっと、見ただけで震え上がるような攻撃がお望みなんですねー」
そういうことだ。今は言ってしまえば、『攻撃方法が変わっただけ』でしかないとも言える。
派手ではあるが、正直その前の尽きることのない銃弾の雨も同等に派手だった。
その派手な弾幕にも果敢に飛び込んで来た彼らだ。今回もまた突破口を見つけて、そうしないとも限らない。
ソウシの配下が本格的に参戦し、もはやハルの方に構っている余裕を無くすまで待つ、というのも手だ。
しかしそれも何だか癪であるし、なによりその段階までにある程度の増殖は終わらせておかなければ、一気に戦争そのものが終わってしまいかねない。
「……いや、戦争を終わらせてほしくない闇の商人じゃないんだけどね。『大陸』に広がりきるまでは持たせたいというか」
「なーにを自問自答してるんですかー。そーいった未知の恐怖をご所望というならば、やはり毒殺ですねー。攻撃も受けていないのに兵士がバタバタと倒れていく様は、恐怖をあおりますー」
「カナリー様! なんと恐ろしい!」
「《んーでも、奴らにエーテル毒は効かないよー。人じゃないんだもん! プレイヤーの毒殺もダメなんでしょ? じゃあやりようがないかなぁ……? あっ、毒殺に見せかけて、こっそり首筋に衝撃波でも送ろっか! でもそれは消費コストがー……》」
「ヨイヤミちゃん、もーちょっとですねー。プレイヤーには手出ししませんが、プレイヤーを通じて兵士を毒殺しますー」
「《おっ? おおっ? どーゆーことだろ……?》」
いまいち、カナリーの言っている意味が分からないという顔のヨイヤミ。普段は人形のように無表情な彼女も、最近はこうした時はずいぶんと表情豊かになってきた。
エーテルネットに非常に高い適性を持つ彼女も、応用面ではまだまだ経験不足。特に、異世界をひとつゲーム空間に仕立て上げてきた熟練の運営であるカナリーの発想にはまだ付いて行けないだろう。
そんなカナリーの、運営らしい発想。それはある意味、ゲームとして反則じみた行いであった。
*
「兵士のコントロールを遮断しますー」
「《そんなことできるのー!?》」
「出来ますよー? そのためにこうしてエーテルばら撒いて空間丸ごと解析したんですからー」
「いや、その為じゃないけどね?」
あくまで、この空間の謎とアメジストの計画を探るためだ。チートじみた方法でゲームに勝つためではない。
「今、僕らの世界はまるごと、現実と同様にエーテルネットワークに覆われている状態といっていい。その中での出来事は、既に詳細に観測可能だ」
「それこそ、どんなつぶさなデータでもですよー」
特にこの場には、ハルとカナリー、二人の管理ユニットが揃っている。それはもはやゲームそのものに解析プログラムを流し込んだに等しい状況だ。
その解析により、このゲーム世界の空中を飛び交う不可視の力の流れの一部が判明した。
それは電波に似たある種の波長を伴ったデータの流れ。それが、本拠地を中心に絶えず全方向へ向けて放射されている。
そのことをハルは、皆に図解付きで解説していった。
「これは、いわば『コントロールの電波』だね。ああいや、そう言っても分からないか……」
「《わかるよー。ラジコンってやつでしょー》」
「わたくしも知ってます! 電波が届かないところまで行くと、落ちてしまうのです! ……はっ!」
「そう、ならばその電波を届かなくしてやればいいってことだね」
「かんたんですねー?」
思えばその『電波』を効率的に伝えるために、多くの世界は円形に広がるのだろうか? まあ、今はそうした仕様を考えている時ではない。
こうして判明したゲームの仕様から逆算し、この世界そのものの構造、成り立ちを解き明かすことが今回の計画だ。
そのためには、コストの掛かりすぎる戦闘行為には早々に停止を願おう。
「《分かったよーハルお兄さん! もう戦場にはエーテルが満ちてるから、その場のエーテルで波長を中和して、コントロールを止めてやればいいんだよね! よゆーよゆー! 私に任せてよ!》」
「凄いが、やめい。それを維持するのにどれだけ金が掛かると思っておる」
「お金じゃないですけどねー」
エーテルで何でも解決できてしまうが故のヨイヤミの暴挙を、ハルはなんとか押しとどめる。
本当に凄いことだが、そんなことをすれば衝撃波で暗殺の何倍ものコストが常時必要となるだろう。
「こういうのは、一度発動すればあとは維持コストの掛からない方法が望ましい。カナリーの言った『毒殺』、これを採用しよう」
「毒の霧ですよー?」
相手が電波のような性質を持つのであれば、対策法もまた同様。要するに電波妨害だ。
このゲームが物理的な空間において運営されている以上、妨害もまた物理的方法で可能となる。
電波を乱反射し通信を妨害する『チャフ』を撒くように、接触した波長を減衰させる性質をもった物質を、戦場近くの木を使った放電エネルギーで合成していくハル。
「……流石に、この合成時のエネルギー消費は馬鹿にならないけど、一度作ってしまえば後は使いまわしがきく」
「あとはこれを戦場に満ちたエーテルで風に乗せて、お届けですよー?」
まるで、紫の花びらの次は紫の花粉が、雷を放ち続ける神聖な木々から舞い上がり風に流れて来る。もはや神聖というよりは邪悪さが強い。
そんな花粉の霧が、徐々に戦場を満たし空気の色を濃くしていく。
そんな霧に触れた兵士は、先頭の者から微妙に少しずつ不調をきたし、まるで『バグった』ように動きを乱していった。
いや、実際に内部では信号にバグを生じさせている。減衰し、混濁した命令は本来の意味を失い、彼らの挙動を病的にかき乱す。
そして次第に、命令の信号そのものが届かずゼロとなり、糸の切れた操り人形のように、ぱたり、と動かなくなってしまった。
その様子は、彼らを人として見た場合、まるで毒を吸って苦しみもがき、最後には息絶えたようにも映ったかも知れない。
「《……うっわぁ。これ倫理的に大丈夫? 本体の精神衛生上っていうか? それに、もう確実にチートだと思うけどそれも平気?》」
「へーきですよー。チートっていうのは、ルールが明示されて初めてルール違反になるんですからねー? それに、運営が文句言ってくるというなら、それこそ願ったりですー」
「……別に願ってはいないけどまあ、僕らはその運営にこそ用があるからね」
そんな、通常のゲームでやれば一発で運営からの呼び出し案件な仕様の悪用。
戦場を満たすジャミングの毒霧によって、ハルの国へと近づく兵士に動く者はなくなった。
……少々イメージの悪い戦法だが、そのイメージの悪さ故に近づく者も減るだろう。
この間に、この通信方式を解き明かしたように次々と、この世界その物の仕組みを明らかにしていくとしよう。




