第1119話 趣味人がたどり着いた物
書斎の隠し扉を抜け、梯子にそって地下へと降りたハルの見た物は、屋敷の全てのカメラやセンサーの集まるモニタールームであった。
この現代ではめっきり少なくなった物理的な映像パネルがひしめき合い、屋敷中の映像と、各種センサーの数値を所狭しと描画している。
そのモニタールームを監視している人員のような者はおらず、ただ部屋全体が、機械の排熱を行っていることを知らせる低い唸りを上げ続けているのみだった。
その一方で、放置されている部屋という印象もない。ハルの見立てでは、少なくとも日に一度程度は誰かがこの部屋を訪れ、データのチェックを行っているといった使用頻度だと推測された。
「お父さんの趣味部屋、ってところかな?」
「《自宅の監視が趣味ってかい? それまた妙な趣味だねぇ》」
「《自宅の警備が趣味のセレステがなに言ってんのさ》」
「《馬鹿を言うんじゃない。警備なのだから、仕事だとも!》」
「……いやそれは今はいいよ。大人しくしなさい二人とも」
「《はーい》」「《はーい》」
まあ何が趣味というかと言えば、このセキュリティ装置を汲み上げることが趣味なのかも知れない。
恐らくこの隠し部屋は本人以外には一切秘密にされており、全てのメンテナンスも本人が一人で行っている。
普段は責任ある大人のそうしたひっそりとした一人の作業時間。それは、世間から離れて落ち着ける、心休まる趣味であると言っても自然であった。
「……まあ、どう言い繕っても目的が監視なんだけどねこの趣味」
「《でも、大規模システムを組むこと自体に満足感を覚えるってこと自体は分からなくもないかなボクも。オーキッドもそんな気があるよね》」
「《一緒にするな……》」
確かに分からなくもない。別に何をするでもないのに、高負荷試験の結果だけを追い求めたシステム。
誰を倒す為でもないのに、ゲームで世界最強の過剰なステータスを求めるプレイ。
そんな、無駄を追い求める事こそが趣味といった楽しみ方も確実に存在する。
「機械集めが高じて、こんな趣味部屋まで作っちゃった。と言ってもまあ通じるだろう。ここまではね」
ハルはそんなひしめくモニターの群れを素通りし、地下室を更に奥へと進んで行く。
その広くもない部屋の突き当りには、モニターの明かりにぼんやりと照らし出された、真っ黒な壁が行き止まりとして立ちはだかっているのであった。
いや、これは壁ではなく扉。行き止まりではなく更なる隠し部屋への入り口。
真っ黒な反エーテルの塗料で塗り固められた、エーテルネットを物理的に遮断する、現代における最高峰の金庫である。
その漆黒の扉の前で、ハルはしばし動きを止める。
扉を睨みつけるような形で、じっと思案するように停止していた。
「《どうしたのさハルさん。別の方で何かあった?》」
「《そんな処理落ちじみたこと、ハルがするまい。きっと、内部に魔力を通して良いものか思案しているのだろうさ》」
「《おおー。理解者面》」
「《ご主人様のこと何でも分かってるアピールっすか? 油断も隙もないっすね》」
「《うむっ。君らも精進したまえよ!》」
「……まあ実際、当たってはいるんだけどさ」
セレステの指摘する通り、ハルはこの中に<転移>の為に魔力を通していいか少し逡巡している。
今までなら、迷うことはなかっただろう。この地球上において、魔力は探知する者が存在しない万能札だ。
それを使った侵入は、ネットにも機械にも察知しようがなく、容易に完全犯罪を成立させた。
だが、今は違う。魔力を感知して発動するトラップが、あの学園にて実際に稼働しているのを体験しているのだ。
学園と同様に、この黒い扉の内部もまたエーテルネットを排除した世界。そこになんとなく類似性を感じて、ハルは立ち止まってしまったのだった。
「……いや、冷静に考えれば、そんなはずはない。この部屋の主もなんだか情報を得ていそうに見えるが、ここにログインルームがあるならもっと別の動き方をするはずだ」
「《うむっ。わざわざ、長い距離を移動に苦労して学園に通う必要もない》」
「それに、もし内部で何かが魔力に反応してしまったとしても、室内から外に情報を知らせることは出来ない」
「《うむっ。ネットには繋がっていないし、全面を塗り固める必要がある都合上、ケーブルを物理的に通すことも出来ない》」
「そして、<透視>で危険そうな物はない事を確認した」
「《覚悟は決まったかな? では、行こうかハル!》」
「《……セレステ、あんた寝っ転がっておやつ食ってる人がなーにが覚悟っすか》」
「《バラエティーの鑑賞気分なのー》」
「《はっはっはっは!》」
まあ、だとしても勇気の出る後押しにはなってくれた。
そんな神様たちに見守られながら、ハルは黒塗りの聖櫃の内部へと、鍵も開けずに<転移>し侵入して行くのだった。
*
「《おや。まっくらかと思えば、明かりがあるのだね内部には》」
「ああ。電灯が常備されているらしい。助かった、というよりも、これが無ければ本人も何も見えないからだろうね」
「《人間だものねー。ボクらなら、色々やりようはあるけどさ》」
内部に<転移>したハルが見た景色は、<透視>し見ていた通りにそこまで目を見張るような面白味はない光景。
ワクワクの新事実や秘密の数々を期待していたセレステも、がっかりの内容だ。白けた顔でおやつをむさぼっている。美人が台無しであった。
「《なんだいこれは? おじさんの、人目を避けてちょっと一息つける憩いの部屋かい?》」
「《なるほどな。エーテルネットを病的に嫌う奴だ。この中に入って初めて、奴は心から落ち着いて己を開放し、自分らしく過ごすことが出来るという訳か》」
「《なに、オーキッド。共感しちゃうの?》」
「《そうは言っていない……》」
部屋の中にはお酒であったり趣味のグッズ、彼の息抜きの為のアイテムが様々なジャンルで取り揃えられていた。
完全に、公人としての顔を捨てた個人の趣味部屋。物理的にネットから探知されない安全な空間。
この中でだけは、普段外で溜め込んだ抑圧から解放され、自分らしく過ごせるということだろうか?
「《解散。なんとつまらない! ……といきたいが、結論を急ぐにはまだ早いねハル》」
「うん。こっちの機械類は調べておいた方がよさそうだ」
そんな趣味部屋の一角に、所せましと何かの機械装置が並べてあるスペースがあった。
雷都氏の趣味として公言されている骨董品としての機械収集。これも、その趣味の一部としてこの部屋にあるのは不自然ではない。
このコレクションを眺めながら、高級酒で一杯やるのも乙なものだろう。
だが、その一角の整頓具合は、コレクションの収納棚といった雰囲気ではない。
並べて楽しむというよりは、もっと何か実用的な、れっきとした研究目的のスペースとして趣味部屋の中でも異彩を放っていた。
「エメ」
「《はいっす!》」
「そっちに丸ごと複製品を送る。現物を動かすと隠蔽が面倒だからね」
「《了解っす! データの抽出と解析を超特急でやりますよ! セレステとかも、手伝ってくださいっす》」
「《そういうことならば、オレも加わろう》」
「《魔法バカが分かるのかいオーキッドー? 機械のことなら、ボクに任せてくれた方がいいんじゃないかなー?》」
「ケンカしないの君たち。じゃあ一人一個ずつ複製するから。好きに弄っちゃいなさい」
魔力でコピーしたものを神様たちの手元に<物質化>で出現させ、その機器の中にあるデータの調査を依頼する。
この場で起動できずとも、魔法の前にはやはりセキュリティなどあってないようなもの。なんだかんだ言って、万能なのだった。
その間にハルは付近にある紙資料に<神眼>で目を通し、一切位置を動かすことなくその内容を読み取っていく。
断片的に読み取れるその内容からは、驚愕の展開となる予感がふつふつとわき上がってくるハルだ。
そんな予感を裏付ける解析結果が、お屋敷に待機する神様たちから知らされる。
「《分かったよハル。この装置は、元々は本当にただの趣味アイテムだったようだね。単に計器として、様々な細かい周囲のデータを記録するだけの装置だった。君も好きだったね、そういうの》」
「ああ、うん。エーテルネットだと、どうしても大雑把になって観測しきれない物もあるからね。僕の家にもあるよ」
「《うむっ。奴も元々は、そうした単なる趣味だったのだろうさ》」
「《しかし、そうやって環境データを取って行く中で偶然か、それとも狙って取りに行ったのか、ある日装置が異常なデータを察知してしまったようっす! それは、とある入院患者の病室での記録のようです!》」
「《病室にこんなもん持ち込むとか、何考えてんだろね。権力ってやつ? 自分の城ではやりたい放題?》」
「《今は経緯はどーでもいいんすよマゼンタ! ともかく、ある患者の周囲で、微弱ですが明らかに異常な空間の乱れ、それを観測してしまったんすよ。まあ要するに、超能力の兆候をデータとして得てしまったんですね。この方は》」
「そのようだね。周囲の書類にも、所々、超能力に関する走り書きがある」
既に、エメたちのその答えは予想していたハルだ。彼は、子供たちと、今回のゲームと接触するより以前に、超能力との接触を得ていた。
月乃とは別のルートで、彼もまた密室の中で超能力に関する研究を行っていたという訳だ。決して、世には出さないまま。
その中で、何を見つけ何を考えて今まで生きてきたのか。ここからは、もっと詳細に、隅の隅まで調査を行っていく必要を確信するハルたちだった。




